無限回廊②
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「これで──」
「10体目!」
悠理の澄んだ声が新宿駅地下街に響く。
同時に『咎人の剣』の剣先が巨大な蟻の胴体を裂き、勢い余って地面に激突し金属音を鳴らした。
「ふっ、ふっ、ふぅー」
額に玉のような汗を浮かべて、悠理は大袈裟に呼吸を繰り返す。
「なんとかなったな」
その様子を見ていた大河が、満足そうに腰に手を当てる。
「まだ怖いけどね。常盤くんが引きつけてくれたおかげだよ」
無理やり張った虚勢を深呼吸で鎮めた悠理が、嬉しそうに大河へと駆け寄る。
「そろそろ体力もしんどいだろ。目的も達成したし、みんなのところに戻ろうぜ?」
「うん。ありがとうね」
「良いってことよ」
人懐っこい笑みを浮かべる悠理を見て、大河も自然と笑みが溢れた。
ここは中央通路から程近い新宿駅地下街。
やってきた目的は、悠理に残されていた『モンスターを10体討伐せよ』のクエストをクリアすること。
昨日の戦いを終えてから、この周辺にモンスターの姿はあまり見かけなくなっていた。
10体を見つけるのに、およそ二時間程度。
あまり中央通路から離れるのもどうかと、そう遠くない場所をグルグルと周回する事でやっと達成できた。
「
悠理がそう唱えると、『咎人の剣』が一瞬にして光の粒となって消えた。
持っているだけで体力を徐々に削られていくから、使わない時はこうして消してしまわないといけない。
「あ、そういえば。さっきそこの雑貨屋さんでポーチとか売ってたよね。クエストをクリアしたから私もマジックストラップを貰えるし、買っておいた方が良いと思わない?」
「ん? そういやそうだな。俺のリュックも使い古しててボロボロだし、ストラップを付け替えれば鞄の大きさは関係ないってんなら、もう少し小さいもんに買い替えるか」
今背負っているリュックに、特に愛着があるわけでもない。
重さを感じないリュックは妙に軽くてなんだか落ち着かないので、ショルダーバッグやウエストバッグの方が取り回しに適しているかも知れないと、大河はリュックを肩から外してポンポンと手遊びをしながら思う。
「えっと……私の残高が──200オーブ……少ない。モブアントって倒しても一匹10オーブなんだね」
悠理はスマホを見ながら項垂れる。
「モブって名前は伊達じゃねぇな。今回は討伐が目的だったから倒したけど、今度からは相手にすんのも馬鹿らしいからさっさと逃げよう」
「うん。倒してもたったの10オーブじゃ割に合わないしね」
二時間歩き回っても、見つけられたのは巨大な蟻──モブアントが一体づつだった。
大河にとってはたやすく葬れるモンスターであったが、戦闘なんて友達同士の殴り合い、口喧嘩すら未経験の悠理が戦うのだ。
群れて出現しなかったのは正直ありがたかった。
最初の一匹は、レベルアップによる膂力の変化に戸惑って力加減を間違えた大河が、突進を弾く勢いのまま胴体を薙いでしまったので、それからは寸止めや空振りで動きを制する事に専念し、なんとか悠理にも討伐できるようになったのは4体目から。
理解不能な生物とはいえ、虫を斬る感触は相当に生理的嫌悪感を催すモノだったらしく、悠理はずっと涙目であった。
それでも恐怖や気持ち悪さを飲み込んで無理して戦えたのは、ひとえに大河の足手まといになりたくないという気持ちと、大河を支えられるようになりたいという一種の強迫観念じみた思いから来ている。
「リザルトはどっちも届いてるか?」
「うん。どっちも届いてるよ。鞄を買ったら報酬を受け取ろうかなって」
「ああ、んじゃ──雑貨屋ってどっちだっけ?」
道が入り組んでいて、似たような配色の壁が続く新宿駅地下街はただでさえ迷いやすい。
平時は朝から夜まで人で混雑していて、通い慣れている人にしかルートの把握が難しい駅で有名である。
大河も言うに及ばず、道をすべて覚えられるほど新宿には馴染みがない。
「こっち」
悠理が大河のシャツの裾を引っ張り、正しい方角へと導いてくれた。
裾を摘む手はなぜか離さず、二人で静まり返る新宿地下街を歩く。
通路の両側には、電気が消えて真っ暗になったテナントが並んでいる。
なぜか通路の電気だけは煌々と点いたままであり、余計にテナントの暗さを強調していた。
なぜか、いくつかの店だけは無人のまま灯りが点いており、そういう店だけが店内に入る事ができた。
電気の消えた店は例えドアが全開になっていても、謎の見えない壁に阻まれて入る事ができなかった。
つまり、『買える店』と『買えない店』が存在しているという事になる。
目的の雑貨屋は過剰なまでに煌めいた若者向けの少しファンシーな店で、大河が一人なら近づく事も躊躇うだろう。
探せば他にも大河が好みそうな雑貨店はありそうだが、悠理が嬉しそうに店を目指しているので、大河は何も言わないことにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「これなんてどうかな?」
「いいんじゃないか?」
悠理の問いに、少しだけ上の空で応える。
「んー、常盤くん、ちゃんと見てる?」
「見てるし聞いてるって。ていうか、鞄一つ選ぶのにどんだけ時間かけるんだよ。もうそれで良くない?」
