大草原①


 

 今三人は、信じられない光景を目にしている。

 

「見渡す限りの……」


「草原……じゃん」


 悠理と朱音が、小高い丘の上に立ちすくして小声で呟いた。


 目白の宿を出て、まっすぐ池袋を目指しているはずだった。

 三人が三人とも記憶の中にある目白〜池袋間のルートを思い出しながら、それでもやはり異変による地形変化で山や丘が出来ていたり、突然現れる川に遮られたりと、不安はあった。


 しかし、これは予想していなかった。


「私、地平線ってもしかしたら初めて見たかも……」


 見ている景色のあまりの異質さに惚けている悠理が、ボソリと零す。


「あー、東京じゃビルが邪魔して滅多に見えないもんね。ていうか……北海道とかそこらへんじゃなきゃ見えないんじゃない? 知らんけど」


「そうだね……」


 大河はそんな二人の少し後で、スマホを眺めて何やら操作をしている。


「んー、食料の備蓄は……たぶん大丈夫。消費期限を考えても一週間はイケると思う。テントはあんまり大きくないけど、詰めれば三人で寝れる……かな? あ、寝泊まりできそうな宿が無い以上、夜は交代で見張りとかしないといけないか……」


 食料品を整理しているアイテムバッグの中身を確認して、そして地平線の向こうを見た。


「ずっと池袋のビル群……特にサンシャインが見当たらないのがおかしいなとは思ってたんだけど、さすがにこれは予想外だったな」


「だねぇ……どこまで続いてるんだろう」


 三人が立っている丘は、目白側からは大したことの無い高さに見えたが、池袋──草原側の方は少なくともなだらかな斜面が100メートルは続いている。


 そんな場所に立っていても、地平線が見えるほど先が分からない。


「アレがアンタたちが言ってた大断裂って奴?」


 朱音が遠く左手──西の方を指差す。


「あ、見えるんだ。そうだよ。山手通りに沿って凄い深くて幅の広い亀裂が走ってるの」


 朱音が指差す方向には、確かにあの大きな断崖があった。


 その上に薄く張った雲の様な黒いモヤが見える。

 きっとアレは、大量の虫系モンスターの群れなのだろうと大河は断定する。


「大断裂って俺らが勝手に呼んでるだけだけどな。こっちはまだ続いてんのか……渋谷方面は少なくとも初台くらいまで伸びてるらしいけど」


「うへー……こっから見えるくらいだから、相当デカい亀裂なのねきっと」


 朱音はそう言って、斜面を一歩下った。


「まぁ、ここでウダウダしても何も始まらないし、とりあえず先に行こっか。 地図で方角の確認はできるんでしょう?」


「うん、地図の確認は私が担当した方がいいよねきっと。大河と朱音さんは、モンスターへの警戒をお願いします」


 スマホを片手で操作しながら、悠理も朱音に続く。


「了解。あ、朱音さんそういえば」


「なに?」


 最後に斜面を降り始めた大河が、先頭の朱音を呼ぶ。


「フレンド登録とパーティー登録をやっちまおう。すぐに池袋に着くんならいいかと思ってたけど、これじゃ何時つくかわかんねぇからさ」


「別に良いけど、メッセが送れるようになる意外になんかメリットあんの?」


「俺らとオーブを共有できるから、レベル上げもしやすくなるし、なにより悠理の魔法で回復する時に、アビリティの選択対象になる」


「なるほど、是非お願いします」


 大河を見ながら後ろ向きで斜面を下るという器用な真似をしながら、朱音は神妙な顔で頷いた。

 一人でレベルを上げる辛さを知っているのは、三人の中では朱音だけだ。


「今申請送ったから、そっちで承認してくれ」


 大河はスマホを操作し終え、右ポケットにしまう。


「あ、来た来た。はいしょーにんっと」


「朱音さん、危ないよその歩き方」


 未だ後向きで斜面を下る朱音に、悠理が注意を促した。


「だいじょぶだいじょ──あ」


 朝露で濡れた長い草に足を取られた朱音が、間抜けな顔で目を丸くする。


「あ」


「あ」


「あ──あああああああああああああああああっ!?」


 ごろごろと斜面を転がり落ちる朱音。


「あ、朱音さーん!?」


 結構な速さで遠ざかる朱音を追い縋って、悠理が小刻みで駆けていく。


「言わんこっちゃない……」


 呆れ顔の大河はハードブレイカーをその手に顕現させて、力強く地面を蹴って跳躍していった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おっと?」


