無限回廊④


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 突然、二人のスマホから、電子的なファンファーレの音が響いた。


 場所は無人のファミレス。時刻は深夜0時。

 例によってソファ席をベッド代わりにして、大河たいがが眠りに就いた直後であった。


 大河はテーブルの上に置いていた自分のスマホを取り、画面を起動する。

 そのまま『ぼうけんのしょ』を開き、新着メッセージを示す赤い『!』アイコンをタップした。


「クエストリザルトか……」


「もう三日経ったんだね」


 いくら歩いても終わりの見えない廊下の景色に疲弊し、精神がささくれ始めた二人には、いまいち覇気が感じ取れない。


「報酬、オーブだけ……」


 頭からタオルを掛けて椅子に座っていた悠理ゆうりが、スマホを覗き込んでポツリと呟く。

 長い時間探し回ってようやく見つけた、トイレが設置されている眠れそうな店。それがこのファミレスのチェーン店である。

 地下街の中でもとりわけ大きめの店で、朝のファーストフード店と同じくタッチパネルで料理も注文できた。


 無人のキッチンワゴンが奥の方から料理を運んできて、二人で言葉少なめに黙々と食し、トイレの水道で無理やり風呂を浴びた。


 衛生面という観点から言えば最悪だったし、マナー的観点からも二人の行動は最悪だったが、【水流】の魔法は放出される水量の調節ができないためシャワーとして代用するとなると使い勝手が悪い。

 トイレの用具入れに蛇口に取り付けられるホースを見つけて、個室を水浸しにしながら身を綺麗にしたのは、平時の二人からしたら考えられない行動である。


「……あー、目が覚めちまった」


「ホットココアがあるみたいだよ? 注文する?」


 暇つぶしに注文用のタブレットを眺めていた悠理が、ソファから起き上がった大河に問いかける。


 どうやらコンビニで購入したファッション雑誌は、すでに読み終えたようだ。


 夜は長い上に『ぼうけんのしょ』以外のアプリが消え、ネットにも繋げられない今のスマホでは時間を潰す事が困難だという二人の意見の一致により、コンビニでお互いの好みの雑誌を五冊ほど購入している。


 無駄遣いだと分かってはいたが、この延々と続く通路の景色に辟易としていた二人のストレスは、何か対処をしないと危ういところまで溜まっていたのだ。


 雑誌にかかったオーブは必要な出費だと、二人の言い訳はすでに終えている。


「んー、いや。大丈夫だ」


「そっか」


 淡々とした会話は深夜だと言う事もあるが、二人の精神がたいぶ参っている事に起因する。


 大河はソファの上であぐらをかいて、もう一度スマホの画面を覗く。


【 クエストNo.01

〔最初の三日間を生き残れ〕 クエスト難易度 ☆☆

 達成!


 クエスト報酬


 10,000オーブ


  報酬を受け取る

  《はい》     《いいえ》】


「こんなもんか……」


 クエストリザルトの画面を見ながら、無感動な感想が口から出てくる。


 手際よく《はい》を選択し、スマホをテーブルに置く。


 ゴールデンスパイダー原種を倒した時のような金額では無い事に、少しばかり落胆した。


「成美、俺もうしばらく眠れそうにねーから。お前先に寝て良いぞ」


「大丈夫?」


「あの程度ならまだ余裕だよ。ちょっとビビったけど」


 お昼ごろから、通路に出現するモンスターの数と種類が突然増えた。


 何度目かの通路の角を曲がると、壁の色が今までと違う色に変わっていて、そこには赤い体毛を持つ狼──クリムゾンウルフや、巨大な爪を持つコウモリ──ファングバットが群れをなして二人を出迎えていたのだ。


