最初のクエスト①


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 西新宿の街から直接、新宿駅構内へと入る事のできる通路がある。

 それは立体的に複雑な新宿周辺の地形を利用し、階段を下る事なくスムーズに移動できるようデザインされている。

 駅の至るところに無数に存在する階段の混雑を避けるためか、それとも別の意図があったのかは大河たいが達にはわからない。

 

 ただ今はっきりと理解できるのは、その設計のおかげで即座に駅へと避難できた事だ。


「はぁっ、はぁっ!」


 肺が拳大にまで縮んでしまったかの様な錯覚。

 酸素が不足した脳がズキズキと痛み、目の奥が燃えているかの様に熱い。

 背中で震える悠理ゆうりを支える腕が怠く、力を込めていたせいで圧迫されて痺れている。


 それでも速度は落ちたが一歩も止まる事なく、大河は通路を新宿駅の地下広場に向かって進み続ける。


 トンネル状となった通路には、反射され増幅される悲鳴で溢れていた。

 その声が生存本能を刺激し、逃げるための活力を生むという皮肉。


「はぁっ、はあぁあっ!」


 乾いた喉が水を欲しているが、自動販売機で一息入れる余裕など有るわけもなく、大河は目の端で周囲の人たちをちらりと見た。


 大河と同じ様に必死な形相で横を走る人たち。

 子供を抱え、息も絶え絶えに壁へと寄りかかる母親。

 恋人の背中を支えながら、少しでも奥へと進もうと促す青年。

 動けなくなり倒れこんでしまった妻を、なんとか励まし立ち上がらせようとする老人男性。

 友人の死に項垂れ、恐怖に混乱し泣きじゃくる、大河たちと同年代の集団。


 みな歩みの速度こそ違うが、少しでも安全な場所を目指して進んでいる。


成美なるみ、おい成美」


 乱れた息を整えつつ、大河は背中の悠理に声をかける。

 その身体の震えは尋常では無く、汗で湿った大河の背中ですら濡れていると分かるほど泣きじゃくっていた。


「たすけて……たすけて……パパ……ママ……」


 大河の声に反応を見せず、まるで幼い子供みたいに丸まっている。


 長い間悠理を背負っている大河は、さすがにその姿に若干の苛立ちを覚え、無理やりにでも降ろして自分で歩かせようと思ったが、この怯えようでは満足に歩く事もままならなないかも知れないと思い直した。

 見捨てる事もできない以上、悠理の遅れは大河の死活に関わる。

 体力的にぎりぎりにまで追い込まれかけているが、まだもう少しは背負っていられると判断し、大河はそのまま通路を進み続けた。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 辿り付いた新宿駅構内は、たくさんの避難者でごった返していた。

