出発
二日後。
二人はアルタ前広場の中心、そびえ立つ巨大な聖碑の前で二十人前後の人集りの中心に居た。
「悠理ちゃん、気をつけてね」
「何かあったら、すぐ戻ってきてもいいんだよ?」
悠理の周りには様々な年齢の女性。
この三週間余りで仲良くなったクラン、『東新宿共同生活会』の顔見知り達が集まっている。
一方大河の方はと言うと──。
「テメェ……絶対に成美ちゃんを危ない目に合わせるんじゃねぇぞ」
「ちくしょう、俺がコイツよりレベルが高ければ……」
「なんでこんなもっさりした奴が……僕の方が絶対に知的で良い男なのに……」
「いいな……あの女神の様な子を泣かせてみろ……例え彼氏だろうと絶対に容赦しねぇからな」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「くたばれリア充」
主に嫉妬と怨嗟の声に囲まれている。
大河はそれを引き攣った表情でなんとか受け流し、悠理への見送りが早く終わる事を必死に願っていた。
「常盤くん」
重苦しく息苦しい声ばかりが聞こえるそんな大河の周囲に、初めて調子の良い軽い声が聞こえてきた。
大河がその声に振り向くと、そこには『東新宿共同生活会』のクラン長である、中年の男性の姿があった。
たしかどこかの会社の社長をしていた人で、その肩書きにふさわしくロマンスグレーに染まった髪をぴっちりとキメて、この雑多なアルタ前でもフォーマルな格好を崩さなかったいわゆる『仕事のデキる男』風の男性だ。
「本当に行ってしまうのかい?」
「あ、はい。二人で決めた事なんで。あいつを両親に会わせてやりたいんです」
この男性と会話をするのは、果たして何回目だったか。
会話をしながらも大河は、頭の中で男性の名前と過去の会話の内容を思い出そうと必死に記憶を
「そうか……いや、僕としては君らにはクランに加入してもらって、食糧の安定供給に協力して貰いたかったんだけどね」
「す、すみません。色々世話になっておいて」
彼の作ったクランには、安全が確保されたシャワールームを使わせて貰っていたり、数回の炊き出しをご馳走になったことがある。
一応見返りとしてかなりの食材を提供したり、余ったモンスターの素材を譲ったり、見回りや見張りを手伝っていたので貸し借りとしては無いはずだ。
しかし大河は、この男性をかなり苦手としている。
「いや、君らが決めた事なら仕方ない。僕に相談をして貰いたかったというのが本音ではあるがね。ははっ」
これだ。
この爽やかな笑顔から発せられる言葉の節々に、どこか他人をコントロールしようとする物言いが時々見受けられる。
一見して笑っているように見えて、目がまったく笑っていないのも、大河の苦手意識の要因だ。
集団行動の苦手な大河が気にしすぎなのか、それともリーダー性やカリスマを持つ人物とはこういう言動をするのが普通なのか。
「でも、
大河はちらりと悠理を取り囲む人たちを見る。
さっきまで大河にネチネチと文句を言っていた男性たちが、クラン長が来た瞬間に足速に大河から離れて向こうへと行っていた。
その中の一人、坊主頭の中年男性が矢島という人物だ。
彼は『東新宿共同生活会』の防衛班長という役職を貰っていて、他の戦える男性三名とパーティーを組んで活動している。
主に食材系モンスターの討伐と夜間の見回りなどを任務としていて、他にも四組ほどいるパーティーと共にクランの中心戦力に数えられている男性だ。
大河は過去に数回、彼らの嘆願でクエスト攻略を手伝っている。
それはもしかしたら単純に悠理目当てだったかも知れないが、モンスターとの戦闘経験やレベルでは完全に大河が格上なので、純粋に鍛錬の指導を乞われたのだ。
「信頼できる男手はいくつあっても良いんだがね。その点、君は聞き分けもいいし素行も悪く無い。問題行動も起こさないし、もし君が良ければ僕の補佐をお願いしたいくらいだ」
クラン長は横目で矢島をちらりと見る。
「あー……ははっ」
大河は何を言ったら良いのかわからず、とりあえず笑ってみせた。
彼のクランでは、矢島を筆頭にした目立つ男性たちが何回か軽いトラブルを起こしている。
他の避難者へのセクハラに近いナンパ騒動だったり、食材を確保しているという特権を振りかざして他の男性をこきつかったり。
権力を握らせてはいけないタイプの人間なんだろう。
しかしこのアルタ前でモンスターと日常的に戦闘できるほど肝の据わった面子はまだ数少なく、雑貨はいつの間にか補充されているのに食料品だけがいつまで経っても補充されないコンビニだけでは到底賄えない。
食料の確保がかなりの急務となっている以上、戦える矢島らにどうしても頼らざるを得ないのが実情だ。
「いや、忘れてくれ。旅立つ若者を縛り付けるような言動は、いささか旧時代的だったな。これでは老害と言われてしまっても文句が言えない」
