その手を穢した咎人よ①


 大河は酔いでふらつく身体をなんとか立たせ、深く息を吐く。

 源二げんじの持っていた『血の探求者ブラッドシーカー』のアビリティ、【血の芳香】と【血の誘惑】の効果はまだ切れていないようだ。


 目を閉じて、今自分が行った行為を振り返る。


(大丈夫。大丈夫だ。思ったほど動揺していない。コイツはここで殺すべきだった。俺の判断は、多分……間違っていない)


 人を殺した。

 明確な殺意と、冷静な判断の元で──人の命を奪った。


(意外と、こんなもんなのかな。もっとテンパると思ってたんだけど……まぁ、一度自分の親父を刺した事があるんだ。他人で、しかもたくさん人を殺した悪党一人殺したくらいで、動じない気はしていた)


 自己を正確に分析し、そして目を開けて『剣』を持つ右手を持ち上げて、じっくりと見る。


 返り血と脳漿とで濡れたその手はとても汚れているように見えた。

 洗ってもけっして消えない穢れ。


 そこにはとががこびりついている。


(こうやって、殺しあうから……『咎人の剣』か。アイツが思いつきそうな名前だ)


 死んだ親友、新條しんじょう りょうの顔を思い出す。

 救いようのない物語や、暗い雰囲気のアニメや映画などを好んでいた。

 洋画のゾンビ物や心霊系もそうだし、終末──ポストアポカリプス系の映画もそうだ。

 ハッピーエンドも好むが、バッドエンドも好む。

 一番好きだと言われて見させられた映画は、後味が最高に悪いビターエンドだった。


 それはいつまで経っても幼さが消えない自分には、けっして手に入らないカッコよさを求めていたから、と綾は自分を評していた。


「これで、俺も人殺しか」


 実感を伴って、ぽつりと呟く。

 源二の事を言えないな、と内心で自嘲気味に笑う。


 目的はどうあれ、善悪が、正誤がどうあれ。

 自分の意思で人を殺めた事になにも違いはない。


 大河のスマホが、短い電子音を発した。

 ジーンズの右のポケットから取り出して、画面を起動する。


【|巡礼者『笠間かさま 源二げんじ』を殺害しました。対象の保有するオーブと、アイテムを選択し奪取できます】


 ウインドゥに表示されたその文章をタップすると、アイテム欄が表示される。

 物言わぬ凄惨な死体となった源二の姿を見た。

 割られた頭の重さに負けて、その身体は前のめりに倒れている。

 どうやら源二は長財布にマジックストラップを付けていたようだ。

 ウォレットチェーンを繋げているカラビナに、見覚えのある紐が括り付けられている。


(やっぱり、回復手段を持ってたか)


 きっと今の大河の様に、殺した相手から奪ったであろう大量のアイテムが表示されている。


(風邪薬、傷薬、火傷に目薬に酔い止め──滋養強壮ドリンク? ああ、これアレだ。薬局で売ってた高いヤツ。なるほど、コイツが一番体力を回復させるのか。エナドリ……そうか、そういう解釈に)


 小さな瓶で3,000円くらいするそのドリンクは、たしか叔父が徹夜仕事の時によく飲んでいた物だ。

 なんどか買いに行かされたから良く覚えていた。

 様々なエナジードリンクも、身体や脳を活性化させると考えれば、回復アイテムという解釈にも納得できた。


 その他の薬、マスクや耳掃除用の綿棒に至るまで、ゲーム的な副次効果が付随していた。


 大河は感心したと同時に、自分たちの愚かさを痛感する。


 コンビニでの買い物やファミレスでの食事の際に、いちいち『ぼうけんのしょ』を開いてアイテムの説明欄など見ようとしていなかった。

 今までそんな買い物の仕方などした事も無かったからだ。


(でも、考えてみたらウエストポーチにすら効果が付いてたんだ。コンビニの商品とか飯屋のメニューにも、同じ様に効果がついていてもおかしくはなかったんだよな)


 気づける要素は確かにあった。

 しかし二人して、その考えに至れなかった。

 あまりゲームに詳しくない悠理ゆうりはまだしも、大河が気付けなかったのは痛恨である。


 これから改まる事を心に誓い、とりあえず源二の持つアイテムは全て奪っておいた。

 一見使わなさそうな物まで、全てだ。


 オーブの残高は4,000弱しか残っていなかった。

 確か『剣』の成長につぎ込んだと言っていた筈だ。

 その少なさもなんとなく納得できる。


 慎重にスクロールして行っても、『血の探求者ブラッドシーカー』はアイテム欄には見当たらない。

 どうやら『咎人の剣』は特別な扱いであり、殺した相手から奪って種類を集める──なんてやり方はできないようだ。


 一通りやるべきと思えた事をやり終えて、スマホを右ポケットに戻す。


 まだよたついている脚で、地面に座り込んで呆然としている悠理に向かってゆっくりと歩き出した。


(怖がる──かな)


 目の前で、人を殺してのだ。

 たとえこの十二日間を共に過ごした悠理であっても、大河は恐怖の対象になり得る。


(こいつを怯えさえるのは……うん、やっぱりちょっとしんどいな)


 人を殺した事よりも、悠理に嫌われる事の方がダメージが大きい。

 そんな自分に驚きつつ、そしてやっぱりどこかがおかしいんだと改めて認識しつつ、大河は内心で苦笑する。


「あ、あのよ。成美なるみ


 目を見開き、口を半開きにしている悠理の表情からは何も読み取れない。


 不安が大きくなる。

 

 拒否されたら、大河と共に在る事を否定されたらと考えると心臓が痛む。


 それでも、あの男は殺しておかなければならなかった。

 後悔はまだしていないが、これからするのかも知れない。


「と、きわ……くん」


 悠理の小さな口が、緩慢な動きで言葉を紡ぐ。


「っ!」

 

 次の瞬間我に返り、悠理はすぐに立ち上がって大河を抱きしめた。


「わっ、悪くない! 常盤ときわくんは! は! 何も悪くない! あの人はっ、あの人は居ちゃいけない人だったもん! 大河は! 大河は何もっ!」


 背の高い大河の頭を、背伸びして抱えようとしている。

 呆気に取られた大河が、思わず頭を下げる。


「私はっ、他の誰に何言われたって私は! ずっと大河の味方だからっ! 絶対に! 大丈夫だから!」


 それは大河に向けての言葉ではなく、悠理自身に向けての言い訳に聞こえた。

 きっと大河が源二を殺した事による自責の念に苛まれていると思ったのだろう。

 震える腕が、胸が、脚が、声が、その全てで今起こった事への恐怖を如実に表している。


 だからこうして大河の顔を自分の胸に押し当てて、必死に宥めようとしているのだろう。

 そうしなければ、自分を納得させられないと。


 二人は徐々に徐々に、ゆっくりと地面に座りこんだ。

 大河の頭を抱いたまま、悠理に頭を抱え込まれたまま。


「大丈夫、大河は悪くない。悪くないよ。私のためだったんだよね。私のせいなんだよね? だから悪いのは私だから、大河は悪くない。大河は、絶対に悪くない」


 大河の頭を抱く力が、より強まっている。

 何回も何回も繰り返し、悠理は大河と自分に言い聞かせる。

 

「大丈夫……大丈夫だよ……大丈夫……」


 それからしばらく、三人もの遺体が横たわる大聖堂に悠理のか細い声が響く。


 大河はそれを、目を閉じてただ聞いていた。

 なぜか、心が満たされていくのを感じる。


 きっとそれは、自分がもう狂い始めているからだろうと、勝手に結論つけた。

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