地雷天使レナの献身②


「地雷……天使?」


「そう、天使ちゃんなのウチ」


 レナは朗らかな笑みを浮かべ、ガードレールから飛び降りる。


 それは自由落下とは思えないほど軽やかで、ゆったりとした着地。

 背中に生えた大きな翼の根本は背中と繋がっておらず、拳大の球体から生えていた。


「えへへ、『ゲーム』が開始されてからずっといろんなところを見て回って、生き残った巡礼者プレイヤーさんたちを眺めてたんだけどねぇ。新宿に来たら大河がまだ死んでなかったから、嬉しくって話しかけちゃった。本当はこういう贔屓ひいきみたいなのウチの役割ロールじゃダメなんだけど、大河は造物主あるじさまの大切な人だから、やっぱ特別だよねぇ」


 ニコニコと喜びを隠さず、レナは呆気に取られている大河の頬を右手の指で突つく。


「な、なにを言って」


 レナの様子にたじろいで引き気味の大河は、上手く言葉が出てこない。


「おっと、嬉しくて翼出しちゃった。んしょ」


 自分の背中から翼が生えていることに気づいたレナは、まるで背負っているズレた荷物を背負い直すような仕草で翼をしまう。


「あんまり注目されちゃうと、ウチの役割ロールに支障がでちゃうもんにゃあ?」


 あざとさが全面に出過ぎている仕草で、レナは大袈裟に傾げて大河を上目使いで見る。


「大河はもう気づいているんでしょお? この東京が造物主あるじさまの造った世界とそっくりになっていること。まぁでもぉ? 細かいところが改変されちゃったり、整合性を取るために拡大解釈されちゃってる設定もあるから、まったく一緒ってわけじゃにゃいんだけどぉ」


 顎に右手の人差し指を当て、レナは身体を持ち上げてまたくるくると回る。


造物主あるじさまって……りょうのこと……か?」


 そんなレナの様子に、大河は警戒しながら問いかける。


「んー、そのお名前を呼ぶのも、否定も肯定も、どっちをするのもウチの権限を逸脱しちゃってるから──言えない。言えないけど、もう大河には分っちゃってるから意味ないよねぇ? 面倒な設定だけど許してね?」


 ケラケラと、レナは笑い続ける。


「ウチは本来、巡礼者プレイヤーさんをメタ的にサポートをするためのキャラの一人として想像もうそうされたの。でも本来の『東京ケイオス・マイソロジー』は一人用で、ネットを介して他の巡礼者プレイヤーさんと協力したり敵対したりっていう想定もうそうでね? シナリオ上ウチは一人だけしかいないのに、今の『東京ケイオス』は生きてるアクティブプレイヤーが何百万人といるから、ウチ一人じゃ対応しきれない。それで用意されたのが、その『ぼうけんのしょ』っていうユーザーインターフェース」


 大河の右ポケットに入っているスマホを指差し、レナは続ける。


「ほらウチの声、聞き覚えない?」


「いや、はじめて聞いたと思うけど」


 グイッと身体を寄せてくるレナに、大河は一歩後退して返事をする。


「そう? じゃあこれでどうかな──」


 自分の喉に右手を当てて、レナは目を閉じる。


「【地雷天使レナについて説明します】──どう?」


「あっ」


 それは『ぼうけんのしょ』アプリを開いた時に度々耳にする、女性の声。

 新しいシステムの解放時や、重要な事柄があった際に解説してくれた、あの優しそうな女性の声だった。


「これがウチの役割ロールの一つ。他にもやることいっぱいあるけど、大河が一番ウチと接するのは『ぼうけんのしょ』のアナウンスだと思うよ?」


「え、えっと。なに? それじゃあアンタ──」


「レナちゃん」


「──レナが」


「レナちゃん」


「……レナちゃんは、俺や悠理のスマホとずっと繋がっているってことか?」


 名前を言う度に顔が近づくレナに気圧けおされて、同年代風の女子をちゃん付けで呼ぶという行為を幼稚園以来に行った。

 その気恥ずかしさから、大河の顔がみるみる内に真っ赤に染まっていく。


「ううん? 全ての巡礼者プレイヤーさんが持つ『ぼうけんのしょ』のウチは、『分割思考』のアビリティで増やした独立したウチなの。だからウチ本来の性格から、淡々とした穏やかな面しか表層化してないでしょお?」


