狂人の凶刃③


「んじゃあ! もう良いかなぁ!? このあと兄ちゃんたちがどうなるか、もう分かってるよなぁあああああ!?」


「くっ!」


 大河たいが透瑠とおるの雄叫びに、反射的に『剣』を構える。

 ちらりと後ろを見た。

 血塗れの未羽みうと、震えて動けない悠理ゆうりの姿。

 近くの壁にもたれて意識を失っている裕翔ゆうと


 今この場において、戦えるのは大河しかいない。


 座ったまま動けない悠理を責めることはできない。

 刃物を持つ人間を目の前にして、普通の女の子なら萎縮し恐怖するは当たり前だ。


成美なるみ! 逃げろ!」


 透瑠の謎の威圧感にへたれこんでしまっている悠理では、この状況ではなにもすることができないだろう。

 ならば大河が前に立ち、あの狂人を留め置かなければならない。

 時間を稼いでいる間に、なんとか悠理だけでも。


 それが咄嗟に思いついたこの事態の打開策である。


 動かせない未羽や裕翔を見捨てて逃げるということに勿論罪悪感はある。

 申し訳なさも、なんとか助けてやりたいという気持ちだってある。

 

 それでもこの状況で二人を助け、大河たちもまた逃げられる──なんて都合の良い未来はあり得ないと分かっている。


 ではどうする。

 透瑠を、殺すか。

 いや無理だ。

 大河はあの平和だった日本の、平和な街で生まれ育った正しい倫理観や遵法意識を持つ普通の青年である。


 人間を襲う、人間の姿をしていないモンスターなら、まだなんとか己を鼓舞させて戦うことができた。


 でも目の前にいる透瑠は、狂気に染まった殺人鬼とはいえ──人間である。

 

 今まで育ててきた規範意識と、習ってきた常識と、正しくあろうとする思いが邪魔をして、殺意を向けられている現状ですら人間を斬り殺すことに忌避感が募る。


 ならもうできることは、時間を稼いで悠理だけでも逃すことだけだった。

 

「はははっ!」


 透瑠の身体が一瞬ブレて、大河の目の前に突如として現れた。

 その手に持つ『血の探求者ブラッドシーカー』のきっさきが大河の顔目掛けて飛んでくる。


「ぐぅっ!」


 ぶつかってくる物を避けようとする反射性だけでその刺突を避ける。

 避け損なって頬に浅い切り傷ができ、少量の血が噴き出た。

 来ると理解して回避したわけじゃない。『剣』を抜剣したことによる膂力と感覚の上昇が無ければ、今頃顔面を貫かれていただろう。


 乱れた体勢を整えながら透瑠の背後に回り込むように動き、手元を狙って『剣』を薙ぐ。


「おっとぉ!?」


 その一撃は明らかに、『見て避け』られた。

 大河は奥歯を噛み締めながら、今度は透瑠と悠理との間に割って入るよう身体を差し込む。

 

 動けない悠理が狙われてしまうことだけは、避けたい。


「ふーん……」


 透瑠は軽快なステップで大河と距離を開けると、何かを品定めするように悠理を見た。


「兄ちゃん、彼女ちゃんを守りたいのな? いーよ。その子を殺すのは兄ちゃんの後にしてやる。俺もちょっとさぁ、ストレス溜まってるからさぁ。じっくり楽しみたいじゃない? その子みたいな可愛い子相手だとさ」


 その顔は見た目だけで言えば爽やかな笑みで、言っている内容にあまりにも釣り合わない。


 言葉の内容に一瞬固まった大河は、遅れて噴き上がる不快感と怒りで思考が真っ赤に染まる。


「テメェ……っ!」


「お!! 怒った!? いーよいーよそういうの! そういうの俺大好きなんだって! 俺さぁ、兄ちゃんみたいないつでも『余裕でーす』って感じに澄ましてる奴、嫌いなんだよね! ほらそこに倒れてる裕翔──真司しんじもさぁ! ガキの頃からむっつりしてて、無口で無表情なくせにやけに女にモテてよぉ! 何するにもちんたらちんたらしてやがるくせに、やらせてみたら俺より上手にこなしやがる! なぁムカつかない!? 上京すんのもホストやろうってのも俺から誘ってやったのにさぁ、コイツの方がいっつも俺より良い目見てやがんの! 最初に指名貰ったのもコイツだし、先輩やオーナーの受けが良いのもコイツ!  俺が最初に付いた客も、後から来たコイツがぜーんぶ持ってっちゃうの! 腹たつよなぁ! 俺は必死にやってんのに、なんも努力してないコイツだけ! コイツだけがさぁ!!」


