第4話
一人目。スーツ姿の中年男性。
「それなら私から証言をしよう。名前はブライアン・キルティ。部屋番号は三〇二。隣町で暮らしているんだが、度々息子夫婦の家に顔を出しにこの町へ来ている。帰りの列車が無くなったらこのホテルを借りるようにしているんだ、息子の家庭を邪魔したくはないからな。このホテルにも、既に二桁回は世話になっているだろう」
瑠璃は感心したように手を打って相槌する。アンナが認めるように首肯した。
「なるほど、常連客というやつか。いいね、証言を頼むよ、ブライアン」
「ふん、胡散臭い女だな――昨晩は夜の十時ごろには既にベッドに入っていた。トイレは各部屋に付いているのでな、一度も外には出ていない」
「それを証明する人間は?」
「居ない。代わりに音を聞いたと証言しよう」
「ほう」瑠璃が目を見張ると、ブライアンは腕を組んで階下の方へ視線を下ろす。
「二十四時ちょうどにトイレで目を覚ました時だ。時計を見た時、針がピッタリ重なっていたから時間はよく覚えている。間違いは無いだろう。トイレから出ると廊下から足音が聞こえたんだ。誰かが四階への階段――東階段の辺りを歩く音を聞いた」
彼が嘘を吐いていないという前提であれば、これはとても重要な証言だ。
つまり、犯行は二十四時に起こされた可能性があるといこと。
「足音の正体は確かめていないんだね?」
「ああ、従業員だと思ったからな。だが、思い返せばそれが彼だったのかもしれない」
そう言ってクリスを見るブライアン。クリスはすっと目を細めて反抗の意を示す。
情けなくもブライアンは目を背け、瑠璃はやれやれと肩を竦めた。
「次、そっちの女の子」
二人目。金髪三つ編みの少女。
「はいはい、私ね。アメリア・イェーツです。部屋番号は二〇四。さっきも軽く話したけど、フェイとは同じ高校に通っていて、少なくとも私は友達だと思ってる。趣味が旅行だからこの辺に訪れるついでに、フェイと少し話したいなと思ってこのホテルに泊まったの」
友人から面と向かってそんなことを言われたフェイは、少し照れ臭そうに話を聞いていた。どうやら一方通行の友愛ではないらしい。
「こっちが恥ずかしくなるくらい友達想いだね。それで、昨晩は何を?」
「私もブライアンさんと同じく、ほとんど寝てたよ。ベッドに入ったのは二十三時半かな。買った本が面白くて読み耽っちゃったの。部屋からは出てないよ」
「それを証言する人間は?」
「居ないね。あ、ただ――部屋の窓から見た景色を話すことはできる」
アメリアは腰に手を置き、妙案を語るように指を立てた。
「昨日は星が綺麗でね。窓から外を眺めてたりしたの。だから二十三時にクリスさんがホテルを出て行った場面までは確かに見たよ。それがどうという話じゃないけれど」
瑠璃が真偽を確かめるようにクリスを仰げば、彼は複雑そうに頷いて認めた。
「でも、戻ってきた時間はブライアンさんと少し食い違うかも」
「……ほう?」
瑠璃が思わず声を上げ、ブライアンは口を結んでジッとアメリアを見た。
彼女は少々居心地悪そうに眉根を寄せながらこう続けた。
「いや、実際にクリスさんを見た訳じゃないけれど、二十三時半を少し過ぎた頃かな。階段を歩く音が微かに聞こえた気がする。その時は特に気にも留めてなかったし、寝る直前だったから細かいのは覚えてないけれど――うん、それがクリスさんだったんだと思う」
するとブライアンが噛み付いた。
「曖昧な証言だな。私は二十四時だと断言できるぞ」
「何を子供に躍起になってんのさ。恥ずかしくないの?」
「ふん、君こそ、そんな適当な主張で一人を犯人に仕立てて恥ずかしくないのか? 私は明確な根拠を持って言っているのだがな」
そんなブライアンとアメリアの言い争いに、アンナが溜息を吐いて額を押さえた。
