第12話

 四人で二列になって長い階段を上る。


 異世界二日目も終盤戦。流石に疲労が出始めて瑠璃も足が重かったが、頼もしい助手が「頑張ってください」と隣で応援してくるから、どうにか気合を入れた。


「――失踪については、どこで知った? この話は公にはしていないつもりだが」


 白髪混じりの男性が鋭い目で瑠璃を振り返るから、瑠璃は自身の鼻先に指を立てる。


「内緒」


 男性の目がすっと細くなるが、瑠璃は顎を上げて階段上の彼を見下ろすように見た。


 この調子ではどう説明したところで事実を納得してはもらえない。


 納得させるために警察関係者の名前を出してもよかったが、すると彼らの情報管理能力を問われる。これについては、返す言葉がないことを内緒という意思で覆い隠すのが最適解だろう。――尤も、彼らを呼び出すのに州警の名前を使いはしたが、そこは許してほしい。


 「まあいい」と男性が前を向き直るから、瑠璃はその背に尋ねた。


「でも、その聞き方じゃあ本当に居なくなったんだね? 噂の聖女さんは」


 確信に近かった疑念を更に確証へと近付けながら尋ねると、男性は小さく答えた。


「ああ」


 下手に誤魔化さず、男性は素直に頷いた。


 こんな分かりやすい話の確証を得るのに、随分と遠回りをした気分であった。


「しかし、どうして聖女に関する情報を隠す? まあ、聖女がどこに居るだとかの情報を伏せるのには君達の宗教的な理由があるんだろうけど。でも。失踪をしたなら話は別だ。人海戦術で探した方が発見は圧倒的に早い。それとも、まだ尚も隠す理由があると?」


 瑠璃は目的地に着くまでの時間つぶしも兼ねて、予てより気になっていたことを尋ねてみる。すると、男性が重々しく言い返した。


「部外者が軽々しく言ってくれるな」

「ご尤も。それなら口を謹もう。今まで通りのやり方で捜し続ければいい」


 それが限界を迎えていたから、警察に届けを出した。瑠璃やイヴという胡散臭く怪しい存在の接触を受け入れた。そうだろう? と無言で示せば、溜息が返ってくる。


「……聖女とは、象徴だ。信徒達の信仰の行き着く先を華やかなものとして照らし上げ、示し続ける責務がある。それ故に、完璧であり、高潔でなければならない」


 瑠璃とイヴが黙って男性の背を眺めると、間もなく言葉が続く。


「彼女は――難病を患っていた」


 そっと、感情を絞り出したように男性はそう呟いた。


 瑠璃はその言葉だけで、彼らがどのような理由で聖女を隠匿したかを察した。


「後天性魔素化症候群。彼女は人並み外れた潤沢な魔素を有しており、様々な奇跡を実現できた。だが、その奇跡の裏側で、彼女の肉体は日々魔素へと移り変わっていたのだ。それに気付いたのは、単なる修道女が様々な奇跡を以て人に敬われ、教会が彼女を聖女として大聖堂に招き入れた、その数日後の話だ」


 淡々と語る男性の隣で、タチアナが痛ましそうに顔を伏せる。


「行き着く先が彼女であるのなら、信徒は信仰を疑うかもしれない」

「だから、隠した。不都合な事実を丸々。代わりに、存在だけを主張した」

「私を謗るかね?」

「いや、私は宗教に疎い。その選択に対して何かを言う気はないよ。ただ、一人の人間として――消えた人間を探すなら全力を尽くすべきだと提言する」


 男性は瑠璃の返答に何を思ったのだろうか。その後ろ姿からは何も分からなかった。


 しかし、これで謎が解けた。聖女という存在がひた隠しにされ続けた謎が。


 そうなると今度は、ハッキリと聖女失踪という事件の謎は迫ってくる。


 隠されていた人間が。難病を患っていた人間が。なぜ、いつ、どのように。消えた?