 満面の笑みを顔に貼り付けつつも、ガシガシと頭をかき乱すその姿は苛立っているようにしか見えない。

 血走った目はさらに胡乱に揺らぎ、焦点がブレている。


「だからさぁ!」


 雑に振り上げた『血の探求者ブラッドシーカー』が、大河の頭部目掛けて振り下ろされる。


 それを『剣』でなんとか受け止め、耐える。


『兄ちゃんも、もっと! もっと頑張って必死な顔見せてくれよ! 全力出してさぁ! 彼女ちゃんを守ろうとして、でも結局守れなかったって絶望した顔を! 俺にもっと見せてくれよ! その顔のまま殺してやるからさぁ! んでその顔の目の前で! お前の彼女をボコボコに犯してやっから!」


「ざっけんなぁ!」


 到底受け入れられない透瑠の言葉に、大河の頭がさらに沸騰する。

 怒りのまま『血の探求者ブラッドシーカー』を弾き返す。


「おっとぉ!?」


 弾き返された勢いで、透瑠の身体が4メートルほど後方に吹き飛んだ。

 背中から地面に着地した透瑠は、ゆっくりと上半身を上げて大河をまじまじと見る。


 そして『血の探求者ブラッドシーカー』の剣先を、じっくりと舐めた。

 そのまま口の中で、くちゅくちゅと唾液を掻き回す。


「へぇー、兄ちゃんたちは……レベル上げ頑張ったんだなぁ? 俺よりもかなり高いじゃん? まぁ、俺は奪ったのと稼いだの、全部を『剣』の成長に突っ込んだから、レベルは1しか上げてないんだけどさぁ」


 ペロリと舌先を出して、透瑠は嗤う。

 あまりにも異常なその様子に、大河は怖気が走るのを堪えられなかった。


「ああ、今俺がなにやってるか気になる? これな? 『血の探求者ブラッドシーカー』の4つあるアビリティのうちの一つで、【血の吟味】って名前なんだけどよ? 人間の血を舐めることで、相手が俺よりもレベルが上か下か、どんなバフ掛かってるのかがふんわり分かるアビリティなのよ。んで、もう一個の【血の追跡】って奴でさ、血を舐めたことのある人間なら匂いを辿って見つけられちゃうっていうコンボが出来るわけ。凄くない?」


 へらへらと、さきほどの激昂が嘘だったかのように透瑠は嗤う。


「残り二つのアビリティもさぁ、使い勝手は悪いけどなかなか強力でさぁ。んでもデメリットもいっぱいあるのよ? まずは【酩酊】っていう、ずっと酔った感じになる状態異常に罹りっぱなしになるのと、【殺人狂】とかいう思考にノイズが入りっぱになる奴。他にもパーティー登録できなくなったりとか、クエスト受けられなくなったりとかあるけど、まぁそっちはいっか」


「あ、アンタがさっきから嬉しそうに語ってくれてんのは、酔ってるからか?」


 少しでも時間を稼ごうと、大河は透瑠の言葉に疑問を差し込む。


「おっ、正解! 俺はほら、酔うと気分良くなっちゃってさぁ。いらんことぺちゃくちゃ喋るってんで、怒られんのよな〜。いやー、でも飲みの席で上司や先輩の酒を断れねぇじゃん? ホストやってると余計にさぁ。客の酒を飲まないわけにはいかないから、何回かやらかしちゃってんだよねー。これでも苦労してんだよ。俺」


 今度は目尻に涙を浮かべ悲しそうな表情を浮かべながら、透瑠はやれやれと頭を振った。


 情緒が定まっていない。

 この短い時間にころころと話を変え、表情を変える。

 この状態が【酩酊】と【殺人狂】のどっちの作用かはわからないが、確実に言えるのは、今の透瑠の思考は常軌を逸しているということ。


「おっと、そんな話している場合じゃなかったな! 兄ちゃんをぶっ殺して、んでその死体の横で彼女にパコパコしなきゃいけなかったんだったわ!」


 泣き顔から一転、獰猛な笑みが大河を捉える。


 血に酔った狂人の『剣』が、甲高い笑い声と共に迫り来る。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 悠理は横たわる未羽の側で、震える身体を抱きしめたまま動けなかった。


