名探偵は異世界の魔術犯罪を暴けるか

4kaえんぴつ

第1話

 珍しく事務所の固定電話が鳴ったので、真壁瑠璃るりは珈琲の湯気が立つマグカップを置いた。もう片方の手で読んでいたスマートフォンの電子漫画を中断し、伏せて置く。


 代わりにその手で受話器を持ち上げた。


「はーい、もしもし。アナタの町の探偵屋、真壁探偵事務所の真壁瑠璃がお電話承りました。ご用件は何でしょうか?」


 電話の相手はまだ年若い女性のようだった。


 どうやら探偵事務所への電話というのは偉く緊張をするらしい。彼女はたどたどしい言葉で用件を告げ、瑠璃はそれを傾聴する。


「――ほうほう、飼い猫が迷子と。はい……まあ確かに、本来はそういう専門の探偵をご利用いただく方がお互いにとって都合が良いと思いますけどね。ただ、幸いウチは本日非常に暇でして。構いませんよ。ええ、勿論。後ほどメールで猫ちゃんの画像と、いつどこで見失ったのか等々、ご連絡ください。詳細は事務所で。ええ、お待ちしています」


 ガチャ、と音を立てて受話器を置く。


 瑠璃はしばらく物思いに耽るように天井を眺める。薄暗い昼下がり、雑居ビルの薄汚れた窓から差し込む曇天の明かりは虚しいほど目に優しい。


「さて、仕事か」


 自身の尻を叩くように呟き、瑠璃は徐に椅子から立ち上がった。


 窓の外に厳冬の香りを感じてハンガーからコートを外し、残っている珈琲を飲み干す。


 ちらりと、曇天に照らされた町並みを眺めつつ、窓に映る自分の姿を確かめた。無造作な天然パーマのセミロングと、蹴飛ばしたら折れてしまいそうな上背の細い身体。顔立ちは悪くないが、表情が全てを打ち消してあまりある軽薄な笑みを浮かべる女がそこに居た。


 真壁瑠璃。二十四歳。職業探偵。性別は女性。


 学生時代、漫画の中で格好良く難事件を解決する探偵の姿に憧れて、大学卒業と共に事務所を構えた。だが現実の探偵は漫画のように殺人事件を追う機会など滅多にない。あるとして、それは名が売れている優秀な探偵くらい。現実は、今日のような猫探しや浮気調査など。


 世間的に大事な仕事であることは承知の上だが、夢が無い話だ。


 コートを着替え終え、メールに届いた猫の画像と場所を確認。


 依頼人が事務所に来る前にちらっと現場を見ようと出入口へ向かった、その時だった。


 雑居ビルの階段を登ってくる何者かの足音がしたかと思うと、間もなく扉がノックされる。


「はい」


 扉を開けて入ってきたのは、初老の男性だった。


 小綺麗な身なりだ。中折れ帽を被った毛髪は完全に白髪に染まっており、細身ながらもガッシリとした体躯はキャメル色のコートを羽織っている。俗に紳士的とでも呼ぶような外見だ。顔には温和な笑みが浮かべられており、話が通じやすそうな相手だと安堵する。


「こんにちは、私はこの辺の神をやっている者なんだが」


 ――前言撤回。やべー奴が来た。


 自称神様の初老が丁寧に腰を折る対面で、瑠璃は笑みの裏側で頭を抱えたくなる。


「はは、そうでしたか。これはどうも、よくぞいらっしゃいました」

「おや、驚かないんだね」

「神道では八百万の神が居ると言いますからね。日本人口一億弱のざっくり一割程度は神様って考えれば、ソシャゲの最高レアよりは珍しくないんじゃないかと。それで――どちらの介護施設にお住まいで? タクシー出しますよ、お爺さん」