 草原地帯に入って、すでに一週間が経過している。


 耳が巨大な刃物状になっている危険なウサギ──ラビットブレイドの群れを対峙し終えた朱音が、ジーンズの左後ろのポケットを触りながら、首を傾げていた。


 「ん?」


「どうしたの朱音さん」


 戦闘終了時の怪我の確認をしていた大河と悠理が、そんな朱音を見て声をかけた。


「いや、スマホが突然震えて──なんだこりゃ」


 朱音はスマホを取り出して画面を起動し、そしてまた首を捻る。


「なに?」


 悠理が駆け寄り、朱音のスマホを覗いた。


「あ! 『剣』の隠しフラグだよそれ!」


 その画面には、【新しい『剣』の成長条件を達成しました】と表示されていた。


「え!?」


 それを聞いた大河が、慌てて自分のスマホをカーゴパンツの右ポケットから取り出す。

 急いで『ぼうけんのしょ』アプリを開き、ステータス画面から見れるパーティーメンバーのリストから朱音の名前を選択し、そのステータス画面を開いた。


「なにそれ」


「んー、大河のハードブレイカーは最初から成長ツリーに表示されていた……えっと、何て言えば良いんだろう。『普通』に成長させた姿なんだけど、私のヒーラーズライトとか朱音さんのソレは、隠された特別な条件を満たさないと成長できない姿なの」


