旅支度①

  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 深夜。

 スマホに表示されている時刻は0時だ。

 

 大河と悠理は寝ぐらとしているとある雑居ビルの7階の非常階段で、半分に切った空き缶の中で蝋燭を灯して囲んでいた。


 すでに眠る支度は済んでいる。


「えっと、じゃあ当面の目標は吉祥寺に戻る方法を探すってこと?」


「ああ、新宿駅を出てからずっと考えないようにしてただろ? あの山手通りの大断層のこととか、巨人や虫のこともあってさ」


 大河は横にベッドマットの上で寝そべって、悠理はその隣で膝を抱えて話をしている。


「……うん、そうだね。私もパパやママに会いたいし、なんか今の新宿はいい思い出無いし、怖い人多いし」


 悠理は大河の言葉に少し考え込んで、そして顔を上げる。


「でも、確か初台方面や目白方面まであの大断層は繋がっているんでしょう?」


「ああ、それでさ。池袋の方に行かないかって」


「池袋?」


 大河は起き上がり、枕代わりにしていた巻いたタオルの横に置いていたスマホを手に取る。


 軽く操作をしてアイテムバッグから取り出したのは、九人の半グレクランの内の一人、あの若者の片割れが持っていた『東京グルメマップ』という雑誌だった。


「さっき気づいたんだけど。これにさ、でっかい地図が付録として付いてたんだ。んで中身見て見たら」


 グルメマップを広げると表紙裏に紙製のポケットが付いており、そこに四つ折りに畳められた地図が差し込まれていた。


 蝋燭を立てている缶を少し離して、その地図を広げる。


「ほら、俺らが知っている新宿とだいぶ地形が変わってるだろ?」


「……本当だ。新宿御苑がすごい大きくなってる。あれ、でも新宿と代々木以外のとこ、真っ白だよ? 新宿だって、駅周辺以外は書かれてないし」


 その地図は、全体の八割が空白という印刷ミスでしかあり得ない描かれ方をしている。


「たぶんこれ、ゲーム的に考えると行ったことのある場所しか出てこないんだと思う」


「地図って、行った事ないところを調べるためのものでしょう?」


「普通はな? ゲームだとよくあるんだ。マッピングって言って、自分の足で地図を埋めるシステムが」


「ふーん。変なの」


 大河のその説明はゲーム、特にRPGジャンルに馴染みのない悠理にはいまいちピンと来ていない。


「んでここ。代々木の周辺見てみろ」


「えっと……なにこれ。森になってるの?」


「しかも相当深い森だと思う」


 どうやらこの雑誌の元の持ち主、あの若者は代々木方面からの避難者のようで、甲州街道沿いや新宿御苑の周辺が特に事細かに地図に現れている。


「俺にはそんな森を安全に進むような知識なんて無いし、仮に森を抜けたとしても渋谷って強そうなモンスターが多いイメージ無いか?」


「うーん、どうだろう。渋谷は良く行ってたから知っているけど……確かに丸山町とかセンター街、道玄坂あたりは治安はあんまり良くは無いよね」


 そんな悠理の軽い返事に、少し心がモヤッとする大河。

 大人しめ男子の大河としては、渋谷で良く遊ぶ女子というのはかなりガラか素行が宜しくない印象を持っている。

 道玄坂や丸山町は少し路地に迷い込めばラブホテルが乱立しているし、センター街にはクラブやガラの悪いバーが並んでいるので、余計にその印象の悪さに拍車がかかる。


「あっ、良く行ってたって言っても、ママと二人でコンサートホールに行ったり、原宿でお買い物した帰りに寄ったりだよ?」


 そんな大河の心象を瞬時に察したのか、悠理は慌てて情報の訂正を行った。


「あ、う、うん。だからさ、この地図をこう迂回して、池袋方面からなんとか中野あたりまで行けないかって」


 心を見透かされたようで、大河はバツが悪くなって慌てて取り繕う。


「そうだね……かなり遠回りになるけど、渋谷より池袋の方がまだ安全……なのかな? 最近は池袋も結構荒れてるって聞いた事あるけど」


「でもこの森、入りたいか?」


 大河が広げた地図の上でトントンと左手の人差し指を遊ばせる。


「それは嫌。虫多そうだし」


「俺も。もう虫を見るのは嫌だしな。んじゃ、とりあえず歌舞伎町とか大久保を避けて、高田馬場を経由して目白まで行ってみよう。そこで情報を集めて、どうにかあの大断層を越える手段かルートを探るって感じで」


 西新宿から新宿駅。

 今まであのゴールデンスパイダーを始めとした虫型モンスターに数多く対峙してきて、すでに二人の脳裏にはすっかりと虫への苦手意識が刷り込まれている。

 

