第9話

「――三人との面会を手配した。容疑者のマーク・コリンズと、被害者が暮らしていた賃貸の大家。最後に、現場で最も近くに居合わせた参考人だ」


 三十分後、紅茶を嗜む瑠璃の下に戻ってきたアレックスはそう言った。


 「三人も」この短い時間での手配にしては十二分な仕事ぶりだ。


「危ない橋を渡った。俺の首が跳びかねない橋をな」

「ならそれを帳消しにする結果を出そう。真相解明の手柄は君に渡す」

「そうしてくれ。さ、準備ができたら行くぞ。まずは参考人の女性からだ」


 そうして瑠璃とアレックスが移動したのは、警察署から少し離れた場所にある、これまたカフェであった。口の中は既に紅茶の香りでいっぱいだというのに。


 店は石畳の道路に面した白い外観をしており、外壁に面するようにテラス席が隣接。中を覗けば雑多に敷き詰められた珈琲や紅茶の関連器具や繁盛した客入りが見える。


「これから会う女性は、事件直後の被害者に真っ先に駆け寄って治療魔術を試みた日輪教の修道女だそうだ。警察が把握している証人の中では、最も当時の現場状況をよく知っている人物だろう」


 『日輪教の修道女』。ここで瑠璃は別件の聖女失踪事件を思い出す。


 こんなタイミングでもなければ聞きたいことは色々とあったが、今は自重しよう。


 二人並んで店に入る。噎せ返るような珈琲と茶葉の香りが漂い、木の床が軋む。ストーブが火照って遠赤外線を発し、上半身は微かに温かいが滞留した冷気が足下を冷やした。


 洒落た音楽がレコードから流れる中、客達は賑やかに談笑をしている。


 案内に訪れた店員に「待ち合わせです」と伝えるアレックス。そして、グルリと店内を見回した彼は、どうやら約束を取り付けた参考人を見付けたらしい。「八番席です。ホットコーヒー二つとストレートティーを二つ、それから……スコーンを三つ。お釣りは結構です」そう言って代金を支払うと、店員の「かしこまりました」を受けて歩き出す。瑠璃はそれに続いた。


「まだ飲み物を注文していないお一人様か。さて、誰かな? ところで、参考人が好きな方を飲めるように併せて四人前も注文したと思うんだけど、余った分はどうする気?」

「うるせえな、お前が飲め」


 粋な計らいをわざわざ言葉にして茶化すと、アレックスは半眼で噛み付いてきた。


 「ごちそうさま」瑠璃はそう言いながら店の隅の席へとたどり着き、そこに居た女性を見た。


 女性――と呼ぶには、まだ少し幼い印象を受ける少女だった。


 座っているので正確な目測は難しいが、身長は百五十台といったところか。小柄で華奢で色白だ。修道女と聞いたから修道服を想像していたが、服装は黒い襟付き半袖シャツにチェックのスカート。椅子の背もたれには古びたコートがかけられており、どうにも瑠璃のイメージする修道女というよりは、普通の女の子のように感じられた。


