新宿大聖堂《シンジュクカテドラル》
狂人の凶刃①
荘厳な雰囲気を醸し出す華美な装飾で彩られた回廊を、決して油断せずにゆっくりと進む。
「ここは……」
「庭園、なのかな?」
十五分ほど進んだだろうか。
やがて二人は回廊を抜け、半球の形で整えられた広場の様な場所に辿り着いた。
部屋の中心には、天井までまっすぐ伸びる綺麗な三角錐のモニュメントが鎮座していて、その周りに丁寧に手入れされた花壇がぐるりと配置されている。
球体の天井には採光用の大きなステンドグラスが幾つかあり、その陽光は中心の三角錐に集中している。
「なにか、書かれてる……」
警戒を緩めず、ゆっくりとモニュメントに近づく。
そのモニュメントは、光沢のある黒い岩でできていた。
黒曜石に近い類の石材なのだろうか。
三角錐の二面には何も掘られていないが、大河たちが入ってきた方に向いている一面には、白い顔料が流し込まれた文字でつらつらと長文が書き込まれている。
「……絶対に日本語じゃないのに、なんで読めるんだ」
「だ、だよね。私もおかしいと思ったの。英語でも無いし、他の国の言葉でも無さそうなのに、読めちゃう……」
その文字は、象形文字に似ている。
見様によっては子供の悪戯書きに見えるが、なぜか大河も悠理も一切の違和感も無く書かれている事が理解できた。
「えっと……『女神アウロアの導きにより、その身を魔に汚しながら雄々しく戦った、我らが敬愛する穢れしティガーへの、鎮魂の詩をこの聖碑に記す。巡礼者よ、願え。祈れ。罪を背負いし可能性の依代として、穢れしティガーの魂に安寧の眠りを捧げよ。穢れしティガーよ、咎人を貴方に捧げます。穢れの獣を目覚めさせぬよう、どうか心やすらかにお眠りください。私はこの詩を楔として、廃都の各地へと聖碑を建立します。どうか穢れしティガーが目覚めぬよう、巡礼者よ。聖碑への祈りを、可能性を、貴方の咎を。 鎮魂の祭司ケストゥーラ』。どういう意味だろうね?」
聖碑とはこの三角錐のモニュメントのことを指すのだろう。
そこに書かれた文章を声に出して読み、悠理は大河へと顔を向ける。
「……常盤、くん?」
大河は、呆然としていた。
口を半開きにし、その文章を何度も何度も目でなぞり、読み返す。
(なんだ、これ。なんで、この……アイツの考えた、設定が……)
それは三週間前に自ら命を絶ちこの世を去った、
(間違いない、聞き覚えがある。アイツが小学校の低学年の頃からノートに書き続けた、『僕の理想のゲーム』のオープニングだ。『穢れしティガー』って、俺の名前──タイガを崩して付けた名前だって楽しそうに説明していたのを覚えてる)
内向的でインドア派で、大のRPG好きでファンタジー物が大好きだった綾が、自分の好きなゲームと小説、それに世界中の神話や都市伝説を無節操に取り入れた、妄想の産物。
安売りしていた大学ノートのページ一杯を使って、世界観や武器・モンスター・地名にアイテムの効果までもをびっしりと書き込んでいて、彼の家に遊びに行くと時々読ませてくれた。
呆れるほどの分量で書かれた文字、拙い絵で描かれたモンスター。
何十・何百時間費やしたかわからないほどの熱量が込められていて、学年が上がるごとにノートが一冊増えていった、彼のライフワークとも呼べる作品。
(『東京ケイオス・マイソロジー』……。確か、そんなタイトルだったはず)
小学生が必死に英和辞典を引き、語呂と語感の良さと意味のかっこよさだけで名付けたタイトル。
混沌を意味する『カオス』を敢えて読みで表記し、そこに神話を意味する『マイソロジー』を冠した。
東京が舞台なのは、綾が昔から好きなちょっと暗めな雰囲気のゲームがそうだったから。
『色んなゲームからパクリすぎだろ』
と大河が茶化すと。
『いいんだよ。僕の妄想の中だけにしか無いんだから。こんなゲーム、もし本当に作ったら凄い死に覚えゲーだし、難易度調整をミスってるクソゲーだし。売れるわけない。だから考えて書くだけ。それが楽しいんだからさ』
なんて笑いながら言い返した、あのゲームの設定文章が──今大河の目の前の聖碑に彫り込まれている。
(な、なんで……)
必死に記憶の中を掘り探す。
新宿駅をネタにしたダンジョン。
確かに存在していた。
いつだったか遠出するために新宿駅に降り立ち、『なんだかダンジョンみたいだよね。ここ。前から思ってたんだ』と楽しそうに言っていた親友の姿が思い浮かぶ。
大河が目にしたことのある『東京ケイオス・マイソロジー』の設定ノートは全部で六冊。
思いつく限り、妄想が続く限り乱雑に書き殴り続けたあの膨大な設定集の中に、今いる場所についての記載は無かったか?
