鎧巨人《ヘカトンケイル》

西新宿の悪夢①


 揺れはどれほど続いただろうか。

 体感では長く感じたが、正確には1分、いや三十秒程度かも知れない。


 未だ周囲は何かが崩れる音や人々の怒声や悲鳴で騒がしいが、どうやら揺れのピークは過ぎた様だ。


 大河は悠理の背中を守りつつも、恐る恐る膝を立てて上半身を持ち上げ、周囲を確認する。

 見える範囲では木や街灯が真横に倒れていたり、綺麗に管理され整地されていた公園の地面が盛り上がったり陥没したりと、見るも無惨に荒れていた。


 焦りと恐怖からくる動揺で、今もなお視界が揺れている錯覚がある。激しい運動をしたわけでもないのに息が上がり、心臓がバクバクと暴れる。


「……ふう」


 一度深呼吸をして心を落ち着かせようと試みたが、あまり効果は無さそうだ。

 

 詳細な地震の情報を得ようとスマホを取り出そうとし、そういえばまだリュックの中だった事を思い出した。

 両足で立ち上がり、ベンチ下に放置していた自分のっリュックのサイドポケットのファスナーを開く。


 なにか腰に感触があり振り向くと、涙目の悠理が大河の腰の部分の裾を両手でぎゅっと握っていた。


「……あー、大丈夫か?」


 青ざめた悠理の顔があまりにも恐怖に怯えていたから、大河は平静を装って、努めて優しい声色で問いかける。


「ご、ごめんね。ま、まだ怖くって」


 カタカタと歯を慣らして身体を震えさせる悠理。

 その姿に庇護欲を覚えた大河は一度頷いて、自分の服を握る悠理の手に自身の手を添えた。


「まだ余震があるだろうから、すぐに移動しよう。怖かったらこのまま手を繋いでいても良いからさ」


「う、うん」


 添えられた手を取って握り返し、悠理は両目を強く瞑って頷いた。

 瞼に溜まっていた涙が目尻で水滴となって悠理の頬を伝う。


「な、なんだアレ……」


 二人の近くに居た中年のサラリーマンが、掠れた声でぼそりと呟いた。

 大河が顔を向けると、高層ビル群の方向──都庁へと顔を向けている。

 

 その顔が余りにも青白く、そして驚愕の色を浮かべていたので、大河は釣られてサラリーマンの見る方向へと顔を上げた。


 東京都庁第一本庁舎は、無数の高層ビルが乱立するこの西新宿で最も高いビルだ。

 その全高は243メートルを誇り、地上48階、地下3階という都内でも有数の大規模施設であり、首都東京のランドマークの一つでもある。


 真下から見上げれば最上階が目視できないほどの高さの、そのビルの真横。




 そこに、ビルを越える背丈の──鎧姿の人間の様なモノが立っていた。




「……は?」




 あまりに現実離れしたその光景に、大河の口から疑問が言葉となって現れる。

 

 西洋風の意匠の、濃い青色の甲冑。

 頭部を全て覆う様に被られた兜は両目の部分だけが空いていて、そこから二つの真っ赤な光球が鈍い輝きを放ちながら揺れている。


 まるで大小様々な球体を繋げて人の形を成したようなその鎧は、二の腕と脹脛ふくらはぎが異様に太い。

 頭部があり胴体があり、二つの腕と二本の脚で直立している──人間の体躯を表す条件としては充分だが、人体のパーツのバランスが一つ一つがいびつであった。


 鎧巨人、とでも形容すべきか。


 その太すぎる右腕の先には、高すぎる巨人の体躯をも遥かに越えるであろう──巨大な剣。

 握る柄に対して剣の部分があまりにも広く、大きく、分厚く、そして禍々しい。


 血の色に似た赤黒い剣身に、大河では読み取れない文字で何か文章が書かれており、地面とは並行に真っ直ぐと中空に伸び、巨人の呼吸に合わせて剣先がゆらゆらと揺れている。


「なにあれ」


 巨人を呆けて見ていた大河の横で、未だ手を繋いだままの悠理がぽつりと零した。

 あまりにも突拍子もない光景に、面食らっている。


 それは二人だけでなく、公園内にいた多くの人々も同様であったようで、目を丸く開いて一様に巨人を見つめていた。


 初動に気付けたのは、公園内ではおそらく大河だけだった。


 緩慢な動作で、巨人は自らが持つ巨大な剣を持ち上げていく。


 やばい。


 得体の知れない危機を誰よりも早く察した大河は、未だ呆けて身動みじろぎ一つしない悠理の手を強く引っ張って、ベンチ下に放置していたリュックを拾い、巨人の立つ都庁方面とは逆の出口に向かって早足で移動を開始する。


「成美、おい成美!」


「……あ、えっと」


「急げ! 走るぞ!」


「う、うん?」


「いいから!」


 悠理が我に返るよりも早く、大河はその足を早歩きから疾走へと切り替える。

 手を引く悠理の体勢が定まらず、覚束おぼつかない足取りで転びかけても構わずに駆け出す。

 地震の余韻で混乱が冷めやらぬ公園内を、一目散に走る。


「と、常盤くん。痛いって」


「後で謝るから! 今は走れ!」


 強く握られすぎて手が痛む悠理の文句を聞き流しながら、大河は脳裏を走る危機感に従い、何度も振り返っては鎧巨人の姿を横目で確認する。


 やがて公園北側の出口に到着しかかった時、振り返った大河は己の抱いた危機感が正しかった事を知った。


「やばいやばいやばいやばい!」


「えっ、えっ!?」


 焦燥感に駆られて乱暴に手を引き、悠理の小さな身体を抱き締める。

 そのまま公園の出口を駆け抜け、行き交う車にお構いなく車道に躍り出ると路駐されていた中型トラックに回り込んだ。


「成美! 頭抱えて伏せろ!」


「わ、わかったからひっぱらないで──」


「いいから早く!」


 大河が最後に確認した時の鎧巨人は、右手に持つ大剣を振りかぶり、今まさに東京都庁第一本庁舎へと襲い掛かろうとする姿であった。

 このまま走っても間に合わないと察した大河は、少しでも遮蔽物を増やそうと路駐されたトラックを選んだのだ。


 肩で息をしながら、もう一度トラックの影から鎧巨人の姿を見る。


 まさにその瞬間、鈍く赤黒く輝く大剣が、東京都庁のツインタワーを横一線に薙ぎ倒した。


 数瞬遅れて耳に届く、鼓膜を揺らし痛める破壊音。

 さらに遅れて、大気の振動が大河と悠理、二人の身体をドンと揺らした。


「伏せろぉおおおおおおおおおおおおお!!」


 気づかずに周囲を歩く人々に少しでも届けと、大河は声を張り上げる。

 しかしその声は、更に大きく轟く破壊の音でかき消された。

 胸に抱えたままの悠理の体を改めて力一杯抱き、覆いかぶさる様にトラックと地面の隙間に二人して潜り込んだ。


 それは、コンクリートの雨。

 拳程度から人一人分まで様々な大きさのコンクリート片や鉄筋が、西新宿全体を満遍なく降り注ぐ。

 新宿都庁であったはずの破片が、更に別の高層ビルに突き刺さり、先の地震で割れ残ったガラスまでをも破砕していく。

 

 鎧巨人は大剣を振り抜いた姿勢のまま、その様子をじっと見つめていた。

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