何も言えず笑うしかない大河の様子を察して、クラン長は頭を振る。
「とにかく気をつけて行きなさい……もし戻ってくれるのなら、君になら相応の高待遇を与えると約束するよ」
「あ、ありがとうございます……」
クラン長の言葉になにか大人的な含みを感じるが、それが分かるほど大河はまだ熟成していない。
とりあえずの礼を述べて頭を下げ、大河は足速に悠理の元へと歩いていった。
クラン長は本当に惜しそうな顔で、大河の背中を見つめ続けている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「
悠理にクラン長に言われたことを告げると、目を丸くした。
「ああ、そういやそんな名前だったなあの人」
クラン長の名前を言われてようやく思い出す。
大河と悠理は現在、新宿大ガードを通過して北新宿を池袋方面に移動している。
すぐ隣の線路の向こうは、いわゆる歌舞伎町と呼ばれるエリア。
歌舞伎町をさらに直進すると、次は新大久保となる。
この二つのエリアを合わせて、アジア最大の繁華街の一つに数えられるのだが、いかんせんイメージと実際の治安がとても悪い。
なのでその二つのエリアを避け、なおかつ山手通りの大断層を避けるとなると、その二つの中間である北新宿を通るルートが望ましいと二人で判断した。
「んー、なんかね。最近あんまり良い話聞かなかったんだよね。島さん」
「え、マジ?」
「うん、矢島さん達にだけ危険な仕事をさせて、自分は安全なところで指示出ししているだけって」
つい先日買い替えたばかりの白いスニーカーを気にしながら、悠理は渋い顔をする。
「でもこの話の出どころは、その矢島さんと仲の良い人たちなのが……ちょっと引っ掛かって」
「ああ、あの人ら……愚痴多いもんなぁ」
一緒にクエストを攻略した時のことを思い出して、大河は眉を
「そう、それで今度は島さんの補佐をしていた女の人たちが、矢島さん達の影口を言い始めててね。なーんか、空気悪いなぁって」
いわゆる、派閥争いだろうか。
あの纏まらない避難民で溢れるアルタ前で、クラン『東新宿共同生活会』は六十人近いメンバーを抱えている。
それは最近ポツポツと増え始めているクランの中でも最大で、勢力としては他のクランが集まっても及ばない人数である。
なのであの広場において、クラン『東新宿共同生活会』の持つ権力はかなり大きい。
そんなクランの全てを取り仕切っているのは、あのクラン長の島である。
食料の配分や炊き出し、寝床の管理やシャワールームの使用時間の管理など、災害時は行政やボランティアなどが行うであろう様々な雑務の人事配分を、島がほとんど独断で決めていた。
今の東京は事務仕事や管理仕事の他に、戦闘に関する仕事が必須となっている。
食材系モンスターを狩ってドロップアイテムの食材を集めたり、またクエストを攻略してオーブを稼ぎ、戦力を充実したり日用品を購入したりなど、否が応でも『剣』を手に取り戦う役割を設けなければならない。
つまり、クランのリーダーになる者は、自然と兵力を持つと言うことになる。
その座を狙う野心家が現れるのは、何も不思議な話ではない。
「めんどくさい話だな……」
「そうだね。私も島さんとか他の人に何度も勧誘されたけど、私や大河には合わないなって思う」
隣を歩く大河の右手に、悠理の手がそっと触れ、そして繋がれる。
「そうだな。俺は特にああいうギスギスした空気、苦手だ」
「うん、私も」
今日の天気は快晴。
もう十月に入った空は、少しだけ寒さが入り混じっている。
冬を見越して購入してある防寒着の出番はもう少し先だろうが、こうして繋いだ手の暖かさに不快感がない気温になった。
「俺、この先の馬場の手前までしか道がわからないんだよな」
「私、目白には何回か行ったことあるから、少しは土地勘あるよ?」
「じゃあ、頼りにさせて貰います」
「任されました」
モンスターとの
旅路の門出としてはこれ以上ない、最高のスタートだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この後、時間にして三ヶ月後。
新宿駅東口アルタ前広場では、最大手のクランである『東新宿共同生活会』の内部分裂に端を発した大規模な抗争が勃発する。
その争いは長期に渡り、また多くの血と人命が失われる事となった。
抗争相手は矢島を筆頭にした、『東新宿共同生活会』の元メンバー十数名で結成された戦闘系クラン。
一般人を巻き込み、強制的な勧誘や脅しなどの手段で膨れ上がったそのクランは、結果的には敗退し新宿を追いやられることとなる。
逃走先で傘下として加入した元半グレクランと共に、彼らは東京に悪名を轟かせる殺人
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