第10話

 結果が出たのは、もうそろそろ日が沈み切るという時間帯だった。


 署内に併設されたカフェにて、瑠璃はガラス壁から見える首都グレンの夕暮れを、温かい紅茶を口に含みながら眺めて時間を潰していた。お代はアレックスが払うことになっている。


 段々と町が紫紺に染まる情景をぼんやりと眺めていると、足音が聞こえた。瑠璃がそちらを見ると、段々と警察の出入りも減ってきた署内の廊下を、ある男が歩いてくる。


 堂々とした普段の歩き方は何処、廊下の脇を行くその足取りは重く、乱雑だ。


 カフェに顔を覗かせた彼は、やるせない表情で瑠璃を見た。


 その表情を見た途端、瑠璃は自分の推理が完全に的中していたことを悟る。


 重々しい足取りで瑠璃の対面に座ったアレックスは、暫く腕を組んで閉口し、俯くばかりだった。事件の全容を一足先に察していた瑠璃は、彼より幾分か気が楽だ。


 いつまでも黙っていたって仕方がない、と。瑠璃はそっと口を開いた。


「早かったね」


 彼が瑠璃の依頼を受けて調査に出てから、まだ数時間しか経過していない。


 そう思い繰り出した疑問に、アレックスは腕を組んだまま仏頂面で言い返す。


「言っただろう、上が頭を抱えていたと。今回の事件、人は幾らでも動かせた」


 過去形だ。その意図はもはや聞くまでもない。


 だが、この事件を二人の間で片付けるために瑠璃は訊く。


「どうだった」


 再び重苦しい沈黙が降りる。だが、今度はそう長くは続かない。


 アレックスは大きく息を吸った後、それを静かに、長く吐き出して意識を切り替えた。


「事件は解決した。お前の読み通りだったよ」


 瑠璃は目を瞑り、軽い虚脱感に襲われながら「ならよかった」と言った。


「何故分かった? 教えてくれ、探偵」


 アレックスがテーブルの上で手を組み、瑠璃はそれを受けて目を瞑る。


 口が嫌に重かった。問題を解決しておきながら最悪の気分だったが、それでも彼に手柄を譲る以上、この事件の真相をどのように紐解いたか、言語化しておくべきだろう。


「――加害者に目を向け過ぎた。彼がどうやってアリバイを偽装したかに囚われて、もっと大事な部分を見落としていたことに気が付いたんだ」


 それこそが、瑠璃がずっと引っ掛かっていたことだ。


「前提として、今回の一件は容疑者と被害者の関係を見ると、計画的な殺人だったと考えるのが妥当だ。偶然の可能性もゼロではないけど、まあ、考慮に値しない」

「同意だ。確かにそうだろうな」

「そうなると、犯人は『容疑者と被害者の関係を知っている人間』に限られる」


 そして、その中にはマーク・コリンズも含まれる。だから警察は、それを捜査していた。


「そして、今回の一件が計画的な殺人とするなら、犯人候補にはもう一つ条件がある」


 アレックスが聞きたいのはここだろう。瑠璃は溜めず、さっさと種明かしをする。


「それは、被害者があの日、あの場所に居ることを知っている人間だ」


 アレックスは訝しがるように眉根を寄せ、口を挟んだ。


「待て。そこまで知らなくても、被害者の住所を知っていれば済む話だ。家から尾行をして――ある程度離れた地点で殺害すればいい。何も行動まで把握する必要はない」

「勿論その通り。家を知っていれば・・・・・・・・それくらいは容易い」


 瑠璃が婉曲的に言えば、アレックスは瞳を揺らし、そして、目を見開いて息を吸う。


「そうなんだよ、主任。私もそう思っていた。でも――被害者は家を殆ど出ないんだ。大家が誰かと一緒に過ごしている姿を一度も見たことがない。無職だから会社の繋がりも無いだろう。コミュニケーションにも難があると言っていた。ここで一つの疑問が浮かび上がる」


