無限回廊⑤


 大河たいがは片膝を立てて、生気を失い青白くなった顔の中年男性の顔を覗き見る。


「なんで……おっちゃん、一人になっちまったのか?」


 たった一日とは言え、不気味な虫との戦いを手伝ってくれて、励ましてくれて、共に戦ってくれた人物だ。


 まだ自己紹介すら終えておらず、名前も何をしていた人なのかも知らない。

 着用している空調服で何かの工事の作業員と推定していた程度の、そんな情報しか知らない相手。


 それでも大河はその亡骸を見て、胸中に渦巻く言葉にできない悲しさに苦しむ。


「も、モンスターに、襲われたのかな……」


 目尻に小さな涙を浮かべて、悠理ゆうりは大河の横に腰を落とす。


「わかんねぇ。わかんねぇけど、この傷は……」


 素人である大河には判然としないが、欠損した部分や荒い傷口の部分は動物──モンスターに噛みちぎられている様にも見える。

 だがそれ以外、腹や背中にかけての長い傷は、刃物によるもの──切創ではないだろうか。

 背中から腹を突き抜けている傷跡も、長い刃物を突き刺したかのような傷だ。


「……なにがあったんだろう」


「……とりあえず、落ち着いた所で横にしてやろう。手伝えるか?」


「う、うん」


 二人で協力して入れる店を探し、書店を見つけてそこに男性の遺体を横たわらせる。

 ペットボトルの水でタオルを濡らし、せめてこれくらいはと顔を拭いた。

 ゆっくりとその開いた目を閉じさせ、軽く身だしなみを整える。


「そういえば……亡くなった人には、最後に水を飲ませるんだよね」


「聞いたことあるな」


 まだ親族を亡くした経験のない二人には、『末期の水』のことなどうっすらとしか知識にない。

 作法も意味も知らないがやらないよりはやった方がこの男性も浮かばれるだろうと、未開封のハンドタオルに水を湿らせて、その口元に水滴を幾つか流し込む。

 濡れた口元を拭き取り、他に布がなかったので濡れてないハンドタオルを新たに出してその顔を覆った。


「……おっちゃん、あの時はありがとう」


「名前も聞けなかったけど、常盤ときわくんを助けてくれたこと……手伝ってくれたこと、優しく励ましてくれたこと、本当に感謝しています」


 床に眠る男性の側に立ち、手を合わせて祈り、感謝を告げる。

 年若い二人は、まだ近い親族を亡くした経験が少なかった。

 だから葬儀のやり方や喪に服する意味などの理解も薄い。


 それでもこの男性はあの虫の襲撃の際に、誰よりも先に動いて大河を助けてくれた。

 昏睡する大河を心配する悠理を優しく励ましてくれた。


 遺体を完璧に処理することができない二人にとって、ここで感謝を告げずに立ち去るという不義理は、己にとって許されないことだった。


 しばらくその亡骸を眺め、二人は言葉少なくその場を後にする。

 この無人の書店はけっしてモンスターが入ってこないと決まった場所ではない。

 だからもしかしたら、二人が居なくなった後で遺体が貪られる可能性がある。


 しかしこの男性を持ち物扱いでマジックバックに入れて持ち歩くなんて非人道的な考えは二人には思い付かず、また長い時間見守ることの意義も見当たらない。


 だから薄情とはわかりつつも、二人は遺体を放置することしかできない。


 誰かの死と一緒に歩くことなんて、ただの高校生には耐えられないことなのだ。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 翌日。

