変化①
「これなんてどうかな?」
「ん、良いんじゃないか? 良く似合ってる」
無人の百貨店内は、そんな大河の小さな声もよく響く。
「ありがと。もう少しデザインの凝ったモノが本当は好みなんだけど、今そんな服を買ってもあんまり意味ないしね。動きにくくなったら嫌だし」
上機嫌な悠理はそのポロシャツを腕に掛けて、鼻歌混じりに他のハンガーラックを物色しだした。
「それにすぐ汚れちまうもんな」
柱に背を預けてそれを見ている大河の目は、少し疲れていた。
なにせこの百貨店に到着してすでに三時間は経過している。
一階の化粧品売り場をスルーして、エスカレーターを昇って到着したこの4階。
主に女性向けのカジュアルでリーズナブルな服が揃っている。
今の百貨店内は店員もいなければ客もいないし、店内BGMも止まっているのに、電気だけは煌々と点いたままだ。
複数店のテナントが並ぶこのフロアで、わざわざ一番端の店まで歩いて一番端の商品から物色しだした悠理を見て、大河は軽く嫌な予感を覚えた。
そしてその予感が正しいものだと痛感したのが、最初の店を見終わるまでに一時間も掛かった頃だった。
「モンスターと戦ったり、埃っぽいところで生活したり移動したりしなきゃならないって考えると、やっぱりそんな高い服買ってられないしね」
「でもそれなりに防御力があって優秀な効果がある服って、やっぱり結構な値段がするんだな」
「ここが百貨店だからっていうのもあるよね。こんな高そうなお店に来るお客さんの層に合わせちゃうと、安くても結構しちゃうモノばっかり」
可愛らしく口を尖らせて、悠理は眉間に皺を寄せた。
「どうする? もう少し先に行ったらもっと安くて種類がある学生向けの店あったろ。そっちまで行くか?」
「うーん、そうだね。レベルアップとか『剣』の成長に使う分を考えたら、オーブも節約しないとだし」
大河の提案に即答した悠理は、手早く腕に掛けていたポロシャツを元のハンガーラックに戻した。
「あ、でもごめん。どうしても一箇所だけ、ここで買っておきたい店があるの」
「別にいいぞ。店内はモンスターも出ないみたいだし、まだ時間はある。あ、でも閉店時間になったら強制的に店から出されるって聞いたぞ?」
ここに来る前までに、アルタ前広場の避難民たちからいろいろと情報収集を済ませている。
口下手で人見知りする大河よりは、物怖じせず人当たりも良い悠理が主に役に立っていたが、大河もそれなりに頑張って他の人と世間話に励んだ。
なので今の新宿の──アルタ前広場から近い場所が今どうなっているのかという情報はある程度持っている。
この百貨店を買い物の場所に選んだのもその情報からだ。
「マネキンが退店を促しながら襲ってくるんだっけ。なんかあんまり見たいくない光景だねそれ」
服を戻し終えた悠理は、まだ店内をキョロキョロと見渡している。
買い物好きらしいこの女の子にとっては、まだ見足りない商品が多いのだろう。
「言えてる」
そんな悠理を急かすように、大河は足早にエスカレーターまで歩いた。
結局三時間かけて何も買わなかったフロアから、二人はエスカレーターで
下の階まで降りた。
もし店員が居たのなら、とんでもない冷やかしに見えたのかもしれないな──と大河はぼんやり考える。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「か、買い物って──」
「そ、下着。コンビニの奴だと値段はそれなりにするのに防御力も効果もいまいちで、なんか買って損する気がして買えなかったんだよね」
一つ下の階に降りて目にした光景に、大河は顔を真っ赤にして後ずさる。
悠理はそんな大河を見て面白そうに苦笑し、すぐに商品の物色を始めた。
「そ、そうか。じゃあ俺はそっちの方のベンチで休んでるからゆっくり──」
「あ、大河の意見も聞きたいからちょっと待って」