だが例え親友がよく見せてくれた物でも、大学ノート六冊分すべてを覚えてしまえる訳がない。
断片的に、特徴的なエピソードや秀逸なネタだったりはぼんやりと思い出せるが、どれも細部までとはいかない。
中学に上がっても続けていたほど熱中した妄想だ。
凝り性で頑固で粘り強い綾の発想がすべて詰まっている。
それは元となった複数のゲームが生々しい題材を扱っていたがゆえに。
そしてすぐに感化されやすい、子供心の無邪気さゆえに。
更には思春期にありがちな、ネットに影響されたちょっとした反社会的思想ゆえに。
オタク気質から来る、細部に至るまでの凝り性が暴走したがゆえに。
過剰なまでに残酷な描写や設定が多種多様に織り込まれている『東京ケイオス』は、まさに『
(綾、綾……綾、綾!)
頭の中で死んだ親友に呼びかける。
何度呼びかけても、返ってくるわけはない。
(嘘だろ……おい、綾。お前が──お前が新宿を、こんな世界に……っ!?)
よく女の子と間違われていた、幼い顔つき。
小さな背丈で華奢な身体つきが、余計に男らしさを希薄にさせていた。
声変わりしてもその声色は相変わらず高いままで、笑う声などは小さな頃からずっと変わっていなかった。
運動も苦手で、文系で、外で遊ぶよりも室内で本を読んだり、ボードゲームをしたり、ゲームをすることを喜んだ。
家族思いで、姉思いで、道で困っているお婆さんなんかを見つけたら、誰よりも早く駆け寄って手助けを申し出る──そんな男だった。
なにより、大河を一番気にかけてくれた。
大河の全てが壊れた中二の夏前まで、ずっと支えてくれた。
そんな親友が、なんらかの方法で──新宿を。
いや、下手をすれば東京を──日本を──世界を変えてしまったのかも知れない。
モンスターや魔法、そして沢山の失われた命を目の当たりにした大河には、それを否定することも、受け入れることもできない。
「──わくん! 常盤くんってば! ねぇ!」
「──っ!」
大河は涙を浮かべて身体を揺すってくる、悠理の声で我に返る。
目にした物のあまりの衝撃で、他に意識が行かなくなってしまっていた。
「……あ、ああ。ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「本当に!? どっか傷があったり、頭ぶつけたりしてないっ!? 大丈夫だよね!?」
「大丈夫だから。泣くなって」
目尻の涙を指で拭ってやり、無理やり笑顔を作って悠理を安心させようと試みる。
数日前から、悠理はこうして過剰に大河を気に掛ける様になった。
今の一連の仕草も側から見れば恋人同士のそれに見えるが、実際は精神が不安定になりかけている子供を宥める親の様な心境である。
「話しかけても何も反応してくれないから、心配した」
そう言いながら、悠理は大河の胸に飛びついて顔を埋めた。
ぐりぐりと子供のように顔を擦り付け、背中に腕を回して強く抱きつく。
「ごめん。えっと、書いてある文章の意味を考えてて──」
大河が言い訳を考えていると、二人のスマホから短い電子音が同時に鳴る。
大河が右ポケットからスマホを出すと、悠理がそれを横から覗き込む。
【
取り出したスマホの『ぼうけんのしょ』の画面には、そう記されている。
同じ文言を、あの優しい女性の声が読み上げた。
「ファストトラベル?」
「……って、なに?」
顔を見合わせた二人は、揃って首を傾げる。
