第3話
驚いたことに、手術を受けた人について説明するとき、
「そんな言葉使っちゃいけないんだよ。先生が言ってた」
私がそう言うと、二人はキョトンとして、「じゃあ、何て言えばいいの?」と言った。
「例えば……目が不自由な人、とか」
──不自由じゃないのに?
間髪を入れずに、迦陵頻伽ちゃんから返って来る。確かにそうだ。
人を差別する言葉として長い歴史があったから、それらの言葉を使うことは当然敬遠された。しかし年月が過ぎ、世代が変わっていくにつれ、言葉の中の差別的な意味合いは消えていき、チビとかノッポとかと同じく、ほぼ特徴を表すだけの言葉となったのだという。
予想外だったが、手術を受けた人の特徴として、元々の健常者より少しだけ優秀になってしまうという現象が起きたんだそうだ。
光より音の方が、速度が遅いのは知っているね。特殊超音波も、かなり光に近い速度を持っているけれど、ほんのわずかに光よりは遅い。しかしながら、脳がそれを変換し処理する速度に、もっと大きな差異が発生するらしい。脳の処理速度が違う事により、超音波の受信の方が、目で見た場合より認識するタイミングが早くなる。動体視力に格段の差が表れるんだ。よってスポーツ選手の多くが元視覚障害者で占められることになった。
精神感応についてもそうだ。耳で聞くより少しニュアンスを多く認識できるから、内容が伝わりやすい。映像の記憶や音楽なんかも、強く念じれば伝えることも可能だ。犯罪の目撃者が犯人の顔を伝えやすくなるし、他人がイメージしている曲を楽譜に起こすのも簡単だ。公費で手術を受けて我々より優秀になるとはけしからん、という意見も根強くあるらしいが……。人というのは変わらないね。
健常者に同じ手術をしてスーパーマンを作るという計画も一部の国であった。でも上手くは行かなかった。認知症のお年寄りの脳を活性化させることには成功したらしいが、まったくの健常者の脳に同様の手術を行うことは、動物実験の時点で不可能と判断された。マウスでも猿でも、元気な脳に施術した場合は
私たちはいろんな話をして、その後、私の時代の遊びをした。缶蹴りやかくれんぼは私が圧倒的に不利になるので、木切れで工作をしたり、木登りを教えてあげたりした。
夕暮れになって、銀杏の木が微かなざわめきのような音を立てた。
「もう帰らなきゃ」
桜梅桃李くんが言った。
「明日も来る?」
そう言った私に、桜梅桃李くんは少し寂し気に首を振った。
──また、いつか会えるといいね。
迦陵頻伽ちゃんがそう言った。
ふと気づいた時には二人の姿は消えており、私の手には、何の変哲もない黄色い銀杏の葉が握られていた。
その後、私は何度も、あの大きな銀杏の木がある場所に行ってみたけれど、銀杏の葉が金色に輝くことは無く、二人に会うことは出来なかったんだ。
話し終わると、その人は大きな溜息をついて、疲れたように眼を閉じた。
「はーい。そろそろ時間です。帰る準備をしましょう」
先生の声がした。クラスメートたちは、お爺さんお婆さんに別れの挨拶をして椅子から立ち上がった。僕たちは小学校の授業の一環として、老人ホームに慰問に来ていたのだ。
「ありがとうございました」
僕も、そう言ってお爺さんに頭を下げた。
「きみは医者になりなさい」
お爺さんは、帰り際にまたそう言った。
「桜梅桃李くんが話していた脳科学者の名前と年齢、きみと同じなんだよ」
※
あの人は、いったい何人にこの話を伝えたのだろうか。
僕の名前は、高橋
高橋は日本で多い名字の第三位であり、蓮は僕が生まれた年の一番人気の名前で、前後三年間でも人気トップ5に入っている。つまり、僕がその科学者である可能性は限りなく低い。
けれど、もし、日本中の高橋蓮が、同じ目標に向かって努力すれば。あるいは……、もしかしたら……。
さっきまで僕に話をしてくれていたお爺さんは、車椅子の上で背中を丸めて、虚ろな目であらぬ方向を眺めていた。手を振っても反応が無い。
「さあさあ、お部屋に戻りましょうね」
介護の職員さんが、独り言みたいに声を掛けながら、車椅子を押して行った。
おわり
大きな銀杏の木の下で 古村あきら @komura_akira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
耳から始まる連想ゲーム/古村あきら
★3 エッセイ・ノンフィクション 完結済 3話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます