朱音②


「尾けられてるわね」


「あれっ!?」


 大学の正門を出て一路池袋方面へと歩を進めてしばらく、大きな道路の真ん中で朱音がボソっと漏らした言葉に、大河が素っ頓狂な声を出して驚いた。


「え、な……なに?」


「あ、あー……いや、ごめんなさい。瀬田さんが声をかけてきてすぐにアイツらが尾けてきたから、俺はまたてっきり……」


 朱音と尾行者がグルで、タイミングを見計らって大河と悠理を挟み撃ちの形で急襲するものとばかり思い警戒していた。


「あー……なるほど、だからさっきから『剣』と盾を出しっぱなしにしていたのね……」


「ご、ごごごめんなさい! だってあまりにもタイミングが良すぎてムカついてたから、返り討ちにしてやろうって!」


 何回かあえて隙を作って、こちらが動きやすいタイミングに誘導してみても、朱音と尾行者たちの動く気配は全くなかった。


 解けていない靴紐を解けたと言って長く留まったり、興味のない不動産屋の図面ポスターを見るために立ち止まったり。

 

 演技がわざとらしすぎたかと少し恥ずかしい思いをしたが、どうやらそもそもの勘違いだったらしくさらに恥ずかしく、そして朱音に申し訳ない気持ちになる。


「いいのいいの。そのくらい警戒してないと、今の東京を旅するなんて無理でしょ実際。アタシが怪しいのだって承知しているしね」


 萎縮する大河に対して、朱音はケラケラと笑ってそう答えた。


「うう……本当にごめんなさい」


 勘違いから疑いをかけ、勝手に警戒しあれこれと策を講じてみたが全て空回り。


 たとえ疑いをかけられた本人が許したとはいえ、大河の気恥ずかしさは消えない。


「それで、尾けてきている人たちはどうするの?」


 そんな大河の珍しい姿に苦笑しながら、悠理が問う。


「あ、ああ。いや、そろそろ鬱陶しいから、近づいてきたら逆にこっちから何の用か聞いてやろうかなって思ってたんだけど」


「そうね。おそらくあの大学の麻薬クランのメンバーだと思うんだけど、だとしたらなんの遠慮もいらない相手よ」


 そう言って朱音は顔を顰め、嫌悪感をあらわにする。


「瀬田さんは、あの人たちと話したことあるの?」


「あの大学に到着してすぐにね。ナンパから始まって自分たちのクランがいかに大きいかとか、対立している自治クランが裏で何をやってて酷いとか、不安を消せるクスリがあるから使ってみてとか、まぁそんな感じの胸糞悪い感じで話しかけてきたのよ」


 聞いた感じでは、テレビの特番や映画などで見るクスリの売人の常套句のように思える。


「めんどくさくなって聞き流してたらどんどん態度悪くなっていってね。もう聞くに耐えないワードがバンバン出てきたから、一人ぶん殴ってやったの。あ、『剣』持ちでね?」


「そいつ死んだんじゃない?」


 大河は軽くツッコミを入れた。


 巡礼者プレイヤーが持つ『剣』は、抜剣アクティブ状態にすることで上げたレベルに応じた肉体数値分ステータスの強化が行われる。

 たとえば今の大河は15レベルで、抜剣アクティブ状態ならそこらへんの自動販売機ベンダーを片手で持ち上げて放り投げる事ができる。


「まぁ、こいつなら死んでもいいやってくらいムカついてたしなぁ」


「ちなみに、瀬田さんの今のレベルいくつ?」


 あっけらかんと言い放つ朱音に、悠理が質問をした。

 その質問、実は大河が何度も聞こうと挑戦して、結局聞けなかった質問である。


 まだちゃんとした信頼関係が結ばれてない以上、朱音は大河らのパーティーに登録はできない。

 だから大河と悠理には朱音のステータスとレベルを把握していなかった。


 池袋までとはいえ、一緒に旅をする以上その強さや今セットしているジョブを知っておきたかったが、いかんせん相手は年上でしかも女性である。

 大河にとって年上の女性というのはこの世界でもっとも未知で恐ろしい相手。

 そんな相手にレベルやステータスを聞くという行為は、もしかするとスリーサイズや年齢を聞くに匹敵するくらいデリケートな質問なのではないだろうか。

 そんないらない気を使ってしまうのが、常盤大河という思春期の男の子である。


「ふふん、聞いて驚くなかれ。なんとアタシ、レベル5です!」

 

 自慢げに鼻を鳴らして、朱音は胸を逸らす。

 悠理ほどの大きさは無いが、スレンダーながらにもしっかりと主張するその胸に大河は思わず視線を逸らした。


 なにせ朱音の格好は、おそらく動きやすさを重視した結果なのか身体のラインがわかりすぎるくらいピッタリとしている。


 上着は長袖の丸首のTシャツ、そしてズボンはタイトながら柔軟性のあるジーンズ。

 靴は登山用のトレッキングシューズに似たハイカットのスニーカーで、少しチグハグな印象は否めないが良く似合っていて、容姿や年齢相応のアクセサリーなどは一切身につけていなかった。


