第8話

 「場所を変えようか」そう言った刑事が案内したのは、警察署内に内設されたカフェだ。


 現代日本ではフードコートが近い形状だろうか。タイル床の石と木の境界を越えると、仕切られたテーブル席が幾つかとカウンターが数個置かれている。エプロンを着けた妙齢の女性が厨房でフライパンを揺すっていた。茶葉と豆の香りがする。


 昼食や休憩時の警官に利用されるらしく、見回せば幾つか制服姿の警官が。


 テーブル席の一つに瑠璃と刑事は座り、店員に珈琲と紅茶を注文。


 そして、テーブルに大量の書類が置かれた。盗み見ると、事件の資料のようだ。


「さて、取調べではなくなった以上、まずは自己紹介をしておこう。俺はグレン州警刑事部捜査一課のアレックスだ。主任をやっている」

「私は真壁瑠璃。こちらの法則に則れば瑠璃真壁になるのかな? 好きに呼んでよ、主任」


 「なら探偵でいいだろう」と言うアレックスはやや素っ気ないが、冷酷さは見えない。「うん、それでいい」と言い切る瑠璃の方が、まだ幾らか冷たいのかもしれない。


 注文した飲み物が届き、二人はそれで口内を潤わせながら軽いアイスブレイクを挟んだ。


「しかし、本当にいいんだね? 『やっぱなし』は無しだぜ?」

「嘘は吐かん。お前が身分証明書を携帯していたと誤魔化せばどうとでもなる」

「私が釈放次第暴れるかもよ」


 アレックスは軽く肩を竦める。だが、その表情は至って真剣だ。


「本当に暴れる奴はそんなことを言わん。ただ――忠告は肝に銘ずる。あくまでも今回の件は、お前の所持していたスマートフォンという機器と、諸々の状況を総合的に判断した現場の裁量だ。明文化されていない特例措置とでも思ってくれ。或いは司法取引でもいい」


 アレックスなりに考えた上での決断であれば、瑠璃にこれ以上忠告を言う義務も権利も無い。


「オーケー、失礼なことを言った。忘れてくれ、主任」

「よし。問題が無いなら本題に入ろう。上が頭を抱えている厄介な事件だ」


 そう言ってアレックスはテーブルに写真を貼り付けた手書きの書類を滑らせた。


 とある噴水広場を映した写真と、現場の間取り図、それから事件の概要が記載されている。


「三日前、ここから列車で数駅離れた地点、エルヴェン市の噴水広場で殺人事件が起きた。被害者は無職の二十八歳男性」

「……物騒だね」

「そっちの世界じゃ殺人事件なんてあまり無いのか?」

「いいや、あるよ。どの世界も物騒だ」


 嫌になる。口には出さずに瞑目して紅茶を飲むと、同意の嘆息が漏れ聞こえた。


「話を戻す。その殺人事件というのが奇妙でな、『最初は何も無かった』んだ」


 言葉の意味が分からずに瑠璃が眉を顰めると、その反応を予期していたアレックスは言葉を重ねて補足した。


「文字通りの意味で、最初、そこを通行していた大量の目撃者は何も見えていなかった」


 意味が理解できなかったから、そういうものだと仮定して続きを聞く。


「だが、唐突に。何の脈絡もなく。魔術の槍を虚空に作り出す容疑者と、それに怯える被害者が現れたんだ。急に、前触れなく、な」


 その現場を頭の中で想像した瑠璃は、一拍の思考を置いてから口を挟んだ。


「魔術か」

「その通り。被害者の命を奪ったのは【槍の生成と射出】という、魔力に質量を与える仮想魔術だ。そして、通行人から事件を隠すのに使っていたのは【視覚の偽装】という物理魔術。どちらも現場に魔素が残されており、警察の解析でその二つの魔術であると断定した」


 瑠璃は手元の資料を捲り、魔術の詳細について目を通す。


 【槍の生成と射出】は発動者が体内魔力を体外に分泌し、それを槍の形状をした赤色半透明の仮想物質に変換させた後、射出するというもの。発動距離は肉体を中心に半径五メートル以内。射出距離は三十メートル以内。それより離れると消失する。


