工房街 高田馬場
鍛治の音が聞こえる街①
晴天の空の下に、規則的な金属音が響き渡る。
その音は澄んでいて、どこか心地よさすら感じさせる不思議な音だ。
学生街──高田馬場。
本来は近隣の大学生や専門学生をターゲットにしたリーズナブルかつ、満足度の高い量の食品を提供する飲食店が軒を連ねていたこの街は、今では閑散としたゴーストタウンの様相を見せていた。
「あ、聖碑があったよ」
駅前のロータリーの中央広場にぽつんと、小さな聖碑が存在していた。
悠理はそれを見つけるや否や小走りで駆けていき、右手でポンと触れる。
「ふふっ」
ようやく到着した久しぶりの安全地帯に、自然と笑みが溢れる。
「いやぁ……まさか五日もかかるなんてな」
遅れて聖碑の前に到着した大河が、大きなため息と共に腕を組む。
「川ができてたり丘ができてたり、森になってたり山になってたり。大変だったね」
「出てくるモンスターが雑魚ばっかりだったのがせめてもの救いだな」
新宿を出発して早五日。
住宅街や公園で構成されていたはずの北新宿は、不自然な隆起や陥没、河川の出現などで日本の首都である大都会東京とは思えない姿に変貌していた。
「まずは泊まれるところを探して、それから日用品の補充をしないとね。あと、さっきから聞こえるこの音……これなんだろう?」
キョロキョロと周囲を見渡して、悠理は首を傾げる。
「駅に近づけば近づくほど大きくなってるもんな」
大河も釣られ、首を回して音の出どころを探るも、それらしき物は見当たらない。
「あと、あんまり人の姿が無いね……」
「こっち方面から新宿に逃げてきた人の話だと、緑色の小さいおっさんの群れが襲ってくるって言ってたな」
都心の駅の周辺とは思えないほど静かな高田馬場は、どこか不気味な雰囲気を感じる。
アルタ前と違って喧騒も無い。
まばらに点在している人々は、どこか疲れた目をして俯いている。
「なぁ、アンタらどっから来たんだ?」
車道沿いの縁石に腰掛けていた初老の男性が、なんとか聞こえる程度の小さな声で大河に話しかけてきた。
上下が共に青い服装に、腕章を身につけた──なにかの警備員の制服だろうか──男性は、伸ばしっぱなしの無精髭を摩りながら、顔を上げて大河を見ている。
「えっと、新宿の方です」
「そうか、若いってのはいいな。こんなになっちまった街を、元気に歩けるってんだから。俺はもうダメだ。他の若い連中はこんな場所に居られるかってさっさと移動しちまったが、あんな化け物どもと戦いながら家に帰るなんて、考えられねぇ」
また項垂れ、大きなため息と共に身体を揺らす男性。
良く見ると制服のところどころが破れたりほつれたりと、心身ともに疲れ切った格好をしていた。
「ここのその石──聖碑っつったか? それが化け物どもを寄せ付けないなんかを出してるらしんだが、ここのはかなり小さくてな。他の皆はもう少し先の目白の大学キャンパスで避難生活をしている。そこの聖碑はめちゃくちゃデカいし環境も整っているんでな。ここには頑固親父の店くらいしか無いぞ」
警備員風の男性は力の入っていない腕で、目白方面を指差す。
生気を失いかけた瞳は虚で、まるで幽霊と会話をしている印象を大河に与えている。
「頑固親父?」
男性の言葉に気になる言葉を見つけ、悠理が問いかけた。
「ああ、聞こえるだろ? この金床を槌で叩く音が。神田川沿いの大工房ってところに、背丈が俺の半分くらいしかないチビの爺さん連中がいてな。連中、ヤケに態度はデカいし口も悪いが、話してみると気の良いジジイばかりだ。夜は浴びるほど酒を飲むはデカいいびきでうるさいわでなにかと騒がしいくせに、昼ごろに起きてきてこうやって黙々と槌を叩いている。昔
「へえ……うっ!」
話を聞きながらゆっくりと男性に近づいていた大河が、突然顔を顰めて鼻を摘んだ。
「俺なんかまだ酒が残っているっちゅうのに、タフな奴らだよほんと。あー、気持ち悪ぃ……頭痛ぇ……もう絶対に酒なんか飲まねぇ……絶対に辞める……今度こそ本当だ母ちゃん……絶対に禁酒すっから、勘弁してくれ……ぐぅ……」
そして警備員風の男性は、ゆっくりと身体を横にしながら深い眠りに落ちていった。
「酒臭ぁ! なんだ、ただの酔っ払いかよこのおっちゃん……」
「神妙そうな顔してたから、少し心配してたのに……」
青白い顔でぐったりと横たわる男性に若干の軽蔑の視線を送りながら、二人はそんな男性をスルーして歩き出す。
「あそこのコンビニ、入れるな。あそこなら色々補充できそうだ」
「久しぶりに『営業』してるコンビニを見つけたね」
何も無かったかのように二人は会話を続けながら、目当てのコンビニへと入る。
新宿からここまでの道中にも無人のコンビニは幾つもあったが、そのどれもが『買い物』ができないコンビニだった。
店内の棚は──おそらく略奪にあったのだろう──ほとんど空で、補充をされている形跡もなく、また電気も通っていない廃墟と化していて、今となっては使い道のわからない電子マネーのカードや電池だけがかろうじて残されていた。
煌々と明かりの灯るコンビニを見つけたのは、新宿を出て以来だ。
二人はそんな利用できる店を『営業している』店と呼んでいる。
「保存の効く食品と──あとは飲み物かな。ウェットティッシュも買い足さないと」