フェイは友人とお客様の言い争いをどう仲裁したものかと困り果てている。
そんな面々を尻目に、瑠璃は呆れた様子のクリスを見た。
「好き勝手に言っているみたいだけれど、君にも反論の機会はある。聞こうか、君は何時にホテルに帰ってきた?」
面々の視線が一斉に集い、クリスは黙考の末に答えた。
「……日付が変わった後、三十分くらいは経っただろうな。だから二十四時半だと思う」
三人目。上背で体格の良い不愛想な青年。衣服には落ちない絵の具の汚れがあった。
「必要ないだろうが、前二人に倣っておこう。クリス・ストライド、画家をやっている。この辺の展望台から覗く星空が綺麗だと聞いてな、後学のために観ようと思いこの辺に来た。ホテルは三〇五号室を借りている」
彼は腕を組んで瑠璃を見下ろし、こう続けた。
「先ほど彼女が言っていた通り、俺は二十三時にホテルを出て展望台に向かい、二十四時を越えて――恐らく三十分が過ぎた辺りで戻ってきた。そして、その時には既にホテルの玄関前から、行きには無かった緑色の魔素が四階へと伸びていた。俺は特に気にも留めず部屋へと戻ったがな」
「なぜその時に魔素の事を言わない?」
ブライアンが噛み付くが、クリスはどこ吹く風か、溜息を吐いて首を左右に振った。
「ブライアン。アンタ、このホテルの一階にレストランがあるのは知っているか?」
「馬鹿にしているのか? さっきまで居ただろう。それが何だと言うんだ」
「レストランの厨房に青い魔素があったことは?」
「無論、知っている。元素魔術の痕跡だ。料理に使っているのだろう」
「アンタがそれをわざわざ取り立てて『大問題だ!』と騒がないのは何故だ? もちろん、ホテルの従業員が業務上必要で行使した魔術だと知っているからだろう。同じことだ。ホテルに見慣れない魔素があったところで、例えば清掃に使ったんだな、くらいの印象しかない」
理路整然と丁寧に言い返すと、ブライアンはむっとした顔で黙る。
「少し考えれば分かりそうだが、歳ばかり重ねると大変だな」
「言うな、若造が。絵なんて軟弱な趣味を持ちおって」
売り言葉に買い言葉のブライアンへクリスが眉を顰め、場に一触即発の空気が漂う。
そんなやり取りを眺めていた瑠璃は、ふぅ、と溜息と口を挟んだ。
「拘束時間が長いからね。苛立っても仕方がない――それより話を進めよう。大事なのは彼が何をしなかったかじゃなくて、何をしたか。彼は二十四時三十分にホテルに帰ってきたんだ」
クリスとブライアンは釈然としないながらも睨み合いを打ち切って瑠璃の方を見る。瑠璃は彼らに指を三本、立てた。一つずつ折り曲げていく。
「一人は二十三時三十分に階段の歩く音を聞いた。一人は二十四時に東階段付近の歩く音を聞いた。そして一人は二十四時三十分に戻ったと主張する。誰が嘘を吐いている?」
瑠璃が尋ねると、三人は探り合うような視線をぶつけ合わせた。
重苦しい沈黙を最初に破ったのはアメリアだ。彼女は性急に結論を出そうとする。
「三人の内の二人は何かの聞き間違いでしょ。でも、この際、重要なのはそこじゃないと思う。事実としてフェイの部屋に透明人間が入ったこと。そして、その透明人間が玄関前から真っ直ぐ部屋へと歩いていったこと。玄関扉を開けられるのは女将さんとフェイ、それからクリスさんだけだったこと。最後に、外に出たのはクリスさんだけだった」
「四階への階段前にある扉も、ピッキングで開けられるんだろう? だったら状況証拠はこの若造が犯人だと示してるじゃないか。さっさと警察へ突き出したらどうかね?」
ブライアンがそれに同調すると、クリスは呆れた顔で腕を組んだ。
「それで気が済むならそうするといい。証拠不十分で不起訴になって全て解決だ」
