地雷天使レナの献身③
「別の意志って……なんだ?」
耳元で囁かれたレナの言葉が、大河の背筋に得体の知れない痺れを走らせた。
「うん。大河のその問いにこれ以上答える権限がウチにはないの。ウチが言った言葉なのにごめんね? だからこの質問は、三つの質問にはカウントしないであげるっ」
レナはパッと大河から身体を離し、舌を出して笑う。
「でも大河が本当に知りたいなら、自分で答えを見つけることはできるよ。今の東京には、その存在が『東京ケイオス』を実体化させるために施した時の残滓が、いくつも残っているから」
レナはそして、月を見上げる。
「ほら、あの月だってそう」
「え?」
その言葉に釣られて、大河も月を見上げる。
「東京以外をどうしても弄れなかったから、あの月はずっと欠けることなく満月のまま。でも大河たち
「月が、欠けない?」
言われて気づいた。
無限回廊を出てから毎晩、大河は悠理のシャワーが終わるまでこうして見張りに就いている。
やることも話す相手もいないから、しかたなく空を見上げて物思いに耽ける事も少なくない。
そして確かに、月はずっと丸く輝き──綺麗な円を描いたままだった。
「そういうところを意識してみれば、
レナは月を見上げながら目を閉じ、薄い笑顔を浮かべる。
「──さぁて、じゃあウチはそろそろお家に帰って寝りゅねぇ? ラナちゃんも戻ってきてるかもだしぃ」
レナは深呼吸をするように大きく腕を広げて身体を前に傾け、そしてゆっくりと仰け反った。
「あっ、ちょっと」
まだ、明確な答えを聞いていない。
質問を求めておいてそれはないだろうと、大河は思わずレナを引き止めようと右手を差し出す。
「うん、大河と悠理ちゃんがしっかり毎日頑張って、ちゃんと生き残ってくれてたら、まだ時間はいっぱいあるよ。焦らないでね? じっくり考えて、じっくり進まないと、今の東京はすぐに
差し出された手を両手で上下から覆い、レナは頷く。
「大河。もし大河が本当に
レナの背中に浮かんでいる二つの球体から、それぞれ真っ白い大きな翼が生える。
「……あそこ?」
翼を大きくはためかせて、レナはふわりと宙に浮かび上がる。
大きな満月を背に月光に包まれるその姿は神秘的でもあり、どこか儚くもあった。
「でもウチ的には、あんまりお勧めしないかな。だって知ってしまえば──大河は深く絶望して、
大河の右手から両手を離して、レナは空へと遠ざかっていく。
アルタ前広場にいた多くの人は、不思議とその姿に騒いだりせず──いや、こちらを見ることすらしていない。
「だから大河がどうしても知りたいというのなら、やっぱり帰らなきゃね。
「待てよ! じゃあ、あそこって!」
徐々に夜空の闇へと溶けていくレナの姿を、大河は小走りで追いかける。
「
そしてレナは、そっとある方角を指差した。
「──吉祥寺。そこに答えは遺されてるよ」
最後に満面の笑みを浮かべて、レナは翼をはためかせて勢い良く空を駆け上る。
「じゃあまたねぇー!」
ドップラー効果で徐々に消えいくレナの声に一人、大河は取り残された。
「……吉祥寺。俺らの、住んでいた街」
大きくそびえ立ち、加護の力で暖かな光を放つ聖碑の前で、大河はレナの消えた方角の空を見続ける。
大河にとって故郷──吉祥寺は、多くの幸せな記憶と、より多くの思い出したくない記憶が共に在る地だ。
かつてはそこに居るだけで、深く刻まれた心の傷が化膿し、疼き、痛み苦しんだ。
新宿が、東京がこうなってしまってずっと考えていたことではあった。
大河にとっての故郷であるなら、悠理にとってもまた故郷。
両親を想い泣いていた悠理をなんとかしてあの場所に帰してあげたいと、しかし自身にとっては近寄るのも難しい場所だ。
だからなんとなく話題に出さず、悠理の口からその名前が出るまではと知らないふりをしていた。
「そっか……俺は、どうやってもあそこに戻らないといけないんだな」
悠理を家族の元に返すため。
そして親友を弔い、真実を知るため。
生まれ育ち血に染み付いたあの場所は、今でもまだ大河を離してくれない。
大河は右手の甲に刻まれた、『咎人の剣』の紋章を見る。
「強く……なろう。力も、心も」
今はまだ両方足りない。
弱く、臆病で、そして卑怯で──血に濡れて『咎』がこびりついている。
己の矮小さと罪深さに、大河は苦笑し目を伏せる。
「……なにやってんだ俺」
冷静になってみると、とてもカッコつけたことをしているなとおかしくなった。
まるで漫画やアニメの主人公みたいな独り言を呟いてしまった。
他の避難民になら別に見られてもなんとも思わないが、悠理に見られるとかなり恥ずかしい。
ぷらぷらと右手を振りながら、元の見張りの立ち位置に戻ろうと振り向く。
「大河、今の女。誰?」
そこには、剣呑とした表情で大河をまっすぐ見る悠理の姿があった。
どことなく瞳から光が消えているように見えて、大河は驚きと恐怖で喉から空気を吐いて身体を仰け反らせる。
「仲良さそうに手を繋いでいたけど、どういうこと? あの女、大河の何?」
大河の顔ただ一点を凝視したまま、悠理は静かに──しかし力強く言葉を紡ぐ。
風呂上がりの火照った肌や、生乾きでしっとりと濡れた髪が今はなぜかとても恐ろしい。
「え? いやさっき初めて会っただけで、名前しか知らなくて──っていうか別になんもやましいことは」
「じゃあ、なんで今触られてた手をじっと見てたの? 嬉しかったの? 私の方が、大河にいっぱい触っているよね? 私じゃ足りない?」
「足りるとか足りないとかじゃなくて、本当になんとなく見ていただけで──待って、なんか誤解してる。落ち着いてくれ。俺はただ」
「私の手、今お風呂入ってきたばかりだからすべすべだよ? それにほら、ここも今ツヤツヤで」
そう言って悠理は、大河から譲り受けた寝巻き代わりの濃紺のTシャツを捲る。
「本当に落ち着け! シャツを捲るな! そういうとこ見せるな! ほら他の人も居るから! 見えちゃうから!」
「じゃあ触って確かめてよ! ほら! 他の女の子よりおっきいって、よく言われるんだから! 服の上からじゃなくて、ちゃんと直に触って!」
「人の話を聞け! うわぁ待って! 手を引っ張るな! わかった! わかったから!」
「大河の事を想いながら洗ってきたんだから! あんな子なんかに、負けないんだから!」
うるうると涙目になった悠理の瞳が揺れる。
そんな二人の騒ぎは、さっきと違い他の避難者たちにばっちり見られていた。
悠理が落ち着いて話を聞いてくれるようになるまでに、あと10分ほどかかった。
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