第3話
一階は変哲の無いレストランだった。宿泊客を優先に、余裕がある時は外部客も招き入れるシステムになっているらしい。座席数はそこそこ。床には洒落た絨毯が敷き詰められており、清潔感溢れる内装は実に瑠璃の好みであった。厨房には大量の食器類や調理器具が置かれているが、どれも動かしている痕跡は無い。少なくとも今日は開店しないつもりなのだろう。
そして、そのレストランには三人の宿泊客らしき姿があった。
どうやら彼らが容疑者らしい。三人はこちらに気付くと腰を浮かせる。
壮年の男性、若い女性――少女、最後に青年だ。
「話は済んだのか? まだ帰らせてもらえないのかね?」
男性はスーツを着て小太りだ。中背で、白の混じった金髪が短く薄れている。
「私は予定が無いからいいけどさ、追加料金とかは取られないよね?」
少女は金髪を三つ編みにしており、そばかすに微かな愛嬌がある。細身で小柄。
「……いつまでかかるんだ」
最後に青年は金髪碧眼で細身ながら筋肉質。上背だ。寡黙な印象を受ける。
どうやら深い付き合いがある訳ではないらしく、着席していた場所は疎らだ。
三人は戻ってきた母娘と謎の一名に食って掛かるように詰め寄る。
女将――アンナは腕を組んで毅然と言い返そうとしたが、瑠璃がそれを手で制する。
「こんにちは。お三方、元気そうだね」
まるで旧知の間柄だとでも言うような挨拶に、詰め寄った三人は面食らって黙る。
瑠璃は黙った三人に軽く手を振ると、掴んだペースを維持して続ける。
「悪いんだけれど今回の一件、私が解決することになった。何が起きて誰がどう関わっているのかとか、まだ何も分からないけれど――まあ、どうにかするから少し待ってくれ」
気勢を削がれた三人は微かな不信感と驚きを宿した目で顔を見合わせ、それから訝しがるような眼差しを瑠璃へと注いだ。内の一人、スーツ姿の壮年の男性が一歩前に出た。
「失礼だが、君は一体何者だ? なぜ口を挟む?」
瑠璃は微かに顎を引いて、睨むような目で不敵に笑った。
「異世界で探偵をやっていてね。金が無いからお手伝いに来たのさ」
「はぁ?」と間の抜けた声が男性から漏れ出て、その背後の少女と青年も呆気に取られた顔を晒す。『なんだコイツ』と誰もが言いたげにアンナを見るが、彼女もよくは知らないと肩を竦めた。ただ、通りすがりで首を突っ込んできた怪しい人間という情報しかない。
「悪いんだけどそいつに付き合ってやってくれるかい。頭は回るみたいなんだ」
胡乱な目が一斉に集うが、周囲からの視線は推理において一切のヒントになり得ない。
無駄なことをしている時間があるのなら話を進めるべきだ。
瑠璃は集団から微かに離れた場所で飽きれた顔をする娘――フェイを見た。
「それじゃあ、事件の概要を訊いてもいいかな?」
娘は両肘を手で持って悩ましそうに葛藤の表情を見せるが、やがて表情を諦観に変えると、溜息を吐いて頷いた。
「四階に行きましょうか」
瑠璃とフェイを筆頭に、アンナと容疑者三名が続いてホテルの最上階へと向かう。
階段はホテルの中央に一階から三階まで伸びていた。二、三階は客室だ。そして三階の客室を抜けて端の方へと向かうと廊下が扉で遮られていた。フェイはエプロンのポケットから鍵束を取り出すとそれを開錠し、「ここから従業員部屋です」と瑠璃を招いた。
扉を抜けた先にある階段を昇って四階へと向かえば、そこには四つの部屋があった。
「リビングと私達の私室と、もう一つは、今はもう使ってない部屋です」
娘は部屋を順に手で示して紹介した後、その内の一つの部屋へと足を向ける。
「それで、ここが私の部屋です」
そう言って扉を開けると、まさしく年齢不相応に質素な部屋が視界へ飛び込んできた。
否、現代社会に生きている人間の感性で考えては駄目だろうと認識を改める。
部屋の広さは三十平米はあるだろうか。床にはモノクロームの絨毯が敷き詰められており、窓にはカーテン。傍にベッド。衣装棚と本棚とデスクが綺麗に並んでいる。「良い部屋だ」と言えば「そうですか」と彼女は素っ気ない。
「今朝の六時の話です。このベッドで目を覚ますと、私の枕元にこれがありました」
そう言ってフェイが枕元の床を靴底で叩き示す。
