その手を穢した咎人よ②


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 三人の遺体は、源二だけ触れていない。


 未羽と真司の遺体は、聖碑の周りの花壇に穴を掘ってそこに埋葬した。

 火葬するにも燃料が無い。

 だから二人に取れる埋葬手段は、土葬しか無かった。


 素人二人が無い知識を絞り出して行った埋葬だ。

 本来すべき処置も、礼法もへったくれもない。


 ただ、時間をかけて二人の冥福を祈った。


 たった数時間、それだけしか関わりの無かった人たちだが、それでも二人は丁寧に、そして深く黙祷を捧げる。

 そして、置いていってしまう事への若干の後ろめたさを感じながら、二人は大聖堂を後にした。


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 大聖堂を抜けて三叉の燭台が立ち並ぶ通路を進むと、また違った内装の通路に出た。


 こんどは古めかしい石作りのシンプルな壁で、時々天井から水滴が滴っている。

 壁の上部には、シンプルな作りの松明が間隔を開けて掲げられていて、明るい場所と暗い場所の差が激しい。

 燃え尽きることなく延々と炎を揺らすその松明も、きっと科学的な説明が一切つかない不思議な松明なのだろう。


 大河の記憶の中にあるレトロなRPGのダンジョンとは、まさにこういう雰囲気だった。


「あそこは中間地点セーブポイントだったんだな」


「ここから、どれくらい歩くんだろうね」


 そんな簡単な会話をしながら、二人は淡々と通路を歩く。


 源二からはマジックストラップも奪っていた。

 前に購入した悠理のスペアのヒップバックを三つ目のマジックバックとして、アイテムを整理する。


 モンスターから得たドロップ品や、ジョブオーブなどの重要そうなアイテムは大河のリュック。

 食料や生活雑貨、薬やトイレットペーパーなどの生活必需品は、白のウエストポーチ。

 着替えは黒のヒップバック──と言っても、今は大河が持っていた服しか着替えは無く、悠理は寝る前に必ず下着を洗い、魔法を連発する事で乾かして着用していた。


 マジックストラップを付けたものは、マジックバックには入れられない事も確認した。

 そんなうまい話はないかと、二人で少しだけ笑った。 

 少しだけでも笑えた事が、嬉しかった。


 外の様子はわからないから、スマホの時間表示だけで日付の経過を確認する。

 もし隣に悠理がいなかったら、もし隣に大河がいなかったら、この通路を一人で歩くことになっていたら、きっと二人は寂しさと恐怖とで気が狂っていただろう。

 お互いがお互いの存在に感謝しつつ、二人は逸れないように基本手を繋いで歩き続けた。


 きっと、その恐怖に負けたのが──源二なのだと、大河は考える。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 それから二日間、二人は歩き続けた。


 度々生理現象に悩まされたが、恥ずかしいのはお互い様だと割り切って、一人を見張りに立てて通路の角を目隠しとして済ませた。


 使い勝手の悪い【水流】の魔法をなんとか利用して、シャワーも浴びる事ができた。


 もっていた食料をなんとか配分し、腹を空かせる事も回避できていた。

 水もまだ充分にある。


 しかし、石造りの通路を延々と眺めている内に焦りが生まれ始めていた。

 

 もう通路の両側に店なんか一軒も存在していない。


 時々ある十字路は、どっちを向いても同じ石作りの壁で、下手したらやってきた方角すら見失ってしまいそうだった。

 

 静かすぎる通路内は、時々回転して体当たりをしてくる巨大でグロテスクなコウモリ型のモンスター──スパイラルバットと、お馴染みのゴールデンスパイダーが現れるくらいしか変化がない。


