二人

第7話

「――異世界だぁ⁉」


 眼前に座す刑事の裏返った怒声に、瑠璃は頬を緩めて耳を押さえた。


 そこは、酷く窮屈な取調室であった。壁や天井、床はグレースケールで統一されている。


 中央には手を伸ばせば向かい合う両者が触れ合えるような小ささのテーブルが一つと、挟むように椅子が二脚。照明は蛍光灯を採用しているようだ。壁には外――廊下側から人が覗けるマジックミラーが嵌められている。刑事ドラマでよく目にしたものだ。


 目の前には、瑠璃をホテルまで迎えに来た男性刑事。コートは椅子に掛けられている。


 年齢は三十代後半。無精髭が生えており、体格は屈強だ。無造作な黒の短髪をしている。


 瑠璃は彼を見ながら平然と笑って、胸ポケットに手を伸ばす。


「そう何度も言わせないでほしいな。ところで煙草、吸っても?」

「いいわけあるか。立場を考えろ」


 瑠璃は伸ばした手を戻し、足を組んで膝に頬杖を突く。


「やれやれ、それじゃあ手短に頼むよ」

「頼むからそうさせてくれ。あんまり馬鹿げた話が続くと取調べも終わらないんだ」

「オーケー、お互い忙しい身だ。賢く行こうじゃないか」

「よし、仕切り直そう。お前はどこから来た何者だ?」

「異世界の日本って国からやって来た」


 バン! と、刑事は力強くテーブルを手で叩いた後、溜息を吐き出す。


 眉一つ動かさない瑠璃を見て、呆れた顔で頬杖を突いた。


「勘弁してくれよ、クスリ使ってる訳じゃないよな?」

「そちらこそ、そろそろ納得をしてくれないかな。嘘を吐くならもっとマシな嘘にする。上手に誤魔化せるような手札も無い以上、誠実に事実を言うしかないんだよ。ほら、荷物検査で君達に重い板を渡したじゃないか。アレはこの世界の現代じゃ再現できない技術だろう?」


