あたたかい冬の夜

第11話

 瑠璃が警察の伝手を使って接触を試みると、イヴ・エスポジットはそれを快諾した。


 電話から十数分後、日も沈みきった、街灯の明かりだけが足下を照らす夜道を抜けた瑠璃は、警察署から少し離れた路地裏のカフェでイヴと合流した。


 ふわふわとした長い金髪を揺らす幼い少女は、瑠璃を見付けると安心したように笑う。


 街灯の青白い明かりと店内の暖色灯を浴びて不思議なグラデーションを作るテラス席、で二人は湯気の立つカップをコツンと鳴らし合わせた。「再会に」「それと事件の解決に」


「乾杯」


 二人で言葉を合わせて熱い紅茶を口に含む。今日で何杯目だろうか。


 紅茶が届くまでの待ち時間、イヴにはこれまでの簡単な経緯を明かした。まず、瑠璃が単なる協力者ではなく特殊な事情を持っていること。そして、その特殊な事情が異世界出身というものであり、その目的は日輪教の聖女が失踪した謎を追うためのものだということ。


 説明は難航するかとも思ったが、アレックスから返却されたスマートフォンを軽く触らせれば、特に疑われることもなく彼女は納得した。


「しかし……異世界なんてものがあるんですね。本当に」


 イヴは丸い目を星々のように輝かせて上擦った声を上げた。


「昨日の私もまったく同じようなことを思ってたよ。正直今でも、夢心地だ」

「こうして先進的な技術を見なければ信じられませんでした」


 言いながら、イヴはマグカップを片手に、スマホをあっという間に慣れた手付きで操作する。画面には瑠璃の端末に保存されている電子書籍。漫画を楽しそうに読んでいる。


「読める? 文字」

「はい、読めます。なんか、知らない文字のはずなのに」


 瑠璃が異世界の文字を読めるのは、肉体に何らかのバフのようなものを施したと考えると納得できる。しかし、彼女が読めるのも不思議な話だ。こっそり状況を見守っていて、面白半分で手を加えたか――それともスマホの方に細工があるのか。


 考えながら眺めていると、どうやら彼女はドラゴンボールがお気に入りらしいことが分かった。瑠璃も、あれほど完成された構図を描くバトル漫画を知らない。


 数分後、ハッと顔を上げたイヴは顔を真っ赤にさせて「すみません!」とスマホを瑠璃へと突き返す。肩を揺すって笑った瑠璃は「いいよ」とそれを受け取る。


 もう少しゆっくりした時間を過ごすのも悪くはなかったが、区切りがついたところで話を進めるべきだろう。瑠璃はスマホをコートの内ポケットに放り込んでテーブルに片腕を置く。


「……本題に入ろう。さっきも話したように、私は日輪教の聖女失踪事件について調査したい」


 イヴは困った様子で眉尻を下げ、唸りながら腕を組む。


「ううむ――しかし、実を言うと聖女様の失踪事件なんて聞かされたことがないんですよね」


 やはり、そう楽にはいかないか。瑠璃が肩を落とすと、彼女は申し訳なさそうに続けた。


「そもそも、聖女様に関する情報はあんまり教会内部にも周知されていないんです」

「……内部にも?」

「内部にも、です。存在を聞いたことくらいはあるのですが、詳しい情報はどこにも」


 そう言って、イヴは顔の前で両手を重ね、バツ印を作る。


 瑠璃は足を組んで顎に手を添え、考えた。


 例えばアレックスやフェイのような部外者が知らないのは、情報統制の結果だろうと理解できる。だが、如何に彼女が修道服を渡されないような見習いとはいえ、彼女まで知らないということは教会内部でも情報が規制されていると考えるのが自然だろう。


 徹底的に外部への情報流出を避けるため、内部でも知る者が限られているということだろうか。だとすると、叩くべきは事件の核心か。ここで聴取を行う意味はないのかもしれない。