「認知症じゃないよ。失礼な奴だね」


 嘘を吐くなと言いたくなるのを堪え、瑠璃は飄々と笑いながら彼に出口を示す。


「認知症は皆そう言うんだって。車で来たの? そろそろ返納とか考えな」

「ああ言えばこう言うな。流石の君でも、非科学の存在は飲み込めないか」


 『流石の君』とはまるでこちらを知っているような物言いだ。寒気がする。


「悪いんだけどお爺さん、私は仕事を受けたばかりでね。ボケ老人と遊んでる暇は無いの」


 瑠璃は言いながら、真っ赤な煙草の箱とオイルライターを取り出す。


 煙草を咥えながら何度かライターを開閉して弄び、オイルの香りを揺らしてからそっと火を灯す。そして、客人の前で平然と一服をした。すぐに事務所を出るつもりだったが、この爺さんを追い出すのには少し苦労しそうだと判断したのだ。


 すると、老人は得心した様子で言った。


「なるほど、如何にも繁盛してなさそうな事務所だったもんで、気付かなかった」

「ハハ――言うね、ジジイ。肺ガンにしてやろうか」

「そう殺気立つな。今すぐ君の懸案事項を解決してやる――」


 そう言うや否や、老人はパンと手を叩いた。


 何の真似だと瑠璃が眉根を顰めると、老人は至って真剣に言った。


「――よし、依頼人の家の前に猫を戻しておいた。これで私の話を聞けるな?」


 完全にお手上げだ。この老人はボケている。


 瑠璃は咥え煙草から紫煙を燻らせつつ、犬歯を覗かせて笑う。どうやってこのボケ老人を事務所から追い出して鍵をかけようか。しかし、下手なことをすると粘着されかねない。いっそ警察を頼るのが早いだろうか? などと、思索を巡らせているその時だった。


 事務所の固定電話が鳴った。


 途端、事務所に静寂が降り、着信音が木霊する。あまりにも都合が良過ぎるタイミングに、瑠璃は思わず表情を消して、固定電話を眺めた。


 珍しい。普段の着信は多くても週に数回鳴る程度だ。新しい依頼人か、それとも先ほどの依頼人が折り返してきたのだろうか。後者だとしたら用件は何だろうか。


「どうした。気にせず出るといい」


 老人が笑みを含んだ顔でそう言う。その通り、仕事の電話だとしたら断る理由は無い。


 瑠璃は徐に受話器へと手を伸ばし、そして着信に応じた。


 電話の差出人は――先ほどの、猫探しと同一人物だった。


 彼女は偉く驚き、そして慌てた様子でまくし立てるように電話先で言葉を繰り返す。瑠璃は「ああ、なるほど……ええ、それは良かったです」と相槌を打ってから間もなく、驚愕を含む手で受話器を戻した。


 指に挟んでいた煙草を灰皿に押し付けて消火。


 穏やかな笑みを浮かべる不気味な老人に向き直り、瑠璃はコートの襟を正した。


「――話を聞こうか? 神様」

「良い面構えになったじゃあないの。若者」




 依頼人と話し合うために用意されている長机には、二つの湯気が立つマグカップ。それを挟んで向き合った二脚のソファには、それぞれ瑠璃と老人――神が座っていた。


「それで。神様がこんな辺鄙な雑居ビルの薄汚い探偵事務所に、何の用かな?」


 瑠璃が足を組んで不遜に尋ねると、神は珈琲に口を付けてふっと笑った。


「賢い人間は良いね。信じてくれるのが早くて助かるよ」

「馬鹿言うな、まだ信じ切ってはいないよ。あんな電話、裏で示し合わせれば幾らでも偽装はできる。ただ――爺さんが本当に神様でも、時間をかけて根回しをしただけの狂人でも。それくらいするなら、持ち込んでくる話は少しくらい楽しめそうだと思ったんだ」


 老人は愉悦を隠さぬ得心の首肯を何度か挟んで、やっと本題に入った。


「君とゲームがしたい。知恵比べだ」


 瑠璃は「ほう」と思わず口に出して言う。これでも頭の方にはある程度の自信がある。


 すると老人は、テーブルの端に置いてあったシュガーポットを指す。取れということだろうか。甘えるな、自分で入れろと視線を返そうとした矢先、シュガーポットから角砂糖が一つ浮かび上がり、それはそのまま吸い込まれるように珈琲へと落ちた。