 ただでさえ見た目がグロテスクなのに、それに輪をかけて巨大で数が多いとなれば、苦手になるのも仕方のないことだろう。


「うん、わかった。じゃあ明日からしばらくは、旅支度──新宿から池袋までの距離を旅っていうのもおかしな話だね」


「新宿駅の周りだけでも、こうまで地形が変わってるんだ。もしかしたらそれこそ何ヶ月もかかる距離になってるかもしれないしな。準備はしっかりやっておこうぜ。食糧集めとオーブ稼ぎ……それにアウトドア用品の店とかも見ておきたいな」


「オーブはどう稼ぐの? 食材系のモンスターだと全然稼げないんじゃない?」


「東口の方にさ、モンスターの素材をオーブに換金してくれる店があるらしいんだ。それを売って……あと御苑の近くで見た事ないモンスターを何体か狩ってみようかなって。んでお前のレベル上げと、『剣』の成長もそろそろしておかないと」


 大河は寝そべっていた姿勢から起き上がり、胡座あぐらをかいて座り直す。


「私の?」


「うん、お前は基本俺が守るけどさ。強いにこしたことは無いだろ?」


「……うん、そうだね。私もちゃんと大河を守れるように、強くなっておかないと。そうと決まったら、明日から忙しくなるね。今日はもう寝よっか」


 広げていた地図を畳みながら、悠理はいそいそと眠り支度を整える。


 ねぐらにしている場所が古い雑居ビルの非常階段だから、天井から照らす古ぼけた蛍光灯がチカチカと点滅していて薄気味悪い。

 

 大河は立ち上がり、階段の手すりに足をかけて天井に手を伸ばし、蛍光灯を取り外す。

 これが普通なら勝手に人の建物の蛍光灯を外すなんて行為は咎められるが、今この場所は二人がテリトリーとして整えた二人のねぐらだ。

 誰に遠慮するつもりもない。


 大河は外した蛍光灯を少し離れた壁にそっと置いて、ベッドマットの上に戻る。


「……あの、悠理?」


「ん?」


 蝋燭の空き缶を手にベッドマットの上のシーツを整えていた悠理に、大河は渋い顔をする。


「な、なんでそんな薄着してんの?」


 気がつけば悠理は上は薄手のキャミソールに、下は今日購入したショーツ一枚という、とても危うい格好をしていた。


「今日はなんだか暑いから」


「あ、そうですか……」


 気温のせいだと言われれば、何も言えない。

 大河はもろもろを見て見ぬフリをして、自分の毛布代わりの大きなタオルケットを広げベッドマットに横になる。


「……あの、悠理?」


「んー?」


 そんな大河のタオルケットの中に、さも当然といわんばかりの自然な所作で悠理が潜り込んできた。

 そして大河の右腕を抱き、密着してくる。


「暑いんじゃなかったのか?」


「一人じゃ寂しいから」


「あ、そうですか」


 一人寝が寂しいと言われれば、何も言えない。

 またも大河はキャミソールだけを身につけてブラをしていない悠理の色んな柔らかさを感じていないフリをして、目を閉じる。

 

 壁際に置いた蝋燭の缶の炎だけが、非常階段をゆらゆらと照らしている。


「……あの、悠理?」


「ふふっ、なぁに?」


 仰向けで寝ている大河の脚に、悠理の生脚が乗っかり、そして絡まる。

 その頬は大河の腕を越えて、右胸の位置に。

 大河の寝巻きのシャツはいつのまにか捲られていて、生肌に直で悠理の頬が当たる。


「そ、そんなに寂しいの?」


「ううん、これは大河とくっつきたいから」


「……そろそろ、そうですかじゃ済まないんだけど?」


「私は、いつでも良いからね?」


「──何が?」


「大河が、我慢できなくなっても」


「あの……いや待って本当にさ! 俺をからかうのもほどほどにしないと、いつか絶対に──!」


「──私は、後悔しないからね?」


「──っ!?」


 機先を制されて、大河は全力で言い淀む。

 ただでさえ人を苦手とし、人を避けて生きてきた大河は当然ながら『女性』を知らない。


「おおお、俺は! 今はまだっ! ていうか、ほら! 色々足りないし!?」


「あっ、そうだよね。これから旅をしなきゃいけないのに、妊娠したら大変だもんね。私ったらすっかり忘れてた」


「にん──!?」


「明日、そこらへんもちゃんと買っておこうね?」


「かっ、買って──!?」


 甘い空気の漂う雑居ビル7階の非常階段で、大河が安眠できるようになるまでに、もう少しの時間が必要だった。

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