「あと、私自身、あんまり教会に詳しくないということもあって」


 そう歯切れ悪く言うイヴに、瑠璃は納得を示す。


「そうか、確か見習いだったか」

「あ、いえ。それもあるんですが――」


 そこで言葉を少し濁したイヴは、愛想笑いに紛れさせるように言った。


「――実は私、記憶喪失なんです」


 瑠璃は突然の告白に呆気に取られ、丸い目でイヴを見詰めた。


 記憶喪失。物語ではよく聞く話だが、実際にそうである人間に会ったことはない。心因性、外傷、原因は多岐に渡れどもそうそう目にすることじゃない。


 しかし、どうにも冗談を言っているようには見えない。事実なのだろうか。


 怪しむ瑠璃に、イヴは胸元で指を合わせながら付け加えた。


「ちょっと前に、気付けば森の中に居て。地名とかも忘れてて。だから聖女さんのことも、知っていたも覚えていなくて――もしかしたら古参の聖職者さんなら何かを知っているのかもしれないんですけれど、ごめんなさい。私ではお力になれず」


 その語り口からは、誤魔化したり騙したりといった悪い様子は見られない。


「……マジで記憶喪失?」

「マジです。常識とかそれくらいは漠然と覚えてるんですけど、出身も素性も、何も覚えていません。最初に頼った人が悪人だったら死んでたかもしれませんね、あは」


 悲観的な色合いは見せずに笑って、瑠璃は絶句する。


 彼女は彼女で何か別の事件に巻き込まれているのではないか。そんな風に危惧をして言葉を発しあぐねていると、しかしイヴは笑いながら胸元で手を振る。


「あ、そんな深刻な問題じゃないので、難しい顔をしないでください。ただ、折角頼って頂いたのに、ここで有意義な情報をお出しするのが難しいという話で」

「……なるほど、了解。君がそう言うならそれで納得するよ」


 「しかし」言いながら、瑠璃はアレックスから渡されたメモを取り出す。そこには、聖女失踪事件について警察に相談をしてきた人物の名前と職場が記載されていた。


 名前はタチアナ・マーテル。女性。


 プリマ大聖堂を拠点として活動しているが、どうやら聖職者ではないそうだ。


「そうなると、このタチアナって女性を当たるしかなさそうだ」


 瑠璃がメモ帳をテラス席のテーブルに滑らせると、イヴは身を乗り出して覗く。


 顔馴染みということはないだろう。ふーん、とでも言いたげな顔だ。


 瑠璃は少し考えた後、テーブルの上で手を組み、改まってイヴへ要求した。


「悪いんだけど、イヴ・エスポジットさん。この人物と接触するまでの間だけでいいから、私の身元を保証する人間として同行してもらえないかな?」


 修道女見習いで記憶喪失の彼女が瑠璃の身元保証人として有効であるかは疑わしいところではあったが、彼女以外に日輪教徒の心当たりが居ないのも事実である。故に、頼るしかない。