 髪は見惚れるほど美しく長い金髪だった。毛量が多く、軽いパーマがかかっているのか、ふわふわと揺れている。顔立ちは端正で、ややあどけない印象を感じた。


 落ち着かない様子で膝に手を置いて、少女はきょろきょろと店中を碧眼で見回していた。


 そして、その目が歩いてくる瑠璃とアレックスを見付けると、途端に緊張が濃くなる。


「あ、警察さんですか?」


 慌てて立ち上がろうとした少女を手で制し、アレックスは慇懃に腰を折る。


「初めまして。ご連絡をさせていただいたグレン州警刑事部のアレックスです。こちらは捜査協力者兼探偵のルリ。本日は、お忙しい中にありがとうございます」

「よろしく、お嬢さん」


 瑠璃が軽薄な挨拶をすると、アレックスは物言いたげに横目で見てくる。


 しかし畏まり過ぎない態度が功を奏したか、少女は少し肩の力を抜いた様子で「はい!」と元気に挨拶を返してきた。そして、こちらに倣って自己紹介をしれくれる


「イヴ・エスポジットと申します。日輪教会のクロリラ大聖堂で修道女見習いをやっています」


 どうやら本当に修道女らしい。瑠璃が意外に思いながらマジマジ眺めていると、イヴが「あの?」首を傾げる。瑠璃は誤魔化そうかとも考えたが、少し考えた後に言及してみた。


「ああ、いや。私の……私が昔に暮らしていた国では、修道女は統一規格の服を着ていてね。その印象が強かったもんで、文化の違いに驚いていた」

「あ、いえ! あります、そういう服。ただ、私が見習いなのと、厳密には神様を信奉してなかったりするので、その辺の諸々で大司教が『まあ、お前は私服でいいよ』と」


 「……なるほど、ありがとう」と呟きつつ、瑠璃は内心で考え込む。


 どうやらフェイも言っていた通り、日輪教はそこまで戒律が厳しくないらしい。この具合なら過激派も多くはないだろう。そうなると、聖女に関する情報が秘匿されている理由が分からなくなってくる。何らかの事情が聖女にあるということだろうか。


 ともかく、今は今回の殺人事件に専念するべきだ。


 こちらを探るようにアレックスが見てくるから、進めろ、と視線を返した。


「さて、性急ではございますが、お呼びした件について話を進めさせていただけると」

「あ、はい。事件当時のことですよね。覚えている限りでお答えします」

「お忙しい中、誠に恐縮ではございますが、是非――それでは、探偵」


 アレックスがそう視線を寄越すから、頷いてバトンを受け継いだ。


 それから、届いた飲み物が半分ほど減るまで、瑠璃はアイスブレイクも交えて幾つかの質問をした。――が、当然ながら重要な情報は既に警察が得ており、目新しい情報はない。


 ・何も無い空間に突如として被害者と容疑者、そして赤い槍が出てきたこと。


 ・槍が突き刺さって被害者が倒れ、容疑者が逃走をしたこと。


 ・間もなく誰かが追い駆けたが、雑踏に消えて見失ったこと。


 ・そして、イヴが倒れた容疑者に治療魔術を施したということ。


「――ただ、私が魔術を試みた時には、既に息は無くて。力及ばず」


 肩を落として瞳を伏せるイヴ。口ぶりから察するに、この世界に人間を蘇生する魔術は存在しないのだろう。概ねを聞いた瑠璃は、これ以上この少女から情報は得られないと判断して、頃合いを見計らって撤収するべくアレックスに目配せをした。彼は一つ頷く。


 そして瑠璃は、まだ若い彼女が殺人現場に遭遇したことを慮って言葉を尽くす。


「君が悪い訳じゃない。人は、死ぬときは死ぬからね」


 現実的で、冷たい言葉かもしれない。アレックスは微かに咎めるような目を向けてくる。


 イヴも現実はそう甘くないということを痛感し、「はい」と肩を落として微かに俯いた。


 しかし、瑠璃の言葉はもう少しだけ続く。


「――だからこそ、犯罪の抑止力となる警察が居て、命を繋ぎ止める医者が居る。君は人を救うための最善を尽くした。その生き様は、今際の際に、きっと被害者にも届いたはずだ。命を救うことはできなくても、己の行動を悔いて恥じる必要はない」


