ep.4 北原明日花の弱いところ



 東の空から射す光に気付き目を覚ます。



 いつもより日が高いが気にすることはない。

 なぜなら今日からゴールデンウィーク。早起きして学校に行く必要はないのだ。



 身体を起こし伸びをするうみ

 明日花あすかに心を乱される心配もない。



 服を着替え、散歩がてらコーヒーでも……とちょっとばかり優雅な気持ちで玄関のドアを開け、


 外へと一歩を踏み出した――次の瞬間。



「みにゅー……」

「……」


 ――家の前の路上で、人が寝ていた。



「むにゃぁ……」

「お前は馬鹿か?」


 寝返りを打つサイドテールの物体。

 無関係を装いたいと腕組みしつつド直球な言葉をかけると、少女と認識されたそれ――もちろん北原明日花あすかだ――は「うぅーん」と唸りながら身体を起こす。


「あぇ、寝てた……?」

 頭のてっぺんからぴょんと立った髪が、ぴこぴこと触覚じみて動く。


「あ、おはよ〜宮坂みやさかぁ、どしたぁ?」

 にへへ、と頭を掻いて。


「……ここどこ? 宮坂のおうち……?」

「もしもし、ポリスメン?」


 きのう教室で聞いた会話どおりなら、明日花はカラオケからのオール明け。

 ――どうやらすっかり寝ぼけている。

 軽音部室で言っていた『朝が弱い』というのは本当のようだ……。



「……にしてもほどがあるだろうよ(困惑)」



     *


「――大変申し訳ありませんでした」

 うみの自室で正座に直り、頭を下げる明日花。

 その眼前でベッドに腰かけて彼女を見下ろす海。

 額を押さえながら「ううむ……」と唸り、渋い顔で尋ねる。


「オール明けで眠かったと」

「はい」

「だから寝てしまったと」

「はい」


 聞けば、友人宅を出たのはつい先ほど。

 幸い、行き倒れていたのは五分か十分程度のようだが……あの寝姿は明らかに保護対象だ。ましてや犯罪に巻き込まれてもおかしくない。ご近所さんに通報されていても不思議ではなかった。


 ともあれ無事で何より、

 ――にしても。


「なんで僕んの前なんだ‼」

「ほんとすみません!!!!」

 よその家の前だったら構わなかったわけではないけれど、結果うみまで起床して即十分じっぷん後にこの状況。おかげで平穏なゴールデンウィークが台無しである。


「ま、まぁいいじゃんうみにぃ? ほら、明日花先輩も顔上げて」

「ごめん! このとおり!」

 申し開きに同席したすずに促されて、手を合わせて謝罪したあとぎゅっと目を閉じる明日花。


「……ったく、わかったよ」

 その様子に、うみも諦めて頭を掻く。


 マジで誰かが見守ってあげないとダメなのでは?

 そんな誰かが彼女のそばにいてくれればいいのだが、高校生ともなれば両親というのもアレだ。やっぱり彼氏だろう。早くいい相手を見つけてもらいたいものである。



 などと彼女を案じていると。

「み、宮坂さま、、」

 明日花が恭しい口ぶりで、上目遣いに見つめてくる。男心をくすぐるまなざし。


「な、何?」あくまでツンと振る舞って。

「人助けついでに、一つお願いがあんだけどさ……」

 明日花がちょんちょんと胸の前で指を合わせる。


「――そのベッド、ちょっとだけ使わせて♡」

「いや自分ちで寝ろやぁ!!!


 もっともなツッコミ。しかし明日花はくじけない。

「お願い、宮坂みやさかぁ。ちょっとだけでいいから、」

 じぃぃっ、と見つめる瞳。

 男子高校生的にむちゃくちゃ心乱れるお願いをしていることに明日花は気付いているのだろうか。やはり陽キャの思考は危険だ。油断したらまんまと勘違いしそうである。


 とはいえまた路上で寝落ちされてもマズい。

 海は首を縦に振って、彼女の頼みに応える。


 簡単に荷物をまとめて廊下に出たあと、

「えっちなやつあっても見逃したげるね♡」

 と手を振る明日花を部屋に残し扉を閉めて。


「海にぃ、」

「ん?」

「ダメだからね」

「…………??」


 ナニを警戒したのか、廊下に出た直後。

 海は妹から妙に力強い圧力をかけられていた。



――――

……(宮坂のおふとん……♡)



     *


 すっきりと目が覚めた明日花あすかを家に送ろうと、彼女と揃って家を出る。


 出発する前、リビングに顔を出した明日花は「ありがとうございました」と宮坂の両親(父は土日帰宅している)へと律儀に挨拶していた。初めて対面する父は面食らって驚いていたけれど、そこは母がうまく説明してくれるだろう。「うみにも春が来たの♡」などと事実無根なことは、よもや言うまい。