 しかし、イヴは快諾をしない。瑠璃の要求に対して、難しそうな顔をして腕を組んだ。


 即決での快諾を得られなかったのであれば、彼女にとってはあまり好ましくない提案だったということだろう。であれば、どうにか他を当たるしかない。


「いや、難しいなら――」


 瑠璃がそう身を引こうとすると、イヴはキッパリと言った。


「――難しくはないです。でも、中途半端なのは好きじゃないです」


 日の暮れたリヴェンヴールの夜。彼女の澄んだ碧眼が星よりも鮮やかな光を反射する。


 瑠璃はその吸い込まれるほど真っ直ぐな目に瞳を奪われ、在り方に心を奪われた。


 大きな槍で身体を穿たれて倒れた人間へと真っ先に駆け寄り、治療を試みて、その人物の死後を憂いて。彼女の真っ当な生き方に、瑠璃は微かな賛辞の笑みを贈る。


「知った以上、知らないフリをして今まで通りに暮らすなんてできません。事件解決まで、私に手伝わせてください。探偵さんの邪魔はしませんから」


 当初、気の弱そうな少女だと思った。とんだ間違いだった。


 瑠璃は腰に手を置き、白い息を吐いて笑う。


「君、難儀な性格してるね。生きづらいだろ」


 すると、イヴは自嘲気味に笑い返した。


「正直、自覚してます。でも、」


 その接続詞の続きは瑠璃が奪い取った。


「――それは人の不幸から目を背ける理由にはならない」


 瑠璃なりの解釈で言葉を継ぐと、どうやら数奇にも当たっていたらしい。


 イヴは驚いたように目を丸くして、そして理解者に対して嬉しそうに唇を曲げて笑う。


 その笑みが彼女の返答であると解釈して、瑠璃もまた笑みを以て彼女の要請へ返答をした。


「短い付き合いになるだろうが、頼んだぜ。相棒」

「こちらこそ。助手でいいですよ。絶対、聖女様を見付けましょうね」








 首都グレン。その南部に位置するミレアム市に目的地のプリマ大聖堂はあった。


 イヴの案内で路線バスを降りた瑠璃は、「ここです」と彼女が示した建物を見て絶句した。


 それは、大聖堂と呼ぶにはあまりにも巨大だった。


 瑠璃の認識する大聖堂とは巨大な教会であり、目的はあくまでも礼拝や説教に過ぎない。


 だが――窓の数を数えて実に十八階層。魔術があるとはいえ現代日本ほど建築技術が進歩していない世界においては、途方もない高層建造物だと言える。


 瑠璃が呆気に取られていると、イヴが首を傾げた。


「探偵さん?」

「いや、私の世界の大聖堂とは比べ物にならないほど大きくてね」

「そうなんですか? まあ、プリマ大聖堂と、それから同じ設計図を使っているクロリラ大聖堂って場所は、リヴェンヴールで最も大きい大聖堂ですから」


 何故か彼女が誇らしそうに語る。地球でも国際規模の交流では自国の長所を誇るように、世界規模になると人間は自世界の長所を誇るようになるのだろう。瑠璃は気付いて感心した。


 さて。夜は既に深くなっており。そろそろ夕飯時に良い時間帯だった。


 大聖堂の十八階層分の窓からは、所々歯抜けではあるものの明るい光が漏れ出ており、宗教の象徴としての在り方を感じた。ある意味、宗教においての灯台とも言えるような勇姿だ。


 鉄の門扉に阻まれている出入口からは、瑠璃の想像していたような修道服を着た者達が頻繁に出入りしているのが見える。その脇に、制服を着た警備員。まるで高層ビルのようだ。


 だとすると、身元の怪しい部外者が平然とその脇を通り抜けられる道理もない。


 説得ができたとして、苦労はするだろう。


 瑠璃はイヴの方を一瞥し、彼女が時を同じくしてこちらを仰ぎ見て、視線が合う。


 「お任せを」と両手でサムズアップするから「頼もしいねえ」と笑った。


 イヴは門扉の脇に居る警備員に駆け寄ると、懐から身分証明書を取り出した後、耳を寄せて何かを説明。途中、瑠璃の方を示して言葉を尽くすこと更に数秒後、警備員は穏やかに笑って頷き、歓迎の構えを見せた。


 瑠璃は泰然と門扉に近付き、イヴと合流をしながら会釈をして門扉を抜けた。


 何も言われない。大聖堂の入り口の両開き扉へと近付きながら、瑠璃はイヴに耳打ちをした。


「なんて説明をしたんだ?」

「『未成年なんで保護者に来てもらいました!』」

「なるほど、上手いね」


 瑠璃は肩を竦めた後、ふと気になって尋ねる。


「で、何歳なの?」

「それが記憶喪失で。自称十八歳でやってます」

「色々際どい年齢だね」

「大人に片足踏み込んでます」


 胸を張るイヴをよそに、瑠璃は大聖堂の入り口ドアを開けた。


 中は、大聖堂と呼ぶには少々社会的だった。


 大きさは外観通りに巨大であり、天井を見上げると、一階の高さは十メートルを優に上回るだろうことが窺えた。横方向は言うまでもなく、駆けまわるにも十分すぎる広さを持っている。


