透明人間は誰だ

第2話

「ありがとうございましたー!」


 店員らしき人物のそんな挨拶を背中に、瑠璃は石畳へ靴底を付けた。


 はっと顔を上げると、目の前には世界史の教科書で見るような西洋的景観が広がっていた。


「まさかこんな現象が実在するなんてね」


 床一面には石畳が敷き詰められており、石やレンガを基調とした建物の統一性は景観保護法の遵守率を窺わせる。行き交う人々の服装は瑠璃の生きる世界と見比べても大きな違いはなく、洋服にコートを羽織った程度の瑠璃も特別に浮いている様子は無さそうだ。


 しかし、行き交う面々の顔立ちは明らかに西洋風。衣装の細部などを見ると少なくない文化の違いが見受けられ、歩けばチラチラと瑠璃の方を窺う視線を感じた。


「取り敢えず、ちゃんと人類か」


 その点に安心しながら自分が抜けてきた扉を振り返ると、そこはパン屋だった。


 まさか事務所の扉が異世界のパン屋と繋がっているとは。そんなことを考えつつ店内を覗き込めば、ラインナップは現代日本と然程変わらない。しかしレジで受け渡ししている通貨は見知らぬものだったから、財布を置いてきたのは正解だと確信できた。


 去り際の挨拶から考えるに、少なくとも言葉は通じるらしい。全く同じ言語がこの世界で発展した可能性もゼロではないが、あの間抜けな神様が気を遣ってくれたと考えるのが自然か。新しく一つの言語を習得し始めるところからスタートせずに済んで幸いだ。


「さて、どうしたものか」


 瑠璃は歩き出しながら呟く。目的地は決めていないが、いつまでも店の前には居られない。


 目的は『とある宗教における聖女の失踪事件解決』だが、どの宗教であるかを特定することすらできていない段階だ。無暗に歩き回ったところで結果が出る道理もなく、故にまずは情報収集や活動拠点確保を優先すべきだろう。まさか食事が空から降ってくる道理もない。


 それにしても良い天気だ。瑠璃は快晴を仰ぎ見ながら、同時にコートの隙間から差し込んでくる冷風に身を縮める。少なくとも見渡す限り雪は積もっていないから万年厳冬ということもなし、覗き込んだ衣料品店で夏服が窮屈そうにしてたから、寒暖差のある国だと察する。


 文明の程度は二十世紀半ばから後半程度と考えるべきだろうか。少なくともスマートフォンの類はこの世界ではハイテクノロジーに分類されるだろう。いざとなれば手持ちのスマートフォンをその辺で売り捌いて三日分の食費を確保しよう。


 そう考えた矢先、通りかかったホテルの出入口前から女性達の言い争う声が聞こえた。


「だから! そんな大袈裟にする必要ないんだって! 早くお客さん達帰してあげようよ!」

「そうするために警察を呼ぼうって話をしてんでしょうが! ホテルの経営なんて気にする必要ない、アンタの身に何か起きたらそれこそ取り返しが付かない」

「なんでお母さんはそう頑固なのかなぁ……私がいいって言ってるんだからいいじゃんか。今ウチの経営が上手くいってるのは一過性のものかもしれないし、こういう時こそ当たり前の商売をちゃんとやって、お客さんにまた来てもらえるようにしないと」


 どうやら親子らしい二人の女性の言い争いに、瑠璃は足を止めて聞き入った。


 二人の向こう側に屹立するホテルは、全四階建ての横に広いレンガ造りの洒落た外観をしていた。外壁の上部には木材の細工があしらわれており、下部にはグリーンカーテン。敷地内にはグレースケールの丸みを帯びた石畳が敷き詰められている。


 ホテルの一階は覗いたところ、レストランになっている様子だった。


 二階から三階が客室らしいことはカーテンの種類から判断でき、四階のカーテンが少し異なること、覗く人形などの家具が私物らしいことから、最上階はこのホテルを経営している親子の私室だろうことが窺えた。そして、目の前ではそんな親子が口喧嘩をしている。


 親は四十前後か、短めの黒髪をした細身の女性で、肌荒れが目立つ。


 娘はまだ二十歳に満たないのではないか。綺麗な黒髪をお下げにした小柄な少女。


 どちらも整った顔立ちをしており、そこに血縁関係を窺わせる。


 ――都合よく、衣食住の食・住を満たせる商業施設があるではないか。


 ふと、気付いた瑠璃は軽薄に笑って敷地に足を踏み入れた。


「こんにちは、素敵なお姉さん方。随分と綺麗な快晴だというのに、それより綺麗なお二人が喧嘩をしてちゃあ台無しだ。何かありました? 私で良ければ聞きますよ」


 歯の浮くような台詞と共に平然とホテルに踏み入れば、喧嘩をしていた親子の視線が一斉にこちらを向いた。一瞬、親子は『誰?』とでも尋ね合うように顔を見合わせ、再度瑠璃を見る。