 ゴールデンスパイダーをやり過ごし、スパイラルバットだけを狙って戦い、曲線のない通路をひたすらまっすぐ、たまに十字路で進路を決めて、またそこをまっすぐ。


 頭が、おかしくなりそうだった。


「はっ、はっ、はっ、はっ、大河、あのっ、私っ」


「ほら、こっち来い」


 悠理の手を引いて、自分の胸に抱く。

 そして通路の壁に背中を預け、滑る様に腰を落として座った。


「ご、ごめんねっ」


「もう謝らないって、さっき約束したろ? 大丈夫だから。ほら、目ぇ閉じてろ」


 時折こうして、悠理の呼吸が浅く短い物に変わる様になった。

 それはストレスからくる心因性のものだと、大河はすぐに察した。

 あまりの不安からパニックになり、動悸や息切れを起こしているのだ。


 そんな時大河はすぐに立ち止まり、壁にもたれかけて座り、悠理を抱きしめて頭や背中を撫でる。

 優しい声色で落ち着く様になだめ、何も見ないように目を閉じさせて、ただ大河の心臓の鼓動だけを聞かせる。


 そうやると最初はすぐに治まりまた歩き出せたが、だんだんとそのスパンが短くなってきている。


 大河にもあまり余裕はない。

 変わらない景色、静かな音。

 出口の見つからない恐怖と、常にモンスターに命を狙われる危険。

 

 それはある種の拷問に近い。


(早くなんとかしねぇと。俺もも壊れちまう)


 すでに精神は限界近くまで疲弊している。

 そう遠くない内に、どちらかがこの状況に耐えかねて発狂し、自ら死を選ぶ可能性すら見えてきていた。


 悠理の頭に鼻を埋めて、その匂いを嗅ぐ。

 こんな状況でも、女子特有の甘い匂いが大河の鼻を抜けていく。

 大河はそうして、己が一人でない事を確認している。

 

 性欲から来る行動ではないとは言い難いが、それよりもなによりも、自分の精神を安定させるための防衛行動の意味合いが勝る。


(……不思議だけど、落ち着くんだよな)


 これが異性の匂いだからか。

 それとも悠理の匂いだからか、大河には判断ができない。


 すでに他の女性よりも、悠理は大河にとって特別な存在になっているのは自覚している。

 約二週間、それだけの時間をお互い励ましあいながらこの理不尽な状況を生き抜いてきたのだから、自然とそうなる。


(落ち着いている場合じゃねぇか。一旦立ち止まって、考えてみよう。ヒントのない無限ループ。もし今この新宿がりょうの考えたゲームの世界と同一ならば、そんな面白味のないギミックをアイツが考えるとは思えない)


 大河の親友は、オタク気質で凝り性だった。

 シンプルな物も嫌いではないが、ついつい何かを足してしまう。

 ならば今のこのレトロ感漂う無機質なダンジョンは、彼のセンスとはどうしても思えない。


(じゃあなんだ? そもそも新宿がダンジョンっぽいってのが発想の起点なのは知っているんだ。アイツとの会話で、なにかダンジョンに関係のある話、してなかったか?)


 綾と大河が積み重ねてきた時間は膨大だ。

 なにせ物覚えがついた頃からの付き合い。

 今の大河の半生以上を、綾と過ごしている。


(ダンジョン……古いゲームも好きだったけど、新作の方が夢中だったな。あの頃は有名なゲームスタジオの新作が、やっと発売されたって喜んでいたっけ。たしか俺の苦手なアクションRPGで、やけに敵が強くて……んで、どっかで倒した敵のなんてことないアイテムが、途中の城へと続く道の鍵──)


 そこで、思い出す。


 そう、綾は凝り性だった。

 そんな彼の考えるギミックは、その解法に手順を要する。

 つまり、とても回りくどい。


(今まで遭遇した敵から、得られるアイテム。それがギミック? でもそれっぽいアイテムなんか持ってないし、そもそも昨日、全部のアイテムの説明欄をちゃんと読んで確認した)


