朱音①


 高田馬場のドワーフの大工房から、目白の大学にある聖碑まではその日の内に到着できた。


「結構、人多いね」


「馬場の人がこっちに移動したっていうしな。大学も広いし、なんかアルタ前より住みやすそうだな」


 大河と悠理に、大学の知識はほぼ無い。

 なにせ二人は今年入学を迎えた高校生の年齢だ。

 進学校であり女子校である悠理の高校では一年生の三学期から大学進学を目標にしたカリキュラムが行われる予定だったが、二学期も迎えられていない以上その知識を教わる機会は訪れない。


 大河に関してはもっと酷い。

 なにせ中学の後半からほぼ学校に通っておらず、進学もしていないのだ。

 だから大学はおろか、高校生の学習生活すらしっかりと把握していなかったりする。


「それにしても、ここの聖碑すごいおっきいね……」


「ああ、まさか校舎よりデカいとはな」


 二人して正門から少し入った場所で、その聖碑を仰ぎ見る。


「どうする? 今日はここで一泊する?」


「つっても、馬場を出てからまだ二時間も経ってないんだよなぁ。消耗品とか食材も補充してるし、ここで止まる理由があんまりない」


 大河は腕を組んで頭を捻り考え込む。

 新宿から高田馬場まで本来は一時間も掛からない道のりが、今の東京では五日もかかった。

 目白駅に近いこの大学から、当座の目的地である池袋までもそのくらい──もしかしたらもっとかかってもおかしくはない。


「人が多いってことは、新宿みたいなトラブルもきっと多いんだろうね……聖碑に触れるだけ触れて、今日はもう少し先に進まない?」


「ああ、そっか。良く見りゃ、ガラの悪そうな人が何人か居るな。多分あれ、俺らを見てるだろ」


 正門から見える数棟ある校舎。

 高校や中学の建物よりもオシャレで近代的に思えるその建物の一棟の三階部分から、何人かの人影がこちらを覗いているのがわかる。


 遠目にもわかるほど陰気で不穏な空気を放つその人影に、悠理の背筋に冷たい汗が垂れた。


「本当だ……うん、ここはさっさとスルーして池袋を目指しちゃお。私、ああいう人嫌いなんだ……」


 唐突なトラブルを警戒するために、二人は正門をくぐる前に『剣』を出して手に持っている。

 そのためステータスアップの恩恵を受けて視力も上がっており、目を凝らすとその人影のディテールが次第にくっきりと見え始めていた。


 大河たちよりも歳が上──おそらく大学生や二十代前半の男性が六人。

 その視線は大河ではなく、確実に悠理だけを捉えている。


「うん、そうするか」


 ここに居続けると悠理の身が危ない。

 そう判断した大河は、即座に悠理の肩を引き寄せ、抱く。


「俺から離れるなよ」


「うん」


 そして二人は大学構内をまっすぐ、聖碑へと向かって進んでいった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「新しいクエストも受注したし……報酬も貰った……あと、なんか用事あるか?」


「こんなものじゃないかな?」


 目的地である聖碑に到着し、すぐに済ませるものを済ませておく。

 ここまでの道のりで変わったものは特になく、新宿アルタ前と違い買い物ができそうな店も存在していなかった。


「ここの人たち、どうやって生活してるんだろうね。ドワーフさんたちの工房に押し入った人たち、食料の奪い合いに負けて追い出されたって話だっけ」


「島さんみたいにクランを作って、みんなで食材系モンスターを狩ってるとか? それでも手が回ってないとか……そもそも食材系モンスターがあんまり出ないとか、色々考えられるな」


 大河はそう言って、聖碑の周囲を見渡す。


 聖碑はキャンパスの中央に存在していた、中庭のような場所にあった。

 他の建物とあまりにも空気感や趣きが違うその場所は、きっと『異変』の際に突如現れた新しい土地なのだろう。


 なにせこのあたり一体だけ、赤土と砂利だけの荒れた地面をしている。

 大学構内の他の地面は舗装されたアスファルトの綺麗な歩道だが、聖碑の周囲だけが赤く見えた。

 聖碑そのものは大河たちが見たどの聖碑よりも大きく、また力強く発光しているので、加護の範囲もそれに比例して広いと予測できた。


「加護は大学の敷地がほぼすっぽり入るくらい広いんだろうな」


「みんな無防備だもんね」


 加護範囲外はモンスターが突如現れ襲ってくる危険性が常にある。

 だから大河も悠理も、フィールドに出る時は常に警戒を緩めないよう気をつけている。

 だがずっと警戒しているのも無理な話で、時折油断した時にモンスターの奇襲を受けてびっくりしたりもするのだが、対処できている以上何も問題はないだろう。


 しかしこの大学の構内にいる人々は、入り口からここまで皆どこかリラックスして──いや、しすぎているように見えた。


「アナタたち、ここじゃ初めて見る顔ね」


「はい?」


 振り返ると、女性が立っていた。

 内跳ねのショートヘアー、シャギーと言うのだろうか。


 綺麗に丸く整えられたその髪型からボーイッシュな印象を受けるが、高身長でスラッと伸びた脚や、スレンダーなのにボディラインの凹凸がくっきりと浮き出た、いわゆるモデル体型の美人だ。


