終わりの始まりの始まり
「死んだって……な、なんで?」
顔見知り、しかも挨拶を交わす程度には親しくしていたかつての同級生の突然の訃報に、
「自殺、だって。俺も詳しくは知らないんだ。おばさん──
悠理の手をゆっくりと解きながら、大河は一歩後退する。
「んで、今から綾の家に行って……もう身体は燃やしちまったみたいだけどさ。顔を見に行こうかと思って。ちゃんと連絡できてないから、多分明日になるだろうけど」
二日前。話を聞いて居てもたっても居られなくなった大河は、叔父を説得して単身東京へと赴いた。
あの土地は大河にとって、複雑な感情を抱かせる場所だ。
二年前の大河の姿を知っている叔父としては、親友の為とは言え大河を一人で向かわせる事に難色を示した。
またあの頃を、あの事件を思い出してしまえば、せっかく落ち着きつつある今の大河の心がまた壊れてしまいかねない。
その不安を隠さずに大河に伝え、また叔父自身は仕事の都合ですぐには動けず、向かうとしたら大河一人になってしまう事も、叔父の心配事の一つであった。
それでも親友であり幼馴染でもあった綾の突然の死に、せめて線香の一つでもあげて、遺影の前で頭を下げなければならないと、大河は叔父を必死に説得した。
叔父は少しの行動の制限といくつかの条件を設ける事でなんとか納得し、多めの路銀を手渡されて大河は今日ここ新宿に立っている。
「し、知らなかった。そんな……自殺なんて」
悠理は愕然としたまま項垂れる。
その姿に大河はなんと声をかけていいか分からず、少しの間お互い無言で往来に佇んだ。
「わ、私も…………明日
やがて何かを決意したかの様な表情を浮かべ、悠理は大河に真っ直ぐに向かいそう告げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
代々木の歩道でいつまでも話をするのも、周囲の歩行者の邪魔になる。
歩けば15分もかからない程度の場所に、ベンチのある大きい公園の存在を思い出した大河は、悠理に移動するよう提案し、東京都庁を頭上に構える新宿中央公園へとやってきた。
実際の所、綾の家に同行するというのであれば断る理由も特に無かったので、早々と了承し話を終えて別れようとしたのだが──。
「もう少し……お話ししようよ」
そういって悠理は大河と別れようとしなかった。
歩き出して数分は、やはり綾の死がショックだったのか暗い表情を浮かべていたが、やがて笑ったりなどはしなかったが穏やかな顔を浮かべ、相槌を打ったり適当な返事を返す大河と会話を続けていく。
大河が居なくなった後の綾の様子や悠理の事、受験が大変だった事や今の高校のおかしな先生の事。
彼女はそういった話題を、ほぼノンストップで次々と繰り出してくる。
明日の待ち合わせ時間や場所などについては、お互いが地元という事もあってすんなりと決まった。
なのでもうこれ以上、何かを話し合う事などは特に無い。
無いのだが、大河も別にこの後急ぎの用事があるわけでも無いし、今日この後の予定も後は地元の駅前のビジネスホテルにチェックインするだけだと、必要以上に伝えてしまっている。
不思議だ。
なにが不思議かと言えば、二年ぶりに再会した今となっても、悠理がこれほどまでに親しげに大河に話しかけてくるのが不思議だ。
中学生の頃、同じクラスメイトだった頃ですらここまで会話が続いた覚えはない。
やろうと思えば適当な予定をでっち上げて煙に巻き、とっとと別れる事もできた。
なのになぜかそうしようという考えも思いつかず、気がつけば女子と二人で公園を歩くなんていう、人生で初めての体験までしている。
「夏休み前にね。
しばらく歩いた後、空席のベンチを見つけたので間隔を開けて座って、悠理はそう切り出した。
「……そんときのあいつ、どうだった?」
大河は道中で買った缶のカフェオレを一口啜る。
「んー、特におかしな感じでは無かったかな。新條くんも私も友達と一緒だったから、お互いに軽く手を振っただけで別れたけど、新條くん笑ってた」
そう言って悠理はハーフジーンズのポケットからスマホを取り出して、軽く操作した後、画面を大河へと向けた。
「これ、中学の卒業式の時の写真。私が持ってる一番新しい新條くんの姿、かな」
スマホ画面の中の
小さな背丈に、幼い顔。
サラサラで手触りの良い髪質は、大河の記憶の中では真っ黒だったはずなのに、画面の中の綾は薄い赤茶に染めている。
中学卒業と高校受験の成功でテンションがあがったからか、いまとなっては確かめようもない。
スマホを自身に向ける悠理と何人かの女子、それに顔だけは知っている学年でも大人しめの男子二人と一緒に、画角に収まるようにぎゅうぎゅう詰めで笑っている。
そこに写っている親友の姿はとても楽しそうで、懐かしくて。大河は寂しさと悲しさと、同時に少しだけの悔しさを味わう。
「あ、家に帰れば卒業アルバムとかあるからさ。修学旅行で京都行った時の集合写真とか──たしか文集にも新條くんの写真あった気がする。新條くんと仲の良かった子に声をかけたら、もっと集められると思うよ。綺原高校の子だったらもっと新しい写真もってるかも」