 そんな疑問を抱いていると、先ほどまで階層を上がる度に次々と上階に向けていた足が、唐突に廊下の方へと向いた。階層は八階。ここに何があると言うのだろうか。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」


 不意に立ち止まった男性が瑠璃とイヴを見る。


 一瞬、顔を見合わせて不揃いに答えた。


「イヴ・エスポジットです。クロリラ大聖堂で見習い修道女をやってます!」

「ルリ。探偵」


 対照的な自己紹介を受け、男性は再び前を向きながら簡潔に名乗った。


「私はテッド・ロス。日輪教会の枢機卿だ」

「タチアナ・マーテルです。聖女様のお世話係をしていました」


 テッドはこれから向かう八階の廊下を軽く手で示し、一睨みを利かせた。


「これから聖女の使っていた部屋へ向かう。厳格な箝口令を敷く気はないが、くれぐれも安易に吹聴をしてくれるな」


 そうして訪れた八階の廊下は、Tの字になっていた。


 階段から上がって真っ直ぐ通路が伸びており、その左右を絵画が挟んでいる。


 廊下の中腹付近にはデスクが置かれ、そこには修道服を着た監視が着席して絵画をぼんやり眺めていた。こちらに気付くと、綺麗なお辞儀が飛んでくる。


 監視デスクを抜けて突き当たりに差し掛かると左右に道が別れ、左手側には幾つかの扉が見え、人の気配がないことから物置の類だろうということが分かる。


 テッドの誘導に従って右手側へ進むと、突き当たりに外階段へと繋がる扉があった。


 そして、その手前には部屋が一つだけある。


「ここだ」


 そう言ってテッドが鍵のかかっていない扉を開けて中へと踏み入った。


 中は殺風景な部屋だった。部屋は三十メートル四方といったところか。ハードウッドの床には温かみのある絨毯が敷き詰められているが、テーブルと椅子が一つずつと、ベッドが一つ。ベッドの傍には本が並べられており、その程度。瑠璃は寒々しい印象を受けた。


 壁には扉が一つ付いており、恐らく中はトイレと風呂だろうと察する。


 テッドに代わって、タチアナが慇懃な会釈と共に説明を始める。


「こちらが聖女様の普段過ごされている部屋です。二週間前、突如失踪するまで、あの方はこちらでずっと寝たきりの生活を送られていました」


 タチアナが痛ましそうに瞳を伏せて言うと、イヴが目を見開いて唖然と応える。


「……寝たきり。そんなに、」

「ええ。そんなに酷い症状でした。自力で動くことはできず、一日で意識を保てる時間は、長くても一時間程度。残りの時間は、衰え摩耗していく体力をどうにか繋ぎ止めるために眠られています。食事の摂取もままならず、栄養は点滴。そんな、状態でした」


 段々とタチアナの語気が荒くなり、彼女は溢れる感情を抑え込むのに苦労していた。


 テッドは同調をするように瞳を伏せ、イヴは痛ましそうな顔で彼女を見詰める。


 瑠璃はその傍ら、まず冷静に現状を分析する。


 聖女が消えたのは二週間前。


 聖女は自分では動けず、栄養は点滴でないと摂取できない。


 自分で動けないということは、徘徊ではないだろう。ならば誘拐か。


 誘拐をした後にわざわざ点滴をしてくれる誘拐犯など居ないだろう。


 つまり十中八九、聖女は栄養失調で命を落としているはずだ。


 教会がその結論に至らない道理が無い。それでも、彼女達は一縷の望みに縋って聖女を捜そうとしているのだろう。だとすれば、今、瑠璃がすることは下手な慰めをすることではない。