 一拍置いて、瑠璃が抱いた疑問を言葉にする。


「誰が、被害者の住所を知っている?」


 アレックスは「そういうことか」と目を瞑り、瑠璃は頷く。


「これが疑念の糸口だった。無論、例えばマーク・コリンズが被害者の家を知っていたところで、それそのものはおかしいとまでは断定できない。でも、ここ数年になって引っ越した被害者の家を、被害者が殺されたという事実にも落ち込まないような同級生が、知っているか?」


 「――ただ、今はこれを煮詰めても仕方がない。話を進めよう」瑠璃は順を追って語る。


「この世界には魔術なんてふざけたモノが存在するが、それは不可思議で万能なものじゃない。ルールがある。魔素を残すという絶対的なルールだ。つまり犯行時刻に会社に居たと複数人が証言するマークは白と見るのが妥当だろう。つまり、事件現場に居た、マークのように見える何者かは、実際にはマークではなかったと考えるのが妥当だ」


 アレックスは頷き、瑠璃は「では、犯人は何者か?」と疑問を挟む。


「散々議論をした通り、継続型魔術以外で常に人の顔を模倣し続けるのは簡単じゃない。その相手に対して強い執着を持ち、かつ、優れた魔術の腕を持つ人間だけが成し得る。『技術』と『終着』。これらの条件を満たす仮説が一つ、存在するんだよ」


 既にアレックスも答えには行き着いたのだろう。腕を組んだまま目を見開いた。


「主任。君は、犯人の【視覚の偽装】が不完全だったと言ったね」

「……ああ、言った。そう思っていた。でも、違うんだな?」

「ああ、違った。逆だったんだ」


 これがアリバイ工作の謎、真犯人、全てを終わらせる答えだ。


「【視覚の偽装】が失敗してマークが見えるようになったんじゃない。真犯人の【視覚の偽装】によって、マーク・コリンズという人間が作り出された・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・んだよ」


 これに気付けず、捜査は散々難航し続けた。


「そう仮定すると、槍と並行して視覚偽装の魔術を扱える腕が、加害者に存在することになる。そうなれば、論理的には人間の顔を魔術で再現できる技術も保証される。でも、ここで『マーク・コリンズ』の顔を良く知る人間でないといけない、という執着の条件が立ち塞がる」

「……ただの友人程度で満たせる難易度かは知らんがな」

「でも、それを考察する必要はない。真犯人はマークに対して強い感情を抱いていた。当然だ。だって、彼を犯人に仕立て上げようとした訳だからね。憎んでいるに決まってる」


 瑠璃はトン、と指でテーブルを叩く。シン、と静寂がテーブルに伝播した。


「誰が彼を陥れようとした?」

「実際に無実だったとはいえ、あの横柄な態度だ。敵は多そうだが」

「では絞ろう。先ほど言った通り、犯人はマークと被害者の関係を知っている人物だ」


 瑠璃とアレックスの視線が、静寂の中で交錯し続ける。


「次に、被害者の行動パターンや住所を知っている必要がある」

「突発的な犯行ではなく、マークと被害者の関係を知る人間の偽装工作だった。なら、滅多に家を出ない被害者の居場所を把握している人間でないと筋が通らないだろうな」


 瑠璃はアレックスの同意に微かに頷いて、そしてこう言った。


「この条件を満たす人間を考察すると、一人の人間が浮上する。そして、本当にその人物が実行犯であるか考えるのなら、考察に当たって二つの疑問が浮上する」


 瑠璃は二本、手を上向きにして指を立てる。


「マークと被害者は頻繁に行動を共にしていたと聞いたが、それは本当に仲良しなのか?」


 瑠璃は条件を続けて挙げる。


「事件の前、被害者側からマークに接触があったのではないか?」


 瑠璃はふう、と呼吸を挟んでから締めに入る。


「これらの疑問を明かすために、証拠が必要だった。それさえ分かれば、その寒い日に、被害者が厚着もせずに遠くへと駆り出して命を奪われた謎が解ける」


 それらが、瑠璃からアレックスに頼んだ調べ物の正体だ。


 ここでバトンはアレックスへと渡される。


 そして、探偵の推理を聞いた警察は、捜査の結果を発表する義務がある。


「お前の読み通りだ、探偵。元同級生たちの証言により、被害者はマーク・コリンズから凄惨な苛めを受けていたことが発覚した。内輪に隠していた、関係者だけが知る、悪辣な苛めだ。隠していた癖に……問い詰めたら、あっさりと吐いたよ」