 みな一様にスマホを手に取り、不安と焦燥と行き場のない怒り、そして恐怖を隠そうともせずに騒いでいる。


 今いる場所は一応は地下に分類される場所で、複雑かつ広大な新宿駅を余計にややこしくさせる要因となっている場所だ。

 タクシー乗り場やバスターミナルが隣接していて、その天井は吹き抜けとなっている。

 日中の陽光が差し込むこの場所はもしかすると巨大虫の侵入に容易い可能性があり、大河は覚悟して踏み込んだのだが、どうやら今の所安全な場所であるようだ。

 あんなに大きな吹き抜けから、なぜ虫達が入ってこないのか疑問には思うが、今は生きている人間が多いという事実がとても安心できる。


「成美、俺そろそろ限界だから、一旦降ろすぞ?」


「ひっ」


 地下部分をさせる無数の円柱の一つに余裕のあるスペースを見つけ、大河が腰を降ろして悠理を降ろそうと促す。

 だが悠理は身体を強張らせて、大河のシャツの肩部分をぎゅっと握った。


「……大丈夫。大丈夫だ。ずっとここにいるから。どこにも行かないから」


「ふぅううう、うぅうううっ」


 ゆっくりと悠理の身体から手を離し、片足づつ床に降ろす。


 震える悠理は、せめて一箇所でも大河と触れていたいのか、左腕を大河の首に回しながら地面に立った。


 ふらふらと身体を揺らしながら円柱にもたれかけ、大河の身体から手を離し、滑り落ちる様に地面に座り込んで膝を抱えてうずくまった。


「……ごっ、ごめんなさいっ。ずっと、常盤ときわくんにっ、ひっく」


「分かってる。分かってるから」


 地震発生直後から大河の負担となっている事を気に病んでいるのだろう。

 大粒の涙を流して震える悠理の頭を優しく撫でて、円柱に沿って地面に腰を下ろさせる。


「そういえば……」


 虫から逃げる直前に握っていたスマホは、はたしてどこにやったかと思い至り、ジーンズの右ポケットにその存在を確認して安堵する。

 どうやら無意識の内にポケットへとねじ込んでいたらしい。


 大河の持つスマートフォンは世界的に有名な林檎のマークのモノだが、世代的には数世代前の古い型だ。

 擬似的なホームボタンに指紋を認証させるタイプで、画面を開こうと手に取り上下の向きを確認する。


「なぁ兄ちゃんたち、どっから逃げてきたんだ?」


 その時、派手な金髪の青年が大河に向かって声をかけてきた。

 隣には青ざめた表情の、インナーカラーに紫色を差し込んだロングヘアーの女性が立っている。


「お、俺らは──西新宿。山手通りの方から」


「そっか、俺とこいつは歌舞伎町の方からだ。あんなデカくて気持ち悪いコウモリとか、黒い狼とかビビったよな」


「コウモリに狼? いえ、俺らはデカい虫に追われて──」


 そう返事を返す直前に、横から割腹の良い中年の男性が割り込んで来た。


「青梅街道沿いに出たのは髑髏どくろの化け物だったぞ?」


「北新宿から逃げてきたけど、人間くらい大きなたくさんのトカゲが人を襲ってきたわ」


「百人町から線路沿いにここに来たんだが、小さいおっさん見たいな緑色の化け物が大群で街を荒らしてたぞ」


「新宿御苑にはライオンっぽい化け物が──」


「代々木には一つ目の巨人が──」


 いつの間にか、大河の周囲に居た人たちが次々に情報交換を始めてしかった。

 最初に話しかけてきた青年の姿も、他の人の影に埋もれて見えなくなっていた。


 人見知りのする大河はその情報交換の輪に入れる気がせず、手に持ったままのスマートフォンの電源を入れて指紋を認証させる。


「ん?」


 見覚えのない待ち受け画面が、そこにあった。


 本来なら叔父と一緒に出かけた海の画像が表示されるはずの画面が、一面を濃紺色で占められただけのシンプルなものに変更されている。

 更には画面の半分程度がアプリアイコンで埋まっているはずなのに、全て消えていた。


「あ、あれ? LINEは? 通話アプリ、メールも……なんだこれ」


 画面下部にデフォルトで表示されるはずの通話アプリなども、根こそぎ消えている。

 ただ一つ、画面の中央に見覚えのないアイコンが、待ち受け画面の濃紺に溶け込むように目立たず存在していた。


 デフォルメされた、古ぼけた本が開かれている絵。

 黒い背景に真っ白な本のページだけが、画面の中央に浮かんでいる様に見える。


「……ぼうけん……のしょ?」


 アイコンの下に表示されるアプリ名は、太い白文字でそう書かれていた。


「なぁ成美。俺こういうの詳しくないんだけどさ。アプリが全部消えるってよく有る事なのか?」


 日常的な操作などは問題無いが、機械そのものに関しては大河の興味の外だったので、最近のスマートフォンの知識が全くない。

 現役女子高生である悠理ならと、自分のスマホ画面を見せながら問いかける。

 うつろな瞳に涙を浮かべて、悠理は大河の示すスマホ画面を見た。


「……わかんない」


「そ、そっか。なんかの不具合かな。電話もメールも出来なくなっててさ。どうしたもんかな」


「……え?」


 大河の言葉に少しだけ目を丸くして、悠理は自分のスマホを取り出し画面を点ける。


「嘘……うそうそうそっ! 私のスマホも変になってる!? 電話……できない。パパにも、ママにもっ!」


 スマホを両手で持ち、食い入る様に画面を凝視しながら悠理は分かりやすく取り乱す。

 マナー違反だと知りつつ、大河は頭上から悠理のスマホ画面を覗いた。

 必死にフリックし、スワイプし、画面を点けたり消したりするが、なんの変化も現れない。

 その画面は大河のスマホの画面と画面サイズ以外全く一緒で、中央に開かれた白い本が浮いている。


「ああ、それな。地震の直後からみんなそうなっているみたいでさ」


 大河の隣に立っていたサラリーマン風の男性が、大河達の様子を見て口を出してきた。


「SNSで地震の情報も集められないし、警察とか救急に連絡もできないしで騒然としていた時にあのデカい鎧の化け物が現れたろ? ここももう酷いパニックだったよ」


「そ、そうだったんですか……ありがとうございます」


 突然話しかけられて身構えた大河が、ぎこちなく返事をする。


 サラリーマン風の男性は軽く苦笑いをして、情報収集の輪に戻っていった。


「どうしよう。パパ、ママきっと心配してる……なんで、こんなことに……」


 そう呟く悠理も、やがて何も喋らなくなりか細い嗚咽の声だけを発するようになった。


 大河はそんな悠理の横に座り、円柱に背中を預けて天井を見る。


 駅から出れば虫やら狼やら髑髏やら小さい緑のおっさんなんかに襲われる。

 ほど近い場所にはビルをも越える背丈の鎧の化け物がいる。


 どこにも逃げ場所が無い。

 

 ここが本当に安全なのか判断はつかないが、数百の人で賑わっている分なんとか落ち着いて居られる。

 そういえば、自分が代々木に向かったのは人混みに疲れていたからだったな──と大河は状況の皮肉に一人笑った。


 数えきれない死を見た。

 数えきれない悲鳴を聞いた。

 そうして力の限り、悠理を背負い走ってきた。

 もう心は限界を迎え、身体はとうに限界を超えていた。


 だから大河は自分でも気づかない内に、意識を失うように眠りに落ちていった。

 隣で泣く悠理の肩に頭を置いて、無防備に脱力して。

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