西新宿の悪夢②


「きゃあああああああああああっ!!」


「ぐぅうううっ!」


 トラックの車体の下、頭を抱えて悲鳴を挙げる悠理ゆうりに覆いかぶさりながら、大河たいがは歯を目を閉じて歯を食い縛り恐怖に耐える。

 東京都庁の残骸は絶え間なく西新宿一帯へと降り注ぎ、走行中や停車していた車、建物、そして運の悪い通行人などへと直撃していた。


 顔を伏せて目を瞑っていた大河達は見る事が出来ないが、西新宿の上空に舞っていたのはなにも瓦礫だけじゃない。


 平日の都庁に勤務していた職員や、高層階に設けられていた展望エリアを訪れていた一般客。

 それらの『生きていた・あるいはまだ生きている人間』達が、弾丸の様な速さで

 それはそのまま人間の形のままであったり、四肢の至る所がげ、切断されすでに人の体裁ていさいを失っていたりと、様々な形で地上や建物目掛け衝突していた。

 鎧巨人の一撃により即死していた人達はまだ幸運だったのだろう。

 だがそうでない者達。

 わずかに存在した死にきれなかった人々は、己の身に何が起こったのかを理解できぬまま、やがてすぐに訪れる逃げようの無い瞬間的な死の恐怖で顔を引き攣らせながら猛スピードで落ちてくる。

 それは男性であったり、女性であったり、高齢者やまだ年若い青年や乙女であったり、中には両親に連れられていた子供──赤ん坊であったりしたかもしれない。

 そんな一人一人を確認する事すらままならず、砲弾の様な速度・破壊力を伴った物体として、更に死を広げる要因として、彼ら彼女らは西新宿の上空を墜落していった。


 瓦礫に押しつぶされる者。

 パニックになり暴走した車に轢かれる者。

 統率されず逃げる者に追突し倒れ、踏みつけられる者。

 所在するビルに都庁の破片が激突し、その衝撃で建物から落ちる者。

 阿鼻叫喚。

 多種多様な形で死が溢れていく。


 悲鳴が、罵声が、救いを求める声が、瓦礫の雨による破壊の音にかき消され誰にも届かないまま、人が死んでいく。


 噴き上がり巻き上がる濃い粉塵が、周囲に不自然な暗さをもたらす。

 大河と悠理のすぐ近くで、次々と人が死んでいる。

 一秒・一瞬ごとに死が増えていく。


 もし逃げずにあの公園に留まり続けていたのなら今頃、二人はその周囲の人達同様、大きな瓦礫に押し潰されて平たい肉の塊となっていた。


 トラックの車体の下に隠れている現状ですら、いつ死んでもおかしくはない。

 飛来する瓦礫に対するには、今身を守るために隠れているトラックの耐久性では明らかに不十分で、ただひたすらに瓦礫が頭上に落ちてこない事を祈るしか無かった。

 死んだ人間達と生きている大河達の何に差があったかと言えば、運の良さ以外無い。


 今この西新宿では、年齢・性別・権威に関わらず、死が全ての人間に等しく降り注ぎ、もっとも身近にまで接近している。


 鎧巨人はそんな眼下の脆い生き物達を、微動だにせず見続けている。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 長い様で短い時間、街は轟音に包まれていた。

 耳鳴りを伴った余韻が残り、しばらくして静寂が広がる。

 そして小さく、ゆっくりとざわざわとした人々の声が挙がりはじめ、やや経って怒声や泣き声が一斉に木霊した。


『助けてください! 妻がこの下に! 助けてください!』


『誰か私の子供を見ませんでしたか!? 黒い帽子でオレンジのTシャツを着た四歳の男の子です! 誰か!!』


『動かせるんなら車を退けてくれ! 後ろが詰まってんだよ!』


『なんだよこれ! なんなんだよこれぇ!』


『おい、こっちに手を貸せ! この下に人が埋まってるんだよ!』


『救急車を呼んでくれ! 警察もだ!』


『お願い死なないで! ねぇ目を開けてってばぁ!』


『誰か、僕の腕……僕の右腕知りませんか……』


 そんな声を聞きながら、大河はゆっくりと目を開ける。

 身体の下では悠理が嗚咽を上げながら小刻みに震えていた。


成美なるみ、おい成美」


 動かし辛い身体を無理やりずらして、左手で悠理の身体を優しく揺らす。


「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」


「ひっ、ひっく。とき、わくん」


 震える身体を自身の両腕で抱きながら、悠理はゆっくりと顔を上げて大河を見る。

 その目から大粒の涙をポロポロと流していて、恐怖から来る震えが奥歯をカタカタと鳴らしていた。


「怖かったよな。もう大丈夫──とは言えないけど、とりあえずトラックの下から出てもっと遠くに逃げよう。ほら、手ぇ握っててやるから。頑張ってくれ」


 大河自身も恐怖を感じているが、自分よりも怖がっている人間──しかも女の子を目の前にして、なんとか普通に振る舞おうとしていた。

 

