大草原②


「大河! そっちに追い込むよ!」


「ああ! 絶対に逃さねぇ!」


 だだっ広い草原のど真ん中。

 目を血走らせた朱音と大河が、とんでもない速度で一匹のモンスターを追いかけていく。


 モンスターを両側から挟むように陣形を組み、逃げ道を塞ぎながら徐々に肉薄する。


「朱音さん! 今だ!」


 大河は左腕に装備していた小型のラウンドシールドで、勢い良くモンスターを弾き飛ばした。


「うおりゃ! 【牙噛み】!」


 朱音の右腕に装着された手甲てっこうが青い光を放つ。


 瞬時に跳躍した朱音とその光は、モンスターの上方から牙のような鋭さを持って襲い掛かり、その胴体部分に風穴を開け大量の血が噴出した。


「んにゃろ! 二撃目ぇ!」


 着地した朱音が地面スレスレで体勢をひるがえし、即座に拳を天に向かって突き出した。


「おうりゃっ!!」


 気の抜けた間抜けな掛け声が草原に響く。


 打ち下ろしと打ち上げの二段斬撃により、モンスターの頭部が胴体より分かたれる。

 

 朱音の新たなる武器である『伏龍』のスキル【牙咬み】は、隙の小さな連続攻撃だ。

 同じ拳より繰り出される上と下、一対の牙が相手を咬み砕くように切り刻む。


「よっしゃあぁああ!」


「飯ゲットぉ!」


 倒れたモンスターの死体を囲み、朱音と大河は雄々しい──どこか悲壮感すら漂う雄叫びを上げた。


「肉よ! 久しぶりの肉!」


「悠理きっと喜ぶぞ! やったな朱音さん!」


「ええ! この──なんだこれ。顔は豚か? でも猪っぽくもあるな? でも模様は牛で……角は鹿だな? んで鶏の前足に……この後脚は馬の蹄なの?」


「わからん。わからんがこの見た目で食材系モンスターじゃないとか嘘だろ。朱音さんほら! 肉! 肉がドロップしてる! しかも六種も!」


 大河のスマホに表示されているバトルリザルトには【食肉キマイラ】と表示されていた。


「うっひょーーーーー! ひさしぶりの葉っぱ以外の飯だぁああああ!!!」


 野菜の事を葉っぱなどと形容する女性は、きっと朱音だけではなかろうか。


「やったぁあああああ!!」


 それぞれの『剣』を掲げながら、大河と朱音は狂ったように踊り出した。

 恥も外聞もへったくれもなく、まるで未開の地の蛮族の様に身体を跳ねさせている。


「すっかり野生化しちゃったなぁ……」


 悠理は少し離れた場所で、そんな二人を冷ややかな視線で見つめる。

 久しぶりに遭遇した食材系モンスターを目視した途端、風の様に駆け出した二人に追いつけなかったのだ。


「大河! もっと探すわよ! この──食肉キマイラを!」


「ああ! 一匹だけじゃ足りねぇもんな!」


 数日ぶりの肉の収穫に酔いしれた二人は鼻息荒く周囲を見渡し、そして次の哀れなる獲物を見つけた。


「朱音さん、居た!」


「待てゴラぁあああ!」


 もはや狩猟民族と化した二人は恐怖でビクンと跳ねた食肉キマイラに、鬼気迫る勢いで爆進していく。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 三人がこの草原地帯に侵入してから、既に一ヶ月が経とうとしている。


 進めども進めども景色は青々とした緑一色。


 時々水場や規模の小さな林や森は有るものの、文明的な人工物は一つも見当たらなかった。


 大河と悠理はあの無限回廊で、変わらぬ景色の中三週間を過ごした経験がある

 だから一ヶ月の長期間変わり映えのしない景色を旅していても、外の清々しい空気が吸えるこの状況に不満はさほど無い。

 そんな二人が余裕そうなので、朱音もあまり思い詰めたりもしていなかった。


 問題となったのは、やはり食糧である。


 モンスターの出てくる頻度こそ多いものの、肝心の食材がドロップできるモンスターが異常に少なかったのだ。


 ドロップアイテムを売却・換金できるような施設も見当たらず、オーブが増えないので当然レベルアップもできない。

 

 かろうじて朱音の『剣』を『伏龍』に成長させられる余裕はあったので助かったが、日に日に消費される食糧を前に三人は焦れていった。

 特に成長期で人一倍食べる大河と、元々食が太かった朱音のストレスがここに来て爆発した。


 試しに素材系モンスターを解体して食してみようとこころみたが、ステータスに【食当たり】というバッドステータスが表示され、とんでもない腹痛に襲われたのでそれ以降試していない。