 イヴは微かに顔を上げて驚き、そして救われたように弱々しい微笑を浮かべる。「はい」少し遅れて頷きながら、今度はやや明るくそう言った。アレックスが隣で鼻で笑う。


「じゃあ、探偵さんもその中の一人なんですか?」


 イヴが瑠璃に興味を示す。


 瑠璃は微かに眉を上げると、紅茶を一口。


「生憎、私は君と違って人を助ける能力に長けている訳じゃない。できることは、ただ――」


 アレックスがまだ口を付けていないスコーンにフォークを伸ばして奪い、蜂蜜に浸す。


「――真相を暴く。それだけ。その結果として誰かを助けることは、あるかもしれないけど」


 イヴの瞳に微かな憧憬が滲む。


 そんなつもりは無かったが、どうやら彼女の琴線に触れてしまったらしい。しかし、実態は閑古鳥が鳴くような探偵事務所の一人従業員兼所長だ。憧れるようなものでもない。


 とはいえ、若者が抱いた夢を壊すほど情けない大人も居ない。夢は自由であるべきだ。


 瑠璃はスコーンを一口に食べ、頬袋を膨らませながら唇を覆う蜂蜜を舌で拭きとった。


「……さて、聞きたいことは聞き終えた。わざわざ来てくれてありがとう」

「お帰りはこちらでタクシーを手配します。今しばらくお待ちいただけると」


 瑠璃とアレックスが聴取の終わりを切り出すと、イヴは慌てて辞退を主張した。


「あ、いえ! 大聖堂はこの近くなので、歩いて帰れます。ありがとうございます」


 アレックスは尚も食い下がろうとするが、瑠璃は彼を手で制す。


「遠慮をする必要はないけれど、そうじゃないんだね?」

「はい! 本当に大丈夫です」


 ぐっと両拳を胸元で作って大丈夫である旨をアピールするから「だそうだ」と瑠璃はアレックスを見た。アレックスは「了解」と肩を竦めて立ち上がり、コートを羽織る。


 そして同じように立ち上がってコートを羽織ったイヴが「あ、お代」と慌てて財布を取り出そうとするから、アレックスが手で制する。


「もう払っておきました。規則として情報提供料をお渡しできないので――その代わりとして。どうか受け取って頂けますと、こちらも気が楽です」


 狡い言い方だ。瑠璃が鼻で笑う中、イヴは目をぎゅっと瞑って散々迷った末に「ごちそうさまです」と、か細く絞り出す。


 三人そろって店を出ると、冷たい冬の風が薙ぎ払うように吹いた。


 瑠璃はコートのポケットに手を突っ込み、曇天を仰いで「この世界の冬は冷えるな」と白い息を吐いた。海外旅行に行ったことがないので、ただの日本との比較ではあるが。瑠璃のそんな言い回しにイヴが小首を傾げるから、アレックスが「妙な言い回しをするな。ただの外国出身だろ」と誤魔化し、イヴは納得を示す。


 それから数秒、瑠璃につられて空を眺めていたイヴがこう呟く。


「……お二人は、死後の世界はあると思いますか?」


 急に宗教的な話になった。


 修道女の前でどう答えればいいか分からない瑠璃は返答を詰まらせ、アレックスは「考えたこともないですね。よく分かりません」と後ろ髪を掻く。


 返答を求めるように二人が瑠璃を見るから、瑠璃は見解を伝える。


「……この国に来るまでは、死んだら何も残らないと思っていたよ。死後の世界なんて無くて、意識というのは脳に紐づくものであり、それらは全て科学的に証明できると」


 正直なところ、元々の世界ではそれが全てだろうとも思っている。だが、


「ただ。この世界にはどうやら魂というものが存在するらしいと、最近知った。手では触れられない奇妙な存在だ。そんなものがあるとするのなら、地に足つけては届かない世界があったっておかしくはない。つまり、魂の行き着く先が存在するという理屈を、私は否定できない」


 少々回りくどい言い回しにイヴは難しそうな顔をする。


 とはいえ、瑠璃の回答をそこまで大事にする必要はない。


「で、お嬢さんはそれがどうして気になるんだい?」


 尋ねると、イヴは少々悲しそうに笑う。


「……亡くなられた方が、最期、寒そうにしていたので。向こうは暖かいといいな、と」


 二人は少々呆気に取られたあと、彼女が、人に襲われたばかりの人間に迷わず駆け寄って治療を試みた人間であるということをそこで再認識した。「それだけです。すみません、変なことを訊いて」と言って、イヴは瑠璃とアレックスへ丁寧に腰を折って去って行く。