「ご、ごめんね。ひっ、か、からだうごかなくて」


「ああ、大丈夫だ。分かってるから。ちょっと痛いかも知れないけど俺が引っ張る。少し我慢してくれな」


 そう言って大河は先にトラックの下から這い出て、一度背伸びをして体勢を立て直す。


 周囲の様子はもうもうと立ち上る粉塵で良く分からないが、耳の届く悲鳴や怒声からすると、酷い有様なのだろう。

 今はまだ知らなくていい。知ってしまうと余計に恐怖を感じてしまいそうだ。

 頭を振って余計な考えを取り払い、大河はもう一度屈んでトラックの下の悠理に手を伸ばす。


「ほら、手」


「う、うん」


 おずおずと差し出された悠理の震える手を取って、強く引き出す。

 地面を引き摺られながら車体から出てくる悠理の身体は、土煙などでボロボロに汚れていた。

 

「痛い所とか無いか?」


「だ、だいじょうぶだと、ひっく、おもう」


 上半身を持ち上げて、地面にぺたんと尻をつけて座る悠理は、両目の涙を何度も払いながら頷いた。


 まるで幼い子供の様に泣きじゃくるその姿を見て居た堪れなくなった大河は、思わずその身体に付いた埃や土をパタパタと払った。

 頭や肩、腰回りや脚。

 胸やお尻まで払おうとして、女性の身体を触る無礼に思い至り手を止めた。


「もっと落ち着かせてやりたいんだけど、早く安全そうな場所に移動した方がいいと思うんだ。悪いけど立ってくれ」


 未だ涙は流れ続けているが、さっきよりか幾分は落ち着いたかの様に見える悠理をそう促して、大河は立ち上がった。


「ご、ごめんなさい。こしが、ぬけて」


「んじゃ、俺が背負っていくから。ほら」


「ひっく、うん」


 悠理の弱々しい手を取り、引き上げる。

 よろよろと覚束ないその身体は、引かれた勢いに負けて大河の胸に倒れ込んだ。


「俺のリュック、背負ってくれ」


「は、はい」


 悠理は幼い子供の様に大河に介助されながらリュックを背負う。


「乗れるか?」


「うん、だいじょうぶ」


 屈んだ大河の背に覆いかぶさり、背負われる。

 悠理が背中に乗ったのを確認すると、ひかがみ付近に手を添えて、大河は気を付けながら立ち上がる。


「……一体、何が起きてんだ」


 そこでようやく、周囲と自分たちの置かれている状況へと気が向いた。

 まだ晴れない粉塵の煙の向こうでは、たくさんの人たちが半狂乱に陥っており騒がしい。


「ど、どっちに逃げるの?」


「地震だけだったら頑丈そうで広いとこ──ここらへんなら新宿駅の方に逃げるのが良いんだろうけど、さっきの化け物の事を考えるとどうもな。中野辺りは古い家が多いから火事になったらすげぇ危険だって、なんかで聞いた事ある。とりあえず、目白方面……かな」


「山手通りに沿って?」


「んー。あそこまで行くと土地勘ないんだけど、その方がわかりやすいか。しっかり捕まってろよ」


「うん、よ、よろしくお願いします」


 最後は無言で頷いて、大河は歩き出す。


「な、なんか常盤くん凄いね。落ち着いてて」


「……そうでもねぇよ。内心ビビりまくってる」


「それでも、凄いよ。私なんてこんな情けない」


「仕方ねぇよ」


 不意に起こった大地震だけならまだしも、あんな化け物が突如現れ街を破壊したのだ。

 更には周囲でたくさんの人が怪我をしたり、亡くなっている。

 取り乱していても責められない。むしろそれが普通なのかも知れない。


(……やっぱ、まだどっか変なのかな。俺)


 二年前の事件が不意に頭をよぎり、大河はそのまま一度だけ背後──ついさきほどまで東京都庁があったであろう方角に顔を向ける。


 そこにはまだ鎧姿の歪な巨人が鎮座しており、大剣を振りかぶったままの姿勢でピタリと静止している。


 この惨状と相まってひどく現実間が喪失された光景に、恐怖と疑問で頭が混乱しかかるが、背中に感じる悠理の体温により瞬時に我に戻った。


(なんもわかんねぇし、不安しかないけど、あの化け物から離れなきゃいけないのは間違いない)


 そう結論付けて、人でごった返す歩道を都道317号線──通称山手通りに向かって確実に進む。


 地震の後に起こる火事。それに伴う火災旋風の恐怖については、昔見たテレビや漫画などで軽い知識として頭に残っている。

 知った事が間違っていなければ、火災旋風による被害は地震による直接的なものよりも遥かに甚大な筈。


 ゆっくりしている暇はない。

 山手通りにそって目白方向──池袋の方角へと急いで行かなければ。


 そうして進む大河達はこの後──十数分後。

 行った道を引き返し、ここに戻ってくることになる。


 行く手を遮る、絶望に恐怖しながら。

 

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