クエスト報酬とジョブオーブ①


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「よぉ、待たせちまった……かな」


 女子トイレの個室の扉を開けると、そこには身体の至る所に切り傷や打撲痕を付けた、ボロボロの大河たいがが笑っていた。


「────っ、常盤ときわくん!」


 その姿があまりにも痛々しすぎて、悠理ゆうりは居ても立っても居られず抱きついた。


 無事に帰ってきて、迎えに来てくれたことへの安堵。

 生きていてくれた事への感謝。

 傷だらけになってまで、自分との約束を忘れないでいてくれた嬉しさ。

 何も手助けできなかった事への申し訳なさ。

 そして異性としての頼もしさと、もう無視できない愛おしさ。


 それらの大きな感情以上に、心配がまさってしまった。


「こっ、こんなにっ、こんなに傷だらけでっ、ごめっ、ごめんなさいっ」


 嗚咽で上手く回らない舌で、悠理は謝罪する。

 今日はずっと泣いてばかりで、きっといつか幻滅される──なんて、頭の片隅の冷静な部分で考える。

 それでも、涙は止まってくれない。


「ああ、傷の事なら心配すんなって。見かけよりも大した事ないみたいだし、あとで【手当トリート】をしてくれる話になってるから」


「ひっく、と、とりーとってなに?」


「魔法──なんだけど、身体の傷が治る魔法があるんだよ。いや何言ってんだって思うかもしれないけど。俺も言ってて馬鹿っぽいなとはなってるが」


 照れながら頭を掻いて、大河は苦笑いを浮かべた。


「とりあえず、しばらくはトイレの外も大丈夫そうだ。一緒に行動してくれるって人らもいるから、ここを出よう。な?」


「うっ、うん。えぐっ」


 まるで幼い子供を諭すような口調と声色で宥めながら、大河は抱きついている悠理の頭を優しく撫でた。


 優しくされた事への嬉しさと、そんな思いを抱いてしまった自分の浅ましさから来る自己嫌悪。

 そんな二律背反めいた緩慢な思考のまま、悠理は大河により強くしがみつく。


『えっと、彼女ちゃーん?』


 外から男性の声が聞こえてくる。


『感動の再会のところ悪いんだけどー。そいつ今、戦いが終わってハイになってるってだけで、実際は全然大丈夫じゃないから早くこっちに連れてきてくんねーかー?』


 誰かも分からないそんな声で我に返り、悠理は改めて大河の顔を仰ぎ見る。


 さっきは暗所から見ていたせいで逆光で見えなかったが、その顔は蒼白を通り越して土気色。

 背中に回した手でなぞった傷も、大河が言う『大した事ない』なんてとてもじゃないが言えない深さ。

 重症とまでは行かないが、このまま放っておけばかなり不味い事になるレベルであった。


「とっ! 常盤くん! なんで嘘付いたの!? ははっ、はやくその魔法を!!」


 悠理は慌てて大河から離れ、その手を取って女子トイレの出口へと向かう。

 成し遂げた達成感と悠理との再会で安心したのか、すでに大河の意識はかなり朦朧としていて、悠理の細腕でもその大きな身体を簡単に引っ張る事ができた。


「おっ、出てきた出てきた。【手当トリート】の効果の確認終わってるから、そっちに寝かせてやってくれ」


「アンタがその子の彼女? 先に治療しないとってみんなが止めたのに、ソイツ、アンタを早く安心させてやらなきゃって言って聞かなかったのよ」


「良い彼氏じゃん。良かったね彼女ちゃん」


 ホスト風の男性二名と、気の強そうな女性が出口のすぐ外で待ち構えていた。


「か、彼氏じゃ──そ、そんなことより! その魔法って奴をはやく!」


 彼女と呼ばれて内心少し喜びかけたが、今はそんな場合じゃないとすぐに思い出して、今にも倒れそうに身体を預けてくる大河を支えながら悠理は焦る。


「はいはい。アタシの体力もほとんど残ってないし、他の人らも自分や周りの傷を治さないといけないから手が足りないの。彼女ちゃんにも【手当トリート】を使って貰わないとね。やり方説明してあげるから、早く寝かせて」


「はい!」


 どこかから持ってきたのか、指示された場所には簡易担架が置かれており、そこに大河の身体をゆっくりと寝かせる。

 すでに虚な目でふらふらと揺れるその身体は意外に扱いずらく、数人の男性に手伝ってもらう事でなんとか横に出来た。


「服、脱がせて」


「はっ、はい!」


 女性にそう指示されて、オーバーサイズの黒いTシャツを捲る。


「常盤くん、腕上げて。そう、もう少しだからね?」


 いっそのこと切ってしまおうかとも考えたが、まだ大河にも幾分かの意識が残っていたため声をかけて腕を上げて貰う。


 初めて見る同年代男子の裸体に恥じるなんてこともしている場合ではなく、逸る気持ちを抑えながら少しでも大河の負担にならぬよう、悠理は努めて優しくその身体を扱った。


 苦心してシャツを脱がせると、その身体は打撲でところどころに青痣が浮かび、長短様々な傷から少なくない血が滲んでいる。


「良い? 『剣』を手に持って、空いてる方の手で傷口を優しくおさえて──【手当トリート】」


 気の強そうな女性は悠理にそう告げて、大河の腹部の一番目立つ傷を抑えて魔法を唱える。


 その手に優しい暖色の光が灯り、十秒ほどで消えた。


「一回で治るのはこんだけ、か」


 女性が手を離すと、大河の傷がうっすらと細くなっている──気がする。

 しかし確実に、その傷からの出血は止まっているようだ。


「何回も何回も重ねがけしなきゃならないみたいだから、アンタも今のうちに使えるようになってなさい。『ぼうけんのしょ』を見れば『剣』の出し方と魔法の名前が書いてあるから」