【それでは『聖碑』、クエストの受注と報酬の受け取り、ファストトラベルについて説明いたします。目の前の『聖碑』は、罪禍の廃都『東京』の様々な場所に設置されています。『聖碑』は女神の加護を強く秘めており、特殊な場合を除き『聖碑』の周辺ではモンスターは出現・侵入ができません。加護の範囲は『聖碑』によって異なるので、注意をしてください】
二人の言葉に、『ぼうけんのしょ』が応える。
【巡礼者が『聖碑』に触れると、今そのエリアで受注できるクエストのリストが表示されます。多くの場合クエストは☆の数が増えるごとに難易度が高くなり、受け取れる報酬も増え、手に入るアイテムも高価であったり希少な物が手に入る傾向にあります。クエストをクリアした場合、報酬の受け取りはどの聖碑でも受け取れますが、特別な『聖碑』や特別なクエストはその限りではありません。またクエストは『聖碑』からではなく、NPCから依頼される場合もあります。その場合の報酬の受け取りは、クエストを依頼したNPCからしか受けれませんのでご注意ください】
淡々とした説明を、二人は黙って真剣に聞く。
この情報が、もしかしたらいつか二人の命を救ってくれるかも知れない。
理解不能のダンジョンと化した新宿駅に閉じ込められている二人にとって、情報を聞き逃すのは命取りになりえるとすでに理解しているのだ。
【続いてファストトラベルについてです。一度訪れたことのある、触れたことのある『聖碑』間で、距離を圧縮し瞬間移動を行えるようになりました。注意点として、一度に移動できるのはパーティー登録をしている四人まで。さらに一度『聖碑』間の移動を行うと、移動した巡礼者各位は一時間はファストトラベルを利用できません。また、ダンジョン内に設置されている『聖碑』は一方通行です。ダンジョン内部からフィールドへの移動はできますが、逆は不可能なのでご注意ください】
「つまり、こっから外に出るには外の『聖碑』を知ってないといけないってことか?」
【はい。その『聖碑』に触れたことがあれば可能です】
「じゃあ、これで出れるってわけじゃないんだね……ゴールだと思って一瞬喜んだのに」
げんなりとした顔で、悠理は再び大河の胸に顔を埋めた。
「まぁ、あの通路を脱出できただけ良しとしておこう、な?」
「……うん」
大河はますます幼児退行の進んできた悠理の頭を撫でる。
脳裏では綾のこと、『東京ケイオス』のこと、設定ノートのことがぐるぐると渦巻いているが、それを表情に出さない様にしている。
(今の新宿がこうなっちまったのが、本当にアイツのせいだとまだ決まったわけじゃない。だいたい何をどうやったらこんなことが出来るのかすらさっぱりなんだ。
そう無理やり結論づける。
説明できない以上、余計な情報は悠理を混乱させるだけだ。
なら判明するまで、理解できるまで、黙っておいた方が良い。
特に今の精神が不安定な悠理に対しては。
「ここはモンスターが出てこないし入ってこないみたいだから、今のうちに休んで──」
そう言って周りを見渡した時だった。
聖碑の向こう、大河たちが来た道とは反対側に薄暗い通路が伸びている。
少し先が真っ暗で何も見えないその通路から、二つの人影が横たわっていることに気づいた。
それは今まで見て来た人の死体とは違い──かすかに動いている。
「誰かいる!」
大河は慌てて悠理を引き離し、人影に向かって走る。
「えっ!?」
置いていかれた悠理が慌ててその後を追った。
花壇を飛び越え、花や草を踏みながらたどり着いたそこには──。
「
「
初日に別れたっきり戻ってこなかった嘉手納 未羽と、ホスト風の男性の一人が、血まみれで横たわっていた。
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