 入り口から入って手前側には受付らしきデスクがあり、スーツの女性がビシッと立っている。その隣には木造の押戸が二つあり、裏口か控室か、一般用でないことは確かだった。


 そんなエントランス部分を真っ直ぐ抜けると正面には扉があり、付随した窓ガラスを覗くと中には礼拝堂が見えた。扉手前の左右には通路が伸び、その先には階段。


 瑠璃がキョロキョロと大聖堂内部を見回していると、受付の女性が温和に笑った。


「こんにちは。関係者の方ではなさそうですが――どのようなご用件でしょう?」


 瞳には微かな疑念。彼女は警備員に素性を尋ねさせようと目配せをし始めた。


 イヴが慌てて説明をしようとするが、ここに至っては下手に取り繕うより素直に言ったほうが手っ取り早いだろう。瑠璃はイヴの背中を叩いて言葉を止め、代わる。


「こんにちは、お姉さん。この教会にいらっしゃるタチアナ・マーテルという女性と面会する約束を立てていたんだが、聞いていないかい? グレン州警から派遣されてきた、と言えば伝わるはずだ。手間をかけるけど、確認してほしい」


 瑠璃がそう伝えると、女性は少々驚きつつ丁寧に腰を折った。


「少々お待ちください。ただいま確認させます」


 そう言って、女性は背後にある二つの扉の片方に入る。間もなく違う受付の人間が出てきて、瑠璃たちに会釈をしてから階段を駆け上がっていった。


 それを見送り、途端に人気の消えた受付周辺で二人は声を忍ばせた。


「……いつ約束を?」

「んなもん無いよ。ただ、君のような教会の人間ですら知らない、教会としてはできれば吹聴したくない存在の吹聴したくない事件を、警察署から来た人間が知っているとなれば。少なくともただの怪しい人間として追い返したりはしないだろう。会うことまではできる」

「……探偵と言うか、詐欺師みたいですね」


 イヴは悪戯っぽく笑って瑠璃の顔を覗き込み、そう言った。


 良い度胸だ。瑠璃は表情だけ笑いながらイヴの両頬を掴み、ぎゅっと反対方向に引っ張った。イヴは「ぎゃ」と醜い呻き声を上げ、しゃがみこんで逃げる。真っ赤な頬を押さえながら涙目にこちらを見上げてくるから、瑠璃は鼻で笑ってポケットに手を突っ込んだ。


 それから間もなく戻ってきた受付も交え、二分ほど他愛のない談笑をしていると、階段から泰然と降りてくる影が二つ。その場の全員が視線を向けると、それは男女二名だった。


 女性の方がタチアナだろう。シャツとパンツにエプロンを着けていることから、事前情報通り、ここに勤める作業員であることが窺えた。やや肌が浅黒く、髪を後ろで一つに束ねている。スタイルは良好。年齢は三十代くらいだろうか。肌などから若々しく見えるが、だからこそ正確な年齢が見受けられない。十中八九、瑠璃よりは年上だろう。


 そしてもう一人は、修道服を着た中年の男性だ。


 白髪の混じった黒髪を短く切り揃えており、背丈は上背で身体は外見年齢不相応に屈強で厳つい。表情は険しく、隙を感じさせない立ち居振る舞いをしている。


 降りてきた二人に、受付の女性が「こちらの二人です」と示した。


 タチアナと男性は瑠璃とイヴを見て、一瞬、驚きを露にした。


 瑠璃は眉を顰める。瑠璃の想定では、ここで見ず知らずの人間だと素性を疑われ、事件を吹聴すると脅迫を返し、捜査に関わるという算段だった。どういうことだろうか。


 イヴも予想外だったか「あの、何か?」と思わず首を傾げて尋ねる。


 すると、男性の方が真っ先に頭を振って我に返った。


 そして少し遅れ、タチアナと思われる女性が申し訳なさそうに笑う。


「すみません。探している人が金色の長髪で――少し、過敏になっていました」


 なるほど。どうやら、本当に聖女は行方不明になったらしい。


 今の一言でそれを察した瑠璃は、少し言葉を選んでからこう提案をした。


「それについてお話したいことがある。場所を変えないかい?」


 タチアナと男性は顔を見合わせて視線で確かめ合い、そして男性の方が頷いた。


「いいだろう。状況を見るに……固辞するべきではなさそうだ」

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