「床?」「よく見てください」言われた通りに瑠璃が目を凝らすと、枕の傍に極々小さな光の粒子のようなものが見えた。現場保存の観点から安易には手を出さず、しかし元の世界では見ることも無いような不可思議な現象に膝を折り、注視をした。
色は緑。浮いており、作用しない物理法則があることを窺わせる。そして、ジッと見ればその光は枕元から部屋の出入口まで続いていることが分かり、そっとそちらへ足を運べば、自分達が通ってきた廊下の道へ次々と続いていた。
「ホテルの玄関前から続いています」
「へえ、全然気づかなかったよ。これは?」
「【肉体の透明化】の魔術で生じた魔素です。昨夜から今朝にかけて、透明になった何者かが私の枕元に現れたということになります」
さも当然のように言うが、まるで何を言っているのかを理解できない。
言葉の節々や単語から凡その意味を推察することは可能だが、それに意味は無いだろう。瑠璃は軽薄に笑うと開き直ったように肩を竦めた。
「悪いね。私の住んでた世界には魔術というものがなくて」
「は、はぁ……? そ、そうですか」
「申し訳ないけど、一つ一つ専門用語の意味を聞いてもいいかな」
フェイは半信半疑の様子で瑠璃を見た後、困った顔でアンナを見る。容疑者三人も信じられないと言いたげだ。アンナも悩ましそうな顔で瑠璃を見るが、冗談や嘘の類でないことは表情から察せたのだろう。
「アンタ、まさか本当に他の世界から来たってのかい?」
「生まれてこの方一度も、天地神明に誓って嘘なんて吐いたことありませんよ」
「詐欺師みたいな語り口でよく言うね」
アンナは呆れた顔で言った後、「しかし、専門用語ったって」と悩ましそうに首を傾げる。
フェイも考え込んだ素振りを見せるから、瑠璃は指示に具体性を付与した。
「魔術に関連する単語は何も分からない。一般的な単語での説明に再変換してほしい」
「……ああ、なるほど。そういうことでしたら」
彼女は頭が回るらしく、得心した様子で頷いて、説明を再開した。
「この世界には魔術と呼ばれるものが存在します。体系化されて様々な研究が推し進められるそれらの中に、自分自身の肉体を透明化する魔術が存在し、侵入者はそれを使っていました。……えっと、前提として、魔術を使うと使った場所に魔素と呼ばれる小さな光の粒が残留するんです。今から【火の玉の生成】の元素魔術を発動して実演します」
言うや否や、見せるのが早いだろうと解釈した娘は、胸元で球体を抑え込むように手を置く。
「■■■■■■■■■■■■■■■」
次の瞬間に彼女が口にしたのは、まるで理解のできない言葉の数々だった。
耳に聞くことはできる。それが言語であることも解釈できる。しかし、その単語がどのような意味を含んでいるのかを、まるで推測できない。
言葉の終わりと同時、彼女の両手の間に燃え盛る火球が生み出された。
まるでコンロの火を灯した瞬間のような、肌が焼ける熱波と閃光。ぼ、と酸素を吸って息をする火球を、瑠璃は目を見張って見詰めた。
「これが魔術で、今私が口にしていたのが発動に必要な詠唱です。そして――」
火球が霧散する。
すると、つい先ほどまで炎が燃え盛っていた場所に、青い極々小さな粒子が滞留していた。
流石に現実離れした光景を見過ぎて脳が止まりかけていた瑠璃だったが、落ちることも浮かび上がることも、すぐに消えることもしないその粒子を眺めてどうにか納得した。
「なるほど、確かに『痕跡』だ」
「はい。魔術によって差はありますが、一般的な魔術は概ね一時間程度が経過してから濃度が低下していき、最終的には二十四時間前後で魔素が完全に消失します。難しいものだと一か月残ることもあるそうですが。人間が手で動かしたりすることもできないので、警察はこれを機械や専門技術で読み取り、保管し、魔術の証拠として処理できます。これは、どんな魔術でも絶対に、等しく存在するルールです」
ルール。甘美な響きだ。瑠璃は唇を舌で湿らせた。
「そして、その魔素からどんな魔術が使われたのかも推理できる、と」
「あ、はい。誰が使ったかとかは分かりませんが、いつ、どんな魔術が使用されたのかは分かります。警察ならハッキリとした時間帯まで分かりますけど、一般人はそこまで正確には分かりません。ただ、自分が使ったことのある魔術なら薄っすらと特定できる程度です」
必要な情報は揃ったか。瑠璃は「解説ありがとう」と礼を告げて話を整理した。
