狂人の凶刃②
「
「さ、触るな……っ!」
横たわる未羽に駆け寄った二人は、その隣で同じく血まみれで仰向けになっていたホスト風の男性の声で静止する。
「で、でもこんなに傷が!」
「今は……触っちゃ、だめだ……アイテムの効果で……死ぬ寸前なのをギリギリで耐えて……いるんだ……触ったら……効果が切れて、この娘は……死ぬ」
ぜぇぜぇと水音のする呼吸を繰り返し、ホストの男性は力無い腕で身体を起こした。
「傷が、深すぎて、薬局で、見つけた……ごほっ! 体力をぎりぎり残すとかいう、薬の効果が無かったら……死んでた……」
「アンタ確か、
大河は初日の戦闘の際に、もう一人のホスト男性が呼んでいたこの男の名前を思い出した。
二人いるホスト風の男性のうちの一人で、大河に声を掛けたり、肩を並べて戦っていた方だ。
その風体は、やけにボリュームのある金髪を右から左にアシンメトリーに流し、カジュアルに崩したダークグレーのスーツを身に纏っている。
足元の革靴は爪先が尖っている、ポインテッドトゥと呼ばれる物。
大河の中では、夜の仕事をしている男性がよく身に着けているイメージの靴だ。
「ふ、ふたりだけか? もう一人、ホストっぽい男の人が……」
裕翔とよく一緒にいたもう一人は、赤いスーツを身につけた見るからに気性の荒そうな男で、ツーブロックの青い髪に、刈り上げた右側面に剃り込みで数本のラインを入れていた男だ。
虫と戦っている最中もずっと口汚い言葉を連発していたのを覚えている。
見た目と違わない粗野な物言いをする男で、大河が苦手とするタイプだったので積極的に話しかけてはいない。
「……あいつ、あいつは、がはっ!」
喉に溜まった血を咳き込んで吐き出し、裕翔が苦悶の表情を浮かべる。
「ごはっ、がはっ! お前、お前ら……この子を連れてここから、逃げろ。アイツ……
「わ、わかったからもう喋んなって!」
大量の血を吐き出す裕翔に駆け寄り、その体を支えて壁にもたれかけされる。
「……もう、俺に使ってるアイテムの効果も……切れる……回復させる体力も……残っていない……俺はたぶん、もう、死ぬから……お前らは……この子と、自分たちの……ために……つか────」
ゆっくりと、裕翔は目を閉じる。
体をなんとか支えていた腕の力が唐突に抜けて、落ちた。
「おっ、おい! ちょっと!」
救命行為の経験も知識も無い大河では、裕翔に対してどの様な処置をしたら良いのか想像もつかない。
その身体はまだ上下していて、浅い呼吸を繰り返しているので、どうやら再び気を失っただけのようだ。
裕翔の身体の至るところにある傷は、明らかに刃物による深い切り傷だ。
医学に対して無知な大河では、どの傷からどの順番で癒せばいいのかわからないし、そもそも治す時間と血を失う時間が釣り合わない。
「と、とりあえず一番危なそうな
「でも、触ったらアイテムの効果が切れるって!」
大河たちが使える
だから必ずその身体に触れなければならない。
「じゃ、じゃあどうすれば良いんだよ!」
「わかんないよ! でもこのままだと、未羽さんも裕翔さんも、死んじゃう!」
すぐそこに死が迫りつつある二人の横で、大河と悠理はあたふたとみっともなく慌てふためく。
学校の授業でAEDの使用方法や、人工呼吸・心臓マッサージの講習を受けたことはあるが、どこかで自分たちが行うことは稀であろうと勝手に決めつけ、それほど授業を聞いていなかった。
そうじゃなくても、今この状況にAEDは無いし、人工呼吸も心臓マッサージも解決手段となりえない。
なまじ魔法という存在を知ってしまったがゆえに、道すがらにあった薬局で包帯やガーゼ、薬を買うと言う発想ができなかったのも、二人が人生経験の浅い若者だからだ。
今までの買い物での経験や、大河のゲーム知識を深掘りできていたら、薬局の品物にもゲーム的副次効果が付帯されているとすぐに気づけただろう。
だが、考えが及ばなかった。
魔法が全てを解決すると、なぜか勝手に思い込んでいた。
ここまでの道中、レベルを上げたおかげでモンスターに対して、それほど苦戦していなかったことも起因していた。
警戒していた、気をつけていたつもりでも、心のどこかでこの状況を楽観視していたのだ。
油断し、慢心していたのだ。
「くっそ、今から戻って薬局で──」
「で、でもここにまた戻ってこれるって保証がないよ!」
ここに至るまでの道順を軽くメモしてはいたが、一度でも間違えてしまえば全てが狂ってしまう。
そうなればやがてアイテムの効果が切れ、横たわる二人はそのまま息を引き取るだろう。
意を決して戻るか、それともここでぎりぎりまで手段を模索するか。