「……内容は? 爺さんの人殺しトリックを見抜け、なんてゲームなら困るね」


 流石にルールもクソも無い非科学的事象を暴くなんて真似は瑠璃にもできない。


 安心しろ、と言いたげに老人は首を左右に振ってから、珈琲に口を付けて言う。


「『ある事件の真相を暴くことができるか』」


 一拍置いて、老人は続けた。


「異世界の事件だ」


 瑠璃はあんぐりと口を開けて老人の正気を疑った後、しかし諸々の状況を勘案するに、彼をボケ老人だと一蹴することもできないと思い直す。


「異世界? ……突拍子もない話だ。実在すると?」

「今ここで言葉を尽くしたところで、君に信じてもらえる自信は無い。神であってもね。だから、存在すると断言し、その仮定の上で話を進めさせてもらおうか」


 合理的な判断を下し、老人は続けて言った。


「異世界、別世界、異空間――まあ、呼び方は何でもいい。つまり、今君が生きているこの世界とは三次元的に接続していない場所に、異なる世界が存在する。科学を基盤に、魔術と呼ばれる文明も並行して発展させてきた世界だ。どうだ、ワクワクしてきただろう?」

「いいね、夢がある話だ。漫画は嫌いじゃない。それで?」


 瑠璃が先を促すと、彼は微かな笑みを表情に、謎を提示した。


「そんな世界のとある宗教において、『聖女』が行方不明になった。失踪事件だ」


 瑠璃が沈黙して話の続きを待てば、老人は愉快そうに首を左右へと振った。


「……君に話せるのはこれだけ。そして返答は乗るか乗らないか。それだけだ」


 「なるほど」瑠璃は困ったように腕を組んで窓の外を見た。


 疑問は多い。異世界での言語問題、人種差別はあるのか、どの程度の命の問題が。文明はどれくらい現代に近く、魔術には規則があるのか。聖女とはどういう立場の人間か。


「――調査も含めて探偵だと。やれやれ、安楽椅子探偵というものを知らないのか」

「そんなゲームじゃ退屈だろう。私はシミュレーションよりRPGの方が好きなんだ」

「奇遇だね、同感。しかし、ゲームと言うからにはクリア報酬が欲しいんだけども」

「おっと、それを忘れていた」

「勘弁してくれよ。ギリギリ神様だと思ってたのに、今ので一気にボケ老人だ」

「君の願いを何でも一つ叶えよう」


 老人に向けていた瑠璃の呆れた眼差しが、見開いて揺れた。


 「何でも」尋ねれば「何でも」と笑みを含んで返ってくる。


「世界征服でも?」

「もちろん。尤も、君がそんな退屈な願いをする人間じゃないことは知っている」

「さっきからまるで、私のことをよく知っているみたいな物言いじゃないか」

「実際、このゲームを仕掛ける相手は念入りに調査して吟味したからね。結果、能力と精神性から君が最も妥当だと判断した。つまり君は、神様お墨付きの優秀な探偵ということさ」


 「おだてるのがお上手だ」瑠璃は珈琲に口を付ける。「昔から得意でね」


「それで、どうする? 無論、断っても構わない」


 瑠璃はマグカップで口を隠しながら黙考に浸る。


 この際、彼が神を自称する異常者である可能性は放棄する。そうなると、ここで彼の頼みを引き受けた場合は本当に異世界なる空間へ向かわされると考えるのが自然だ。馬鹿げているが。そしてゲームと呼称するからには多少なりともフェアである――つまり、まるで推理ができないような凄絶な環境ということもないはずだ。頭脳で解決できる環境になっているはず。


 条件は悪くない。それが瑠璃の下した結論だ。


 だが、承諾には一つだけ足りない情報がある。


「爺さんの目的を聞きたい。まさか趣味の悪い老後の娯楽って訳でもないだろ?」


 老人は微かに目を見張った後、ふっと笑ってマグカップをテーブルに戻す。すっかり中身は空だった。


「なら、それもゲームにしよう。『どうして私がこのゲームを企てたか』――本題の聖女失踪事件を解決した後にでも、君の回答を聞かせてくれ」

「報酬は?」

「『神様に勝った』。君達人間はそんな報酬でも喜ぶ生き物だろう?」


 ――そんな報酬は要らないから煙草を一本でもくれ。


 そんな言葉を残り僅かな珈琲と一緒に飲み干した瑠璃は、軽く肩を竦めて言った。


「いいよ、乗った。そのゲーム。受けて立つ」


 幾らか挑発的な笑みを向ければ、老人は愉快を隠せない調子で牙を剥いて笑う。


 「っと」と闘争心を隠すように中折れ帽を目深に被り直し、老人は懐に手を忍ばせた。


「それじゃあ君にはこれを渡しておこう」


 そう言ってテーブルに置かれたのは、一本の古臭いウォード錠の鍵だった。


 「鍵?」聞くまでもないことを確かめるように呟けば、首肯が返ってくる。


「どんな錠にも刺さる鍵だよ。それで開けた扉が異世界に通じる」


 言われてマジマジと鍵を見詰めるが、俄かには信じ難い。例えばこの事務所の錠などにはサイズから確実に入らないことが断言できるが、それでも刺さると言うのだろうか。


 疑っても仕方がない。入らなかったら彼を祀る寺を焼くだけだ。


 瑠璃は徐にテーブルに手を伸ばし、鉄製の錆びそうな鍵を手に包んだ。


「使えば消える。真相を暴くか失敗するか、それとも諦めるまでは帰れないよ」

「……真相を突き止めれば帰れるんだね? それさえ分かればいい。他は蛇足だ」

「大した自信だ」

「これから捜しますって探偵が弱腰じゃあ、行方不明の聖女さんが可哀想だろう」


 老人は僅かな間だけ表情を消して瑠璃を眺めた後、何が可笑しいか、微かに口許を緩めた。


 そして、それについて何か言及をすることもなく、そっと腰を浮かせる。


「それじゃあ、健闘を祈るよ。またいつか、向こうの世界で会おう」


 そう言って去る老人の背中に「願い事の準備をしとけよ」と言葉を贈り、見送った。


 事務所に自分以外の人間が居なくなると、途端に現実味が強調される。今までの会話は幻覚だったのではないかと勘繰りたくなるような落差を、しかしテーブルの上の空になったマグカップ二つが否定した。


 瑠璃はそれらを引っ手繰ってシンクに向かい、素早く洗って水切りカゴへ入れる。


 固定電話に留守電サービスを設定、ノートパソコンを使ってホームページに臨時休業のお知らせを記述。火の元を確かめた後、所長机に置いてある赤い煙草の箱を手に取った。軽く振ってから中身を検めると、残数は三本。最低でも一日一本は吸いたい。


「……三日もあれば十分か」


 そう言って瑠璃は、オイルライターと煙草をコートの胸ポケットに放り込む。


 財布はどうせ使えないだろうと置いたまま、スマートフォンをポケットに突っ込んで、棚にぶら下げていた鍵と老人から貰った鍵を二本、手に取る。


 照明を落として事務所を出て、まず本来の鍵で施錠をする。


 ホワイトボードに臨時休業と手書きし、看板をCLOSEDに切り替える。


 そして、老人から受け取ったウォード錠の鍵を鍵穴に宛てがう。すると、まるで形も大きさも違う鍵がするりと錠の中に溶け込んで入り、あまりにも物理法則から逸脱した光景に瑠璃は呆れて苦笑をしてしまう。捻ると、カチャリ。異世界の音がした。


「さて、仕事の時間だ」

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