 新宿に異変が起きて五日目。


 通路は昨日と同じ色合いの壁で、接敵するモンスターの強さも昨日と同じ。


 現れる種類こそ増えたものの、なんとなくカテゴリーが同じ個体しか現れない。


 アシッドマウス、キャットホーンは比較的多く現れる。


 腐食性の息を吐いて敵を弱らせ、大きな嘴の中で消化するペリカンブレス。


 鋭利な前歯を持つ一匹の巨大なハムスターが、複数の他の小さなハムスターの死体を操るジャンガリアンネクロマンスター。


 燃える尻尾で地面に火の渦を描き、高温の旋風を巻き起こすエンビシン。


 騎士甲冑を身につけ、長い胴の両側面に刃物を装着した獰猛な小型犬、ダックスナイト。


 駄洒落と語呂合わせのふざけた名称を持つ小動物系のモンスターが、結構な頻度で大河と悠理を襲った。


 どれも元になった動物と同じ愛らしい風貌をしているが向けてくる殺意があまりにも高く、いつしか二人はそんな動物を殺すことに抱いていた罪悪感も感じなくなっていた。


 なにより二人を戦慄させたのが、大河が倒した筈のゴールデンスパイダー原種が、我が物顔で十字路を横切った事だ。


 その数はおそらく一匹ではなく、他のモンスターよりも出現する頻度こそ低いものの、複数匹がこの無限に続く通路内を徘徊している。


 チュートリアル期間を終えてモンスターが強力となっている現状、複数人で囲む事でようやく倒せたあの蜘蛛をたった二人で倒せる気が全くしない。


 二人は蜘蛛に見つからないよう、隠れてやり過ごす事を決めた。

 倒した際の獲得オーブは魅力的だが、どうやら通路で見かける蜘蛛は大河の倒した蜘蛛に比べて一回り小さく見える。おそらくその強さや獲得オーブもあの蜘蛛とは異なっているだろう。


 なおさら戦う意義を見つけられない。


 そして、今日も二人。

 見覚えのある顔が通路に無惨に転がっていた。


 一人はサラリーマン風の眼鏡の男性。歳は二十代半ばだろうか。

 初日に腰がひけて文句を言いつつも、気勢を張って戦っていた人物だ。


 もう一人は、身なりの良い女性。

 こっちは悠理だけが覚えていた。

 大河が倒れている間に『剣』の出し方と使い方を教わり、意気込んで見回りに参加した人だ。

 西新宿のビジネスビルに入っている有名企業の受付をしていたと、軽く自己紹介をされていた。


 昨日の男性と同じように遺体を眠らせられる店を探し、また同じように顔を拭いて水を飲まし目を閉じさせ、そして手を合わせて死を悼んだ。


 悠理はそれから、時々泣くようになった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 また翌日、新宿に異変が起きて六日目。


 新たにコンビニを見つけ、食料品や生活品の補充を行った。


 もうソファのある飲食店を見つけることが稀になってしまったので、その日はコンビニで夜を明かすことを決断する。

 と言っても夜を感じられるのはスマホの時刻表示だけであり、通路は一昨日に変化して以来ずっと薄暗いLED照明で照らされているままで、本当に今が夜なのか実感が無い。


 ただ肉体と精神の疲労は、着実に二人を弱らせていた。


 もそもそと弁当を食し、ジャンケンで誰が最初に見張りにつくかを決めて、風呂に入ることができないことを嘆きながら悠理が最初に眠りについた。


 その日に見つけた遺体は、十五を超えてから数えていない。

 顔に見覚えのある者も居たし、全然知らない者も居た。

 移動以外のほとんどを、遺体の安置に費やした。

 だから移動距離は前日の半分にも満たない。


 相変わらず、ゴールデンスパイダー共は通路を徘徊している。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 四日経った。新宿に異変が起きてから、今日で十日目。