 語るにつれてアレックスの歯切れは悪くない、顔は忌々しそうに歪んでいく。


 瑠璃も薄っすらと手足の先が冷たくなるのを感じ、眩暈を懸命に押し殺す。


「それから、事件の少し前、被害者の姿をマークの職場周辺で見たという証言を得られた。被害者が同級生にマークの家を聞きまわっていたという証言も得た。恐らく、計画当日の服装を完璧に再現するために家を把握しておく必要があったのだろう」


 アレックスはやるせない感情を噛み殺しつつ、どうにか話を進めた。


「ついでに、それらの情報を基にマークの会社へ聞き込みをした。事件当日、マークが本来、事件現場に出張する予定だったそうだ。生憎、急遽、娘の体調不良で取り消しになったらしいが――この出来事がなければ、アリバイは生まれずに、マークを起訴していたかもしれない。皮肉な話だ、友人を大切にできなかった男が娘を想い、結果、謂れなき罪から逃れたんだから」


 ここまでくれば、もう事件の真相など一つしかない。


 疲れを押し殺して、アレックスが溜息を吐き出す。そして彼は目を瞑った。




「――今回の事件は、殺人を偽装した自殺と断定して捜査を打ち切った」




 瑠璃は胸中に膿んだやるせない感情を熱を帯びた吐息で吐き出し、卓上に手を組む。顎を引いて無気力にテーブルの木目を見詰め、それすら億劫になって目を瞑った。


「ご苦労だった、異世界の探偵。お前のお陰で無実の人間を起訴せずに済んだ」


 普段なら軽口を返すような賛辞も、今は素直に受け取れない。


 瑠璃は何も言わず、ただ俯いて警察署の公正な喧騒に耳を傾けた。そんな瑠璃をどう思っているかは分からないが、アレックスは、実直に報告を継続した。


「被害者の前職上司との接触にも成功した。被害者は重度の精神疾患を患っていることを理由に、会社をクビにされたそうだ。コミュニケーションにも大きな問題が生じていたと聞く、きっと転職も上手くいかなかったろう。そして――その元凶は恐らく過去の苛めに起因するトラウマだろうと、彼の担当医は言っていた。生きるのに、相当苦労する状態だったと言える」


 瑠璃は熱い吐息を吐き出し、どうにか脳の熱を輩出しようと試みた。


 そんな瑠璃に、アレックスは気遣うような声をかけた。


「落ち込んでいるのか」

「……別に。ただ、少し疲れた」

「お前が気落ちする必要はないだろう。俺達は俺達の最善を選んだはずだ」


 人の話を聞かない男だ。瑠璃は溜息を吐く。


「俺は警察として法に則り、今回の事件を真相通り自殺として処理することができた。そしてお前は、無実の人間が罪を着せられることを、真相を暴いて防いだ。復讐が生んだ濃密な霧の中の、小さな真相の声を聴き遂げた。お前はお前の本懐を果たしたはずだろう」