「この魔素が透明化の魔術によるものだというのは警察の見解じゃあないよね?」
「はい、私です。以前に軽く教わったことがあるので」
「どの程度信用していい?」
「そ、そう訊かれると、少し困りますけど……」
フェイは眉尻を下げて困り顔を見せるが、代わりに容疑者の少女が申し出た。
「魔素は魔術の区分によって色が変わるんだけど、透明化とかの生体魔術は緑色だから、大きく外れてはいないはずだよ。それに、フェイは魔術学の成績も良かったはず。お父さんが魔術関連の教師をやっていたとかで」
「……知り合いかい?」
どうやら娘と面識があるらしい。瑠璃が容疑者の少女へ尋ねると、彼女は頷く。
「高校時代からの友達。久しぶりに会いたくてホテルに泊まりに来たの」
「そりゃ災難だったね。こんな厄介ごとに巻き込まれて」
「まあね。でも友達に嫌なことをした奴が居るっていうなら、そうも言ってられないよ」
金髪を三つ編みにしたそばかすの少女は、そう言ってフェイへと微笑みかける。
フェイは「ごめんね」と心から申し訳なさそうに頭を下げ、少女は「気にすんな」と笑った。
瑠璃は仲睦まじき年頃の少女達を意識に外に追い出し、話を整理した。
「――昨夜、就寝前には無かったはずの【肉体の透明化】の魔素が起床後に枕元にあった。このことから、透明人間になった何者かがひっそりとお嬢さんの枕元に立ったと考えられる。考えるまでもなく不法侵入だ。だから、その透明人間が誰かを特定したいって話だね?」
アンナとフェイが重々しく頷いた。
「ちなみに、何か物を盗まれたとか――身体に危害が加わった痕跡とかは?」
言葉尻は声を潜め、フェイに歩み寄って耳打ちをした。ハッキリと聞いていいことかは悩ましいことだったが、ハッキリとさせるべきことではある。
彼女は怯えるように肩を震わせた後、ふるふると首を左右に振った。
「恐らく、無いと思います」断言はできない癖に助けも求めない彼女を、瑠璃は物言いたげな目で眺める。そして、同じ目で母親であるアンナも見る。
彼女も思うところはあるのだろう。複雑な顔だ。
「まあいい」瑠璃は後ろ髪を掻いて部屋を見回した。
「――まず実際に侵入が行われた時間を特定しようか。お嬢さんの就寝と起床は?」
フェイは俯いていた顔を上げると、固唾を飲んで意識を切り替えた。
「あ、はい、えっと。二十三時にはベッドに入って……十分もしない内に寝たと思います。起きたのは朝の六時ピッタリです。目覚ましを付けているので間違いないかと」
「犯行時刻は二十三時から六時の間、と。その間のホテルの状況を聞きたい。施錠だとか人の出入りだとか、客室の埋まり具合かな。この三人が宿泊客?」
「はい、お客様はこのお三方です。ホテルの出入口は二十二時三十分から朝の六時半まで全て施錠しており、鍵は家族と、それから事前に外出申請を下さったクリス様にお貸ししている分だけです。お貸ししている鍵は【利用制限】の魔術を付与した、出入りに一回ずつ使用できる鍵です」
クリス――そう呼ばれた青年は自分の事であると示すように軽く手を挙げて瑠璃に示した。賢い人間はやりやすくて助かる。瑠璃は彼を一瞥して頷いた後、再度フェイを見た。
「その鍵が使用されたかどうかは確認できる?」
「はい、今朝の段階で既に出入りされたことは確かめました。時間は分かりませんが」
「それについては私達が物音を聞いたが」
壮年の男性が軽く挙手をして証言をしたがるが、瑠璃は軽く手を挙げてそれを制する。
「なるほど、それじゃあ後でまとめて聞かせてもらおうか」
今すぐ具体的な犯人を絞り込むのは難しいだろう。右往左往しかねない。
まずは、犯人を外部か内部の人間かで絞り込むべきだ。
「三階から四階への扉は? その日は鍵をかけていた?」
「ここも鍵をかけています。こちらに関しては家族しか鍵を持っていません」
「なるほど。でも魔素は玄関前から階段を一直線に君の部屋まで伸びているんだよね?」
口頭で確認を取りながら瑠璃が部屋から顔を覗かせると、魔素は確かに階段から真っ直ぐフェイの部屋へと伸びている。「そうです、全員確かめています」とフェイの証言。
「魔素が残留している場所が透明人間の通った道だと解釈していいのかな?」