スマホの画面を見て固まってしまった大河を心配してか、悠理はそう矢継ぎ早に喋り出す。
「あ、ああ。良かったら後で送ってくれ」
「うん! あ、じゃあ
「い、いやLINEで大丈夫だ。あんま使わねーけど一応アプリ入れてるし」
そう返答しながら大河はベンチの背もたれに限界まで背中をつけて悠理と距離を取った。
なぜか悠理から感じる圧が強い。
おかしい。
再会してからこの公園に来るまでに感じていた疑問が、どんどんと深まっていく。
大河の自惚れでなければ、悠理が見せる態度や言動は少なからず大河に好感を持っている女子のソレに見える。
大河は必死にそれを否定しようとしているが、並んで歩いている時の近さ。座って話している時の距離感とパーソナルスペースの詰め方が、大河の知る他の女子の態度と違いすぎる。
先ほどまで名前すら思い出せなかった相手だ。失礼をした自覚はある。むしろこの短時間の行いで嫌われていてもおかしくない。
だが好意を抱かれる何かに全く心当たりがない。過去も、今もだ。
「そっか。じゃあ私からコード見せるから、そっちで読み取ってね」
大河の返答に嬉しそうに笑い、自分のスマホをまた操作してLINEの画面を開く悠理。
「あ、ああ。わかった」
引き気味に返事を返した大河は、リュックのサイドポケットにしまったままのスマホを取り出そうと、上半身を屈めて地面に無造作に置いていたリュックに手をかける。
「ん?」
気づいたのは、足元の小石の揺れ。
日常的に管理されているこの公園の歩道はチリもほとんど無く綺麗だが、わずかに誰かの靴に付いた状態で公園に入りこんだ小石などが落ちている。
その小石が、カタカタと小刻みに揺れている。
地震だ。大河は瞬間的にそう察した。
地震の多い国で生まれ育っているから、多少の揺れで動じることはない。
ここ最近も関東では震度2から3の地震が頻発していたし、震度5弱の地震ですら何度も経験している。
だからこの時、大河も、そして遅れて気づいた悠理も身構えてすらいなかった。
最初に感じた初期微動。その振動は、心臓の拍動に似ていた。
一回、二回、三回と身体の内部まで浸透し揺さぶるような音が、連続で起こる。
一度目はかすかに、二度目ではっきりと知覚し、三度目で全身が強張った。
それは感覚としては長い脈動だったが、時間にしてほぼ同じタイミングで重なり、来る──と本能で察した直後。
「うおっ!」
「きゃあっ!」
揺れた。
前後に、上下に激しく揺れた。
大河も悠理も座っているベンチの手すりを反射的に掴む。
それでも気を抜けばベンチに振り落とされそうになる程の揺れ。
大河がさっき食べたラーメンが胃の中で激しくシェイクされ、喉元まで迫り上がってくるのを堪える。
『うわぁああ!』
『でかいぞ!』
『きゃああああああああっ!』
『みんな伏せてー! 何かに掴まってー!』
『お母さん! お母さん怖い!』
『大丈夫だから! すぐおさまるから!』
お昼時の公園内にいたサラリーマン達や、運動中のジョガー、散歩をしていた親娘、大河達の周囲に居た人々が次々と声を挙げる。
更に遠くから、たくさんの人の悲鳴や驚愕の声が聞こえる。
西新宿の高層ビル群から、鉄骨の軋む音やガラスの割れる音、何かが壊れる音が次々と重なり、耳障りな騒音となって大河の耳に届いた。
地面から聞いたことのない金切り音が鳴り、大河たちの座るベンチの近くの芝生が大きく盛り上がりまるで小さな丘の様に隆起し、また別の場所の芝生は陥没し、土中の水道管が破裂したのか、水が勢い良く噴き出している。
周囲を警戒しながら身を屈める大河は、視界の端で二人から近い位置の木が根っこを露出させながら倒れてくるのを目撃した。
「成美! 危ない!」
「えっ!?」
反射的に悠理の手を引いて胸元へとその身体を寄せた。
されるがままの悠理の頭を両腕で保護し、そのまま転がる様に地面に倒れ込む。
甲高い音と共に男性の胴回り二つ分ほどの木が、大河たちが座っていたベンチを押しつぶしながら倒れた。
「こっちだ! 早く!」
「う、うん!」
未だ収まらぬ揺れの中必死に立ち上がり、悠理の手を引いて他の樹木から離れた歩道の中央部までよろよろと辿り着いた。
「伏せてろ!」
「は、はい!」
地面に伏せる悠理の背後から覆いかぶさり、後頭部を右腕で覆う。
二人が居たベンチはこの公園の中央に近い場所で、幸運にも周囲に木々くらいしか存在してなかったが、振動によって割れた高層ビル群のガラスが、風に煽られて至る場所に落下しているのを確認できる。
この場所が安全だとはとてもじゃないが言えない。
揺れが収まったら真っ先に避難しなければ。大河はそう思案しながらも周囲を見渡して警戒する。
大河の手で地面に優しく押し付けられている悠理は、揺れに対する恐怖を歯を食いしばることで耐えている。
同時に、背中をすっぽりと覆う大河の身体の熱がとても頼もしく感じていた。
そして二人はしばらくそのままの体勢で、地震が収まるをただひたすら待っていた。
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