 どうやら女将らしい女性は、満更でもなさそうにふっと笑って腕を組む。


「なんだい、アンタ。珍しい顔立ちだね。この辺の人間じゃないだろ」


 次いで、娘は白い目を向けながら少々苛立った様子で牙を剥いてくる。


「すみません。今、ちょっと真面目な話をしているので……」


 取り付く島もないとはこのことか。しかし、盛り土なら幼稚園の頃に砂場でやったことがある。島が無いなら作ればいいじゃない、とは誰が言った言葉か。


「警察とはまた随分物騒な単語が聞こえましたが、何か事件でも?」

「ですから、お姉さんにはあまり関係が無い話かと」

「窃盗、或いは私室への不法侵入――その辺ですかね?」


 途端、親子の表情が凍り付いた。何故それを、と、言葉より雄弁に表情が訊いてくる。大きく目を見開いて口を閉じた二人は、やがて瑠璃を問い詰めるように表情を険しくさせた。


「もしかして、アンタが犯人かい? 拳で殴ってもいいのか?」


 女将が返答次第では暴力の行使すら厭わない姿勢を見せるが、瑠璃は毅然と応じる。


「違いますよ、それこそ物騒な話だ。――ホテル内に客を待たせるような事件が発生したとなれば、内容は概ねホテルが何らかの被害を被ったということになる。特定個人ではなく『お客さん達』と表現したなら容疑者は複数人。そうなれば客室ではなく公共スペースまたは従業員の私室にて窃盗か不法侵入辺りが発生したと考えられる」


 頭の中で組み立てた仮説を仮説のまま語ると、二人の気勢が萎んでいくのを感じる。


 「だから私は犯人じゃありません」と念押しすると、女将は鼻を鳴らし、娘は困った様子で視線を揺らした。反応を見る限り、この仮説は正しいのだろう。


「合ってますか?」

「合ってるよ。まるで見てきたかのようだ。本当に犯人じゃないんだろうね?」

「仮にそうだとして、自分から声を掛ける馬鹿は極々一握りでしょう」

「それもそうだ。じゃあアンタは何でわざわざ声を掛けに来たんだい?」

「そこはホラ、お二人が美人だったもので。ナンパを」


 軽口を叩くと親子は顔を見合わせ「警察」「呼ぶ?」と囁き合うから慌てて正直に語る。


「実は私、異世界から来たんです。分かります? こことは違う世界」


 馬鹿正直に言って反応を確かめると、再び親子は顔を見合わせ「警察」「呼ぶ?」と囁き合う。どうやら魔術が存在する世界であっても異世界とは信じ難い概念らしい。


「信じるも信じないも自由ですが、事実です。――で、そんな経緯なので、この世界で使えるお金を持っていないんですよ。つまり、それが理由です。この事件を解決するので、よければ三日ほどベッドとお食事を提供ください」


 すると親子は顔を見合わせて検討の素振りを見せた。


 娘は表情から察するに否定的な様子だったが、そんな彼女を押し退けて警察に行こうとしていた女将の方は、今しがたの瑠璃とのやり取りで一定の期待を抱いた様子だった。


「ま、解決できたら考えてやるよ。やるだけやってみな」

「お母さん!」

「何さ、アンタが大事にしたくないって言うからこうしてんだろう」


 女将が腕を組みながら呆れて言い放てば、娘は不満を隠さず言い返す。


「……だって、ホテルの評判に関わるし」


 どうにも込み入った話をしている様子だったが、こちらにも干渉する理由がある。


「それなら私はうってつけだ。何しろ、通りすがりの一般人だからね」


 娘の困ったような白い目を受け止めながら、瑠璃はさっさと本題に入る。


「さて。早速、事件の概要を聞いても?」


 とにかくこれで、この世界における一時的な生活基盤構築の目処が立った。


 瑠璃はコートの襟を正しながら二人へとホテルに入るよう促し、その背中を自分も追う。向かいながら、娘は首から上だけを四分の一ほど捻ってこちらを振り返って質問に答えた。


「――透明人間が、私の枕元に現れました」


 そう言うや否や、娘と女将はスタスタと歩いてホテルへ向かっていく。


 その背中を瑠璃は暫し唖然とした顔で眺めた後、溜息と共に頭を掻く。


 それから微かに笑って、瑠璃は泰然と二人の背中に続いた。




娘:フェイ・ウェストン。十九歳・女性。


女将:アンナ・ウェストン。四十三歳・女性。

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