新宿大迷宮《シンジュクグランメイズ》

成美 悠理の知る、常盤 大河という男①

 

 中央改札を抜け、駅構内の地下中央通路を大河たいが悠理ゆうりは走り抜ける。


常盤ときわくん! 一体どうしたの!? 落ち着いて!」


「大丈夫だ! 今の俺ならあんな化け物やつらに負けやしねぇ!」


 明らかに先ほどまでと様子の違う大河に必死に話かけるが、気色ばった大河は悠理の言葉など聞きもせず、目を血走らせてわらう。


 新宿駅構内の地下中央通路は、左右にエスカレータと階段が間隔を開けて並ぶ場所だ。

 エスカレータを昇ればそれぞれ行き先や路線、系統の違う電車の乗り場となっていて、外の空間と繋がっている。

 そこには侵入し押し寄せるモンスターから逃げ出そうと、たくさんの人々が詰め寄っていた。


『こっちはダメだ! コウモリの化け物が!』

 

 男性の叫び声にエスカレータを昇る人々が一斉に向きを変え、その結果上階から雪崩れ込んできた人の勢いに負けた階下の人々が潰されてしまった。


『ぐ、ぐるじいっ!』


『ぎゃあっ、どいてくれ!』


『助けて! 息ができない!』


 苦渋の声がそこかしこで溢れる。

 見ればどのエスカレータも階段も、似た様な状況に陥っている。

 混乱が混乱を招き、すでに駅構内は収拾がついていない。


 大河は突然、中央通路の一角で足を止めた。


「と、常盤くん?」


成美なるみ、ここでしばらく待っててくれ」


 大河の視線の先にあるのは、女性用トイレだった。


「え?」


「俺はこのトイレの入り口で奴らを迎え撃つ。お前は奥の個室に篭っててくれ」


「な、何言ってるの!? 無茶だよそんな! あんなの相手にして勝てるはずないよ! 常盤くん、おかしくなっちゃったの!?」


 自信有りげに立つ大河に縋り、その身体を揺さぶる。

 誰がどう見ても、今の大河はおかしい。

 その手に剣を取った瞬間から、まるで人が変わったような豹変。

 悠理の知る大河はここまで好戦的な人物ではなく、物静かで大人しい人物だった筈だ。


「これ」


 大河が右手に持つ『咎人の剣』を持ち上げて、悠理の目線に合わせた。


「これさ、どうやら持ったら気分が高揚する変な剣らしくてさ。それだけじゃなくて、凄い力を感じるんだ。まるで、俺が俺じゃなくなったみたいな、試しに──」


 大河はそう言って悠理の腕を取っていた左手を離し、通路の端に設置されていたゴミ箱へと歩く。

 それは金属でできたとても重厚な作りのゴミ箱で、底面をビスなどで固定されている頑丈な設置物だ。


「──よっと」


 そんな、とてもじゃないが一人で持ち上げることなどできないであろう重量物を、大河は左腕一本で持ち上げた。

 ゴミを入れる為に開けられた穴を摘んで、固定されていたビスがコンクリートとタイルを剥がして中空に浮かび上がる。


「ほら、凄いだろ?」


 幼い子供みたいに破顔して、大河は悠理を見る。


「……う、うん。凄い」


 そんな大河に何を言ったらいいのか分からず、悠理はこくんと頷く。


「だからさ、ある程度逃げ道を確保するまで、お前はあそこに隠れていてほしいんだ。今の俺なら──一人ひとりなら化け物やつら相手に逃げながら戦える気がする。心配すんな。絶対にお前のとこには向かわせない。約束する」


 大河は背負っていたリュックを悠理に投げてよこし、屈託のない笑顔を見せる。


「新宿がこうなってしまって、お前とも偶然会っただけだけど、今俺のこと知っているのはお前だけだし、お前のことを知っているのも俺だけだ」


 ゆっくりと悠理の元へ戻り、小さな背丈の悠理の頭へとその左手を乗せる。


「だからってわけじゃないけどさ。お前のことは、俺が守るから」


 悠理の知らない大河の表情。

 大河すら知らない、大河の表情。

 それは『剣』の力によって高揚した精神からくる、大河本来のモノではない。

 悠理にはそれがとても不安で、とても心配に見える。


「……わ、私は何もできないし、短い間に常盤くんに迷惑ばかりかけて、だから常盤くんの言うことに従うことしかできないの」


「うん」


「本当は、離れたくない。怖いから、一緒に逃げたい。一緒にいたい。一人になりたくない。一人は嫌」


「うん」


「でもそれが叶わないからって、それじゃ助からないからって、常盤くんはその『剣』で戦うことを選んだんでしょ?」


「ああ、そうだ」


 通路の真ん中で立ちすくむ二人の周りを、未だ多くの人が四方へ走り逃げ惑っている。

 地上階からは悲痛な叫び声が木霊し、通路の先や元居た地下広場からも、凄惨な声が轟いている。

 もうじきここにも、それが訪れる。

 なにもかもが理解できない、なにもかもが理不尽な化け物たちが、明確に人間に対する殺意をもって、大河と悠理に襲いかかってくるだろう。

 だから、もう。

 口論している時間すらない。


「じゃあ私のせいで、常盤くんはそうなってしまったんでしょ?」


 大河を見据える悠理に目に、大きな涙がとめどなく溢れてくる。


「常盤くんが、もし死んだら。私も多分死んじゃう」


「そうならないように、頑張る」


 大河の瞳に宿る怪しい光は、悠理の言葉ではもう揺るがない。


「……わかった。私、あそこでずっと待ってるから」


 悠理はそう言って、大河の身体に抱きついた。


「死にたくないし、死んでほしくないの。だから、待ってるから」


 大河の胸元に顔を押し付け、必死に嗚咽を飲み込む。


「かならず、迎えにきてね?」


「ああ、待っている間、お前も『ぼうけんのしょ』を確認しておいてくれ。多分、俺らが生き残るには、あれに書かれてることが必要なんだと思う」


「……うん」


 そう言って悠理は、名残惜しそうに大河の身体から離れ、リュックを背負い女子トイレへと歩を進める。


 その後ろ姿を見て、大河は『剣』を握る拳に力を込めた。


「……おし」


 悲鳴がさっきよりも近い場所から聞こえてくる。

 戦いながら、自分と悠理の活路を見出す。

 それが今取れる唯一の可能性だと、大河は自身に気合を込めた。

 状況がもっと落ち着いていれば、死の恐怖を身近に感じていなければ、他に取れる手段を模索できたかもしれないし、もしかしたらもっと可能性の高い方法を思いつけたかもしれない。


 でも喫緊に迫る化け物モンスターどもの存在が、その選択肢を大河と悠理から奪った。

 

 大河はゆっくりと歩き出す。『咎人の剣』を両手に持ち、素人丸出しの構えで臨戦体制を取る。


 その瞳に、巨大な虫の夥しい群れが映った。

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