「へー、新宿はそんなになってたんだー」

 

 朱音を旅の供に加えて、初めての夜。


 悠理を狙った不逞の輩どもをまとめて掃除し、一向は目白駅から少し離れた場所にあった民宿の一室で寝泊まりをする事にした。

 ちゃんと『営業』している宿ではあるが、駅から離れているせいか、それとも木造で古い建築物だからか、一室の利用料金はそこまで高くない。


 広い風呂が利用できたのが、この宿を選んだ決め手だった。


「うん、私も大河も新宿駅の中で三週間も閉じ込められたから最初は大変だったよ」


 悠理は朱音の質問に答えながら、お茶を啜る。


 たった六畳の部屋に、二組の布団。


 畳とふすまと引き戸の押入れ、天井から吊るされた照明には紐が垂れている。


 和を感じる部屋の中で、布団の上でおしゃべりに興じる朱音と悠理。


「いやー、そりゃ無理ゲーだわ。良く生き延びれたわねー」


 部屋に備え付けられていた湯呑みで、暖かい緑茶を啜りながら朱音はため息を吐く。


「大河が、頑張ってくれたから……」


 そう言って悠理は、膝の上で寝息を立てている大河の頭を優しく撫でる。


「その子、アタシの目には突然ぶっ倒れるように眠ったように見えたんだけど……気のせいよね?」


 それ以前に、大河の湯呑みにこっそりと、悠理が粉薬を混入している姿をばっちりと目撃していた。


「ううん、大河は絶対に顔に出さない様にしているけど、人を殺した夜は凄い

うなされちゃうから……そういう夜はこうして薬で眠らせてあげてるの。この薬だったら、夢も見ずに眠れるみたいだから……」


 穏やかな表情で笑みを浮かべながら、悠理は眠る大河の頬や耳、そして髪を愛おしそうに撫で続ける。

 

「ふーん……アンタらは、池袋に行ってなにすんの?」


 なぜか流れ始めた甘ったるい空気を避けるために、朱音は話題のかじを無理やり切った。


「池袋が目的地ってわけじゃないよ? 本当は私たちの地元の吉祥寺に帰りたいんだけど、山手通りが断裂されちゃって通れないから、どうにか迂回できないかなって」


「山手通りが……吉祥寺なら、渋谷からの方が距離としては近いんじゃない?」


「大河、渋谷にあまり良い印象を持ってないみたいで行きたがらないの。私も別に渋谷が好きってわけじゃないし、大河が嫌がってるなら行く意味はあんまりないかなって」


 新宿から高田馬場、そして目白までの道すがら。

 大河と悠理は何度か大断裂の様子をビルの屋上や高台から確認している。


 見える範囲で言えば断裂はずっと遠くの方まで一直線に伸びていて、未だ向こう側へと渡れるような手段やルートは見つかっていない。


「なるほど、まぁアタシも一人で今の渋谷なんて行く気起きないし、池袋が無難かなぁ……」


 白のスポーティーなタンクトップに動きやすいショートパンツを寝巻きとした朱音が、湯呑みの残った茶を一気に啜って飲み干す。


「朱音さんは、どうして池袋に? 探し物って言ってたっけ」


「ん?」


 布団を敷く為にちゃぶ台を畳んで部屋の隅にどけたので、空いた湯呑みを布団の外に置く。


「ああ、モンスターをね。探してて……」


「モンスター?」


「そ、アタシの妹を食った……白い巨大なカラス……」


 天井を見上げて、朱音は目を閉じる。


「……ごめんなさい」


「あ、良いの良いの。アタシだけ目的を明かさないのはフェアじゃないし、最初の一週間は泣いてばっかだったけど、今はもう覚悟ガンギまりでさ。あのクソカラスをぶっ殺さないと、死んでも死にきれないってね」