 【視覚の偽装】は術者の指定した空間を視認した者へと与える情報を、任意の内容で偽装する超高難度魔術。視認者側の距離に制限はなく、あくまでも光景そのものを偽装する魔術ということだろう。そんな改竄距離は肉体を中心に半径十メートルが限界。それ以上は人類の脳では無理だとされる。映像を貼り付けるのとは違い、見る角度により異なる部分まで完全に脳内で再現して投影をする必要があるのだ。アニメーションを再生するのと3Dモデルを動かすのとではパソコンへの負荷が異なるのと同じような理屈だろうと、瑠璃はそう解釈をした。


「オーケー、続けて」

「加害者は殺害現場が秘匿されていないことに気付くと、すぐにその場を逃走。誰も追いかけられず、一度は見失った。人が多くてな、完全に人混みに紛れたらもう見つからん。が、【視覚の偽装】は難易度の高い魔術だ。二つの魔術を並列で発動した結果、完璧に隠匿できるはずだった殺人事件は失敗し、明るみに出た。通行人の多くが加害者の顔を視認したんだ。顔立ち、背丈、服装。毛髪、何から何まで情報を得た上で、警察は容疑者を特定。ミレアム市在住の男性マーク・コリンズ二十八歳だと判明した」


 聞く限りでは、わざわざ外部の人間に助けを求める状況ではなさそうに思える。


「まさか、逃げられた?」

「それこそまさか。事件発生当日にしっかり会社に居るところを確保した。現在は勾留中。目撃者をできる限り集めて全員に確認まで取らせた。服装まで完全に一致していたよ」

「でも事件は解決していない。何が起きた?」


 瑠璃が単刀直入に問題点を訊けば、アレックスは溜息を吐いてから瑠璃を見た。


「――事件発生当時、奴はミレアム市の職場に居た。つまり、完璧なアリバイがある」


 幾つか思いつくアリバイ偽装がある。だが、警察がそれを捜査していないとも思えない。


 瑠璃は瞳を細めで腕を組み、熟考の末に頭の中から可能性を排除することを選ぶ。


「両市の距離は駅で数個ほどだったね。走って移動して誤魔化せる?」

「いや、難しいだろう。列車で三十分は要する。対して、事件目撃者の多くが噴水広場に置かれている時計で事件時刻を覚えているし、奴が職場に居た時間もその職場の作業員たちが把握している。事件発生時刻の十一時、マーク・コリンズは職場と事件現場に居たことになる」


 アレックスは卓上で手を組み、瑠璃を真っ直ぐに見詰めた。


「決定的証拠が無い。奴は容疑を否認している。このアリバイを崩せなきゃアイツは不起訴だ」


 疑わしきは罰さずの原則だ。


「知恵を貸してくれ、探偵」


 瑠璃は頷き、書類を手に取った。




「真っ先に思いつくのはよく似た他人の空似。或いは、今君達が捕らえているマーク・コリンズと意図的に外見を似せた別人が罪を着せたことだね」


 アレックスは顎に手を添え、記憶の引き出しを開けながら答える。


「だが、目撃者の全員が容姿や背丈まで酷似していると断言するほどの変装が、できるか? 容姿を特定の人間のそれに変える魔術は確かにあるが、いずれも継続型魔術だ。現場に先の二つの魔術以外は無かった以上、魔術による変装もあり得ない」

「なら、容姿のマスクを作り出す単発型の魔術を離れた場所で使ったならどうだろう。たぶん、物質を指定の形で作り出す、或いは物質を作り変える魔術ならあるだろう?」

「あるが、そう簡単じゃない。設計図は人間の頭の中だ。『顔を真似る』魔術と違い、『指定した形状の物質を作る』魔術は微細なバイアスが大きな違いを生む。よほど近しい相手か、それとも何度も顔を確かめたか。どちらにせよ、魔術の腕とマーク・コリンズへの執着が必須だ。特に前者について、それができるくらい魔術の腕があるなら、【視覚の偽装】も失敗しない」