「あ、まだそのくらいなんだ。それなら殴られた人も手当トリートで治せるくらいの怪我で済んだんじゃない?」


「いや、あのくらいのレベルでも確か鉄板を凹ませられるはず。人によると思うけど、そのくらいの数字はあったと思うぞ?」


「あれ?」


 思っていた反応を返さない悠理と大河に、朱音は思わず目を丸くした。


「悠理の初期ステータスでもそうだったろ?」


「私、大河のおかげであっという間にレベル上げちゃったからなぁ。あんまり実感ないんだよね」


 この東京に『異変』が起きてから、全ての都民に『肉体数値ステータス』という概念が押しつけられた。


 握力や腕力を統合して表示される〔力〕。

 魔法の威力に影響してくる〔魔力〕。

 攻撃に対してどの程度耐えられるかを数値化した〔防御〕。

 脚力や地面を踏ん張る力などを統合した〔素早さ〕。

 そして知覚や視力、聴覚が鋭くなる〔感知〕。


 これらの数字が、レベル1では個々人の資質に応じて最初に設定されていたので、初期パラメーターにはバラつきが出る。


 大河なら〔力〕と〔防御〕、〔素早さ〕〔感知〕が平均して高い代わりに、〔魔力〕がかなり低い傾向にある。

 逆に悠理はほとんどの項目の数字が心許ない分、現時点で大河がどんなにレベルを上げようと届かないほど〔魔力〕の数字が高い。


 セットしたジョブオーブやその時の『剣』の姿に対応したレベルアップ時の上昇補正で、ステータスも個々人で偏る傾向にあった。


「ね、ねぇ。私この一ヶ月めっちゃ頑張ってオーブを稼いで、それでようやくレベル5なんだけど」


「え、てことはもしかして、ずっと一人ソロだったんですか?」


「はっ」


 大河がなんてことなく返した言葉が、朱音を静かに傷つける。


 決して他意はない。


 大河は『異変』が始まってから、いや始まる前から悠理と一緒に行動していたので麻痺しているが、側から見れば二人は恋人の様に見える。


 そんな相手──しかもおそらく自分より年下の男子──から飛び出たその言葉は、朱音にとって『彼氏はいないんですか?』と聞かれたに等しい。


 しかも言い方がどこか挑発的に聞こえたのは、きっと朱音が本当に彼氏のいない一人身ソロであって、少し被害妄想があったからだ。


「あ、でも確かに新宿の戦える人でも、最大値は5とかだったよね。普通はそのくらいなんじゃない?」


「あ、そっか。パーティー組んで戦ってもそれくらいって事は、瀬田さんもしかしなくても、すっごい頑張ったって事になるな」


 この大河の言葉も、朱音の被害妄想フィルターにより『一人身ソロじゃなければ、そんな必死に頑張らなくても簡単に上げれたのに(笑)』に変換されてしまう。


「あ、あんたらは今レベル幾つだっていうのよ!」


「お、俺は15っす」


「私は……10だっけ」


「やってらんねーーーーーーーー!!!!!」


 勝手に傷ついて、勝手に憤慨した朱音が声を張り上げる。


「わ、なんで怒ってるんすか?」


「せ、瀬田さん落ち着いて!」


「落ち着けるかぁ! こちとら中学からずっと部活に打ち込んできて! 大学もスポーツ推薦だったから全然男を作る暇がなかったんじゃ! 言い寄ってくる男は油ぎった中年の男ばっかで、しかも指導員とかコーチとか記者とかで既婚者のおっさんばかり! あんたらアスリート馬鹿にしてんのか! アンタらの愛人になるために空手やってたわけじゃないのよアタシは! アタシだって本当は同年代の男子と、年相応の甘酸っぱい青春がしたかったの! でも中学から一部の男子にはメスゴリラ呼ばわりだし、なんもしてないのに不良からも怖がられてそもそも人が寄り付いてこないし! 大学でようやく人並みな恋愛ができるって思ったら、いるのは女をコマすことしか脳みそにないチンパンジーみたいなヤリチンだけ! 飯に誘われたら未成年のアタシに酒を飲ませようとするし! 酒になんか入れようとするし! てかそもそも未成年アスリートの壮行会にアルコールなんか準備してるのがおかしいでしょって! なんども問題になってるじゃんニュースとかで! 学習しろよ体育会系! ちょっと良いなって思った男は全員彼女持ち! しかも複数よ!? なんで二股以上がデフォになってるの!? 大学怖い!」


 涙目でがなり出した朱音に、大河と悠理はどうしていいのかわからずオロオロとしている。


「な、なんの話をしているの?」


「なにか気に障ったなら俺、謝るからさ」


 とりあえず対処法として、宥める方向で一致した。


「い、良いなぁ。気遣いできる彼氏……良いなぁ。アタシ男見る目ないから、今までの彼氏は外面だけのノンデリしか居なくて……最初の頃はね? ああこの人優しい人だなぁって、思ってたのよ? でも結局、付き合ってしばらくしたら豹変するの……デートもおざなりだし、そもそもアタシから誘わないとデートもしてくれないし……どうして? ねぇ、初エッチまで慎重に恋愛するのって、今の時代じゃやっぱおかしいのかな……だって怖いんだもん……安い女だって思われたくないじゃん……うぅ……もう二度と戻ってこないアタシの青春……」


 今度はメソメソと泣き出した。


「ゆ、悠理ごめん。俺女の人が泣く姿初めて見るから、どうしたら良いのかわからん」


「私だって、年上の人が泣いてるのなんて初めてだよ。瀬田さん、本当に落ち着いて、ね? ちょっと一休みしよ? コーヒーと紅茶、どっちが良い?」


 ついに地面に座り込んでしまった朱音に、二人は声をかけて立ち上がらせようとする。


 結局それからしばらくの間、朱音が立ち直るまで動くことは出来なかった。

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