 たまたま食当たりを回復させる薬を(誰かから)奪っていたのでなんとかなったが、それが無ければ大河と朱音は脱水症状で死んでいたかも知れない。


 悠理による食糧配分も三人をギリギリ生かしていて、無計画に消費していたら最初の一週間を迎えるまでに餓死していただろう。


 そしておそらく六日ぶりに手に入った食肉。


 しかも六種とも希少部位だったその肉を悠理に調理してもらい満面の笑みで平らげた一行は、手慣れた様子で焚き火を組んでまったりとくつろいでいる。


「あー、食べた食べた……」


「四匹も見つけられたもんな。ここらへん一帯に生息してんのかね。あの食肉キマイラは」


 腹を抑えて満足げな朱音と、食後の運動がてら屈伸を始めた大河が嬉しそうな声で零す。


「豚肉に牛肉、鶏肉に馬肉……鹿肉に猪肉……名前の通り食肉ばっかり手に入ったね。しかも結構な量」


 食材を管理しているアイテムバッグの中身を『ぼうけんのしょ』で確認しながら悠理も笑う。

 二人ほど肉に飢えては居なかったが、悠理だって野菜ばっかりの食卓にうんざりし始めていたのだ。


「あとは米か。稲科のモンスターとか出てこねぇもんかな」


「もし発見したら、一日掛けてでも狩り尽くすつもりよアタシャ」


 今食べ終わったばかりだというのに、二人はもう次の食事の事を考え始める。

 それほどこの六日間が切迫していたのだろう。


 あの無限回廊ですら定期的に食材の補充が出来たので、食に関しては考える必要が無かった。


 日に日に食べる物が減っていく恐怖など、現代日本に生きる三人にとって未知の恐怖でしかない。


「まだこの草原、続くのかな……」


「もうだいぶ歩いたよな。500キロは行ってるんじゃねぇか?」


 スマホで地図を開き、膝を抱える悠理に大河が答える。


「目白から池袋なんて、ほんとは十分もかかんない距離なのにねぇ」


 両手で身体を支えて仰け反った姿勢の朱音が、すっかり暗くなった草原を見る。


 星空がキラキラと輝く様子は、本当にここが東京なのかを疑う光景だ。


「方角は合ってる。進んでいけばいつかは着くし、こうやって飯も補充できる。焦っても仕方ないし、着実に行こうぜ」


 大河にはあの地雷天使レナの存在が、池袋が実在する確信めいた根拠となっている。

 しかし、レナの存在はまだ二人には打ち明けていない。


 その姿を見た悠理には、『空を飛べるアイテムを手に入れた不思議な女の子で、初対面だった』と説明して納得して貰っているし、そもそも朱音にはその話をしていない。


 二人に隠し事をしているという罪悪感はあるものの、もし大河が知ったレナの正体と、そしてこの東京が親友のりょうの妄想したゲームに変貌したと知れたら──。


(きっと二人は……綾を恨む)


 悠理も朱音もその権利を持つ。


 悠理は様々な人の死を見てきたし、本人も辛い思いを何度もしている。

 朱音は悠理から聞いた話では、妹をモンスターに殺されているらしい。


 綾は大河の幼馴染で、親友で、弟分だ。


 大河の半生どころか、八割の人生を共に歩んだ兄弟と言ってもいい。


 親しくなった二人から綾へと向けられる悪感情はあまり見たくないというのが本音だ。


(綾の妄想を歪めた意思って奴がわかるまで……俺らが吉祥寺に帰るまでは、黙っておいた方がいいんだ。きっと)


 地面に置いていたタンブラーを手に取り、悠理が淹れてくれた紅茶をゆっくりと啜る。

 もうすっかり冷えて温くなった甘めの紅茶は、身体を温めるには物足りない。


「今日の夜番は俺だから二人はもう寝なよ」


 時期的に季節はとっくに秋本番である。

 時々草原に吹く冷たい風は、夜を寒くさせ始めていた。


「うん、身体を拭いたらそうさせて貰うね?」


「覗いてもいいんだぞエロ小僧」


「ばーか」


 余計な一言を言ってテントの向こう側に設置した水場へと消えていった朱音に、悪態を吐く。


 この一ヶ月でこの程度の気安さを得るまでには親しくなっている。

 なぜかあまり朱音からは『女性』を感じないので、まるで悪友と話しているような気分だ。


 大河は焚き火に新しい薪を焚べて、その炎をじっと見る。

 夜営に慣れない最初の頃は生木を焚べてしまい煙で酷い目にあったが、一ヶ月もこうして野宿をしていると人間慣れるものである。


 薪となる素材を落とすモンスターも把握しているし、着火剤代わりとなるモンスターも存在する。


 つまり、この草原はこうしたキャンプや夜営を想定してデザインされたフィールドなのだ。


(そういうところも、アイツっぽいな)


 テントの向こう側で朱音と悠理が何かで盛り上がっている声が聞こえる。

 きっと女の皮を被ったオッサンである朱音が、悠理の胸や尻を突ついて茶化しているのだろう。


 空を見ると天の川の星たちが眩く光っていた。


(東京で、こんなにはっきりと星が見れるなんてな)


 大河が叔父の元に移り住んだ時に、その星の多さに驚いた。

 叔父の家は地方でもかなりの田舎に位置していて、周囲には建物よりも畑の方が多く、街の灯りなどほとんど無かった。

 その為夜空を遮る光が無く、街灯の無い場所で空を見上げれば360度星がまぶされた明るい夜空を見る事ができた。


 今見ている空も田舎で見た空と同じ、一面の星空である。


(……お前も本当はこういう空が見たかったのか?)


 もう居ない親友に向けて、心で話しかける。


 返事がこない事など承知で、それでももしかしたらと──今の東京ならあるいは──と。


 だがやはり、綾の声は聞こえない。


 大河は苦笑して、また焚き火に薪を焚べる。


 パチパチと音を鳴らす焚き火の音が、なぜか今はとても心地良い。


 大河は焚き火の側で温めていたポットを手に取り、タンブラーに紅茶のおかわりを注いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る