 魔術に関してはこの世界の住人の方が何枚も上手だ。断言するなら従おう。


「可能性としてはあり得る。ただし現実的ではない、か?」

「それからもう一つ、他人だと考えづらい根拠がある」


 瑠璃が目を向けると、アレックスは言った。


「被害者と容疑者は、高校・大学で同級生であることが分かった。在学中の話を聞く限り、二人は同じグループに属して頻繁に行動を共にしていたらしい」


 なるほど。瑠璃は口の中で呟き、座席に背を預けた。


「偶然か、或いはそれを知っている第三者が利用したか」

「それともマーク・コリンズが犯人か。この関係と事件に、俺は作為的な何かを感じる」

「私も同感だ」


 そう言って、瑠璃は次の仮説を提唱する。


「じゃあ、マークが手配した影武者だとしたら? マークと被害者の関係性も、二人の容疑者が同時刻に違う場所に居た件もこれで説明が付く」

「だが、影武者の容姿はどうする。再現は難しいと話しただろう」

「マークが首謀者なら、途端にハードルが下がるよ。服装は同じものを買うだけだし、容姿についてはマーク側からある程度寄せていくことすら可能だ。身長は最初から近い相手を見繕えばいいし、私には現実味を帯びているように見える」

「……確かに、な」


 しかし、アレックスは腕を組んで自身の推論を語る。


「だが、もし仮に結託をしていたと仮定しよう。そうなると実行犯側は相当なリスクを背負うことになる。確かに現場の状況を考えると追い駆けられて捕縛される可能性は低めかもしれないが、総合的に考えると、やはり対等な二者が結託して行う犯行には思えん。それに、もしそんな真似をさせられる関係なのだとしたら、無関係の第三者を偽装させる方が有効だ」


 「確かに」瑠璃は暫し腕を組んだ後、思い付きを言葉にする。


「分身とかクローンの魔術なんてのは存在しないのかい?」


 アレックスは忌避感を示すように眉を顰めた後、溜息を挟んで答えた。


「どちらも存在する。ただ、分身に関しては継続型魔術だから今回のケースではあり得ないだろう。クローンは――【生命創造・模倣】という単発型の魔術がある。ただし、これの使用は重罪中の重罪、つまり禁術だ。一般人は大半が存在を知らないし、存在を知る魔術研究者でも魔術の使い方やそれを習得する方法を知る者は極々一握り。何より、クローンは記憶を継承しない。新たな魂を授けられ、新たな人格を得るんだ。【魂の置換】なんて禁術で肉体を交換することもできるが、少なくとも、ただ良いように犯罪に使える魔術なんかじゃあない」


 これもやはり、可能性としては考慮できるかもしれないが、現実的ではないだろう。


「魔術を時間差で使うことは?」

「可能だが、【槍の生成と射出】は術者との距離が五メートル離れた時点で消失する。時間差によるアリバイ工作はできないだろうな」

「……魔術を誰が使ったか特定できれば楽なんだがね。指紋みたいに」

「まあ生憎、魔術にそんなものは無いな。……しかし、そっちの世界にも指紋鑑定があるのか」


 アレックスが意外そうに言うから、驚くのはこちらだと言い返す。


「そりゃこっちの台詞だよ、主任。意外と進んでるじゃないか、そっちの科学技術も」

「ならこれは知ってるか? 人間にはDNAっつー遺伝子情報があってな、こっちの世界じゃ最近、魔術と組み合わせてDNAの鑑定ってのができるようになった。赤の他人か血縁かを見分けられるなんて未来技術だ。どうよ?」