 もう二人は見つけた遺体の処理を諦めていた。


 数えるのも嫌になる程の、おびただしい死を通り過ぎてきた。

 肉が削ぎ取られて白骨化しかけている死体。

 なんらかの手段で溶かされ、かろうじて人と判別できる程度に残された死体。

 首を落とされ、踏み潰されていた死体。


 一番悠理を取り乱せたのは、黒焦げになった赤ん坊を抱く母親の姿だった。


 直視に耐えきれず、大河の目の間だというのに腹の中の物を全て吐き出し、そして声をあげて泣いた。


 そんな悠理とは対照的に、大河はどんどんと自分の感情が希薄になっていく事に驚いていた。


 悲しくないわけじゃない。

 辛くないわけじゃない。


 目の前の現実、その全てにフィルターをかけて、まるで俯瞰視点で見る背景画像の様に処理し現実を薄めないと、どうにかなってしまいそうだったからだ。


 その日もなんとか入れる店を見つけ、ハンドタオルを濡らして身体を拭いて眠りに就く。


 夜中に悪夢で飛び起きた悠理は、泣きながら店内の棚を移動させ、バリケードを作った。


 見張りで起きていた大河は取り乱す悠理をなんとかなだめ、話を聞く。


 もう一人では眠れないと、悠理は大河に抱かれて眠ることを懇願した。

 性的な意味じゃないのは、大河も重々承知している。


 生者の温もりを感じ続けなければ、もう悠理は壊れてしまう寸前だったのだろう。


 大河はその懇願を了承し、二人で寄り添いながら横になった。

 震える悠理の身体を慰めながら、胸の中に強く抱きしめる。


 弱い悠理を守っていること。

 弱い悠理が大河を頼ってくれることが、何より大河を冷静でいさせてくれる。


 大河の存在を心の拠り所にし始めた悠理と同じく、悠理の存在が大河の精神の均衡を保っている。


 浅い眠りと短い覚醒を繰り返しながら、二人は朝まで抱き合って眠った。


 大河たちがいる店の外を、二匹のゴールデンスパイダーが他のモンスターを従えて横切っていった。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 二日経った。

 新宿に異変が起きて、今日で十二日目。


 ループを破るために数百の試行回数を重ね、もう何十人の遺体を目撃したのかを考えるのも苦痛になっていた頃──。


「違う、通路だ……」


 ──角を曲がると唐突に、通路の景色が一変した。


「う、うん……っうん!」


 昨日から戦闘の時以外は大河から離れなくなってしまった悠理が、大河の左腕に自身を絡ませながら何度も頷く。


「な、なんだここ」


 大河はキョロキョロと周囲を見渡しながら呟く。

 

 今までの新宿駅地下街の様相とは違い、まるでどこか海外の遺跡──神殿の様な意匠の外壁。

 天井は高く、遥か頭上。

 通路の左右には等間隔で窓が設置されていて、全て絵柄の違うステンドグラスが嵌め込まれている。

 床は真っ赤な絨毯が見える通路すべてに真っ直ぐに敷かれていて、その脇に幾つもの燭台が置かれている。

 三叉さんさ燭台しょくだいには細長い蝋燭ろうそくが三つ置かれていて、灯された火はどこかから流れてくる風でゆらゆらと揺られていた。


「きっと、もうすぐ出口なんだよ!」


 さっきまでと明らかにテンションの違う悠理が、喜色満面で声を張り上げる。

 もはや死者に対する憐憫の情よりも、通路から脱出できない絶望が勝り始めていた頃だ。

 喜ぶのも無理はない。


「慌てんなって。この先に何かが待ち受けている可能性もあるだろ?」

 

 大河のゲーム知識と照らし合わせると、ダンジョンの内観が急に変わるのは『この先にボス部屋がある』場合と、『この先に入り口/出口がある場合』の2種類だ。

 もっとゲームに詳しければ他のパターンを想起できるかも知れないが、現時点で大河には何かが起こるであろう事しかわからない。


「う、うんっ」


 ここ数日で一気に言動が幼くなりつつある悠理が、大河の忠告に素直に頷く。


「ゆっくり行こう。もう店も無くなっているから、何かあった時に逃げ込める場所が無い」


「わかった」


 いつでも『剣』を抜剣アクティブできるよう右手を構えながら、二人は歩き心地が良い絨毯の道を進んでいく。

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