その手を穢した咎人よ③


 「これは……」


 通路の先へとまっすぐ、ピンと張って伸びる蜘蛛糸を見て悠理ゆうりは目を丸くする。


「はっ、はぁあっ……い、行こう」


 大河は胸にもたれかかっていた悠理を優しく押し離し、立ち上がった。


「え、でも大河──」


 冷や汗と顔面蒼白、誰が見ても今の大河の状態は普通じゃない。


「いいから、俺は……大丈夫だから」


 悠理の心配この声を無視して、大河は蜘蛛の糸の先をずっと見ている。

 今の自分の顔を、悠理にはあまり見られたくなかったからだ。


「う、うん……」


 大河の様子に何も言えなくなった悠理は、ゆっくりと立ち上がって大河の左手をと自分の右手を繋ぐ。


 そうして二人は、蜘蛛の糸に沿って歩き出した。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 たった、二時間。


 角を曲がった回数は四十近く。

 歩いた距離はおそらく5キロ。


 道中で遭遇したモンスターは、やはりスパイラルバットのみで、二十匹前後。


 それだけ。

 今までの道中に比べれば、なんて事ない困難だった。


 たったそれだけで。


 二人は、すんなりと迷宮を脱出した。


「出れた……」


 あまりの呆気なさに呆然とする悠理が呟く。


 場所は新宿アルタ前広場──だった場所。

 地下街から地上へと出る階段を昇り、久しぶりに見た空の色は黒に近い紺色──夜の色。


 街灯の灯りとLED看板に照らされたその街並みは、二人が良く知る新宿の光景に見える。


 だが広場の中央に鎮座する、巨大なモニュメント──聖碑の姿が、そこがもう普通の東新宿ではない事を物語っている。

 その大きさは隣接する雑居ビルとほぼ同規模で、聖域の加護の力を発しているからなのか、ほんのりと温かい光を放っていた。


 アルタ前広場──聖碑の周辺には、ブルーシートや段ボールなどで作られた、おそらくテントのような物が乱立している。

 そこには老若男女問わずさまざまな人たちが、みな顔に暗い表情を貼り付けて立ったり座ったり、意味もなく徘徊している。


「あなた達。地下街から出てきたの?」


 自動販売機と自動販売機の間に挟まるように座っていた老年の女性が、二人に話しかけてきた。


「は、はい」


 反応を返さない大河に代わって、悠理が頷く。


「この二週間、降りてった人は一人も戻ってこないし、少し様子を見ようって階段を降りた人もすぐに姿を消しちゃって、みんな怖がって最近じゃもう誰も階段に近づかないようにしていたのよ? ねぇ、中はどうなっているの? 新宿駅はもう『だんじょん』だかってのになったって、若い子は言うのだけれど」


「あ、あの、私たちも……何がなんだか……でも、降りない方が良いのは確かです」


「そうなの……大変だったみたいね。あのね、この辺りは化物が寄り付かない場所らしいのよ。この広場と、あそこの路地あたりまではね? この狭い場所で、みんなでなんとかして生活しているんだけど……もう食料がねぇ……若い子達で頑張って、近くの百貨店へ行ったりしてどうにかしてるんだけどねぇ。警察や救急の人にも連絡つかないみたいだし……」


「そうですか……あ、あの。私たち、まだ疲れているみたいで、ありがとうございます」


 老女の話が長引きそうな気配を察し、悠理は軽く会釈して大河の手を引きその場を離れる。

 久しぶりに、大河以外のまともに会話できそうな人物との邂逅。

 もう少し話をしていたい気もしたが、それよりも早く、落ち着いた場所で休みたかった。


 大河の様子が、ずっとおかしいからだ。


 蜘蛛糸を出してからずっと、口を噤んで押し黙ったまま、その顔は今にも倒れそうなほど。

 心配だった。

 何があったか、ずっと一緒にいたのに悠理にはわからなかった。


 地下街では悠理の方が精神的に不安定だったが、今となっては大河の方が危うく見える。


 そうして二人は聖碑の前に辿り着いた。

 大きさこそ、あの大聖堂で見た物より何倍も大きかったが、材質や形は同じだった。


「書かれている、内容も一緒……」


 三角錐の一面に彫り込まれている、白い文字。

 悠理の記憶の中の文言と一言一句違わない。


 そうして、今度は今登ってきた地下街へと降りる階段の方を見た。


「あっ」


 悠理の小さな驚きの声に、まだ口を閉ざしたままの大河がようやく反応し、そして振り向く。


「……あ、ぁあああ……ああああああああああっ!」


 それを見て、大河は叫んだ。

 そして膝から崩れ落ち、空に顔を向けてなお叫び続ける。

 周囲の人々が何事かと、こちらを見る。

 だがすぐに興味を無くし、顔を背ける。

 おそらくこの二週間で、叫びや悲鳴なんて日常茶飯事となってしまったのだろうか。


「たっ、大河!」

 

