変化④


 百貨店の床を跳ねるように転がる摂津の首を大河は数秒だけ目で追って、そしてすぐに興味を失いジーンズの右ポケットからスマホを取り出す。


「結構、持ってたな」


 殺した九人の内、四人がマジックバッグを所持していた。

 手早く四人分のアイテムを画面をスワイプして物色し、必要そうな物をピックアップして自分のマジックバッグに移動させる。


 所持オーブは九人分、総額して約50,000オーブ。

 若者二人が約20,000オーブで、他の七人が合算で約30,000オーブ。


 新宿駅内のダンジョンと違い、フィールドに出現するモンスターは倒しても殆どオーブを稼げない。

 悪党たちはまったく戦わずに他者から食料を奪っていたり、そこら辺の食用モンスターだけを相手に稼いでいたのだろう。

 大河がレベル10に上げるまでに必要としたオーブは55,000。

 これはゴールデンスパイダーやダンジョンモンスターを倒して稼いだオーブがあったからだ。

 コツコツとフィールドモンスターを狩っていたら、かなりの時間を要しただろう。


「ゴールデンスパイダー原種を倒してたの、かなりのアドバンテージだったんだな……」


 アイテムとオーブの強奪を手早く済ませてふと顔を上げると、十数体のマネキンがモップや箒を手に死体の処理と清掃を行なっていた。

 クレイアニメのような不自然な動きできびきびと、のっぺりとした顔のマネキンたちは床や壁にこびりついた血を拭いたり、転がっている死体をどこかへ運んでいく。


「へぇ、ちゃんとそういうのしてくれんだな」


 人の手が入らない建物はすぐに劣化する。

 こうやってマネキンたちのように、他の施設も整備する機構が備わっているのかも知れない。

 大河は若干の関心を向けながらしばしマネキンたちの作業を眺め、そして悠理ゆうりへと顔を向ける。


 悠理は大きな柱の影に隠れていた。

 顔だけを出して目を丸くして、大河を見ている。


「……あー、えっと。次の店、行こうぜ?」


 目の前で人が殺された。

 しかも殺した相手は普段一緒にいる男。

 普通の人──普通の女の子なら、当たり前にその男に恐怖を抱くだろう。

 

 だから大河は、わざといつものように振る舞う。

 悠理にとって世界で一番安全で、世界で一番無害な男であることを示すために。


「──う、うん」


 悠理はそう言って柱の影から出て、まだ血で濡れている床や死体を運んでいるマネキンたちを避けて大河に近づく。


「……大丈夫、か?」


 おずおずと、なにかを恐れているかのように大河は悠理に問いかけた。


「──大丈夫。私は大河が何をしても、絶対にそばにいるって誓ったもん」


 悠理はぎこちない笑みを浮かべて、スマホを操作してハンドタオルを取り出した。


 そして大河の頬をそのハンドタオルで拭う。


「服、一応着替えておこうね。他の人に見られたら面倒だから」


「あ、ああ」


 どうやら大河の頬にはかなりの返り血が付いていたようで、ハンドタオルはすぐ真っ赤に染まった。


 一通り綺麗に拭き終わったのか、悠理は血の付いたハンドタオルを自分の腰から下げていたウエストポーチに押し込む。

 

 そしてまたスマホを操作して大河の着替えを取り、差し出した。


「はい」


「ありがとな」


 着替えは上着のTシャツと、源二げんじから奪った黒の太いカーゴパンツ。

 源二も他の人間を殺して奪ったものだろうから、元が誰の物なのかはもう分かりようがないが、一応悠理が前もって洗濯してある。


「ううん。こっちこそ」


「ん?」


 上着を脱ぎかけていて半裸の大河には、悠理の言葉は聞き取りづらかった。

 襟から頭を出して悠理を見ると、その顔はなぜか嬉しそうに笑っている。


「なんでもないよ」


 大河の上半身をまじまじと見ながら、悠理は返事をする。


「……着替えてるとこ見られてると、ちょっとやりづらいんだけど」


「気にしなくてもいいじゃん。私しかいないんだし」


「その私さんに見られてるのが恥ずかしいだが?」


「慣れてもらうしかないよね。うん」


「……ああ、そう」


 露出した首元から腹にかけて、そして二の腕から背中をぐるりと悠理は移動しながら大河の身体を舐め回すように見続ける。


 大河はいろいろと諦めて着替えを続ける。

 ジーンズを脱いでカーゴパンツに着替える時は、悠理の目つきが若干怖かったのは──余談である。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「悠理ちゃん、シャンプーを貸して貰っても良い?」


