最初のクエスト③



『どけぇえええええ!』


『奥だっ! 奥に逃げろっ!』


『子供がいるんですっ! 押さないでぇ! お願い押さないでぇ!』


『痛い痛い痛い痛い!』


『あゆみどこだっ! どこにいるっ!』


 地下広場から各方面へと伸びる連絡通路、更には改札を抜けて駅のホームへと続く中央通路までもに人が雪崩れ込んでいく。


 ここに至るまでに皆、外の惨状を見ているからか必死に、他人を押し退けてまで少しでも前へ逃げようと、地下広場は散々たる様相を見せていた。


成美なるみっ!」


「きゃあああっ!」


 大河たいがは悲鳴をあげる悠理の小さな身体を強く抱きしめ、円柱を背にしながら必死に人波の勢いに耐える。

 その流れは凄まじく、少しでも気を抜けば引き倒されて飲み込まれてしまいそうだ。

 現に大河の目の前で、さきほどまで元気に泣いていた子供が一人、大人たちに倒され次々と踏み潰されて今はもう動かなくなっている。

 あっという間の出来事だった。

 その子を助けようにも大河は一歩も動けず、すでに人の形を失った赤い物体へと変わってしまっている子供を見ている事しかできない。


 その子だけではない。

 逃げ道が四方に、そして無数にある地下広場では皆が違う方向に四散した為に流れが混沌と化していて、子供はおろか大人ですら飲み込まれて翻弄されている。

 痛みを訴える声。

 助けを、救いを求める声が怒声や罵声の隙間を縫って耳に届く。


『う、うわああああああっ!』


『来た! 来た来た来たあいつらが来た!』


『早く前に行って! ねぇお願い早く!』


『ちょ、ちょっと待ってタンマタンマぁああああああああっ!』


 最後に聞こえた男の姿と悲鳴が、天井の吹き抜けから空へと消えていった。

 ドップラー効果か、その声は急速にか細く低くなっていく。

 ついにモンスターとやらが地下広場に侵入し始めたのだろう。


「くっ!」


 大河はそんな周囲を見回して、歯噛みする。

 今すぐ逃げねばならないが、逃げようにもこの混乱の中を動くのは危険でしかない。

 胸の中で震える悠理を見て、また周囲を見て、行動を決めかねる。

 判断を迷えば、死に繋がる。

 そんな状況を、平和な日本に生きたただの子供である大河は経験した事など勿論ない。


「どうしたら、どうしたらっ!」


 焦りが言葉となって口から出る。

 額を流れる汗は地下広場の熱気からか、それとも冷や汗かわからない。

 

 その時、左手に持ったままだったスマホの画面が目に入った。

 まだ開いたままの『ぼうけんのしょ』の画面が、新しい物に切り替わっている。




【戦闘の手引き 『咎人の剣』を構える】




 そんな文字を見て、脳裏に『逃げられないなら、立ち向かわねば』というありえない考えが浮かぶ。

 何を馬鹿な。

 あんな──普通の生き物ではありえない大きさの虫や、化け物たちに対峙するなんて正気の沙汰ではない。

 大河の運動神経は、男子高校生の平均の値を出ない平凡な物だ。

 格闘技を習った覚えもない。

 喧嘩なんてもっての外。そういうトラブルを避ける為に、大河は人との関わりを最小限に今まで生きてきた。



 でも──人を刺した経験は──ある。

 それは二年前、大河がまだ中学二年生の、夏休み前──相手は──実の父親で──。



 ふと心にドス黒い感情が渦巻き、吐き気を覚える。

 忘れかけてきた人の肉を突き破るあの気持ち悪い感触を思い出し、身震いする。

 この二年で薄れてきた、自分を否定する考えが頭の中いっぱいに広がっていく。


(死んでも……いいんじゃないかな)


 それはずっと遠くに押しやった筈の感情。

 自分の父親を刺し、友達を捨て、逃げる様に地元から引っ越したあの頃に抱いていた、危うい気持ちの奔流。


(そうだ。どうせあの時、いっそ死んでやろうって思ってた。俺みたいなのが生きていてもしょうがないって。ならここで化け物と戦うのもいいかも知れない。勝って生き残るにしろ負けて死ぬにしろ、自分がどうなろうと──どうでもいい)