 アレックスは腰を折り返して、瑠璃は手を振り返す。小さくなる背中を暫し見送った。


 そうして正反対の方向に歩き出して数歩、瑠璃は声を上げた。


「『寒そう』か」

「……どうかしたか?」

「被害者が致命傷を負ってから絶命するまでの時間は分かる?」


 アレックスはポケットに折り畳んで突っ込んでいた資料を開き、確認する。


「ほぼ即死だ。長く見積もって数十秒」


 瑠璃は顎に手を添えて、次の質問をした。


「もしかして、被害者は薄着だったんじゃない?」


 アレックスは微かに目を見張ると、次いで資料を確かめる。そして頷いた。


「肌着に長袖のシャツが一枚。下は冬用のパンツ。比較的薄着ではあるが――それがどうした?」


 瑠璃は足を止めて押し黙る。アレックスは少し遅れて立ち止まり、振り返る。


 暫し虚空を眺めていた瑠璃は、小さな吐息を出して再び歩き出した。。


「…………仮説の段階だ。結論を出すには性急だと思う」


 推論を強く要求されては面倒だったが、アレックスは気になる素振りを見せつつもそれを言葉にはせず、渋々と頷いて納得を示した。


「分かった。次に行こう」




 その次に訪れたのは、被害者の家だった。


 床はハードウッドが敷き詰められており、全体的に木材を基調とした内装になっている。部屋は1LDK。私室にはベッドなどの睡眠に必要な最小限の荷物。ダイニングとキッチンには殆ど物が見当たらず、入居直後と言われても納得できるような状況だった。見たところ、中は既に警察の捜査が行き届いており、殺人に関する決定的な証拠は見当たらない。


 強いて気になる点を挙げるなら、妙に片付いているというところか。


「早く事件を解決しておくれよ、もう。次の入居者を入れたいんだから」


 そう言いながらズカズカと部屋に踏み入るのは大家だ。


 名前をクリスタル・ポープ。年齢は五十歳。先ほどのイヴと比べるとやや横柄で高圧的な印象を受ける、年相応の恰好をした眼鏡の女性である。


「勿論です。その為にも是非、捜査にご協力をよろしくお願いいたします」


 慣れたもので、アレックスは丁寧な所作で大家に腰を折る。彼女はフンと鼻を鳴らす。


「それで? 私に聞きたいことって? 下らない話ならしないわよ」


 大家がアレックスに尋ねる。彼はそのまま視線を瑠璃へと流し、瑠璃は軽く手を挙げて挨拶をした。癖が強い相手には、自然体で接するよりも相手の望む人格を形成すればいい。


 どうせ長い付き合いではない。


 瑠璃はサイドの髪に指で櫛を通し、耳にかけ、少々気障に微笑みかけた。


「こんにちは、素敵なお姉さん。見惚れて挨拶が遅れてしまいました。私はグレン州警の刑事部捜査一課に協力をしている地域探偵、ルリと申します」


 すると、険しく張り詰めていた大家の顔がほんの微かに緩む。


 対して、アレックスは『そんな態度も取れるのかお前』と言いたげな顔をしている。


「身近なところで人が亡くなられてご傷心中の、心優しいお姉さんのような方のためにも、一刻も早く事件を解決したいのですが――実は捜査の過程で行き詰まった点がございまして。もう既に何度も話されたことを再度お聞きして心苦しいのですが、今は貴女しか頼れず」