 そう言ってレナは、何も持っていなかったはずの右手に突然スマホを出現させて、大河に見せる。


「独立してるって言っても、やりとりとかはウチが望めばすぐにリンクできるし、巡礼者プレイヤーさんの質問とかはウチにも届くよ?」


 右手のスマホを左手の人差し指で差し、そしてまた突然スマホを消す。


「アプリ『ぼうけんのしょ』は、ウチとかラナちゃんみたいな巡礼者プレイヤーさん寄りのNPCが構築したモノ。これがないとみんな簡単に死んじゃうって、頑張ってみんなで作ったのよ?」


 リアクションを取るたびにいちいち顔を近づけてくるレナに、大河はその都度ドギマギしてしまう。


「ら、ラナちゃん……って?」


「もう一人の地雷天使ちゃん。ウチの妹なの。とっても可愛いだよ? かなり無口だけど。今日は立川の巡礼者プレイヤーさんたちの様子を見にいくって言ってたよ?」


 にっこりと笑みを浮かべ、またレナはくるくると回り踊り出す。


「だから大河も、そして悠理ちゃんも。二人ともわからないこととかあったらすぐにウチらに聞いてほしいなぁ。あのね、他にもちゃんとした人格をもったNPCやモンスターさん、オブジェクトさんとかいっぱい居るけれど、完全に巡礼者プレイヤーさん寄りのNPCってウチとラナちゃん以外だとほんと少ないの」


 そしてピタリと止まって、大河の鼻に付くか付かないかの際々の距離に右手の人差し指を差し止める。


「ウチらは、巡礼者プレイヤーさんたちが死ぬことを望んでいない。これは信じてほしい。今の東京は色んな手段で、色んな姿で巡礼者プレイヤーさん達を殺そうとするし、実際この約一ヶ月の間で東京の人口は半分まで減ってるけど」


 そしてその指は、大河の胸にツゥーっと滑り落ちる。


「できるだけみんなには頑張って生き残ってほしいって、ウチらは思ってる。特に大河は……造物主あるじさまの大切な人だから、本当は力を貸したり特別扱いしたりはできないけど、大河だけはしてあげる。なんでも三つ、システム外の質問に答えたげる。ウチに答えられるならね? あ、でもウチの役割ロールを超えた内容の質問にはごめんね? 答えられないんだぁ」


 ぐりぐりと、大河の胸の上でレナの人差し指が回る。


「三つ……」


「そう、三つだけ。今じゃなくてもいいよ? 思いついた時に『ぼうけんのしょ』アプリでウチを呼んでくれれば、すぐに飛んで来るから」


 レナの人差し指が、今度は胸から首、首から顎、そして大河の唇へと当てられた。


「システム内の質問は、いつでもアプリで答えたげる。でもシステム外の質問は、直接ウチの口からちゃんと説明したいの。何回も言うけれど、大河は造物主あるじさまの大切な人で──特別な人だから」


 大河はその言葉に、じっくりと考え込む。


 システム外──つまり今の東京の様子や『剣』の成長、レベルアップやパーティ・クランシステムといったシステマティックな話ではなく、例えばなぜこの東京がこうなってしまったのかや、綾はなぜ死んでしまったのか──そういった質問のことを言うのだろう。


 たった三つ。

 三つしかレナは答えてくれないと言う。

 ならば下手な質問で三つの枠を使い潰すのはもったいない。


 そしてじっくりと考えた末に、大河がゆっくりと口を開く。


「アイツは──お前らの造物主あるじは、本当にこんな東京を望んでいたのか?」


 かなり近いレナの顔を真っ直ぐに見て、大河ははっきりとした発音でレナに問いかけた。


 問われたレナはその大きな瞳をさらに見開き、ぱちくりと瞬きを数回繰り返す。


 そしてその顔は、穏やかで優しい笑みに変わり、口を開く。


「その答えの半分は、ウチの役割ロールの範疇を超えているから完全には答えられない。だけどこれだけは言える」


 目を閉じて、大河の頬に右手を添えて、レナは小さな──でもはっきりと、答える。



造物主あるじさまはお優しい人。それはあの方とずっと一緒にいた大河の方が知っているはず。あの方は、たとえ悪人だろうと人の死を望まれるようなお方ではないでしょう?」


 ゆっくりと、レナの顔が大河に近づいていく。


「だから、人の死を強く望み──人の死を愉しんでいる別の意志が、力が、権能が──『東京ケイオス』を歪ませているの」


 そのか細い声は、大河の耳元で囁かれた。

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