 結論が出る前に、大河は左手のスマホを操作して『ぼうけんのしょ』のページをスワイプする。

 状況に流された思考では、正常な考えなど持てるはずもない。


「えっと、『右手の紋章に意識を向けて、戦う意志を明確にして、解放の言葉を発する』……』


 ブツブツと『ぼうけんのしょ』に記載されている文章を間違えないように読む。


 その後にもなんだか長たらしく色々と書かれているが、詳しく読んでいる時間は無い。

 その『咎人の剣』とやらで戦える事がわかれば、大河にはそれで充分だった。


「と、ときわくん?」


 明らかに変化した大河の声色を不審に思い、悠理は大河の胸の中で顔を上げてその顔を見る。


「成美。一応は頑張ってみるけど、ダメだったらごめん。なんとかここから逃げて、頼れそうな大人を見つけてほしい」


「な、何言っているの?」


「どうせ死ぬなら──抗ってから死にたい」


「ヤケになったらダメだよ! 足手まといの私がこんな事を言うのはおかしいけど! でも!」


「ヤケってより、なんだろう。これしか生き残る方法が無い……気がする。いや確証は無いんだけど、なんでだろう。間違ってないと、今は断言できるんだ」


常盤ときわくん……」


 覚悟を決めた大河の表情に何も言えなくなった悠理は、不安そうに大河の胸元のシャツを握る。

 大河はそんな悠理の様子に少しだけ苦笑して、前を見た。


「ごめんな。えっと、こうか」


 未だ逃げ惑う人々を背景にして、右手の甲を胸の前に出して、右手を力強く握った。

 そこには剣の意匠の刺青──『ぼうけんのしょ』曰く、紋章が優しい青の光を放って明滅していた。


「【抜剣アクティブ】!」


 大河のその声と同時に、右腕が光り輝いた。

 それは握り拳の中へと吸い込まれていき、硬い棒状の物体の感覚として大河の手を押し広げていく。

 やがて光は両側へと伸び、拳の外側──小指側は短く、拳の内側──親指側に長い姿へと形成されていった。

 そうして光が収まるにつれ、その形がはっきりと剣だと大河にも認識できる。


「な、なにそれ」


 胸の中で首だけを回してその光景を一部始終を目撃していた悠理はぽつりと呟く。

 大河は悠理の身体からゆっくりと腕を離し、光が完全に消えた剣の柄を右手でしっかりと握り直す。


 その剣は、特にこれといったことのない、ファンタジー作品などでよく見られるいわゆる『普通の剣』の姿をしていた。

 西洋風と言うには意匠がシンプルで、年代を表すような特徴もなく、ゲームの序盤に手に入る弱い武器として良く知られるデザイン。

 しかし大河には、『普通』ではない力が感じ取れた。


「これが──『咎人の剣』……か」


 剣とは逆の、左手にもつスマホが一瞬震えた。


 そこには──。


【『咎人とがびとつるぎ


 咎を背負った巡礼者が携える可能性の剣。女神の願いにより巡礼者の心の内側より生まれ、他の生物の可能性を奪って成長すると伝えられている。

 それは巡礼者の生き様や内面を如実に現し、時に清純な聖なる光を伴い、時に憤怒に染まった醜い姿をしていると言われている。


 巡礼者プレイヤーに最初に与えられる剣の名称。

 《抜剣する事で全てのステータスに+5の値を追加。レベルアップ時に[力]に2の上昇値を追加》


 アビリティ  

 ●鼓舞|抜剣《アクティブ時に自動発動。巡礼者の精神を高揚させ戦闘意欲を高める。一定時間、あらゆる精神系のデバフ効果を打ち消す。効果時間は巡礼者の体力により変化》


 スキル

 ●アッパースラスト 《下から掬い上げる様に斬る斬撃系スキル。オーラを纏い上昇する》

 ●手当トリート 《切り傷や打撲傷を癒す効果の初級魔法。効果を発揮するまでに10秒と長い時間を必要とする》

 ●火炎 《炎を5秒間放射する初級魔法。有効射程は巡礼者の周囲の環境により変化する》

 ●水流 《水流を5秒間放射する初級魔法。有効射程は巡礼者の周囲の環境により変化する》

 ●旋風 《規模の小さい竜巻状の風を対象にぶつける初級魔法。有効射程は巡礼者の周囲の環境により変化する》

 ●土砂 《5〜10個の硬い土と砂の塊を対象にぶつける初級魔法。ぶつける塊の数は巡礼者の周囲の環境により変化する》


 

 一定量のORBオーブを吸収させたり、特定の条件を満たす事で様々な形に進化する剣です。

 進化した姿それぞれに特徴を持ち、レベルアップの際のステータスアップに補正を加えたり、固有のアビリティやスキルを保持していたりと効果は様々です。

 また特定の剣にしか扱えない限定武技を持つ場合もあります。

 剣を進化させる条件は様々で、中には進化方法が公開されず秘匿されている場合もあります。

 各地のイベントや特殊なクエスト、特殊なエリアボスなどから報酬として進化条件入手する事もあるので、フィールドを隈なく歩き回ることをおすすめします】


 ──この様な文章がつらつらと綴られているが、今の大河は気付けていない。


「ははっ」


 大河が笑う。


「はははっ!」


 声高らかに、大きな声で笑う。


「すげぇ……これなら、化け物あいつらだって……くくっ、くくくっ」


 その剣を手にした瞬間から、大河の精神は明らかに変化していた。

 それは剣が持つ《鼓舞》のスキルの影響からか、明らかに精神が昂っている。


 交戦的で獰猛な笑みを浮かべ、さっきまでのネガティブな思考は消え去り、今は戦えば必ず勝てるとまで思い込んでしまっている。


「成美、俺が守ってやるからな」


 大河は剣を肩に背負い、困惑の表情で大河の顔を見上げている悠理をまっすぐに見つめそういい放つ。


「常盤くん……? 一体、何を言って」


「付いてこい!」


 悠理の返事を待つのも惜しいと、大河は逃げ惑う人がまばらになり始めていた地下通路を、悠理の手を取って走り出した。


「常盤くんっ! ちょっとまって常盤くんってば!」


 悠理の静止の声も虚しく、二人は新宿駅の構内方向へと駆けていく。

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