 ハリボテの正義の裏側から目を背けるアレックスの言葉に、瑠璃は言い返そうと口を開きかける。だが、ここで彼を言い負かしたところで、瑠璃に正義は無い。


 警察にとって、法は正義だろう。


 探偵にとって、真実と事実は正義だ。


 感情に振り回された人間の犯罪を咎め、そしてそれにより起きた事件を暴くのがこの二人である。それについて、アレックスの言葉には言い返す余地など無かった。


「探偵。苛めの報復に殺人の汚名を着せるなんて犯罪は、駄目なんだよ。この国では」

「……同じだよ、主任。私の国でも、それは同じだ」


 もしも瑠璃が真相に気付かなければ。或いは加担を選んでいれば、苛めによって人生を壊された男の、命を使った復讐劇は無事に遂行されていたことだろう。


 マーク・コリンズは家庭を崩壊させて、然るべき報いを受けたのかもしれない。


 だがそれは、私刑だ。それは法治国家の在るべき姿ではない。


 瑠璃は数秒目を瞑って、開き、自分に呆れるように苦笑をした。


「もう大丈夫だ。私には命懸けの復讐なんてのは理解できないからね」


 瑠璃は無性に煙草を吸いたくなって、飲み干した紅茶のカップを置いて立ち上がる。


 二人で内設カフェの店員に軽く挨拶をしてから店を出て、警察署を少し歩き、外へ出た。


 警察署の前で、瑠璃はコートを羽織り直す。この国の冬は少し寒い。


 胸ポケットから赤い箱を取り出し、オイルライターを軽く弄んでから火を灯す。


 薄紫の夕暮れに染まった町より少しだけ赤い火を灯し、煙草が紫煙を揺らした。


「探偵。ウチの署は有能を求めている。お前の席はいつでも空けておく」

「要らないよ。私は探偵だ。警察なんてのはガラじゃない」

「今日で分かっただろう。真相なんてのは綺麗とは限らない。法を絶対的正義として、他から目を瞑って生きる方が、楽で、救われる。それでもお前は探偵をやるのか?」


 アレックスは煙草の代わりに白い吐息を吐き出し、それを紫紺の空に浮かぶ星々へ重ねた。瑠璃はその隣で深く煙草を吸い、そして紫煙を吐き出す。


「やるよ」


 しばらく、瑠璃は煙草を指に挟んだまま、漂い始めた夜風の香りに目を瞑った。


「真実が人を救うとは限らないけれど、真実でなければ救えない人も居るはずだ」


 瑠璃が臆面もなく言い切ると、アレックスはふっと鼻で笑う。


 しかし、その笑みに嘲笑の色はない。あるのは賛辞と敬意。彼はコートの襟を正して、鬱屈とした感情を吹き飛ばすように大きく背を伸ばした。


「なら、まあ。せいぜい頑張るといい。お前はこれで無事に釈放だ」


 どうやら約束は果たされるらしい。瑠璃は微かに眉を上げて唇を曲げた。


「世話になったね、主任」

「まったくだ。が、いつでも来るといい」

「そうそう警察の世話にはなりたくないね。私ほどの真人間はそうそう居ない」


 瑠璃はそう言いながら半分ほど残った煙草を咥え、星が浮き彫りになる夜を眺めて歩き出す。


 そんな瑠璃の背中に、「探偵!」アレックスが声を張った。


「お前、これからどうするんだ⁉」


 瑠璃は足を止め、煙草を指に挟んで振り返る。


「当初の目的に戻る。聖女失踪事件を追うよ」


 それを聞いたアレックスは肩の力を抜いて溜息をこぼし、数秒、逡巡した。用がないなら帰るけど、と口に出して言おうとした矢先、彼はこう言った。


「……イヴ・エスポジットさんはこの事件を偉く気にされていた」


 確かに、心優しい少女だった。気にしているだろうが、それがどうした。


「電話を貸す、報告をして差し上げるといい」


 そこまで聞いて、瑠璃はようやく彼の言わんとすることを理解する。


 確かに、一切のコネを持たない一介の探偵が接触をするには少し苦労をするだろう。


 得心をした瑠璃は相好を崩し、そして明るい顔で僅かな時間ながら相棒だった男に手を振った。普段の気取った言葉は少し押さえて、ちゃんと想いを伝えた。


「ありがとう。相棒」


 ふっと再び鼻で笑うアレックス。今度は少し、小馬鹿にするような雰囲気を感じた。

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