「教会は、そんな状態でも聖女の現状を公にしたがらないんだね」


 或いは批判とも解釈できる瑠璃の言葉に、テッドは不快そうに眉根を寄せ、目を細める。


 しかし、タチアナは彼のように不快感を示すことはせず、ただ物言いたげに黙っている。表立っては言えないが、彼女もあらゆる手段を使って聖女を捜そうとしているのだろう。


 だが、彼らの態度はどうでもいい。


 瑠璃はテッドを真っ直ぐ見据えた。


「生憎、私は無神論者でね。とはいえ、君達は宗教家だ。そこには明確な隔たりがある。だから無理強いなんてしないし、事件をもっと公にすべきだなんて簡単にも言わない。ただし、もし君達が聖女の無事を強く願い、その隔たりに一歩でも足を伸ばすなら、約束しよう」


 瑠璃は腰に手を置き、テッド、タチアナを順に見た。


「私がその手を取って、必ず聖女を捜し出す。絶対に」


 瑠璃がそう言い切ると、タチアナは光に縋るように目を細め、唇を噛んだ。


 隣に居たイヴは、気を取り直すように己の両頬を強く弾いて、「その通り! です! 私も頑張ります!」と同意を示す。その目の奥には、先ほどよりも強い熱が宿っている。


 そんな二人の話を聞いたテッドは、それでも暫し迷った様子だった。


 しかし、この期に及んで協力を拒むのも筋が通らないと思ったのだろうか。


 暫し目を瞑った後、開いて、呟いた。


「いいだろう。その言葉に騙されてやる」


 テッドはベッドの傍に立って瑠璃とイヴを見る。


「まず、普段の聖女のスケジュールからだ。普段は毎晩九時に医者とタチアナが、朝の七時にはタチアナが聖女の部屋を訪れて定期的な身の回りの世話をしている。朝晩問わず、私の手が空いていれば私がそれに同席することもある」


 タチアナはテッドの隣で頷いてそれを認め、瑠璃は軽く頷いて了承を示した。


「そして事件は二週間前に起きた。前日九時にタチアナと医者が部屋を訪れ、そして翌朝七時に私とタチアナがこの部屋に来た際――聖女が、消えていた」


 その時の出来事を思い出しているのだろう。テッドは険しい顔をして、タチアナも辛そうに顔を伏せている。


 話を整理すると、つまり失踪推定時刻は夜の九時から朝の七時、その間。そして、


「……聖女は、自分で身動きをとれる状況じゃなかったんだね?」

「ああ、それは保証しよう。軽くベッドを立って数歩歩く程度ならともかく、部屋を出て誰にも見つからない場所に一人で行くなんて不可能だ。無論、魔術など使える体調ではなく、この部屋にも魔素は一切無かった。部屋中、隅々まで探したよ」


 或いは魔術であれば、とも思ったが。どうやら難しいようだ。


「だとしたらこの失踪は誘拐だ。九時から翌朝七時までの間に、誰かがこの部屋を訪れ、そして聖女をここから連れ出していった」


 瑠璃はテッドの言葉にそう結論を下す。


 どうやら既に同じ結論に達していたのだろうテッドは重々しく頷き、タチアナは認め難い事実を受け入れるように押し黙って瞳を伏せた。


 瑠璃は泰然と部屋を歩いて見て回る。


 ベッド周りのスペースは充分だ。ここに寝ている人間を担ぎ上げる際に不便はない。


 扉の開閉にさほど音はしない。ここから監視まで音は聞こえないだろう。つまり誰かが出入りしても音だけで気付くことは不可能。そして、部屋のユニットバスに刺客や人間を通せるような穴は存在しない――無論、バラバラに切り分けてトイレに流すなどという猟奇的な手段も起こり得るが、よほどミンチにしない限りは詰まる。発覚のリスクが高い。