 「それで納得してくれよ」と瑠璃が嘆息を吐くと、刑事は肩を竦める。


「まあ、鑑識はそう言っていたけどな。それで荒唐無稽な異世界なんて話を信じろと?」

「分かったよ。じゃあ信じなくてもいいから、適当に釈放してくれ。三日もすれば帰る」

「帰るったって、お前の話が本当なら異世界なんだろう? どうやって」

「神様が送り返してくれるらしい」


 無言で見詰め合うこと数秒、刑事は呆れて笑い、瑠璃も無理があるなと肩を揺する。


「しかしまあ、嘘を吐いているようにも見えないんだよな。話し方は胡散臭いが」

「いいね、その調子。慧眼を持ってるじゃないか。私ほどの正直者はそうそういないよ」

「だがなあ……これで釈放してお前が人でも殺そうもんなら、俺は本当に困る」


 瑠璃は口を出そうだった軽口を寸前で押し止め、代わりに同意をした。


「それもそうだ。君には職務を全うする義務がある」

「ご理解いただけて幸いだよ。その調子で本当の出身地を教えてくれるか?」

「参ったな、堂々巡りだ」


 取調べが平行線になるのを察し、瑠璃は長期戦に備えて肩の力を抜く。


 男性刑事も背もたれに大きく背中を預け、手を頭の後ろで組みながら雑談のように呟く。


「そもそも、本当にお前が異世界人だと仮定して。そして神様に連れてこられたんだとして。何が目的だ? お前はこの国で何をしようとしている?」


 瑠璃は肩の力を抜いたまま、しかし真っ直ぐに刑事を見詰めて熟考した。


 前提として、最も秘すべき異世界出身である点を話した時点で、他に隠すような話は無い。


 その上で、この話をすることに意義があるか否かで考えると、事実を話すメリット・デメリットは表裏一体で、聖女の話をすることで疑惑が増減する可能性が考えられる。


 奇妙な話を知っているから瑠璃の出自を信じるかもしれないし、逆に疑うかもしれない。


 少々慎重に、諸々を天秤にかけ、瑠璃は口を開いた。


「――日輪教の聖女が行方不明になった、と神から聞いた。私はその謎を解きに来た」


 先の会話――瑠璃をすぐ釈放するか否かの問答で、目の前の刑事は信用できると判断した。


 刑事は一瞬、目を見張る。すぐに無表情に戻ったのは彼が敏腕刑事である所以か。


 しかし、一瞬とはいえその表情を見せた以上、瑠璃は今の言葉が急所を穿ったと確信し、その確信を察した刑事は諦めて溜息を吐いた。瑠璃は被せるように尋ねた。


「本当に居なくなったんだね? 聖女は」

「……守秘義務がある。俺の元カノの股より固い規則だ」

「そうだね。だから、この部屋で起きた話は誰も知らない。そうだろ?」


 もはや認めているも同然のこの状況で、建前を通す必要は無いだろうと説く。


「やれやれ……ああ、その通りだ。日輪教の聖女が行方不明になった」


 どうやら彼は相当手酷い浮気をされたらしい。彼は肩を竦めてそう言い、更に続ける。


「失踪は二週間前。詳細な場所も教えてもらえないが、とにかく教会の保有する大聖堂から聖女が失踪したとの報せを受けた。が、捜索しようにも聖女の顔写真すら提供してもらえない。よほど疚しい部分があるか、それとも何か秘密があるのか。どちらにしろ、居なくなった以上の情報を警察は知らないし、教会の連中も大々的にそれを広めることはしない」


 そこで一拍を置いた刑事は、こう締めくくる。


「だから、お前のような怪しい人間がこの件を知っている道理が無いんだがな」


 瑠璃は肩を竦めた。


「そう言われてもね。神様の思し召しだからさ」

「……仮にそれを信じるとして、なぜ神はお前を選んだんだ?」

「そりゃ君、私が異世界で選りすぐりの探偵だからだよ。閑古鳥が鳴く事務所のね」


 刑事は胡乱な目で瑠璃を見て、片頬を吊り上げた。


「堂々と異世界出身だと吹聴するような間抜けが? 探偵?」

「おっと誹謗中傷はよしてもらおうか。拳が出るぜ」

「そうしてくれると助かるな。別の理由でお前を処理できる」


 瑠璃は握った拳を、いつでも握手できるように緩める。この手は人を殴るための手ではない。


 しかし、聖女失踪事件は想像以上に事情が隠匿されているらしい。事件そのものに触れることができれば解決してみせるという自負はあるが、人脈ばかりは苦労をする。どうしたものか、などと考えながら――それよりも先にこの警察署を出なければと思い直す。


 その矢先、取調室の扉がノックされて開かれる。


「失礼します。お昼持ってきましたよー」


 茶髪にポニーテールの元気そうな女性署員が、片手のトレイにカレーライスらしき料理や副菜の乗った皿を幾つか乗せて持ってきた。「カレーだ」思わず呟くと「はい? カレーですけど」と女性署員が頷く。


「私も食べていいのかい」

「もちろんです」

「なんて素敵な警察署だ」


 皿がテーブルに置かれると、あまり馴染みのない香辛料の香りがした。どうやらスパイスを大量に使った料理であり、それをカレーという名前で置き換えられていることは間違いないが、スパイスの調合に関しては現代日本に馴染み深いものとは乖離しているらしい。しかし、どのような世界でも似たような食材があれば似たような料理が出来上がるものである。