目のやりどころに困った大河が逃げようと振り向いた瞬間、悠理に肩を掴まれて動きを制された。
「はぁ? いやいやいや、女の人の下着なんか見たって何もわかんないし、正直に言うけど居心地が悪くてあんまり入りたくないんだけど」
「他にお客もいないし、店員さんだっていないのに恥ずかしがることなくない? どんな下着が好きとか、どんな色が好きとか教えてくれたら助かるの」
「お前の下着を買うのに、俺の好みを聞く意味なくない?」
「あるよ? せっかくなら大河が好きそうな下着を着たいじゃん」
「なんで?」
「喜んでくれそうだから」
なんだか勝ち誇ったような笑みを浮かべる悠理。
そんな悠理を見て、大河は顔を真っ赤にして目を逸らす。
「きみにいつ見られても良いように、せめて下着だけでも頑張りたいなっていう私の気持ち。意味、理解してくれてる?」
「……ああ、まぁ……それは……その」
ストレートすぎる好意の言葉に、大河はもう何も言えなくなってしまった。
「服はほら、汚れたりほつれたりして、頻繁に買い替えなきゃいけないじゃない? 今の新宿だとさ。でも下着なら、良いのを買えば頑丈だしね。値段も既製品ならそう高くないし。大体上下ワンセットで3,000から4000オーブで済むじゃない?」
「そ、そうですか」
女性の下着の価格など今まで生きてきて一度も気にした事のない大河は、悠理の言葉に頷くしかない。
「店員さん居ないからサイズを合わせるのにちょっと苦労するけどね。あ、ほらこの色、こんなのどう?」
そう言って悠理が自分の身体に押し当てたのは、薄い緑のブラだ。
「あっ、あの……に、似合っていると……思います」
「ふふっ、なんで敬語?」
見せられているのに直視できない大河の様子に、悠理は嬉しそうに笑う。
「お前、分かっててやってるだろ?」
大河はそう言って、軽く悠理を睨む。
いつも無愛想なこの男がこんな目つきをすると人によっては怖がられてしまう顔になるが、悠理にとっては拗ねているだけにしか見えなかった。
「あ、バレた? 恥ずかしそうにしている大河が、なんか可愛くってつい」
喜色を隠せない幸せそうな笑みを浮かべて、悠理は他の下着も物色していく。
「あ、これ凄いね。ほらこんなの、いろいろ見えちゃう」
「それ、本当に下着か?」
「下着だよ。いわゆる勝負下着って奴。大河はこんなの、好き?」
「……べ、別に」
「あー、きみもやっぱり男の子なんだねー」
「別にって言ってるだろ」
「こんなのは?」
「なぁ、俺の話聞いてる? っておま、それ」
「うわー凄っ! これほら、ここが透けてる! ねぇ見て大河!」
「やめろやめろ! 俺に見せんな! どうせ買わないんだからそんなの見たって──」
「大河がこういうのが好きって言うのなら、私は別に買っても良いんだけど──あ、ダメだ。凄い値段。こんなに布面積少ないのに、なんでこんな値段するんだろうね」
「知らねぇよ!」
「あ、こっち。こっちの奴。これの黒いのと白いの、どっちが好き? 私はどっちかっていうと白なんだけど」
「いやもうほんと、どっちでもいいから──」
「どっち?」
「──し、白いのが……好き」
「うん。じゃあこれは買っちゃおう。あと3セットくらい違うデザイン、買ってもいい?」
「もう、好きにしてください」
「あとで大河の下着も買いに行こうね? 私が選んであげるからさ」
「いや、俺は自分で選ぶから」
「──選んで、あげるから」
「いや、あの、俺だって下着に好みが」
「その中から私が──選ぶの」
「ゆ、悠理?」
「いい?」
「──はい」
そんなやりとりをしながら、二人はたっぷり時間を掛けて女性用下着を購入していく。
それが終わった頃、大河の精神はかなり疲弊していた。
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