「この大聖堂に居た人なら、誰でもできちゃいそうですね……」


 イヴが少し怯えた様子で服の胸元を握る。


 その恐怖を払拭する訳でもないが、瑠璃は「いや、それはどうだろう」と返す。


「いや、そうでもない。忘れた? 聖女を攫うなら、まず聖女がどこに居るかを知る必要がある。そうだろう? タチアナ、枢機卿」


 今日の、マーク・コリンズのアリバイ事件にも重なる話だ。計画的に被害者を襲う人間は、その計画を盤石なものにするためにも被害者の所在を把握していなければならない。


 二人へ向けた瑠璃の問いに、先にテッドが頷いた。


「ああ。聖女がここに――プリマ大聖堂の八階に居るという情報を知る人間はそう多くない。誰かが口を滑らせていればその限りではないが、居場所を知る誰もが責任感のある者達だ。それはないと思いたい」


 瑠璃は肩を竦め、皮肉を挟んだ。


「だとしたら、その責任感のある連中の中に犯人が居ることになるけど」

「……無駄口を叩いたな。知っている人間を言うぞ」


 そう前置きをして、テッドは『聖女の部屋のことを知る人間』を指折り数えて列挙した。




・テッド・ロス枢機卿。男性。


・マイク・ロールズ枢機卿。男性。


・エリック・トンプソン大司教。男性。


・トニー・アルゼイド司教。大聖堂の管理者。男性。


・ドリス・ジーナ大司教。女性。


・お世話係のタチアナ・マーテル。女性。


・主治医のフレッド・グロス。男性。




「――その七名だ」


 タチアナは両手の指を折りながらその人数を確かめ、相違ないことを確かめた。


 ここに嘘は無いだろう、と考えたい。もしも彼が犯人だとしたら、自分が含まれている以上は他人の名前を伏せることにメリットは無い。容疑者を増やして誤魔化そうにも、裏を取ったらすぐに発覚する話だ。だから、ここで挙がった人間は一先ず事実として受け入れよう。