戦っている時よりも疲れた表情の大河が、戦っている時よりもイキイキとしている悠理に苦言を呈する。
温厚を自負している大河も、たった一つの鞄を購入するのに一時間は流石に許容限界である。
「仕方ないじゃん。よくよく調べたら、同じデザインの鞄でも効果が違ったんだから」
目当ての雑貨屋に到着し、どことなく可愛らしさが強調された鞄類を物色していると、悠理が何かに気づいてスマホを取り出し、一品々々づつ調べ始めた。
すると同じデザインと価格の鞄やアクセサリーでも、付帯効果がそれぞれ微妙に異なっている事が判明する。
それからはまるで店内の全ての物品を浚うかの如く、怒涛の品定めが始まってしまったのだ。
一つのウエストポーチを例に出すと──。
【 合成繊維で作られた腰掛け鞄。太古の文明の技術によって作られた量産廉価品。年月を経て魔力を帯び、品質が変性している。 【防御】+1 【混乱】耐性〔微小〕】
【 合成繊維で作られた腰掛け鞄。太古の文明の技術によって作られた量産廉価品。年月を経て魔力を帯び、品質が変性している。 【防御】+1 【熱】耐性〔微小〕】
【 合成繊維で作られた腰掛け鞄。太古の文明の技術によって作られた量産廉価品。年月を経て魔力を帯び、品質が変性している。 【防御】+1 【魅了】耐性〔微小〕】
──など、どれも効果は小さいもののなんらかの耐性が付与されている。
そこに鞄自体のデザインやサイズ、価格が違うとなれば、悠理の買い物好きの女子としての性が黙っていなかった。
「ここにある品物、ほとんど女性向けであんまり好みの鞄が無いんだよな」
「じゃあ今度は常盤くんの好きそうなお店を探さないとね。あ、こういうのはどう? 可愛いし動きやすそう!」
話しつつも品定めが止まらない悠理に、もうお手上げだとばかりに大河は床に座り込む。
こうしている間に、店の前を虫がウロウロと徘徊している。
もう何度目か、悠理に隠れてその都度駆除しているが、大した労力ではなかったが精神的疲労が溜まっていく一方だ。
悠理はなんだか楽しそうに商品を選んでいるし、落ち込まれるよりかはマシかと我慢していたが、もうそろそろ限界である。
「んーこれどう? 似合う?」
「お前が可愛いから、よほど変なのじゃなきゃだいたい似合っちまうよ。もうこの際、気になった物を適当に幾つか買っちまえばいいじゃねーか」
「かっ、かわっ」
「ん?」
疲れから無意識に出た文句に、なぜか顔を赤らめる悠理を大河は不思議に思う。
少し思案して、異性に対して初めて面と向かって『可愛い』などとほざいた事を思い出した。
「か、かわいいって、またまた」
あせあせと悠理の身振り手振りが中空を舞う。
「だいたい、俺に女子のセンスを聞くのが間違いだ。あんまりオシャレセンスないんだよ俺。黒くてゴツければカッコいいとか思ってる男だぞ?」
漂い出した変な空気を入れ替えようと、無理やり話題を変えた。
大河の被服センスは、お世辞にも優れているとは言い難い。
無難と適当で服を選ぶこの男は、基本的に黒や濃紺を好む傾向にあるのだ。
「それでも、常盤くんが気に入ったものを買いたいじゃない。常盤くんの
「二人で共有してんだから、あんま気にすんなって言ったろうが」
なぜ悠理の身につける物を、自分が気に入る必要があるのか。
女性経験どころか女性と会話したすらまともに無い大河には、そこがまずピンと来ていない。
決して他人の感情の機微に鈍いわけではないのだが、他人に興味を抱かない生き方をしていた弊害がここに来て、悠理の乙女心への無理解へと繋がっている。
「もう、わかってないなぁ君は。じゃあ、これとこれ買う!」
悠理が両手にそれぞれ持っているのは、白地に赤のラインが入ったウエストポーチと、黒地にピンクのストライプ模様のヒップバッグであった。
実は結構前から候補にと選んでいた物である。
「効果は?」
「んー、どっちも【防御】+1なのは同じなんだけど、こっちの白いのが【貫通防御】+1で、黒いのが【治癒】効果〔微増〕。色々漁ったけど、このお店にあるみたいな大量生産の品物は効果が【微】止まりみたい」
値段はどれも2,598オーブと、普通の買い物としては妥当の値段である。
「んじゃ支払っちゃいまーす」
悠理の心変わりを恐れた大河が、素早くスマホを操作してオーブを支払う。
「ありがとうね常盤くん」
「どういたしまして」
気にするなといった直後に礼を言われた。もう何も言い返すまいと大河は店を出る準備として念の為『咎人の剣』を抜剣する。
出た途端に死角から虫に襲われるのはたまったものじゃない。
「今日はこっちにしよ」
ほくほく顔の悠理が嬉しそうに、白いウエストポーチを腰に回している。
「さっさとクエストクリアの報酬を受け取って、それにマジックストラップつけて戻ろうぜ。ちょっと腹減っちまったよ俺」
「うん!」
店を出て少し歩いた十字路の隅で、モンスターの部位とクエスト報酬を受け取り、手早い手つきでマジックストラップをポーチに結んで次々と収納していく。
そして二人は、仮住まいと定めた中央通路へ向かってと歩を進めた。
それから一時間──二人はまだ歩き続けている。
もう自分たちがどこにいるのか、完全に道を見失ってしまっていた。
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