「そう、ですね。継続型の魔術は発動中に魔素を出し続けるので、魔素がある場所が透明人間の通った道だと解釈して間違いないかと。だから、玄関から入ってきた人が、三階の鍵付き扉を越えて私の部屋に入ってきた、という流れになると思います」
瑠璃はフェイの私室の椅子を無断で借りて身体を投げ出すと「あの」と突き刺さる白い目を無視して足を組む。そこに頬杖を突いた。
「窓は? 閉まってた?」
「……まさか、壁を登ってきたと?」
「考えられないルートではないだろう。壁を登って君の部屋に入り、君の枕の隣で透明になってホテルを出てから透明化を解除した。こくすれば鍵の問題は解決だ。これでも魔素は同じ形で残るだろう。鍵に関するあれこれは、その可能性を考慮して考え直すべきかもしれない」
「いえ、それに及びませんね。そもそも窓の鍵は閉まってたので、そこから出入りはできません。魔素もありません。だから、その理屈は通らないと思います」
「じゃあ今の話はナシだね。ナシナシ、忘れて」
フェイが率直に否定し、瑠璃はヘラヘラと笑いながら手を振って話を撤回。
五人から呆れたような視線や空気が漂い始めてくる。そして痺れを切らしたように、金髪の少女が腰に手を置きながら言った。
「透明化の魔素が透明人間の痕跡なら、つまり夜の内に、外からホテルに入った人が透明人間ってことでしょ? だったらもう、該当するのなんて一人しか居ないじゃんか」
少女の言いたいことはその場に居る誰もが理解していた。
面々の視線が一斉にクリスへと注がれ、静聴していた彼は眉を動かして口を開く。
「俺じゃないぞ。そもそも透明化なんて複雑な魔術は扱えない」
そんな彼の否定の言葉に、瑠璃はフェイに耳打ちした。「難しいの?」「めっちゃ」難しいらしい。何度か頷いて感謝をし、それから二人のやり取りに耳を傾けた。
「大体、仮に俺が犯人だとして四階への階段前扉は? どうやって開ける」
「それは……ほら、ピッキングとかで開けられるんじゃないの? 詳しくないけど」
どうなんだ、と面々がアンナを見る。アンナは渋面で「知るか」と肩を竦めた。
先程、通りすがりに鍵を一瞥していた瑠璃が口を挟む。
「可能だね。こっちの世界で何と呼ぶかは知らないけれど、あれはディスクシリンダー錠だ。専門的な器具が無くてもあり合わせで口説ける程度の尻軽だよ」
コートのポケットに手を突っ込みながら断言すると「ほら」と少女が勝ち馬に乗ってクリスを見るが、クリスは忌々しそうに腕を組んで溜息をこぼす。
「ピッキングだけならお前達にもできるだろう」
「でも透明化は玄関前からだったんでしょ? 夜、外に出たのは貴方だけだよ」
「今朝も証言したが、俺が帰ってくるときには既に魔素があった。俺じゃない」
他の面々は取り合うこともなくクリスに追求しようとした。
「そもそも、証拠はあるのか? 俺は何の変哲もない善良な画家だ。言いがかりはよせ」
「状況証拠的に貴方しか考えられないって話をしてるんだけど」
「状況証拠は法廷で決定打になり得ないことを知っているか?」
「そもそも、本当に何者かが部屋に入ったのかね? 彼女の自作自演は?」
話が前進せずくたびれた様子で壮年の男性が言うと、アンナが眉を顰めた。
拘束してしまっている状況への罪悪感からか強く言うことはしないが、表情は今にでも噛み付かんばかりだ。それに気付いたからだろう。男性も口を一文字に結んだ。
そんな二人の傍ら、話を黙って聞いていたフェイは微かに唇を噛んで俯く。
静観していてもこれ以上の情報は出てこなさそうだと判断した瑠璃は、場を仕切り直す。
「――ま、私から見てもクリスが犯人と断定するのは難しいと思うがね」
すると、少女が半眼を向けてきた。
「なんで」
「私が犯人なら君の部屋の前から透明になる。わざわざ外には出ない」
ぐっと押し黙った少女は反論の言葉を探して口を開閉するが、反論の余地は無いと理解したのだろう。醜く食い下がることはせず、「じゃあ誰だって言うの?」と眉を顰めた。
「それをこれから考えるんだ。まず、犯行推定時刻の二十三時から六時までの行動を一人ずつ聞かせてもらおうか。軽い自己紹介と部屋番号、それから宿泊の目的を添えて」
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