 瑠璃は少しの驚きを表情に、腰に手を置く。


「思ったよりも随分と少ないね。これなら楽に絞り込めそうだ」


 七名。ロシアンルーレットのようなものだ。推理ゲームなら残機が削り切れる前に当てずっぽうで犯人を特定できそうだ。


 テッドは瑠璃の軽口を聞き流して、補足の情報を呟く。


「事件後は捜索の過程で追加数名に情報を流している。警察や大聖堂内の受付数名、それから廊下に居た監視達だ。だが、事件後の話だ。容疑者にはなり得ないだろう」


 瑠璃はテッドに同意をする。


「まあ、最初から知っていたって可能性はゼロじゃないけれど、少なくとも、今疑う合理性は見当たらないね」


 諸々を勘案するに、その日、その時間。その七人が何をしていたかを確かめるのが先決だ。


 瑠璃は躊躇なく目の前の二人へ疑いの目を向けると、それを言葉にした。


「じゃあ早速、前日の夜九時から翌朝七時までの、お二人のアリバイを聞こうかな」


 すると、タチアナもテッドは順番を譲り合うように顔を見合わせた。


 そして、年功序列としておこうか。テッドから答え始めた。


「朝は二人で動いていた。そちらは纏めて話した方が分かりやすいだろう。まずは先に、私の当日夜のことを話そうと思うが――」


 傍らでイヴがメモを取る中、テッドはこう語る。


「――私はその日の夜、二十四時まで大聖堂の十二階にある執務室で作業をしていた」

「それを保証するアリバイは?」


 臆面もなく詰めると、テッドは臆さず首を左右に振る。


「無い。だが、夜から朝にかけて聖女の部屋を訪れていないという証拠ならある」


 「ほう?」瑠璃が眉を上げて訊き返すと、テッドはこう証言した。


「聖女の部屋を訪れる手段は二つだ。一つは先ほど私達が通ってきた道。もう一つは、一階受付の隣にある扉から続く、八階まで直通の外階段だ」


 言われて瑠璃は思い出す。


「この部屋の前の廊下にもあるね」

「ああ。そこと一階が直通になっていて、途中の階には行けない。聖女の病気が発覚し、隠ぺいを決めてから急ごしらえで増設したのでな」


 なるほど、道理で。人が出入りする気配もなく、使いづらい場所に入り口があると思った。


 そして、それらの情報を組み合わせた瑠璃は彼の言いたいことに気付く。


「――なるほど、そういうことか。中央階段を通って聖女の部屋へ向かえば、廊下の監視に見つかる。外階段を使うなら一階の受付の隣を通る必要がある。ついでに聖女の部屋に入る前に監視に……は、位置的には見えないか。でもまあ、外階段の出入りは受付が絶対に見る」


 八階はT字の廊下で組み合わせており、聖女の部屋は中央通路を突き当たりで右折した付近。


 外階段は右折先を更に突き当たりまで進んだ場所にある。


 監視のデスクは中央通路、つまり中央階段を抜けてきた人間を絶対に把握できる。


 外階段から出入りした人間まで見ることはできないが、そちらは一階受付が見るだろう。今回瑠璃たちが来た時のように一瞬離席することはあるかもしれないが、その時間は短い。それに、席を外せばその旨は証言するはずだ。


 言及しないということは、その時は席を外していないはず。


 テッドは先の瑠璃の論理を頷いて肯定した。


「その通り。そして、聖女が失踪して間もない時に、複数人の立ち合いの上でその受付、監視両方に確認をしてもらった。『その時間内は七名全員が聖女の部屋を訪れていない』と」


 瑠璃は面食らう。テッドだけのつもりが、全員のアリバイを証明されてしまった。


 何か抜けが無いかと瑠璃が顎に手を添えて考え込んでいると、タチアナの話が続く。


「つまり、私とお医者さんの九時の訪問が最後ということです。それから、その際には二人で一緒にお部屋を出たので、どちらかが残って――ということもありません。それから、必要ないかもしれませんが……その後については、普段通りに帰宅をして家で過ごしていました。大聖堂の出入りについては受付の方が把握していると思いますが、家に居たことまで証明してくれる人は居ません」


 だが、大聖堂の外に居るか中に居るかはさほど重要ではない。


 魔術を使っていないのであれば、誘拐は肉体で行う必要がある。しかし、肝心のその失踪時間帯に、誰も八階に訪れていないことを受付と監視が明言しているのだ。


 瑠璃は難しい顔で眉根を顰めて考え込み、テッドが話を続ける。


「そして朝だ。私は七時少し前に大聖堂に来た。家に居た時間を証言する者は居ないが、大聖堂に入ってすぐ受付と会話したよ。それからほぼ同時にタチアナが降りてきたから、二人で聖女の部屋に行くことにした。タチアナは四階から道具を持って来るために中央階段で、私は混雑を回避できる外階段を使って聖女の部屋へ向かった。そして、ほぼ同時に八階に着いた」


 そこで話が失踪に繋がる。瑠璃は先を呟いた。


「そして、部屋には誰も居なかった。と」

「ああ。二人で一緒に入ると、そこには既に聖女の姿は無かった。私達は慌てて聖女の捜索をした。そして見つからないまま、今に至る。それが、事件の顛末だ」


 話を聞く限りでは、全く聖女を攫う隙が無かったように思える。


 瑠璃は話を聞き終えてからじっくり十数秒ほど考え込んだ後、考察を有意義なものにするために、情報の抜けを忌避して正確な事実確認に努めた。


「ちなみに、君達が捜した場所を聞いておいてもいいかい? 事件直後、その時の詳細な動きをできる限り正確に教えてくれ」


 テッドも忙しい身なのだろう。軽い溜息の後に時計を確認して説明を始める。


「二人で一通り部屋を見て回り、どこにも居ないということを確信し合った後、私は外階段を使ってすぐ受付に向かい、一時的に大聖堂の封鎖を指示した。同時に怪しい人間が出入りしなかったかも尋ねつつ、すぐ聖女の捜索を始めた」