 男性刑事は軽く手を挙げて署員に礼を伝える。


「悪いな、助かるよ」

「いえいえ、取調べの方はどうです? 応援要ります?」

「いや、長期戦だが人数をかける必要はない。それより殺しの方はどうだ?」


 物騒な話題に、瑠璃はカレーに伸ばしていたスプーンを止めてそちらを見る。


 女性署員はちらりと瑠璃の方を見て、ここで話してもいいのかと視線で刑事に尋ねた。だが、刑事は「構わん、コイツは問題なさそうだ」と判断して先を促した。


「どれだけ捜しても凶器は見つかりませんでした。事件現場には魔素もありません」

「犯人だけじゃなくて書庫内も探したか?」

「もちろん、一度全ての本を引っ張り出して本棚の裏を当たりましたが、何も」

「……書庫から容疑者の確保地点まで、通路一本だろう? 他に隠し場所は?」


 刑事が信じ難いと言うように眉を顰めて尋ねれば、女性署員は無言で首を横に振った。


「刃渡り十八センチだぞ? マジか?」

「一応、現在は通気口と床下、それから――可能性は薄いですが、容疑者の体内を捜索する予定です。魔素が無かったのでそんな馬鹿げた話も無いとは思いますが」


 カレーにスプーンを差し込みながら黙々と昼食を取っていた瑠璃は、不意に動きを止める。


 そしてうんうんと頭を突き合わせて悩む刑事と女性署員を見た。


「――私は魔術に詳しくないんだが」


 唐突に割って入る瑠璃に、二人の胡乱な目が突き刺さる。


「魔術は発動をすると魔素が残る」

「何の話だ?」

「では、継続的な効果を発揮する魔術は、継続中、ずっと魔素を残すのかな?」


 瑠璃が尋ねると、刑事と女性署員は顔を見合わせた。


 返答は刑事だ。こちらに向き直って難しそうに答える。


「難しいな。『継続型』と呼ばれる魔術は確かに発動中、魔力を消費して魔素を残し続ける。だが、発動地点にだけ魔素を残す『単発型』であっても、例えば物質を作り出したり物質の構成を置き換えたり、なんてのは、効果が恒久的に残るものもある」

「物体の強度を上げる魔術はどちらに分類される?」


 これについては女性署員が返答した。


「魔術区分によりますね。概念的な強度を上げる『仮想魔術』の分野であれば継続型に分類されるでしょうが、『物理魔術』『元素魔術』の分野で科学的見地から強度を上げる場合、物質元々の性質が変化する欠点はあるものの、強度の上昇は永続的になります」


 瑠璃はテーブルに置いた指をトンと一度叩き、頭の中に煩雑に入り乱れる仮説を束ねる。


 そして、一つの推論を導き出すと、二人の方を向いてこう言った。




「刃渡り十八センチ――奇しくも、本の縦幅に近い」




 一瞬にして二人の表情が消え失せ、直後、瑠璃の言いたいことを全て理解して息を飲む。


 昨夜、女将から借り受けた本の長さは現代日本のハードカバーのそれとほぼ一致していた。詳細に測った訳ではないが、書庫ならそれ以上の大きさの本もあるだろう。つまり、


「大は小を兼ねる。書庫にある十八センチ以上の本の中を全て確かめた方がいい。先の方法で強度を上げた紙なら、人を切り付けるくらいはできるだろう。帰りはそれを本に挟めばいい。魔素を残さず凶器も隠すことができる。でも……血痕は付着してるはずだ」


 女性署員は判断を仰ぐように刑事を見て、刑事は速やかに頷いて腰を浮かせた。


「俺も行こう。――お前はここで飯食って待ってろ」

「私が犯人なら、普段人の手に触れていないような埃を被った本に挟む」


 瑠璃は置いてけぼりに文句の一つも言わず、凶器の隠し場所を絞り込む。


 刑事は頷いて女性署員に目配せをし、彼女は先に取調室を飛び出していった。そして刑事は一瞬、物言いたげな顔で瑠璃を一瞥してから部屋を後にした。




 それから二時間ほど、瑠璃は取調室で静かに時間を過ごした。


 途中、心優しい警官が珈琲やおやつを差し入れてくれたり、トイレを案内してくれたりと、取調室が薄暗く狭い以外には特に不満も無い待機時間を過ごすことができた。


 そして、再び取調室の扉が開く。


 また警官が差し入れでも持ってきてくれたのかと期待の顔を上げると、残念、それは瑠璃が先ほど見送った男性刑事であった。


 彼は困惑を隠しきれない表情で瑠璃を見詰めると、小さな溜息を吐き出す。


「お前の言った通りだ。本の中に紙が入っていた。被害者の血痕が、びっしりと付着した、な」

「そりゃよかった。ここで退屈な時間を過ごした意味もあるってもんだね」


 その調子で釈放をしてくれればいいのだが、と考えていると、刑事が対面に座り直す。


 望み敵わず取調べが再開する――そう思って椅子に座り直そうとした瑠璃を、刑事はジッと見詰めてきた。その瞳の奥には葛藤と逡巡。瑠璃が眉を寄せると、刑事は腹を決めた。


「ところで」


 やや前のめりだった身体を背もたれに付け、刑事はテーブルの上で手を組む。


「――もう一つ、厄介なヤマを抱えている」


 その言葉一つで彼が何を言おうとしているのか、何を躊躇っていたのかを瑠璃は察する。


 ようやく釈放の糸口が見えてきたことに安堵しつつ、唇を湿らせた。


「知恵を貸せ、異世界の探偵。この件を暴いたら、俺がどうにか釈放してやる」

「いいね、不良刑事。そうこなくちゃ」

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