「ほら、クリスさんもそう言ってるよ。女将さん、フェイ」
アメリアがうんざりした様子でクリスを示すと、静観していたアンナは難しそうな顔で「アンタはそれでいいのかい?」とクリスに念推すように確認を取る。「この状況じゃ何を言っても聞いてくれないだろう」と呆れを含んだ諦めを告げて返すクリス。
だが、フェイが緩やかに首を左右に振った。全員の視線が一斉に突き刺さる。
「フェイ」アンナが困り顔で名を呼ぶと、フェイは悲しそうな笑みを持ち上げて首を振った。
「絶対にやったって証拠も無い状況で、お客様を警察には突き出せないよ」
すると、アメリアが心配そうな表情でフェイに歩み寄る。
「でも部屋に誰かが入ったのは事実でしょ? 皆それは見てる。警察を呼ぶべきだよ」
「そんな大袈裟にしなくてもいいよ。何か大事なものが盗まれた訳じゃないし――あんまり大事になってホテルの経営が止まる方が嫌だもん」
そう笑って物事を誤魔化そうとすると、ブライアンは横柄に腕を組んだ。
「じゃあ何かね、犯人が自首するまで我々をホテルに監禁する気か?」
「いえ、もうお帰りいただいて結構です。長らく引き留めてしまい、申し訳ございません。今回の件は何かの見間違いだと思うので、後ほど皆さんには宿泊料金を返金させていただきます。厚かましいお願いですが……またのご利用をお待ちしております」
そう柔和に笑って問題を流そうとするから、痺れを切らしたアンナが苦言を呈する。
「フェイ! アンタは何でそこまでホテルの事を気にするの――もう意地を張るのはやめて。警察を呼ぶよ。今から電話をするからね」
アンナの表情には痛ましいほどの心配が滲んでいた。
それを視認したフェイは一瞬、顔を罪悪感に塗りつぶす。
だが、拳を強く握り締め、間もなく怒りで感情を飲み込んで感情任せに言い返した。
「だから! 別に私のことはいいんだって! お客さんをこんな長々と引き留めてる方が問題でしょ!」
売り言葉に買い言葉か、アンナは表情に微かな怒りを滲ませて言い返す。
「さっさと終わらせるために警察を呼ぶべきだって言ってる! アンタのそれは問題の解決じゃない、放棄だよ。何でそこまで頑なに大事にするのを避けるんだ!」
そう言い切った後、親として大人気がないことを自覚したのだろう。アンナはハッと目を丸めた後、自分を忌々しく思うように口を手で覆い隠す。
だが、時すでに遅し。フェイは唇を噛んで濡れた目でアンナを睨み付ける。
そして、彼女は何度か肩で呼吸を繰り返した後、翻って私室を出て行った。
バタン、と力強く叩きつけられるように扉が閉まり、アンナは額を押さえて深々嘆息した。
親子喧嘩を目の前で見せつけられた容疑者三名は、少々気まずい面持ちでどうしたものかと顔を見合わせ、やがて頼るように瑠璃を見た。人を無神経代表のように思っていないかと文句を言いたくもなったが、どうにか自重して肩を竦め、了承の意思を示した。
「どうにも彼女、自分が被害を受けている割には問題解決に否定的ですね?」
アンナは疲れた目で瑠璃を見て、微かに肩を落とす。
「……事を大きくして、ホテルに妙な噂が付くのを嫌がってるのさ」
「確かに妙なことを囁く連中は現れるかもしれませんが、一過性のものでしょう」
「分かってる。でも、あの子はそれを分かっていない――神経質なんだ」
アンナはくたびれた顔を上げ、遠い目で窓の外を見る。
「このホテルは元々あの子の父親……夫と一緒に開業したんだ。何とか二人で支え合ってどうにか経営してきたんだけどね、ある日、離婚をすることになった。死別じゃあないよ。ただ、夜遊びと女遊びがどれだけ経っても治らなくてね。追い出したんだ」
「仕方がないでしょう。娘さんの教育に悪い」