 テッドの視線を受けてタチアナが代わる。


「私は監視さんに何か知らないかと話を聞きに行きました。何も知らないとのことだったので、そのまま監視さんと一緒に八階を捜索して、一通り見た後に監視さんは上の階へ、私は下の階を捜索し始めました。七階で、降りてきたロス枢機卿と合流しました」

「八階に戻ったら誰も居なかったのでな」


 双方の意見に食い違いはない。少なくとも、ここで聞いた話は全て事実なのだろう。


 真相がどうあれ、聞いた話に偽りが無いのだとすれば――


「犯人は監視と受付の目を掻い潜って、どうにかこの部屋に忍び込み……聖女を攫った?」


 或いは外壁をよじ登って来たのではないかとも考えたが、瑠璃が窓に寄ると、そこは大聖堂鵜の八階だ。飛び降りれば無事では済まされず、素手で登れるような都合の良い突起もない。大掛かりな機材を使えば可能ではあるだろうが、生憎と、窓は大通りに面する。真夜中に実行したとて、人を抱えた人間が上り下りをしていたら衆目を浴びるだろう。


 考え込んでいると、テッドが時間を気にした様子で瑠璃に尋ねてくる。


「ひとまず、聞きたいことは訊き終えたかね?」


 枢機卿といえば教会でも重役に位置する人物だ。いつまでも胡散臭い探偵と談笑できる立場でもあるまい。瑠璃は頷こうとして、最後に一つ思い出す。


「聖女の名前を聞いていなかったね。できれば写真もあると有難い」


 言うと、テッドが答えた。


「名前はリアナ・ローダー。年齢は十七歳。写真は無い」


 「無い?」予想外の返答に瑠璃が眉を顰めると、「無い」とテッドは繰り返した。


「言っただろう、六年前。教会に来た段階で彼女は難病を発症していた」

「……なるほどね。秘密が外に漏れる要素は可能な限り減らしておきたかった」

「尤も、この期に及んではその配慮が裏目に出たんだろうがね」


 そう呟くテッド。そして「もういいか?」と言うから「最後」と尋ねた。


「貴方達は、聖女の失踪をどう思っている?」


 瑠璃が努めて真剣な表情で尋ねるものだから、面々は下手に訝しがることもできない。


 それでも、少々不思議そうな視線が返ってくる。これを聞いたところで聖女の捜索に何か大きな進展があるとは思えないのだろう。だが、瑠璃も馬鹿ではない。先の事件で懲りた。


 犯罪の原動力は『動機』だ。動機が人を動かす。


 まず、タチアナが戸惑いながら答えた。彼女は胸に手を当てる。


「私は……あの心優しい方に生涯を尽くすと心に決めていました。今は……ただ、どうにか見つかってくださることを祈るばかりです」


 そう告げたタチアナを眺めてテッドが黙っているから、瑠璃は視線で返答を促した。


 視線に気付いたテッドが目を瞑りながら毅然と答えた。


「彼女は民衆の、信徒達の心の支えであり、象徴だ。何としてでも――どんな手段を使ってでも、彼女を再び健やかな状態でこの教会に戻す。その為に医者を手配し、お世話係も付けているのだからな」