 初めて、生まれて初めて『純粋な悪意』に触れた。

 一般よりも少しだけ裕福な家庭に生まれた悠理には、その悪意から放たれる威圧感は未知のモノだった。


 どうやったら、自分だけが助かろうという思考に至るのか。

 どうやったら、自分のために他の人を殺そうなんて結論に至るのか。

 どうやったら、あんなに醜い欲望を曝け出して、平然としていられるのか。


 透瑠の全てが全て、悠理には理解できず、ただ恐ろしい。


 動かなきゃいけないのはわかっている。

 動けない自分のせいで、大河が危機に陥っているのは充分に理解しているはずなのに、それでも立ち上がることさえできない。


 二人の持つ『剣』がぶつかり合う音を聞きながら、奥歯を鳴らして見守ることしか、今の悠理にはできない。


「ゆ……うり……」


 その時、か細い声が悠理の耳に入る。

 横を見ると、未羽が細く目を開けて自分を見ていた。


「み……う、さん? っ未羽さん!」


 力なく瞼を開けるその顔を覗き込み、名前を呼ぶ。

 触れるとアイテムの効果が切れるから、手を握ることさえできない。


「ゆう……り、アタシ……死ぬ……の?」


 未羽の両の瞳からゆっくりと、涙が落ちる。


「そ、そんなこと! そんなことないよ未羽さん!」

 

 そう励ますけれど、ここからどうやって彼女を助ければいいのか、悠理には分からない。


「アタシ……ね……親に……お母さんに、上京するの……反対されてた……んだ」


 掠れた声で、水音と一緒に喉から出るその声は、未羽の死期がもう近いことを悠理に悟らせるには充分だった。


「もっと……お金、貯めて……それから服飾の……専門学校に……行けば良いって……お母さんが言うから……アタシは……バカだった……から、若い内じゃないと……東京じゃ、成功できないって……お母さんがお金出せないなら……東京でバイトしながら……学校に行くしかないって……喧嘩して……」


「うん……うんっ!」


 今悠理に出来るのは、その声をしっかりと聞くこと。

 全部、漏らさず記憶に残すこと。

 それだけしか、選べない。


「ひどい……こと、いっぱい……言っちゃったんだ……でも、お母さんが……正しかった……東京は……辛いことばっかりで……悪い友達ばっかり……増えて……お金も、生活するのに使っちゃうから……ぜんぜん貯めれなくて……でも、ようやく、沖縄に帰れる……チケット、買えたから」


 そして未羽は、悔しさでいっぱいとなった大粒の涙をボロボロと零す。

 眉間に寄った皺が、噛み締めた口が、彼女の未練を如実に物語っている。


「来月……帰って……お母さんにちゃんと謝ろうって……思ってたのに……思ってたのにぃ……死にたくない……死にたくないよゆうりぃ……」


 よろよろと、悠理に手を伸ばす。

 もうアイテムの効果が切れ掛かっていることを、悠理は直感で察した。

 迷った。

 その手に触れることが、彼女の命を断つことに直結する。

 でも命が尽きる寸前の、死ぬと悟っている人間の願いを無下にすることなど、到底できない。


 ゆっくり、ゆっくりとその手を両手で握る。

 悠理の目からも、ポロポロと涙が溢れ落ちる。


「大丈夫だよ未羽さん! 未羽さんはっ、死なないよ! 死なないもん! 絶対に、死なない! おかしいよっ! こんなのっ! 絶対に!」


 たった一回、顔を合わせただけだ。

 一緒に居た時間なんて三時間もない。

 でも未羽は悠理に優しかったし、悠理にとって良い人だった。


 嘉手納かでな 未羽は、こんな死に方をしてはいけない。

 どんな生き方をしてきたかなんて、悠理は知らないけれど、少なくともこんな寂しい、酷い殺され方で死んでしまう人物ではない。


 理不尽を前にして、悔しさで視界が滲む。


「おかあさん……おかあ……さん、アタシ……あやまるから……おかあさ……ごめんな……さい……おかあさん……おか、あ……」


「っ未羽さん! ダメだよ未羽さん! 未羽さん目を開けてよ! お母さんにっ、謝りに行くんでしょう!? いやだよこんなの! こんなのってないよ! 未羽さん!」


 悠理の声に、もう未羽はなんの返答も返せない。

 握った手から、ゆっくりと力が失われていく。

 涙で滲んだ綺麗な瞳から、光が失われていく。

 頬を伝う大粒の涙は最後の一滴が地面に落ちて、もう流れない。


「いや、いやだ……いやぁああああああ! 起きてよ未羽さん! ねぇ! 未羽さん! あああっ、あぁあああああああああっ!」


 大河と透瑠の『剣』と『剣』がぶつかりあう音が響く広場──大聖堂で、悠理の絶叫が新しく木霊した。


 その声は、しばらく大聖堂に反響していた。

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