ep.5 失意の理由
「お待たせ〜、」
マンションの前で待っていると、
髪型をポニーテールに変え、先ほどまでスニーカーだった足元も変わっている。
ソールがコルクでできたウェッジサンダル。
オフショルダーのTシャツの上には、ショート丈のデニムジャケットを重ねている。
「あれ? 宮坂
「無自覚煽りするのやめて?」
明日花の整った顔がこちらを覗き込んでくる。
「な、なんだよ?」
「――でも宮坂とのキョリは、小さくなったかも」
「ッ、」
くすっ、と愛らしく微笑む。
完全な不意打ち。
「じゃー今日は一日よろしく♪」と明日花は歩き出す。
その背中を、海は「む〜……」と恨めしく見つめていた。
*
「な、何いってんだろあたし」
顔あっつ……。
*
青と白の電車に揺られて
カフェに入り、窓辺の席へと案内される。
遅めの昼食を摂り、足早に過ぎ去った一ヶ月を語り合い。
食後のコーヒーを味わいながら。
ひととおりの話題が終わってぼんやりと遠い水平線を見つめていると――窓に映った明日花が頬杖をついた。
「……付き合ってる人がね。いたんだ」
ぽつりと、何気のない口ぶりで。
何の話かなんて、聞かなくてもわかった。
初めて言葉を交わした四月。
雨空の下で出会ったあの日――公園のベンチでひとり、佇んでいた理由のこと。
「……明日花は、好きだったの?」
「憧れの先輩だったからね。好きだったよ。舞い上がってたところはあったと思うけど」
照れ顔に変わり、にへらと笑う。
「だから、一緒にいられるだけで幸せだった。デートして、手つないで」
「めちゃくちゃ健全じゃないっすか」
――心から恋をしていたとわかる、穏やかな笑顔。
「だから――初めて家に泊まることになったとき、すんごいドキドキした。『うわー! あたしこの人とするんだ! 女になっちゃうんだ』ってさ」
「言葉のチョイスが生々しいわ!」
海はすかさず突っ込む。思わず顔が熱くなった。
聞けば年末のことだというから、まだ彼女も中学三年生の頃。
こちとら年末にしたことといえば、『クリスマスといえばデートでしょ!』なんて息巻いていた
「涼も高校生の彼氏作ってお泊まりとかすんのかな? すげぇ不安になってきたゾ」
「ま、まぁすずちゃんの場合は別の心配が必要かな?」
明日花は頬をぽりぽりと掻いて苦笑いしている。
「あー、確かに」と納得する
「あいつ去年の短冊に……ごめん、やっぱ何でも」
「え、なに、気になるんですけど⁉︎」
明日花が食いついたものの海は頑なに黙秘した。去年の短冊に『義妹になれますように』と書いていた話を言いふらすのは――色々と問題があるだろう。
逸れた話を、海は元に戻す。
「――で、彼氏んちに泊まった。でも、」
「あは……ダメだった、んだよね」
力なく告げて――明日花は目線を下げる。
「先輩のが入ってこようとするたびに、入り口が裂けるんじゃないかってくらい痛くて……
「……」
「何回やってもダメで、だんだん焦って、怖くなって……『もういいよ』って言われた時、彼の何かが切れたのがわかった。
――あとはもう、冷めてくだけだった」
呟いて薄く微笑む明日花。
海は静かに、目線を伏せる。
誰かと付き合ったことのない自分には、たぶんまだわからない感情。
善と悪でも、喜怒でも哀楽でも割り切ることができない気持ちがそこにはあって。
「……ごめん明日花、」
「っ、あ、ゃ、こっちこそごめん! 辛気臭い話して……」
力になれないことを悟って、海は
それでも明日花は、ふっと息を
「……ぜんぶ忘れるまで、まだ時間はかかるかもだけど。宮坂がよかったら」
一度言葉を切り。
「――あたしと友達になってほしいなって……」
ほんのりと朱に染まって。
まっすぐに、
わずか間を空けて、頬を掻く海。
「もれなく妹がついてくるけど平気?」
「かわいい女の子なら大歓迎♡」
「よろしくお願いしますお
「そういう意味じゃないわ!」
海が冗談で返せば、暗くなりかけた空気も、やんわりと弛緩していく。
「……まぁ、いまさら一人で部室使うのも退屈だし。明日花がよければ」
――ほんとは緊張してます、なんて言えない。
けれど機敏に感じ取ったのか、明日花は頬杖をつき、いたずらっぽく微笑んで。
「――宮坂赤くなってる。好きになってもいいんだよ?」
「ッ、、ば、バカ明日花っ」
伝票を持って立ち上がると、「ういやつ♪」と腰のあたりをちょんちょんつついてきた。やはり陽キャのスキンシップは危険である。
――――
……(宮坂ってば、かわい♡)
*
帰りがけ、冷やかしのつもりで海沿いの雑貨屋をのぞいて。
「つまんない話聞かせちゃったから、お詫びね」
と明日花が紙袋を手渡してきた。
開けると、プチプチに包まれたマグカップ。
「宮坂は何買ったん?」
「え? あぁ……」
覚悟を決めて海は彼女に包みを手渡す。
「これ……あたしに?」
シーグラスをモチーフにした青と緑鮮やかなピアス。貝殻をかたどった飾りがきらきらと揺れて、夏の日差しに照らされた水面のよう。
「こういうの買うの初めてでさ。好みとかあるからどうかなって思ったんだけど……」
「嬉しいに決まってんじゃん! ありがと」
帰りの電車の中、明日花は家の最寄り駅に着くまで、大事そうに袋を胸に抱えていた。
「鞄にしまったら?」
「いーの。これで」
肩を触れ合わせて、ときどきもたれかかりながら……
「――また会える?」
「? 連休終われば会えるっしょ?」
「そういうわけじゃ……んもぉ、、」
なぜか最後はちょっとだけご機嫌ななめで。
ときどきじっとこちらを見ては、ぷいっと逸らす。西日のせいか、その表情はほんのりと赤らんで見えた。
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