 ジッと目を見ると、視線は微かも揺らがない。


 瑠璃は半ば確信する。彼はきっと本気だ、と。


 本気で聖女を象徴に擁立しようとしていたのだ。


 二人の意見を聞くことができた瑠璃は、軽く頷いて手を振った。


「もう大丈夫、忙しい中に悪かったね。もう少し有意義な聞き取りができるようになったら呼ぶよ。このまま大聖堂を調査してもいいんだろう?」

「ああ、根回しはこちらで済ませておこう。私は教会の仕事があるので、これで失礼をする。――本当は、仕事などしている場合ではないのだろうが」


 言いながら哀愁の滲む溜息を吐き、そしてテッドは部屋を出て行く。


 閉じる扉。僅かな沈黙の中、残されたタチアナが辛そうに瞳を伏せる。


 瑠璃はそんなタチアナの様子をしばらく観察した。


 聖女の秘密を知るたった七名の人間の中の一人だということを考えると、教会側からタチアナへの信頼は相当厚いはずだ。また、この様子ではタチアナ自身も聖女を強く想っているのだろう。探偵が感情に振り回されるべきでないことは承知の上だったが、それでも、彼女の一挙手一投足からは、どうにか聖女が見つかってほしいという思いが感じられた。


「タチアナ。貴女も、これ以上話せることが無いのなら普段の仕事に戻って構わないよ」


 瑠璃が出口を示すと、タチアナは弾かれたように顔を上げた。


「あ、はい。その――すみません。お力になれず」

「こちらこそ、すぐに見付けてやれずに悪いね。でも、すぐに真相を暴く。どうかもう少し待っていてくれ」


 瑠璃が彼女の目を見て約束すると、苦しそうだったタチアナの表情が少し緩和した。


 その様子を見たイヴは嬉しそうに頬を緩め、同じく励ますように拳を握った。


「必ず、必ずです! 絶対に、私達が聖女さんを助けますから!」


 イヴはタチアナに力強く約束をする。タチアナはそんなイヴを眩しそうに眺めた後、微かな笑みを浮かべて「はい」と声を絞り出した。


 瑠璃はその光景を――イヴの力強く優しい横顔を、物言いたげに眺めた。


 瑠璃とイヴのそれぞれの約束には、一つ決定的な違いがある。


 それは、聖女の生死に関すること。


 瑠璃は真相を暴くことを約束し、聖女の生死については言及しなかった。状況を総合的に考えると、彼女の命がまだ繋がっていると確信するのはあまりにも盲目的すぎるからだ。


 だが、イヴは必ず助け出すと約束をした。それはある意味、無責任な言葉かもしれない。だから瑠璃は今までそういうやり口を忌避してきたが――今、最悪の可能性を視野に入れて、それでも微かに救われた顔を見せたタチアナを考えると、無鉄砲で無責任な善意も、あながち否定できたものではないのかもしれないと反省した。


 タチアナが部屋を出て行く。


 部屋には瑠璃とイヴだけが残り、数秒、思案から生まれた沈黙が部屋を充満した。しかし、そんな塞ぎ込むような沈黙を、イヴの底抜けに前向きな声が切り裂いた。


「絶対、見付けましょうね。聖女様」


 瑠璃は暫しの間、そんなイヴの顔を見下ろして眺める。


 無言で見詰めると、「あの?」と不安そうにイヴが首を傾げた。


「……私の『絶対に真相を暴く』は自信であり、自らへの鼓舞の意を含む」

「は、はぁ、自信家なんですね」

「逆に私は、根拠のないその場凌ぎの励ましや約束が苦手でね」


 そう言うと、イヴは自覚していたのだろう。ムッと唇を尖らせる。


「な、なんですか! 急に。嫌味ですか」

「はは、まあ、確かに。根拠のない自信が不誠実だと考えている節はある。でも今、君は目の前で一人の女性を勇気づけて、自らの信頼を担保に、約束をした。無責任で適当だと揶揄をする者も居るかもしれないが、ひたむきに正しいことを追求する生き様には敬意を抱く」


 瑠璃がそう言うと、イヴは驚きに目を丸くする。


「だから、まあ。なんだ」


 瑠璃は少し照れ臭くなって言葉を探し、しかし、苦笑しながらもちゃんと伝えた。


「君が手を貸してくれると助かる。改めて、最後までよろしく頼むよ」


 すると、イヴはだらしなく頬を緩ませた後、両拳を作った。


「何を今更。時間が惜しいです、早速捜査をしましょう!」

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