 前置きは充分か。大家の頬が満更でもなさそうに緩んだ。


 彼女は片眉を上げて「どうしたの?」と先ほどよりは幾らか柔和に訊き返してきた。


 そうして瑠璃はアレックスに『こちらは任せとけ』という意で手を振り、質問をする。


 ・ここに住み始めたのは三年前から。


 ・被害者は、少なくとも入居時には仕事をしていた。死亡当時は無職である。


 ・誰かと一緒に居る姿を見たことがない。


 ・基本的に外には出ず、中に居ることが多い。


 ・愛想はあまり良いとは言えず、性格は暗い。会話のテンポが悪い。


 ・基本的に接点はないが、家賃徴収の際は顔を合わせる。部屋には入らない。


「そんなところかしら」


 『どう?』と褒めてほしそうに大家がこちらを見るので、瑠璃はまず、精一杯の感謝を取り繕って、少々大袈裟にリアクションを取った。


「ありがとうございます! 説明がお上手で、文章で引き継いだ数倍の情報を得られました。貴女に会いに来てよかった。ご多忙の中、本当にありがとうございます」


 「ふふ、いいのよ」と笑う大家の傍ら、瑠璃は手元の資料と大家の証言に相違がないことを確かめる。成果はほとんど無い。しかし、先ほどの大家へのリップサービスには誇張した部分があるとはいえ、実際、自分の足で訪れて得られる情報は多少なり存在するはずだ。


「でも、被害者なんでしょ? ここに住んでたのって。そんなに調べてどうするの?」


 大家が不意にそんなことを訊いてくる。上手く答えておこうかとも思ったが、ここはアレックスの領分か。彼は瑠璃を手で制し、途端に不満そうにする大家へ律義に話した。


「例えば人が射殺され、その犯人が分からない時。もし被害者が犯罪組織の構成員であれば抗争の可能性が考えられる。もし被害者が前科を持っていれば怨恨による復讐が考えられる。もし被害者が定期的な脅迫を受けていれば、ストーカーによる殺害も視野に入る。そんな具合に、被害者の状況から加害者を特定できるケースがあるのです」

「……御託はいいから、さっさと見付けてよ」

「痛み入ります。ですがもう少々、お時間とご協力をお願いいたします」

「はん、協力ったってね――そりゃ鍵開けるくらいは幾らでもできるけど、私が話せることなんか本当に限られてるんだから。ほぼ家から出ないような奴と、家賃の受け渡しくらいでしか接触しないの。私はもう何も知らないわよ?」


 その言葉にアレックスが律義に相槌を打つ傍ら、瑠璃は思わず口を押さえて熟考に暮れる。


 『ほぼ家から出ないような奴』。その言葉が頭の中でリフレインしていた。


 そして海面から身体を出すように、そっと思考から戻った瑠璃は、寄りそうになる眉根をどうにか広げながら、話を聞きながらこちらを見るアレックスと目を合わせる。


 『何か気付いたか?』と目線で尋ねてくるから、『撤収だ』と扉の方を示した。折角だ。このまま嫌われ役は彼に委ねよう。




 そうして、別れを惜しむ大家と被害者の家を背に、瑠璃とアレックスはタクシーを待つ。


「推理の方はどうだ?」


 微かに傾き始めた太陽が街を微かに薄橙色に染め始める中、瑠璃は車道を眺めて白い息を吐き、目を瞑る。その表情には忌避感や嫌悪感の類がハッキリと滲んでいた。もしも瑠璃の導き出した仮説が事実であるとするならば、この問題は――酷く苦い事件だと言える。