「『剣』の出し方なら覚えてます」


 悠理はすでに、大河が戦っている間に何度も何度も繰り返し『ぼうけんのしょ』の様々な項目を読んでいる。

 それは別れる前に大河に言われていた事でもあったし、自分にも何かできないかという焦りからの行動であった。


 ただ、恐怖と大河への心配でまともに頭に入ってこなかったが。


「えっと、【抜剣アクティブ】」


 大河が『剣』を出現させた姿を思い出しながら、悠理も同じポーズで顕現の言葉を唱えた。


 握った右手の中に、光が集まり、やがて手を押し広げながらそれは形を成していく。


 やがてすぐに光が収まり、出来上がった『剣』を手に悠理は静かに頷いて女性へと向き直る。


「うん、じゃあまずはアタシが限界まで治すから、その次はアンタの番ね?」


「はい!」


「よし、アタシは嘉手納かでな 未羽みう。近くのアパレルでバイトしてたフリーター。アンタは?」


成美なるみ 悠理ゆうりです。高校生です」


 未羽と悠理はそう軽く自己紹介をして、大河の治療に戻る。


「そういや、この子の名前も知らなかったね。彼氏の名前、なんていうの?」


「ま、まだ彼氏ってわけじゃ。えっと、常盤 大河くんです。中学の頃の同級生なんです」


「えっ、付き合ってないの? あんなに必死にアンタが隠れている場所を守ってたのに?」


「そっ、そうです」


「へー」


 ニヤニヤと笑いながら、未羽は大河の治療を進めていく。


 男女関係を否定はしたものの、歳上で同性である未羽には悠理の気持ちなど簡単に察する事ができるようだ。

 なんだか見透かされているみたいで、悠理は顔を赤らめた。

 照れ臭さを誤魔化すために、一度大きな深呼吸をした。


 担架に寝かされている大河の横で正座し、首だけを回して周囲を確認する、。

 新宿駅中央改札、中央通路。

 壁は破壊され、自動販売機は薙ぎ倒され、天井は崩れていて──と、凄惨な場所になってしまっている。


 チュートリアル開始が宣言された時に居た人のほとんどはもうこの場に残っておらず、方々に散ってしまったみたいだが、それでも数十名ほどが残っていた。


 悠理の見える範囲でも、壁にもたれてうずくまっている人やそれを励ましている人。

 大河の様に傷だらけで、『剣』を持って戦っていたであろう人が通路にまばらに存在していた。


 そして横たわったまま動かない人も、身体のパーツが不足している人も、存在している。


「──っ!」

 

 それらの人から目を逸らして、寝息をたて始めた大河の顔へと向き直った。


 再び腹の底から湧き上がりかけた恐怖を、悠理は大河だけに集中する事で忘れようと試みる。


「……また、助けられたね。常盤くん」


 その穏やかな表情に向けて呟く。

 頬に手を添えて、優しくなぞった。


「きみは忘れてるだろうけど、前にも助けてくれたの……私はずっと覚えているから」


 中学二年の、人を信じられなくて苦悩していた頃の自分を思い出した。

 その時のぶっきらぼうな大河の顔が、現在の少しだけ成長した大河の寝顔と重なる。


「私も、きっと君を助けられるように──守れるように、なるから」


 頬をなぞる手が顎、首元、そして服を脱いで露わになった胸元へと移る。

 自分とは違う、男子の体つき。

 そんな、もうはっきりと自覚した恋心を抱く異性の身体に、少しばかりのときめきと興奮を抱いたその時──。


「悪いんだけど、そういう小っ恥ずかしい甘酸っぱいのは人がいないとこでやろうね? なんかアタシが困ってんだけど」


 白けた声色の未羽の言葉で、冷や水をぶっかけられた。


「まぁ、死ぬかもしれなかったって時に、こんなボロボロになってまで守ってくれた好きな人相手に欲情しちゃうってのも、同じ女としてはわからないでもないけどさぁ」


 悠理は慌てて大河の胸から手を離し、しばし呆然とする。


(わ、私今なにして──っ!)


 自分のした行動が信じられず、自分の手を呆然と見たあとで、ゆっくりと未羽へと顔を向ける。


 その表情は、なんだか困ったような、呆れたような、なんとも言えないものだった。


「ちっ、ちちちちちちっ、ちがいます! 誤解ですから! すいませんっ!」


「ああ、いや。責めてるわけじゃないよ? アタシも学生の頃は結構夢見がちだったからさ。そうなっちゃうの、わかる。わかるけど、今は……さ?」


 諭すように、同情するように優しく話しかける未羽の視線が、耐えきれない羞恥となって悠理の顔を身体を熱くさせた。


 しばらくの間、未羽が魔法が使えなくなるまでの長い時間。

 悠理は居心地の悪い居住いで大河の顔だけを見続けていた。

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