「その通り。後悔なんてしていない。でもね、元々は二人でやっていたホテルだ。一人になったから閉じようって話になったとき、それを聞いたあの子は自分が手伝うと言った。学業と両立して……身体よりも先に心を成熟させちまった。年齢不相応の自立心が磨かれたんだ」
アンナは酷く滅入った様子で目を瞑り、自己嫌悪を言葉にした。
「あの子の歪の原因は私だ。私が悪い」
犯人特定に非協力的だった容疑者二人と、それから友達であるアメリアは気まずそうな表情で顔を見合わせた。そんな三人へ、アンナはふっと笑って頭を下げた。
「アンタ達も引き留めて悪かったね。宿泊料金は返す。今日は帰ってもらって構わない」
すると、最も皺寄せを食らっているはずのクリスが物言いたげな顔で一歩前へ。
「……犯人の件はいいのか?」
「あの子がそれを望まないなら、私が騒ぎ続けても仕方がないだろう」
どうやら納得がいかないらしい。彼は言い返す言葉を探そうとしている。
だが、彼に先んじて瑠璃が軽い口を挟んだ。
「……世の中には三種類の親が居ます」
唐突な話題。女将は目を白黒させて瑠璃の顔を確かめた。他三人の目も突き刺さる。
「自分の子供が転んだ時、『立たせてあげる親』『自分で立つのを待つ親』『無視する親』」
指折り三つ数えた瑠璃に、女将はだからどうしたと言いたげだ。
容疑者三名は話に乗るように口を挟んだ。「俺は襟首を掴んで立たせてくるような親だった」とはブライアン。クリスは「俺は無視をされていたな。ずっと」と呟いた。アメリアは「私は転んだ時、よく応援されてた。茶化されてただけかもだけど」と。
アンナは訝しそうに瑠璃を見た。
「私はその中のどれに入るって言うんだい?」
「さあ、分かりません。私は貴女に詳しい訳ではありませんから、貴女に分からないのであれば、その答えはきっと娘さんにしか理解できないでしょう」
「だったら猶更、何のさ」とアンナが肩を竦めるから、瑠璃はこう続ける。
「でも今、娘さんは転んでいます」
アンナの目が揺らぐ。その綺麗な唇が引き結ばれた。
「女将さん。私は貴女がどんな親であるかを知りませんが、今の貴女がどんな行動をしているかは言語化できる。貴女はね、自分の罪悪感を理由に転んだ娘から目を離しているんだ。貴女が無理に警察を呼ばないのは、その辺の負い目もあるからでしょう」
アンナは物言いたげに瑠璃を見るが、ふてぶてしいその顔に言葉を詰まらせた。
瑠璃は真っ直ぐにアンナを見詰め、普段の軽々しい表情を真剣な顔の裏に隠した。
「でも、貴女は間違っていない。だから、罪悪感で目を曇らせちゃ駄目だ」
真っ直ぐに見詰め合い、瑠璃はこう重ねて続けた。
「貴女は、子供の為に膝を折れる人だ」
アンナは顔を歪ませてその言葉を噛み締め、嚥下に苦労して顔を俯かせた。
だが、数秒としない内に、肺の中の膿んだ空気を全て吐き出し、後ろ髪を掻く。
「……子供が居たのかい?」
「まさか、生涯独身ですよ。でも、人間ですから。一人の親から生まれた元子供です」
「なるほど。それにしては随分と口が回る。まるで詐欺師じゃないか」
「探偵ですよ。……閑古鳥が鳴く事務所の所長で」
「はは、次があればお邪魔させてもらおうか」
そう軽く笑い飛ばした女将は、最後に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「――分かったよ。ありがとう」
ふぅ、と瑠璃が腰に手を置くと、そんな瑠璃の背中を小突く者が数名。ブライアンやクリスから向けられる労いの視線に肩を竦めて返す。
それから全員でフェイを捜しに行った。
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