その決断をすぐに下せるほど、二人は場数を踏んではいない。
当然だ。
平和な日本で、平和な東京で、命の危険など経験したことのない──平和に暮らしていた若者なのだから。
「やぁっと追いついたぜぇえええええ!?」
大河と悠理に、緊張が走る。
その声は未羽と裕翔のいた通路の、奥から聞こえて来た。
カツン、カツンと。
硬い革靴のソールが地面にぶつかる音が、静寂の中で響く。
やがて
「裕翔くぅーん!? 君、逃げれたつもりだっただろうけど、君らの流した血の跡でどこに進んだか、血の匂いでどんだけ近いか、俺にはわかっちまうんだよなぁああああ!?」
それは今そこで倒れているよく裕翔と一緒にいた、もう一人のホスト風の男性だった。
赤いスーツのジャケットを脱ぎ、白かったカッターシャツを真っ赤に染めて、楽しそうにけらけらと笑っている。
右手で持ち肩に構えている『剣』は、大河や悠理の『咎人の剣』とは違う、剣先から柄頭まで真っ赤な意匠だった。
まるで生き物の血管のようなものが、『剣』の刀身で脈を打っている。
「あんれぇー? 兄ちゃんとその彼女ちゃん、なんでここにぃいい!? あそこで大人しく震えてれば良かったのに、迷い込むなんて本当にツイてねぇなああああ!?」
真っ赤に血走らせた目が、大河と悠理を捉えた。
「あ、アンタ……源二さん……?」
大河は思わず立ち上がり、悠理を背中に隠す。
さっき裕翔から聞いた名前で呼ぶと、その男は明らかに不快感を表情で示した。
「おい、本名で呼ぶな。俺は
ピクピクと、こめかみが震えている。
口の端をひくつかせ、担いでいた『剣』を大振りして大河を威嚇した。
「裕翔──
イラついた態度で、源二──透瑠は右足の爪先で床を蹴る。
「やっぱ、誰よりも先にお前を殺すべきだったんだよな、真司。せっかく他の奴らにバレないように一人づつじっくり殺していたのに、よりにもよってお前に見つかるなんて本当に俺ってばツイてねぇ。ずっと、ずっとだ。俺の人生はずぅっとツイてねぇ。そろそろ良いことあって良いと思わねぇか? なぁ、兄ちゃん」
「殺して──!?」
大河の脳裏でずっと抱いていた疑問が一つ、不意に解消した。
大河たちがこのあの回廊に迷い込んでから、最初に見た遺体。
それは空調服を着た作業員風の中年男性で、その身体にはモンスターによる噛み傷の他に、長い刃物による刺し傷や切り傷が無数に刻まれていた。
だが大河たちはここまでで、そんな武器を持っていたモンスターに出くわしていない。
唯一可能性があったのは、身体の両側面に刃物を装備していたダックスナイトであるが、切り傷ならまだしも刺し傷をつけられるような形状では無かった。
回廊を徘徊するゴールデンスパイダーの尖った脚という可能性も考えてみたが、あの巨体で刺された場合、傷なんて生やさしい呼び方ができない大きな風穴が開いていただろう。
つまりあの中年男性──そしてその後に遭遇したいくつかの似たような遺体は、この透瑠の手によるものなのではないか。
「な、何人殺した?」
意を決して本人に問いかける。
「えっと──詳しくは数えてねぇからわかんねぇな。この『剣』に成長させる条件が『十人の巡礼者を殺害する』ってのだったから、少なくともそれ以上じゃねぇか? たぶん二十は行ってんじゃねぇかな。ああ、すごいだろコレ。隠し武器なんだぜ? 『
まるで新しいおもちゃを自慢するように、透瑠は『剣』を大河に見せびらかした。
ずっと血に濡れているのは、透瑠が殺した人の血なのか、それともそういうデザインなのかはわからない。
刀身に無数に走る血管はドクンドクンと脈を打ち、刀身の長さは大河が知る『咎人の剣』よりも少し長く見える。
「なんで──殺した」
目の前の人間は、明らかに正気ではない。
そうわかっていながらも、大河は透瑠に問いかける。
「なぁ、あの通路。お前も通ってきたろ? ずっと──ずぅっと同じような場所をぐるぐるぐるぐるってさ。そこの煩かった偉そうな女は、『正解の道がきっとあるはず!』とか喚いてたけどよ。俺は違うと思うんだよな」
大河はそんな透瑠の言葉を聴きながら、右手を背中に回して小さい言葉で【
背中に沿って真っ直ぐに、『咎人の剣』が現出する。
「だってよぉ。考えてみろよ。ノーヒントであのクッソ長い通路とクッソ多い曲がり角を正しい道順で通れなんて無理ゲー、まともな奴なら絶対に考えねぇに決まってる。んなゲーム、炎上待ったなしよ。じゃあそうじゃない他の方法があるわけだ? 脱出するのに正しい条件って、一体なによって俺は考えた」
演劇でもしているかのようなわざとらしく大袈裟な動きで、透瑠は気持ちよさそうに語っている。
手に持つ『
「脱出できるのは、一人だけなんだよ」