 あっけらかんと言い放った朱音は続いてケラケラと笑う。


「この恨みが残ってなかったら、あの混乱の中生き延びることなんて出来なかったもの。今でもたまに夢に見るの。歳の離れた妹でね。もうすぐ小学校に上がるって喜んでて、あの日は……あの子たちの歌の発表会があって……母さんと父さんがお婆ちゃんの病院に行かないと行けなくなって……あの子は幼稚園の友達と、バスの中で私を見つけて……手を振ってて……でもあのカラスが、天井を食い破って……子供たちを……」


「朱音さん!」


 悠理の突然の大声に、ハッと我に返る。

 硬く握られていた朱音の右手は、爪が食い込んで血が流れていた。


「……あ、ご、ごめんごめん! 思い出しちゃうと、どうしてもね!」


 そう言って快活に笑う朱音の口の端からも、血が滲んでいる。


「……ううん。辛い事聞いてごめん。手、出して」


 悠理は小声で唱えた詠唱でヒーラズライトを顕現させ、朱音の手を取る。


 そして【手当トリート】の魔法であっという間に、手の傷を癒した。


「あんがと」


「次、口も切れてるから」


 朱音の頬に右手を添えて、また癒す。


「いやー、速いね。傷を治すの。アタシの魔法だともっと時間かかるよ?」


「この『剣』は回復魔法特化の『剣』だから。今日はもう寝よっか」


 そう言って悠理は膝の上の大河の頭をゆっくりと持ち上げ、立ち上がる。


 布団をめくり、なんとか大河の身体を押し込んで、そして天井から垂れる照明の紐を摘んだ。


「アタシがこの布団まるまる使っても良いの?」


「うん、私は大河と寝たいから。遠慮なく使って?」


「……あ、そう。一応言っておくけど、隣でおっぱじめられるといくら大雑把なアタシでも気まずくなるから、今日だけはやめてね?」


 朱音は複雑かつ微妙な表情で、涎を垂らしながら爆睡する大河と悠理の顔を見比べる。


「あはは、心配しないで。薬を飲んだ大河は朝までナニしても起きないし、私も他の人がいるのに、寝ている大河に何かしようとは思わないから」


(他の人がいなかったら、何かしていると聞こえるんだけど)


 自分の放った発言の意味を理解していない悠理に、朱音は呆れた視線を送る。


「ん? どうしたの?」


「え、あ、ううん。なんでもない。おやすみー」


 朱音はそう言って、さっさと布団を頭から被る。


「うん、おやすみなさい」


 悠理が照明の紐を二度引っ張ると、赤電球のみが室内を照らした。


 もぞもぞと布団を捲り、大河の右側に横に並んで寝る。

 そして右腕を取って抱き、足を絡めた。

 

 大河の右手は、悠理の下腹部にピタリとくっついているが、これは意識してじゃなく、いつもそうしているから自然とそうなっているだけだ。


(……大河も、きっと私もそうだけど……朱音さんも……)


 壊れている。

 

 大河が躊躇なく人を殺められるようになったように。

 悠理がそれを見て何も思わなくなったように。


 きっと朱音も妹を目の前で失った悲しみから、精神を壊した。


 妹の最後を語っていた朱音の瞳から光は消え、虚な目をしていた。

 気づかない内に拳を握り、爪を立て、唇を血が出るまで噛み締めていた。


 本人は覚悟で振り切ったように語っていたが、悠理の目にはとてもじゃないがそうは見えなかった。


(……きっと、今私たちみたいにどこか壊れてしまった人で──この東京は溢れているんだろうな)


 ぎゅっと目を閉じ、大河の腕を強く抱く。


 胸元に顔を寄せ、大きく息を吸い込む。


 風呂上がりの石鹸のいい匂いも好きだが、汗で蒸れた匂いの方が悠理は好きだった。


「おやすみ、大河」


 悠理はそう言って少しだけ顔を持ち上げ、大河の頬と首筋に唇を押し当てる。


 本当は吸い付いて痕を残したかったが、水音が朱音に聞こえてしまうと自省した。


 人の往来が無くなり、車が走らなくなった東京の夜は、とても静かだ。

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