「はい、いいですよ」


 ここはアルタ前広場にある雑居ビルの一室。

 簡易的なシャワールームを備えたテナントの一つで、買い物を終えて戻ってきた悠理は大河に手料理を振る舞い、他の女性の利用者と共に汗を流していた。


 人数に対して風呂の数はとても少なく、こうして数人で一緒に入ることで混雑を少しでも回避する施策が取られている。


 このシャワールームのある雑居ビルの前には数人の信用できる男性が見張りについており、悠理がシャワーを浴びている間は大河も見張りに立っていた。


「ありがと。なんか上機嫌だね。いいことあったの?」


 顔馴染みとなった中年女性にそう聞かれて、悠理は自分の両頬をもにもにと揉む。


「え、わかります?」


「なんとなくだけどね? 彼氏くんと百貨店まで買い物、行ってきたんだっけ?」


「はい、ちょっとそこで──嬉しい事言われちゃって」


 悠理は目を閉じて、百貨店での大河の事を思い返す。


 確かに最初は、人を殺すことに無感情な大河が怖かった。

 源二を殺した事、あの回廊を抜けるアイテムを初めから所持していたこと。

 助けられるはずの人を助けられなかった事を大河は悔やんでいて、そしてそれが確実に大河になんらかの変化を与えている。


 それは悠理も薄々気付いていたことで、危惧していたこと。


 心を病んでしまっていたら、どうしよう。

 自分にできることは少しでも彼を労い、そして癒すこと。

 

 悠理はそう考えて、下着売り場ではわざと大河を茶化したり、自分の好意を明け透けに伝えたりしてみた。


 大河は別に鈍い男ではない。

 悠理から向けられる異性としての好意にとっくに気付いていたし、また悪い気もしていない。


 それは悠理も同じことで、わざと茶化しては見たものの、大河が自分を少しでも性的に意識してくれたことがたまらなく嬉しかった。


 以前の悠理からしてみれば、異性からそういう目で見られることは迷惑でしかなかったし、嫌悪感を抱くモノでしかなかったが、これが自分が好意を寄せている相手からになるとこうまで受け取り方が違うのか、と自分の感情に驚いている。


「あの子、奥手そうな顔してけっこうやるのねぇ」


 中年女性は自分の髪をシャンプーで泡立てながら、悠理を見る。


 どうも顔に出過ぎるくらい喜んでいるようだ。

 悠理は揉んでいた頬を軽く叩いて、表情を隠そうと努める。


「奥手……ではありますね。今まで女の子とあんまり関わらないようにしてたみたいだし。私にだって、触れるのを怖がっている感じがまだします」


 それは悠理が、あの地震のあった日から──大河と再会した日からずっと感じていたこと。


 常盤ときわ 大河たいがは女性──いや、他人との接触をどこか怖がっている節がある。


 悠理と再会した時はその感情が明らかに顔に出てたし、あの新宿駅の地下中央通路では、他の大人の言うことに素直に従ってトラブルを避けていた。

 かなり理不尽なことを言われてたし、やらされたにも関わらず、だ。


 そしてこのアルタ前広場でも、他の集団に紛れることを良しとせず、どこか人を避けてやり過ごそうとしているように見える。


 そんな大河が。

 他人を怖がり、他人を忌避し、他人へ向ける感情が希薄な大河が──。


(『お前に近づく悪党は全部、俺が殺す』……か)


 悠理はシャワーから出るお湯を頭から被り、込み上げる喜びと止まらない笑みを必死に隠そうとする。


(大河が、私のために。私を守るために、言ってくれた──)


 悠理は大河の変化を敏感に感じ取り、そして心配した。

 元々、悠理は周囲に対する配慮に長けている。

 周囲の感情を察し、波風立てないように取り繕うことのできる人間であった。


 しかし、一番の変化──自分の歪みに気づいていない。


 目の前でたとえどんなに凄惨な方法で人が殺されようと、それが大河が自分のために行ったことなら悠理にとってこれ以上ない喜びであった。


 自分のために、自分だけのために大河が手を汚してくれた。

 今の悠理には、倫理観よりも先に大河への愛情が優先される。


 あの新宿駅無限回廊を経て一番変化したのは、間違いなく悠理のメンタルであることを、悠理自身が気づけていない。


(大河がこれからも私を守ってくれる。ううん、守られてるだけじゃダメだ。私も大河を守らなきゃ。ああでも、カッコよかったなぁ……)


 隣で身体を洗う中年女性の存在を忘れたのか、悠理は恍惚の表情を浮かべながら自分の身体を丁寧に洗っていく。


 それはいつ何時、大河に求められても良いようにという乙女心から。


 成美なるみ 悠理ゆうりはまさしく今、世界で一番幸せな女の子であった。


 たとえそれが、歪んでいたとしても。

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