「高田馬場に到着したご褒美だ。アイスとかお菓子とかスイーツとかも買っていこうぜ」
「ほんと? やった」
店内の商品を時間をかけて物色し、カゴに次々と入れていく。
「大河、これも買うね」
「……あ、うん。必要だもんな。いっぱい買って良いぞ。あとそういうのは、いちいち俺に聞かなくても良いんだよ?」
生理用品を差し出されて、大河は言葉に詰まる。
「二人で貯めた
「女の人のデリケートな部分だから、俺としては聞かされてもとても困るんだけど」
「男の人だからって、いつまでも知らないままじゃダメだよ?」
「な、なんで?」
「私の身体のことだけど、将来の二人のことでもあるんだからね」
下腹部を優しく撫でながら、なぜか悠理は穏やかな表情を見せる。
「あー……ね」
大河はそんな悠理に何と返せばいいのかわからず、言い淀む。
「大河は特にそういうのに疎そうだもんね。こんどしっかり教えてあげる」
「よ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いされました」
そうして細かい買い物を終えた二人は、コンビニを出て安全に寝泊まりできる場所を求めて移動を始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ここは?」
「さっきのところより安いな」
二人が今いるのは、高田馬場駅前に存在するウィークリーマンションのエントランスだ。
二人はスマホを片手に、オーブの支払い準備画面を見ている。
どうやら幾つかの宿泊施設やウィークリー・マンスリーマンションは、オーブさえ支払えば宿泊できるようになっているらしい。
それに気づいたのは悠理で、最初は路地の少し奥に見えたラブホテルに入ろうとしていたのを大河が必死に止めて、ここをなんとか探し当てた。
「別にどこに泊まろうとベッドがあって男女が二人なのは変わらないのに、なんでラブホテルじゃダメなの?」
「気分的な問題だ」
「別にここでもそういう気分になろうと思えば、いつだってなれるよ?」
「たとえそうであろうと、俺はなんか嫌なの!」
大河的には『そういう行為をするためだけの宿泊施設』という概念が問題であった。
意外に潔癖なところのある、夢見がちな青少年である。
比較して悠理はと言えば、そこがどこであろうと大河と二人きりという事実に変わりはなく、また何も気にしていない。
場所がどうあれ大河が『その気』になれば、そこが悠理にとっての『素敵な思い出の場所』になるであろうと確信している。
「一日利用で5,600オーブ……これ安い方なのかな?」
「んーでもさっきのラブホは夜間から朝までで5,000だぞ? こっちは丸一日使えるってなると、こっちの方が良くないか? 家具家電付きらしいし」
大河はトントンと、右手の人差し指でエントランスの壁に貼られた料金表を叩く。
「そうだね。ゆっくり休みたいもんね」
「初めての旅だったんだ。一日くらいゴロゴロしてもバチは当たんないだろきっと」
新宿から高田馬場という、本来の東京なら30分とかからない距離を五日もかけて歩いてきたのだ。
慣れない野宿もモンスターを警戒して気を張っていたし、道中も都心とは思えないほどの険しさだった。
目的地に到着した高揚感で元気そうに見えるが、実はかなり疲れている二人である。
「でももう少しだけ探してみない?」
「ん?」
「なんか、もうワンランク部屋のグレードを落としたら、もっと安い部屋が見つかる気がするの」
そう言って悠理は、スマホを操作して地図の画面を開く。
「ほら、多分この建物もホテルかウィークリーマンションだよ」
新宿で手に入れた付録の地図は、実はもう使っていない。
書店でそこそこの値段で購入した住宅地図なら、アイテムバッグに入れたまま『ぼうけんのしょ』アプリで地図を確認できることを発見したのだ。
相変わらず行ったことのない場所は空白のままで自らマッピングをする不必要があるが、この住宅地図なら建物の規模や形まで詳細に見ることができる。
問題は『新宿区』や『豊島区』といった区ごとに冊数が分かれており、一冊の値段が高価で20,000オーブほどする点。
しかし情報の大切さを身に染みて痛感している二人は、地図は詳しければ詳しいほどありがたいと短い協議の上でこれを購入した。
手元にあるのは『新宿区』と『豊島区』の二冊だけだが、現状他の区にあ立ち寄る予定はかなり先だ。
池袋には有名な書店があるので、きっとそこでも購入できるとまずは二冊。
のこりは道中でオーブを稼いでからにしようと意見が一致した。
「お前が疲れてなければ俺は別に構わないけどさ」
「うん、まだ大丈夫。節約できるところは少しでも節約しないとね」
そう言って二人はエントランスを出る。
聖碑の加護のエリアは想定よりもかなり小さい。
今の東京で利用できる商業施設は、大型店を除くとそのほとんどが聖碑の加護の中に収まっている。
なので自然と宿泊施設の数も限られてくる。
結局数件見て回った結果、一番最初のウィークリーマンションが最安値だったが、なぜか悠理は満足そうに頷いていた。
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