「……だいぶ絞り込めてきた。いや。恐らく、分かった。後は駄目押しが欲しい」


 アレックスは驚きの目を瑠璃に向け、瑠璃は誇張ではないと実直に見返す。


 彼は信じられないと言いたげに首を横に振りつつ、しかし口許は笑みでもって感情を示す。


「起訴までの猶予は一週間。……焦るばかりで決定的な証拠もアリバイ崩しも俺にはできなかった。もし本当に解決できるんだとすれば、お前は大した奴だよ」

「君がそうしろって言ったんだろう、主任。危ない橋を渡らせた。その責務は果たす」


 瑠璃がそう笑えば、アレックスは軽く笑ってコートを羽織り直した。


「お前とはいい仕事ができそうだ。もし異世界に帰れなくなったらウチの署に来い」


 不法入国者として取調べをしておいて、今更随分なことを言うものだ。


 瑠璃は片眉を上げて笑う。


「なんだよ、私に惚れたのかい?」

「ああ、その能力にな」

「駄目だぜ、私のタイプは年上の素敵なお姉さんだけだ」


 するとアレックスは驚いた顔で振り返り、大家の管理するアパートの方を見た。


「――いや待て、流石にもう少し若い方がいい」

「ああ、なんだ」


 焦った。あの仕草が全て本心だと解釈されるのは流石に困る。


 瑠璃は噴き出すように乾いた笑いを上げ、アレックスも肩を揺する。それから暫くして、タクシーが車道の遠くの方に小さく見えた頃、瑠璃は言う。


「ま、何だ。警察と探偵の仕事は似て非なる。君達が法を機能させるための番人だとすれば、私達はそこに埋もれた小さな真相の声に耳を傾ける存在だ。私達の目指す先は違う。そうだろ?」


 訊けば、アレックスは鼻で笑って頷いた。


「ああ、その通りだ」


 瑠璃は沈みかけていた感情をどうにか掬い上げ、気合を入れ直す。


「でも今、この事件においては君が相棒だ。ラストスパート。頼むぜ、主任」


 ポン、と瑠璃がアレックスの熱い胸板に拳を置くと、彼はサムズアップをした。


「任せろ。そっちこそ、頼むぞ――探偵」




 最後は警察署に戻ってきた。


 向かう場所は面会室だ。内部は日本のそれが近いだろうか。


 個室になっており、音を通す穴が空いたガラスで中央を区切っている、そんな小さな部屋。アレックス曰く、取調室を使うより、あくまでも身内として面会室を利用する方が規則の穴を突きやすいとのことだった。


 さて、面会室には一人しか入ることができない。制度上、仕方なくアレックスを置いて瑠璃が面会室に入ると、赤髪短髪の男性が瑠璃を迎えた。


 迎えたと表現するには少々剣呑な表情で、彼はこちらを睨み付けてくる。


「誰だ? お前」


 大家のように懐柔するのは難しそうだ。瑠璃は自然体で椅子を引く。


 そして徐に腰をかけると、真っ直ぐに男性を――マーク・コリンズを見詰め返す。


「ちょっと遠い国で探偵をやっている者だよ。ある殺人事件を捜査している」


 すると、マークの目の色が変わった。彼は忌々しそうに舌打ちをして地団駄を踏む。


「だから! 俺はやってねえって言ってるだろうが!」

「だとしたら猶更、私に協力した方がいい」

「あ?」

「私は君を犯人だと指摘しに来たんじゃない。真相を暴きに来たんだ」


 マークはぐっと眉根を寄せると、沈黙を恐れるように「……あ?」と繰り返した。


 だが、場を繋ぐための言葉を引き出した時点でこちらの勝ちだ。


 瑠璃は掴んだ会話の主導権を離さないよう、間髪を挟まずに言葉を繰り返す。


「結果として君が犯人であればそれを指摘することにはなるが、その時はその時だ。さて、話をしよう。そう長くするつもりはないけれども、先ずは君の本心を引き出すためにアイスブレイクから入ろうと思う。好きな食べ物はある? 私は蕎麦が好きだ。知ってる? ソバって穀物を使った麺類なんだけど、この国には無いかな? この時期だと温かいのが美味しい」