 慌てて戦闘に入り、虫よりも強い手応えを感じながらなんとか殲滅。

 より強いモンスターの生存域に迷い込んだことを直感し、来た道を戻ろうとしたところで時既に遅し、何度角を曲がろうと元の壁色の通路にはもう戻れなくなっていた。


 そこから明らかに、モンスターと対峙する頻度が増え、さらには買い物ができて中に入れる店も減少しているように思える。


「やっぱりたまたま、正解の道順を選んでたのかなぁ」


 悠理の目の前にはコンビニで買ったメモ帳と、同じく買った三色ボールペンがテーブルの上に置いてある。


「つっても、メモし出したのが遅かったから何が正解かわかんねーけどな」


 大河が親友から聞いた事のある古いゲームのダンジョンを思い出したのはスマホの時刻が夕方になってからのことだ。


 二人が生まれる前、RPG黎明期に発売された──今となっては老舗のビッグタイトルのゲームの中に似た形の、延々と十字路が続くタイプのダンジョンが存在していた。


 記憶が正しければ、そのダンジョンの特定のフロアは無限ループ。

 特にヒントも明示されないそのループは、大量の試行錯誤の末に正しいルートをプレイヤーが見つける……という、現代のゲームで実装すれば間違いなくネットで叩かれる仕様だったはず。


 そう悠理に明かすとげんなりとした表情でコンビニに入り、メモ帳とボールペンを購入して、そのコンビニを起点に曲がった方向と数を記入し始めたのだ。


 そのコンビニは二人がこの二日間で幾度となく通過した、最初の買いだめを行ったコンビニである。起点としても間違ってはいないだろう。


「虫しか出なかった時が前半のループ通路で……こっちが後半のループ通路……だったら良いんだけどな」


「もう何回か、出現するモンスターが違うループ通路に切り替わってもおかしくないよね。食料品の買いだめはちゃんと補充しておこう」


 チュートリアルの舞台とするにはいささか鬼畜がすぎる仕様である。

 これは大河たちがたまたまいた場所でチュートリアルが始まってしまったからで、本来は元々の難易度が高いダンジョンなのかも知れない。


「考えれば考えるほど、不安要素しか出てこないな」


「寝る前にさんざん話し合ったでしょ。やっぱり常盤ときわくんが先に寝なよ。無理矢理にでも横になってなさい」


「あー、了解」


 まるで親みたいな口調になった悠理に苦笑して、大河は改めてソファに横になった。


「んじゃ、改めておやすみ」


「はい、おやすみなさい。常盤くん」


 フェイスタオルで頭を隠すことで明かりを軽減させ、大河は眠りに就こうと努力する。


 なんだかんだ言っても疲れていたのだろう。

 そのあと、すぐに夢の世界に旅立っていった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「やっぱり! チュートリアルが終わってから明らかにモンスターが強くなってやがる!」