「ああ、それで隠しフラグ……これ開いていいの?」


 悠理に輪をかけてゲーム知識が無かった朱音が、悠理にスマホの画面を見せて問いかける。


「見るだけなら大丈夫だよ。アビリティとかスキル持っているかとか見て、それで成長させるかどうか決めないと……大河、どう?」


 悠理と朱音が、同時に大河に顔を剥けた。


「えっと……」


 大河のスマホ画面には、【剣を用いず殴打でモンスターを五十五体討伐する 達成】と表示されている。


 大河がそのウインドウをタップで消すと、新しい武器の説明文とスペックが表示された。




【 拳刃手甲けんじんてっこう 伏龍ふくりゅう


 必要オーブ 50,000



 猛き巡礼者の心の内が剣と共に拳に宿り、龍の如き力の片鱗を持ち始めた。

 だがこの龍は未だ目を覚まさず、深い精神の水底みなそこで昇天の日を今か今かと待ち侘びている。

 巡礼者の利き手に装着する手甲であり、外側部に鋭利な刃が備わっている。

 龍の力は、時に敵味方問わず、生命を傷つけてしまう強力な力である事を忘れてはならない。

 拳に装飾された二つの龍の目は、巡礼者の闘志が最大限に昂った時にその瞳を輝かせ、咆哮すると言われている。


 《抜剣することで〔素早さ〕に+30の値を追加。レベルアップ時に〔力〕と〔素早さ〕に+2の上昇値を追加》




 アビリティ

 ●【俊迅しゅんじん

 十分の間、〔素早さ〕の値が二倍となる。

 巡礼者プレイヤーにより任意に発動でき、一度発動すると時間経過以外で止める事はできない。

 体力の消耗激増


 ●【剛力ごうりき

 十分の間、〔力〕の値が二倍となる。

 巡礼者プレイヤーにより任意に発動でき、一度発動すると時間経過以外で止める事はできない。

 体力の消耗激増


 ●【龍駕りょうが

 【俊迅】と【剛力】を同時に発動した状態を指す。

 発動時間は一分にまで短縮される。

 巡礼者プレイヤーにより任意に発動でき、一度発動すると時間経過以外で止める事はできない。

 一度発動し終えると、巡礼者プレイヤーは回復されるまで動けなくなるほど消耗する。


 ●【帯電】

 この手甲を装備している巡礼者プレイヤーは、その身に龍の雷を帯びる。

 龍の力を身に纏っている以上、何人なにびと足りとも近寄ってはならぬ。

 たとえ友であろうとも、龍の力はその牙を剥く事を忘れるな。

 属性が【雷】へと変化。

 攻撃に【雷】属性が追加。




 スキル


 ●【牙咬きばがみ】

 拳に龍の牙が顕現し、敵を噛み砕く。

 上の牙による打ち下ろしと、下の牙による打ち上げの二連撃の斬撃を繰り出す。

 クールタイム:20秒


 ●【龍掌打ドラゴンパーム

 眠れる龍を無理やり叩き起こし、その身をオーラとして顕現させる。

 掌として放たれる強力な一撃。

 ただし叩き起こされた龍の怒りを買うため、一度使用すると5秒間身体が痺れ動けなくなる。

 また龍の怒りを買う毎に痺れる時間が長くなる。

 龍は細かい事を気にしない種族なので、一日経てば怒りを忘れる。

 クールタイム:10分


 ●【龍咆哮ドラゴンロアー

 巡礼者プレイヤーの闘志の昂りに目覚めた龍の咆哮は、熱波を伴う強力な雷として放たれる。

 拳部分に装飾された龍の両目が輝く時だけ使用できる。

 龍はとても気まぐれな種族であるため、その瞳がいつ開かれるか全く予想できない。

 クールタイム:ランダム 】




「こ、これは……」


「え、なに? どゆこと? アタシ、文章問題苦手でわかんないんだけど!」


 スマホを見ながら唸る大河に、あたふたと慌てる朱音が駆け寄る。


「えっと……朱音さんがバカみたいにモンスターを素手でぶん殴ってたのが、解放条件だったらしい」


「バカみたいにって、おい」


 顔を上げた大河が言い放った言葉に、朱音が顔をしかめた。


「だって何度言っても聞かなかったでしょ。『剣』で倒さないとアイテムをドロップできないって、俺は何度も注意した」


「あ、アタシだって気をつけてたわよ! でも仕方ないじゃない! 長物なんて使った事なかったし、性に合わないんだもん! 拳や足でぶっ飛ばして殺せるなら、そっちの方が楽じゃん!」


「朱音さんが一人ソロの時にレベル上げで苦労したの、絶対にそれが原因だろ! ドロップアイテムを売っぱらうかクエストクリアしないとオーブ増えないんだから! 『剣』で殺さないと討伐クエストも達成できないんだって!」


「あーそっか! クエスト対象のモンスターぶっ殺しても全然達成できなかった原因ってそれかー! って、何でトドメ刺そうが殺した事には変わりないだろ! ふざけんな!」


「最初にアプリが説明してくれたろ!?」


「あんな長ったらしい説明聞いてられるか! こちとらそそっかしくて雑な女で有名なんですぅー!」


 この一週間で恒例となっていた、二人の言い合いが始まる。


 悠理はそんな二人を気にも留めずに、自分のスマホの画面を操作して伏龍の説明欄を深く読み込んでいく。


 朱音を一言で言えば──いや、一言どころか雑の一文字で済む。

 何をやるにも大雑把。

 

 悠理が料理を任せれば、勘と目分量で調味料を消費しとんでもない大味な料理が仕上がるし、洗濯を任せればどんな素材の服でもとりあえず力任せに揉み洗い、ボロボロにする。


 ちなみに宿に宿泊している時以外の洗濯は、タライに洗濯板という昔過ぎる手法で行っているが、悠理が行えば洗濯機を使用していた時と変わらない仕上がりになる。


 モンスターとの戦闘も、最初は間合いやチームプレイを意識したポジションで大河の指示に素直に従っているが、熱が入ると途端に全てを忘れて突撃し、ステータスの数字で強化された膂力や脚力を用いて力任せにぶん殴り、殴殺してしまう。


 風呂に入っている時など、一緒に入る悠理が間違えて男と風呂を共にしてしまったかと勘違いするほどガサツに済ます。

 シャンプーもトリートメントも一応揃えているのだが、全てをボディーソープで済まそうとした時なんか目眩を覚えたほどだ。

 身体の作りやボディラインは間違いなくしなやかで柔軟性のある女性らしいスタイルをしているし、胸だって決して小さい訳ではない。

 

 なのに、彼女の所作の一個一個から女らしさが失われている気がする。


 いや、現代は多様性の時代。


 悠理もそう納得し、男性っぽい女性が居てもいいじゃないかと考えを改めようとしたが、飯時に大きな音で放屁をかました時はさすがに激怒した。


(朱音さんの元カレたちの態度が豹変したの、きっとああいうところを付き合ってから隠さなくなったからだろうなー)


 大河と朱音の言い合いも佳境に入り、ヒートアップしていく。

 もうすぐ正論になにも言い返せなくなった朱音が、涙目で大河を殴り始める頃だろう。


 けっして本気で殴っているわけではないので止めないが、回復する準備だけはしておこう。


 そう決めた悠理はスマホをしまい、出しっぱなしにして地面に刺していたヒーラーズライトを手に取り、二人の側へと歩き出した。

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