清々しさすら感じる満面の笑みで、透瑠は大河を指差す。
「は?」
何を言っているのかわからず、大河は思わず聞き返した。
「俺さぁ。映画とか、動画とか結構観ててよ。サブスクとかやってんだ。ほら、ちょっと前に流行ったろ。閉じ込められた奴らが色々な遊びをやらされて、最後の一人になるまで殺し合う奴。他にもさ、サイコな殺人鬼に誘拐された奴らが、理不尽なゲームをやらされてさぁ。クリアしないととんでもなく残酷な方法で殺されちゃうわけよ。めっちゃグロくてさぁ。そこの裕翔──真司は平気そうに観てたけど、頭おかしいよなアレ。ああ、昔の邦画にもあったよな。無人島にクラスまるごと閉じ込められて武器を渡されてよぉ。高校生が最後の一人になるまでぶっ殺しあいをさせられるって奴。知ってるか? その歳じゃわかんぇよな。めっちゃくちゃ流行ったらしいんだぜ、あの映画。まぁ、俺も世代じゃないけどよぉ。俺はさぁ、灯台のとこで仲の良い女の子たちが、ちょっとした勘違いでお互いを憎み合って殺し合いをするシーンが好きでさ。あれ、最初に勘違いした奴が最後まで生き残って、んで勘違いしたことを後悔しながら灯台のてっぺんから地面に飛び込むのがさぁ。皮肉って感じで好きなんだよなぁ」
どこか恍惚とした表情を浮かべながら、透瑠はつらつらと話し続ける。
「最近流行りの、デスゲームって奴だ。殺し合いを勝ち残った強い奴が──特別な奴だけが外に出れる。なぁ? 言われてみたらそうだろ? 理に適ってるって奴だろ?」
「ま、待ってくれよ。それこそおかしいって! ほら、『ぼうけんのしょ』! あれをちゃんと読めばわかるだろ!? フレンド登録とか、パーティー登録とか! 一人だけしか助からないダンジョンならあんなシステム、ある意味が無い!」
そんなわけがない。
そもそも大河の知るデスゲームという創作物は、主催者──またはそれに準ずる組織か黒幕がいて、一番最初に生存方法を告知しないと始まらない形式だったはずだ。
それなのにロクにヒントも目的も告げないまま放り込まれ、フレンドやパーティー登録というシステムを準備するわけがない。
そもそもそれは、ゲームとして破綻している様に思える。
「なんでお前、こんなになっちまった世界を信用してるんだ?」
「え?」
冷たい口調になった透瑠が、大河の顔をまっすぐに見て言い放つ。
「お前も見たろ? そして聞いたろ? チュートリアルが始まる前にあった、理不尽な破壊とか、殺人とかさ。言ってなかったか? 【参加者の人数が確定しました】とかなんとかさ。あれってようするに、決められた人数になるまで、殺しましたってこと……なんじゃねーの?」
「あ……?」
「かぁー! 若ぇー! 若すぎて眩しいって兄ちゃん! 生きてたら色んな経験できてたんだろうなぁ! んで、人のこと簡単に信用したりしなくなって、社会の厳しさに絶望とか、出来てたんだろうなぁー! ダメだって! 良いか兄ちゃん! 社会はお前中心に回ってねぇんだ! お前に都合の良いことばっか起こるわけじゃねぇんだ! 本当に強い奴だけが、社会の中心に立って世の中を自分の思い通りに動かせるんだよ! 死ぬ前に良いこと知ったな!? 来世では俺が教えたこの教訓をしっかりと生かしてくれよ!? あはっ、あははははははははっ!」
そして──嗤う。
何が楽しいのか、大河にはわからない。
ただ透瑠はとても無邪気に、愉快そうに嗤う。
「こんな風になっちまった世界じゃ、賢く立ち回った奴が勝ちだ! 他人を蹴っ飛ばして! 時にはぶっ殺して! 最後まで生き抜く意志と決意を持った本当に強ぇ奴が生き延びるんだよ! お手手つないで仲良しこよしじゃ全員ぽっくり死んじまうぞってな!? 兄ちゃんらみたいにさ! 倒れてる奴を助けようとしちゃ不味いんだって! トドメ、ささなきゃ! 息の根止めて、見ぐるみかっぱらって! んで少しでも自分が良い目を見れるよう、世界をセルフプロデュースすんだよ! 俺もさぁ、こうなっちまうまでは偉そうな、強そうな奴に嫌々頭下げてよぉ! へこへこして笑って従ってたけどよぉ! 気づいちまったんだよなぁ! 世界の真理って奴!? だからさぁ、今ここでぇ! 本当に強くて、賢くて、特別なのは、俺ってわけよ! なぁ! 分かる!? あはっあははははははっ!!」
血走った目つきを歪ませて、血まみれになったシャツを振り乱して、透瑠は嗤い続ける。
大河はそれを、茫然と見ていた。
後ろで黙って震えている悠理の、シャツの裾を握るその手の温もりが、たまらなく愛おしかった。
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