 五メートル先を行く明日花の後ろをついて歩く。


「天気が良くて気持ちいいね、宮坂♪」

 サイドテールを揺らす晴れやかな笑顔。

「だな、」と応えた海もぐっ、と一つ伸びをする。


 日は昇りきって晴天。

 変わり映えしない、でもどこかいつもより鮮やかな街並みの中で。

 海は前を歩く明日花を眺める。

 レモンイエローのオフショルダーに白のショートパンツ姿。煌めきを帯び始めた陽の光を浴びて、つるりとした生脚が初夏の空気に映えて眩しい。



 ――浜辺に立ったら、絵になるような。


 「……いやいや、」

 そこまで考えて、海は頭を振る。

 何の因果かこうしているけれど、本来は交わることのなかった相手。

 起こり得ないシチュエーションを思い描いても、ただの妄想だろう。



 何夢見てるんだか、と一人苦笑を浮かべて、無意識に景色を視界に映して歩いていると、


「――っ、」

 海はふと立ち止まる。


 目線の先、明日花はこちらに振り返って。

 先ほどまでの陽気な雰囲気を真剣なものに変え、海へとまっすぐに――潤むまなざしを向けていた。

 


「……ほんとはね。寂しかったんだ」

「え……?」

「っ、か、勘違いしないでねっ⁉ 宮坂んちの前で行き倒れてたのは、マジでただ寝惚けてただけっていうか、不可抗力だっただけだから」

「いや、不可抗力ではないだろ……」

「と、とにかく!」

 冷静な海のコメントのあと、明日花はくるりと背を向ける。


 でもその続く声音は――彼女の心情を偽ることなく映していた。


明日あしたからゴールデンウィークだーって思うと嬉しかったし、友達とカラオケ行ってオールして、楽しかった。けど……」

 目線を下げた明日花は言葉を切って。


「宮坂に会えないなぁって思ったら、ちょっとだけね……寂しいなって思った」


「……」聞き届けて海は、一人頭を掻く。


「あは、、こんなこと聞かされても困っちゃうよね」

 向き直り、にへらと力なく笑う明日花。

「……宮坂には、関係ないことなのに」

 ――ふっと瞳から色を消し、視線を下げる。



 瞬間海は、どくんと心臓が脈打って。

 心の奥、知らない感情が。

 彼女を放っておくまいと願う感情が、自然のままにいようとする彼の理性に抗い始める。


 ――彼の感情のバランスを、失わせ始める。



 見つめ返す明日花。

 ……何か言葉を待つように。


 それでも海は、慣れず言いにくそうにしながら、


「なぁ、北原」

「ん?」

「……その。ウミ、行かね……?」


 思いついたままの言葉を。

 ぽつり、と彼女に投げかけた。



「〜〜……ッ⁉︎」

 問われて明日花は、目をまん丸くして。


「……ぷっ、あははっ! なに宮坂、あたしのこと誘ってんの?」

「なッ、、⁉︎ そ、そんなんじゃねえし!」

 ああもう、と頭を掻く。

 別にデートしたいとかそういうつもりで口にしたんじゃ……と口にできない気持ちを、

 心の中で消化するごとに、生じる熱が――表情に帯びる、朱の色に表れていく。


「ふ、ふん」ごまかし気味にねる海。

「いいし、帰る」「ちょ、じょーだんだってば!(汗)」

 くるりときびすを返せば、後ろからぱたぱたと走り寄る足音。


 瞬間、

「――きゃっ⁉︎」

 慌てた声が聞こえたかと思えば、

 ――海の背中に、人ひとりぶんの重さと体温が飛び込んできて。


「あ……」かすかに声を漏らす明日花。

「……、」でも離れることなく、そのまま彼へと身を寄せる。

 柔らかな感触が押し当たる下、明日花の心臓を打つ早鐘の振動が。

 まるで時間を追い越すように――海の身体の中へと、伝わっていく。



「……(ぎゅ)」海のTシャツを握る明日花。

「シワになるんだけど……?」

「ちょっと今、無理、、、」

「……っ、」ああー、もう。



 そんな光景を、妹のすずが見ていたことは。

 海も明日花もまだ知らない。


「な、、、海にぃ、明日花先輩……?」

 手に持ったアイスが溶けるのにも気付くことなく。

「――完全敗北、かぁ……」

 一人背中を向けて立ち去る妹は。

 どこかうれいを帯びて哀しげにも――清々すがすがしげにも映るのであった。



 ⭐︎なお、諦めたとは言ってない。

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