「常盤くん後ろ! 【土砂】!」


 悠理の掌から、土と砂の塊が放たれる。

 その大きさは拳より少し大きい程度だが速度がかなり速く、大河の後ろに回り込んで噛みつこうとしていたツノ付きの猫──キャットホーンの身体に数個の風穴を開ける。


「助かった!」


 大河は悠理に顔を向けないまま感謝だけを延べ、足元にまとわりつこうとする流体のネズミ──アシッドマウスに『剣』を振り下ろす。


「くっそ、やっぱこの見た目じゃ物理は効かねぇってか!?」


 その小さな身体に当てたはずの『剣』の感触はまったく手に伝わらず、大河は悪態を吐く。


「んなろっ、【火炎】!」


 振り払おうと無理やり体勢を変え、バランスを崩しながらも左手をアシッドマウスに向けて魔法を唱える。

 水のような形状へと変化しながら移動する緑色の小さな鼠は、大河の放った火の放射をまともに浴びて、苦悶の声を上げながらのたうち回った。


「効いた! 成美、その緑色の水になるネズミ! 燃える!」


 大河をすり抜け悠理へと襲い掛かろうとするもう一匹のアシッドマウスに向けて、掌を向け流す。

 【火炎】の魔法は、こうやって腕を振って効果範囲を多少広げることができると、この三日の戦闘で大河は学んでいた。

 たった五秒程度しか放射できないが、軽い足止めにはなる。


「うん!」


 大河の簡潔でわかりやすい報告を聞いた悠理が、左手を前方にかざしてアシッドマウスを待ち構える。


「まだ……まだ……もう少し……【火炎】っ!」


 すでに幾度もの戦闘で、【火炎】の放射される射程の把握は済んでいる。

 アシッドマウスが飛び込んでくるのを見計らって、悠理は魔法を唱えた。


 水の蒸発する音と共に、火に包まれたアシッドマウスが末期の声を上げながら消滅していく。


 そのむごたらしい光景に悠理が物怖じしなかったのは、『咎人の剣』の持つアビリティ、【鼓舞】がまだ作用していたからだ。


 液体が一瞬で蒸発する熱の炎を放っているにもかかわらず、二人の手には火傷の跡は見られない。


「これで──終わりだっ!」


 大河は最後に残った逃げ回るキャットホーンを蹴り飛ばし、壁に跳ね返って飛んできたところを一刀両断にする。


 その見た目は殺意の高い血に濡れたツノを持つ以外は、普通の家猫にしか見えない。

 身体を両断されてもまだ息があるキャットホーンは、浅い呼吸を繰り返しながらその目はずっと大河を見て離さなかった。

 大河は少しだけ芽生えた罪悪感を振り払う。


 二つに寸断されたキャットホーンがようやく呼吸を止めた時、二人のスマホにバトルリザルトのメッセージが届く電子音が小刻みなバイブと共に鳴った。


「おぉぉ、ビビったぁ」


「天井から突然降ってきたもんね。まだ心臓がバクバクしてるよ私」


 警戒を緩めないようしばし『剣』を出したまま、二人は周囲を見渡して言葉を交わす。


 二人がまた壁色の違う通路に入ったのは、二十分前だ。

 

 今度の通路はほとんど開いている店が無く、通路を照らすLEDランプの照明もまばらで明らかに危険そうな印象だった。


 壁の至るところに血痕が飛び散り、通路の隅には何かの肉片が散らばっている。


「ねぇ……常盤くん。あれ」


「ああ、分かっている」


 なにより大河たちを警戒させたのは、少し遠くに見える──人影と思わしきシルエットである。


 薄暗いせいではっきりとは見えないが、壁にもたれかけて座っている男性──のように見える。


 そのシルエットをいぶかしみ、もう少し近寄ろうとした直後に、アシッドマウスとキャットホーンの襲撃を受けた。

 三匹づつ現れたモンスターは、一昨日までの虫や昨日までの狼や蝙蝠と違い、倒すのに相当手こずってしまった。


 まず、有効打を与えられる手段が限られていた。

 物理攻撃があまり効かなかったアシッドマウスもそうだが、キャットホーンは攻撃こそ大して痛くなく全然耐えられる程度だったが、かなり素早く『剣』を当てるのに苦労した。


 戦いながらなんとか光明を見出し、やっとの思いでモンスターを殲滅して、さてあのシルエットはなんだ。


 最初に見つけてから今まで、動いている様子が無い。

 というより、息をしているような身体の揺れも見られない。


「──行くしか、ないよな」


 ようやく現れた、明らかな『違い』。

 店の種類や出現モンスターの違いは今まであったが、それとは異質な『変化』である。


 ダンジョンと化したこの新宿駅が用意した、脱出用のギミックかも知れない。

 調べないわけには行かなかった。


「常盤くん」


「離れるなよ。怖かったら手を握ってろ」


「う、うん」


 すでに二人の中では、あのシルエットは『死んでいる』と言うことがほぼ確定している。


 この三日間で──最初の一日でたくさんの人の死と、その遺体を目撃している二人であったが、だからと言ってそう簡単に慣れるものではない。


 悠理は素直に大河の左手を掴んで、すぐ後ろをそろそろと歩く。

 大河は右手の『剣』を構えながら、注意深くシルエットを凝視しながら進む。


 そして数分をかけて二人は『彼』に相対した。


「──おっちゃん」


「そんな」


 そこには、初日に大河と共に戦った──空調服を着た作業員の中年男性が座っていた。


 全身を切り刻まれ、所々をモンスターに食いちぎられ、もはや光の宿らない空虚な瞳で床の一点を見つめている。


 大河に向けた人の良さそうな野太い声は、もう聞こえてこない。

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