「ちくしょう! ふざけんなっ! 今更! こんな場所に! くそっ!くそっ! おぁあああああああっ!」


 両の拳で地面を何回も叩く。

 喉がちぎれそうになるまで、叫び喚く。


「こんな場所にっ! ヒントなんかあったって意味ないだろうが! わかるわけないだろ! もっと! もっと早くわかってたら! 誰も死ななくてもすんだだろうが!」


「大河! だめだよ! 手が、傷が!」


 殴る。

 やり場のない怒りをどこかに放出しないと破裂しそうで、大河は地面を何度も殴りつけた。


 本来はそこに、新宿駅の地下街へと続く階段とエスカレーターがあったはずだった。

 ものの五分程度で中央改札通路──大河たちが最初に居た地下中央通路まで行けるその階段は、今では岩を掘り抜いた形のほこらの様な姿になっており、エスカレーターが消え、そこには大河の身長ほどの石碑が立っている。


 そこに、その文章は刻まれていた。



【蜘蛛を探せ。道標なきこの回廊において、蜘蛛が全てを知っている。ここは無限回廊。その身にこびり付いた咎を歩く事で削ぎ落とす洗礼の路。その手を咎に穢した者には、けっして出る事叶わぬ路。だが蜘蛛だけは、全てを知っている】



 それは、明らかにあの通路を脱出するためのヒント。

 ここでこの文章を見て意味が読み解けなくても、中に入ってしばらくすればおのずと察する事ができるよう、書かれた物。


 大河達も最初にこれを目にしておけば、十三日間も歩き続けることなんか無かっただろう。


 あの中央通路にこの石碑があれば、未羽みう真司しんじは集団から離れあの回廊に迷い込む事もなく、源二が発狂することもなく、今ここに多くの生存者が大河たちと一緒に立っていたはずだ。


「俺がっ、俺が持っていたんだ! ずっと! 最初から! そうと知ってたら! あんなっ! あんな!」


 蜘蛛の糸は、ずっと大河が持っていた。

 あの迷宮を出る唯一の手段。

 もう少し大河が察しが良ければ、もう少し大河が強ければ、もう少し大河が皆と話せていれば。

 大河だけが、蜘蛛の糸の用途に気がつけたはずだったのに。


 誰も死ななかったとは、限らない。

 しかしより多くの人が生き残ったはずだ。

 大河の脳裏に、今まで見てきた多くの死体が通り過ぎていく。

 作業員風の男性。サラリーマン、学生もいた。

 大河より若い中学生くらいの子も、男も女もいた。

 

 そして黒焦げになった赤ん坊を抱いた女性も、いた。

 さらに未羽の、真司の、源二の死体が通り過ぎていく。


「うっ、おぇえっ」


 吐く。

 それは今までずっと張り詰めていた大河の精神の限界。

 自分より弱い悠理を守るために張り続けていた、虚勢の限界だった。


「大河っ! 大河ぁ!」


 そのあまりの取り乱し方に、悠理は大河の背中に抱きつく事しかできなかった。


 たまたま、あの場所でチュートリアルが始まってしまった事が全てを狂わせた。

 

 出てきたモンスターの強さ。モンスターの出現頻度。

 ゴールデンスパイダーだって、その攻略方法さえわかればなんとか対処できるレベル。


 あの回廊は、ゲーム的な難易度であればそう高くないダンジョンだったのだろう。


 だからこそこうして、ヒントとなる石碑が入り口に設けらている。


 でも大河達は、あの中央通路にいた面々には、この石碑を見る機会が無かった。

 ダンジョンの中で、突如このふざけたゲームのような世界に放り込まれ、なんの準備も予備知識もなく、攻略を余儀なくされたのだ。


 それが、たったそれだけが。


 彼ら、彼女らの命取りとなった。


 夜の新宿アルタ前広場で、大河の慟哭が響き渡る。


 後悔と、懺悔と、そして本来避けられたであろう──人殺しの咎を嘆く声が、しばらくずっと響き渡る。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 新宿ダンジョン編はここでひとまずひと段落です。

 ここまでの感想などいただければとても嬉しいです。

 この後の展開の参考になりますし、単純に創作のモチベーションにもつながります!

 

 まだブクマしてないよ!って人は、ここを区切りとしてブクマしてってはいかがでしょうか!


 大河と悠理が次のエリアに移動する前に、今までに登場したキャラの人物紹介とダンジョンの説明を23時に更新します。

 読み飛ばしても物語はわかるようになってますが、より理解したい方はどうぞそちらもお読みください。


 あと評価なんかもつけてくれれば、この作品がどう読まれているのかの参考になります。

 これからもよろしくお願いします!

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