「あ、ごめんね急に。ちょっと聞きたいことがあって。アタシは瀬田せた 朱音あかね。先週くらいに他のクランの人にくっついてここに来たばかりなの」


 年齢は──大学生、いや高校生にも見える。

 その大人びた姿勢や態度から、少なくとも大河や悠理よりも年上なのは間違いなさそうだ。


「私は──」


「あ、良いのよ。こんな怪しい女に自己紹介なんて、今の東京じゃ危ないもの。聞いた話だけど、名前を使って相手を呪うスキルがあるとか言うし」


 悠理の言葉を遮って、朱音は人懐っこく笑った。


「アタシの名前を出したのは、少しでも信用してもらうためだったから気にしないで」


「は、はい。それで……聞きたいことってなんですか?」


「うん、一応みんなに聞いて回っているんだけど、アナタたちはこのままここに住み着くつもり?」


「はい?」


 悠理がその質問を訝しみ、怪訝な表情で返事をする。


(なんだろう。新宿の島さんみたいに、ここの自治をしている人なのかな。住人の管理をしているとか? でも先週ここに来たばかりって言ってたし)


 色々な考えと可能性を巡らせながら、悠理は大河の顔を見る。


(あ、怯えてる)


 情けないことに、突然女性に話しかけられ驚いた大河は、悠理の背中に若干隠れるように一歩引いて立っていた。

 若干引き攣った表情のまま、視線がキョロキョロと忙しない。


(女の人──違う、『大人の女の人』が怖いのかな。そういえば新宿でも、女性の集まりには近寄らないようにしてたし……)


 なんだかその姿がとても可哀想に思えて、目線を逸らす。


「──いえ、私たちはもうここを出ようかって話してたところです。なんだか人が多いみたいだし、ここに来る間に聞いた話だと、食料と水の奪い合いがあったって言うし」


 今の大河には朱音との会話など無理だと判断し、悠理は向き直ってそう答えた。


「そっか! どこに向かうとか──聞いても大丈夫?」


 パァっと明るい笑顔を浮かべた朱音は、突然悠理の手を取る。


「え、あ、あの……言うのは構わないんですけど、なんでそんなことを聞くのかを先に教えて頂いても良いですか?」


 思わず朱音の勢いに負けそうになるも、なんとか踏みとどまって聞き返した


「あ、そうよね。何も説明しないで一方的に質問するのも失礼よね」


 我に返ったのか悠理の手を離し、朱音は恥ずかしそうに赤面して姿勢を正した。


「私、探し物があって先週、早稲田からここまで来たの。早稲田の学生さん達がクランを作って新宿に行くって言うから、ついでに送ってってお願いしてね? それでここに着いてからはずっと情報収集をしてたんだけど、学生さんたちはとっくに出発しちゃって、一人じゃ他の街まで行けそうにないから」


「私たちと、一緒に行きたい──と?」


「そう! なにせここの人たち、みんな外に出るのを怖がってレベルも全然上げてないし、派閥みたいなのが毎日争って空気が最悪だし──なにより変なクスリが出回ってて、まともに会話できる人が少ないし……とにかく怖くて怖くて」


「クスリ?」


「そう、麻薬とかそっち系の」


 そう言って朱音は、ある建物を顎で指し示した。


「あそこの茶色い建物。ああ、顔は向けない方がいいわよ。上の方の窓からずっと建物の周囲を観察している奴らがいるから。どうやらあそこを根城にしている学生クランが、変なモンスターの素材をいくつか合成したら簡単な精神安定剤みたいなクスリが作れるって発見したらしくてね。それから食料を供給する代わりに薬物を無理やり飲ませて、この大学の派閥争いを有利に進めようとしてるみたい」


「ええ……」


 ここで初めて、大河が声を出した。

 ちらりと視線だけで、朱音が言う建物を見る。

 最上階付近の窓に、何人かの人影がまだ大河たちを見ていた。


「東京がこうなっちゃって、みんな不安定になってるのに漬け込んだのね。依存性は低いとか言い回っているけど、クスリを使うことでリラックスできるから、リピーターが増える一方。男の人はクスリ欲しさに無理やり外でモンスターと戦いだして死人が増えちゃってるし、女の子は……奴らの言いなり。だから一日でも早くここを出たいんだけど、でも一人じゃさすがに怖くてさ」


 嫌悪感を表情に隠さないまま、朱音は腕を組んで憮然としている。


「……怖いとこだなぁ」


「やっぱり早く出た方が良いな」


 不安げに目を伏せる悠理の肩に手を置いて、大河が頷いた。


「大河」


「うん、良いと思う」


 朱音との一連の会話を聞きながら、大河はずっと朱音がどういう人間かを観察していた。

 まだ完全に信用するには情報が足りないが、今の所悪人では無さそうな印象を受ける。


「じゃあ……えっと朱音さん。私たちは池袋を目指していて、すぐにでも出発したいんですけど」


「やった! 大丈夫! 準備はできてるから!」


「私は成美なるみ 悠理。彼は常盤 大河です。人見知りする子ですけど、別に不機嫌とかじゃないですから」


 そう言って悠理は大河の背中を少し押した。


「よ、よろしくお願いします」


「よろしくね! 悠理に大河!」


 子供のように無邪気に喜ぶ朱音を加えて、三人は大学の正門へと進む。


 その背後から数人の人影が、距離を保ちながら後を尾けていることなど──大河はとっくに気がついている。

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