 もう薬にゲーム的効果がある、なんて見落としをしないためにも、大河は持ち物全てを再確認した。

 本来持っていた財布や着替えやスマホの充電器、道中購入した品物。

 そこらへんに落ちていた小石まで拾って、念入りにだ。


(ていうか、それなら通路が切り替わった事で出現しなくなるモンスターとか、おかしくないか? この無限ループを脱出できるアイテムを持つモンスターってんなら、それこそ頻繁にそうぐ……う……してないと)


 かちり、と。

 大河の脳内で何かが噛み合う。


 初日の新宿駅中央地下通路。

 三回も変化した新宿駅地下街。

 そしてこの石造りの通路。


 その全てで遭遇したモンスター。

 それは──。


(ゴールデン……スパイダー……?)


 大河が戦ったあの黄金の蜘蛛は、チュートリアル時ですらそこそこの強さを持っていた。

 それよりも一回り小さい個体が、この通路内を複数匹が徘徊している。

 つまり、エリアボスとか、中ボスなどという役割を持った個体ではなく、一般エンカウントモンスター。


 重要なアイテムをドロップする特別なモンスターとしてそこそこの強さを持たせ、これ見よがしにダンジョン内を自由に徘徊させているとしたら──。

 

(え、でもだって。アイツからドロップしたアイテムはふたつ。一つは蜘蛛糸で、もう一つは毒液……蜘蛛糸? 蜘蛛の糸? お釈迦様が天から地獄に垂らしたってのは、違うか? いや……待てよ。確かアレは……テレビで世界遺産の番組がやってて──)


 大河の頭の中の、古い記憶が蘇る。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『ねぇタイちゃん、このアリアドネの糸ってさ。創作とかゲームとかだと何故か蜘蛛の糸ってイメージが強いんだよ。知ってた?』


『え? でもさっきナレーターの人がアリアドネって人の名前だって言ってなかったか?』


『うん、ギリシャ神話に出てくる女の子の名前なんだけど、なんでだろうね? アラクネって蜘蛛の化物が出る神話とごっちゃになっちゃったのかな』

 

『ああ、語感がどことなく似てるもんな』


『面白いよねー』


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


(──抜け出せないダンジョン、いや、迷宮ラビリンスに蜘蛛の化物……そいつからドロップできる、糸……いやいや、まさか……そんな)


 冷や汗が出る。

 もしそれが正解ならば、大河は最初からずっとこの無限回廊を脱出できる手段を持っていた事になる。


 初日、まだ未羽も真司も、あの作業員風の中年男性も、他の大勢の大人たちも、そしておかしくなる前の源二も生きていた時から、ずっと。


 緊張し、震える手でスマホをポケットから取り出す。

 画面を起動し、『ぼうけんのしょ』のアイテム欄を選択しスワイプする。


 羅列されるドロップ品の中からそれを見つけ、【取り出す】を選択。

 

 すると大河の顔の前に、淡い光と共にそれは現れた。


【強靭な蜘蛛糸】


 それは平べったい板にぐるぐると巻かれている、真っ白な糸だ。


 悠理の背中に添えていた左手を離し、蜘蛛糸を手に取る。

 スマホの画面には【巨大な蜘蛛から採取した、強靭な糸】とだけ記載されいた。


(合成とか、錬金とか……書いていない)


 他のモンスタードロップ品には【合成素材や錬金素材として用いられる】や、【高く取引される】と書かれている。

 しかし、この蜘蛛糸の説明欄は不自然なまでに簡素だった。


 スマホを右ポケットに戻し、震える右手で蜘蛛糸の端っこを探し、摘む。


「大河……?」


 息を整え終えた悠理が、大河の顔を見上げて首を傾げた。


「はぁ、はぁあっ、はぁああっ」


「大河、どうしたの?」


 汗を掻き、呼吸を荒くした大河の様子に、悠理が不安を露わにする。


 大河の摘んだ白い糸は──その手を離れ、通路に沿ってまっすぐと飛んで行った。

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