「知るかよ。さっさと話せよ」


 マークは舌打ちをして面倒そうに視線を虚空に投げ、だらりと力を抜く。


 警戒心が抜けた。当初の反抗的な態度は、今は場を早く終わらせてくれという苛立ちに。


 頃合いか。瑠璃は唇をそっと湿らせた後、唐突に、本題を切り出した。


「――被害者の名前は知ってる?」


 マークは怪訝な顔をした後、不理解を反抗で上塗りした。


「は? いきなり何だよ?」

「質問に答えてくれるかな。被害者の、名前は。知ってる?」

「知ってるよ。ジョセフ・レスター。高校から大学までダチだったからな」

「そうか、ありがとう」


 そこで一度口を噤んだ瑠璃は、そのまま腕を組んで数秒ほど考え込む。


 沈黙が一分続いた。いい加減に痺れを切らしたマークが苛立った様子で何かを言おうとするが、それを制するように瑠璃は手をかざす。そして、背もたれから背を離し、通声穴に口を近づけた。一度、「――」と、無音で口だけを動かし空気を吐き出す。


 マークは「聞こえねえよ」眉を顰めて耳を更に近付けた。そこに、




「ジョセフは君を恨んでいる」




 ぞっ、と。マークの腕に鳥肌が立った。その顔が青ざめて、目が見開かれた。


 瑠璃は無表情にその顔を見詰め、表情の変化を観察した。


 マークは暫し呆然とした様子で瑠璃を見詰めた後、青い顔に嫌な汗を滲ませながら距離を置く。心なしか呼吸が乱れていた。彼は固唾を飲んだ後、声を荒らげる。


「だから! 俺が殺った訳じゃねえって言ってんだろうがッ!」


 しかし、瑠璃はそれに心を動かさない。ただ、その様子を確かめ続けた。


 握った拳には汗が滲んでおり、額は微かに光沢を帯びた。過剰に荒々しい語気は弱い心を覆い隠す鎧のようなもので、そこまで確かめた瑠璃は己の仮説が実体を帯びていくのを感じた。


 微かに瞳を伏せ、瑠璃もまた膝の上に拳を握る。


 脅迫が最も有効な心情は、果たしてどんな時だろうか。


 例えば、敵意を持った相手には通じないことが多いだろう。


 友好的な関係を築いているなら、何かの冗談かと思われるかもしれない。


 瑠璃が考えるに、最も、最も強く脅迫が作用するのは――攻撃性を持たない負の感情だ。


 恐怖。絶望。切望。負い目。罪悪感。


 『殺した相手に恨まれるよ』などという言葉が、殺すほどの害意を持っている人間に作用するとは思えない。無論、恐怖心を擽る可能性はあるが、取り乱すとは思えない。何より、マーク・コリンズが人殺しだとして、そんなことに怯える人間とは思えなかった。


 だから、多分。彼の中にあるのは。


 瑠璃は仮説が確証へとグラデーションを描き始めているのを自覚しながら、席を立つ。


「もう結構、時間を取らせて悪かったね」


 マークは微かに怯えた目で瑠璃を見上げ、及び腰になる。固唾を飲む音が静寂に響いた。


「おま、お前……どこまで知って」


 その言葉で、瑠璃の抱いていた推論が完全に確証に染まった。――残念だ。


 瑠璃は軽く首を左右に振って引いた椅子を差し戻す。


 そして、何も言わずに面会室を後にした。


 面会室を出ると、外に待機していた警察署員が一礼をしてくる。彼に軽く目配せと会釈をして通路を出て、エントランスに戻る。すると、人気の少なくなったその空間の壁で、腕を組んだアレックスが待機していた。彼は瑠璃の表情を見ると、微かに驚いたような目をする。


 扉の窓枠に反射した自分の顔を見て、瑠璃も嫌気が差す。酷い人相だった。


 「どうだった?」とアレックスが尋ねてくるから、瑠璃は深々と溜息を吐いた。


「……二つ、調べてほしいことがある。真相に繋がる手掛かりだ」


 質問への返答をすっ飛ばして要求を伝えると、アレックスは一瞬鼻白む。


 だが、流石は相棒か。すぐに神妙な面持ちで頷くと、「言え」とメモ帳を出した。

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