 アレックスがやや勝ち誇るように、自らが開発した訳でもない自世界の技術を自慢するから、瑠璃も犬歯を覗かせて、まるで自分の成果の如く言い返す。


「おっと。半歩遅れてるねえ。こちらは科学技術だけでDNA鑑定ができる。三十年前からね」


 敗北を察し「……やるじゃねえの」とアレックス。


 「私達の成果じゃあないけども」と肩を竦める瑠璃。


「それで? そんな技術があるなら現場からマークの痕跡を採取できたりは?」


 「どう思う?」と頬杖を突いてアレックスが聞き返してくるから、瑠璃は溜息を吐く。


 カフェの一画に重苦しい沈黙が漂う。しかし、沈黙していても思考が動いていないのであれば意味はない。瑠璃は止まった頭を動かすために、口というエンジンを動かした。


「整理しよう。まず、被害者と容疑者には強い接点があった。そして、容疑者には大量の通行人の目撃証言がある。だが、完全なアリバイもある。そしてアリバイ工作を疑おうにも、それだけの目撃者を騙す変装には高い魔術の腕が必要・・・・・・・・・。合ってるかな?」

「最後にはこう付け加えてくれ、『【視覚の偽装】と【槍の生成と射出】を両立できずに失敗した容疑者に、完璧な変装は極めて難しいだろう』と。鑑識の見解だ」


 頷いた瑠璃は、この情報から見えてくる結論を言葉にした。


「総合的に見て、君達が確保した人物はマーク・コリンズで間違いないはずだ。当たり前の話だけどね。でも、それが事実である以上は、『現場に居たマーク・コリンズが被害者を殺害したという事実』には何らかの誤認があるはずなんだ」


 アレックスは難しそうな顔で腕を組み、つまるところを口にする。


「マークは殺害現場には居なかった。或いは犯人はマークではなかった。そのどちらか」

「そうなる。一先ずは被害者と容疑者の共通の知人である同級生たちに聞き込みをしつつ、現場と職場を調査して何か魔術的なトリックが無いか洗うしかないだろう……けども」


 瑠璃が視線を下げて言葉尻を濁すと、代わりにアレックスが視線を上げた。


 「探偵?」呼び掛けに瑠璃は視線を返す。


「何かが引っ掛かる。もう少し情報が欲しいな」


 もう十分だと言われる可能性も考慮した上での我儘であったが、意外にもアレックスは一蹴せずに顎に手を添えて検討する。あくまでも協力者であり、同時に部外者兼不法入国者だ。彼に知恵を貸せとは言われたが、過ぎたる干渉は難しいだろうとも理解している。


 しかし、アレックスは見定めるように瑠璃を見てこう言った。


「追加の情報があればいけそうか? 探偵」


 瑠璃は少々唖然とした後、茶化すように、しかし少々真面目に忠告を兼ねて尋ねる。


「そりゃ、無いよりはあった方がいいけどね。私は不法入国者だぜ? 大丈夫か?」


 だが、アレックスは間髪を挟まずにこう言い返した。


「そんな言葉は聞いていない。いけるか、否かだ。お前が解けると言うなら無理を通す。ここまで話した以上、半端な助力を乞うつもりはない」


 そう言い切って口を閉じた彼の目は据わっていた。


 これでも、彼の立場諸々を案じて分を弁えていたつもりだったが、意識が甘いのはこちらの方だったらしい。瑠璃は一度目を閉じて思考し、そっと目を開けて睨み返した。


「……白昼堂々殺されて、犯人に目星がついていて。それでアリバイが解けずに起訴できません、じゃあ被害者があんまりにも憐れだ。私が死んだらそんな風にはなってほしくない」


 被害者も容疑者も見たことはない。正直なところ、感情的になどなれる理由もない。


 だが、不条理は好きじゃない。そして、多くの場合、犯罪は不条理だ。


 その犯罪という不条理が謎という靄で隠れているのなら、探偵はそれを暴くべきだろう。


 座席の背もたれに肘を乗せ、楽天的な感情を押し殺した真剣な声で約束する。


「必ず真相を暴く。もう少し情報をくれ、主任」


 アレックスは鼻を鳴らし、書類をかき集めてから立ち上がった。


「任せろ。容疑者の面会と関係者への聞き取りを手配する」

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