ep.10 temptation


 浴室のドア近くにタオルを重ねて畳んでおく。

すず、タオルここに……」

「――み、宮坂、いるの?」


 妹に頼まれて持ってきてみれば、ちょうど明日花が風呂から上がった様子で。


「――開けないで、ね……?」

「……ごゆっくり」

 ドア一つ隔てた先に、一糸纏わぬクラスメイトの姿が。

 ――想像するだけで目に毒だ。ここはすぐに、立ち去るに限る。



リビングで気を紛らわしていると、「海にぃ、お風呂空けたよー」と声。

 お風呂場の方から妹がタオルで頭をごしごししながら歩いてきて、その後ろ。


「、」ほんのり火照った頬を、ふいと逸らして。

 甘い香りと恥じらいを余韻に残しつつ――北原明日花あすかは彼の横をすれ違っていった。


――――――――

――――

……



 街と人とが寝静まる夜。


 明日は平日。いつもどおりの学校生活に備えて、弱まった雨の音を聴きながら静かに眠りに落ちたはずだった――のだが。


「……?」背中にまとわりつく何かに気付いて目を覚ました海は、正体に気付くや眉根をぴくぴくとひくつかせて、握った拳を震わせる。


「……なぁ涼、」

「ん……?」

「もう一度聞くけど僕はいつから涼の抱き枕になったのかな?」

「こないだそんなこと聞いたっけ?」

「揚げ足取るなっつの!」

 抗議すれば涼は揶揄うように、きゅっと腕の力を強めた。困ったじゃれ方である。


「……北原は?」

「気になる?」

 誤魔化して尋ねれば、涼が耳元にささやく。

「そりゃそっか。好きな子が寝てるんだもんね。――

「ッ、〜〜……」

 その問いに今度は、出かかった言葉を呑み込んだ。

 無言の肯定、という取り方もある。

 しかし下手に言い返せば、自分でさえまだ整理しきれていない感情を、整理しきれていないまま口にしてしまいかねない……。


 それならいっそご勝手にと。


 海が口を噤めば、涼は『それならそれで構わない』とでも言いたげに、薄く微笑みを浮かべて、ほんの少し身を乗り出す。



 刹那、


「――!」ふと、頬に添えられる。

 柔らかな。

 たまらず跳ね起きれば、涼は目を丸くしてこちらを見つめる。

 ――どうして驚いているのと言わんばかりの。場違いに落ち着いた表情だった。


「イヤだった?」さも不思議そうに。

「小さいころ、よくしてたじゃん」

 涼は苦笑して、こちらをぽんぽんと叩く。

「スキンシップだってば。――意識しすぎ」

「小さい時と一緒にすんなって……全く」

 かわいい妹には変わりないが、お互いに半分大人だ。過剰なスキンシップは控えるべきだろう。――実の兄妹、なのだから。


「部屋に戻らないのかよ?」

「センパイ起こしたら悪いでしょ?」

「僕はいいのか」

 確かに客人を起こすのは悪いが、海としては理不尽極まりない。

「わかった、リビングで寝る」

 のそのそとベッドからフローリングへと降りる海。「妹の抱き枕は変態らしいしな」


 海がぼそりと告げると、涼は頭にハテナを浮かべて、

「――じゃぁ海にぃの匂い、いっぱいスースーしちゃお……♡」

 しかし意に介することなく、布団に口元を隠して何か危なっかしいことを宣言していた。

 この堂々ぶりを、あの成井姉妹にも見せてみたいものである。



     *


「っくしょ! ……zzz……」

「……あっ、だめですよスー……兄妹でそんなことしちゃ…………くー……」


     *


 リビングのソファに寝転がって。

 薄暗がりに浮かぶ天井のタイルの模様を眺めて、小さく息をく。


 ――好きなんだ? 明日花先輩のこと


「〜〜っ、だぁーもお」、と悶えて背もたれのほうに体を向ける。

「わかんねえよ、そんなこと……」

 どうやって恋を始めるのかさえ。

 先ほどまで言葉を交わしていた相手を思い浮かべながら――でも結局独り言でしかない言葉をやり場なく口にして。


「……寝よ」

 と無理矢理に目を閉じる。朝になれば雑念も消えるだろうと。



 しかし、そんな彼の思いは、


「――起きてる? 宮坂……」

「え――?」

 ……刹那、夜闇やあんとばりが下りる空間に浮かび上がった、誘いかけるように佇むシルエットの前に――かき消される。


「北原、その服――」

「だめ……!」

 起き上がり見上げた目線を、しかし明日花はさえぎる。

 ――間近に迫り、口付けて。


「宮坂っ、目、とじて……」

「なんで……」

「とじてよっ……」明日花は言葉を震わせる。


 紗幕のようなベビードール。

 ――しかし裏腹、矛盾をはらんだ拒絶の言葉を。その言葉に重ねながら。


 耳を甘く噛まれる。

 吐息がかかって。

「――しよ?」

 やがて明日花が告げる。

 条件反射のようにぎゅっと目を閉じていた海は。

 刹那開いた目線の先、熱っぽく見つめるクラスメイトの迷いと本能とに染められた眼差しに。ふと息を呑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る