第四話『生存者NO3』

——無人島生活三日目。

 

 喉奥が弾ける。

 俺は、慣れた手つきで、ぬるく真っ黒な炭酸飲料をガブガブと飲み込む。起きたら、お馴染みの木陰で、そうするのだ。もはやこれは、毎朝の日課モーニング・ルーティンになりつつある。まさかこんな絶海の孤島で、こんなものがたらふく飲めるなんてな。非常にありがたい。現状、俺と夏海さんは、大きな危機もなく、無人島生活を送れている。夏海さんの見つけたダイエット・コークやカップラーメンはもちろん、ココヤシの実のたくさんなっている木も見つけたし、手製の釣竿を使って、たまには魚も釣れる。つまり最低限の食事はとれているということだ。

 漂着地点から南東にある貨物室の残骸から、服やちょっとした日用品も見つかった。だから、全身黒ずくめの怪しい格好とはおさらばした。今は、無人島に似合う、半袖花柄の派手な色彩のシャツを着ている。誰のものかはわからないが、もし持ち主に会えたら、礼をしないとだな。

 ここ数日、夏海さんは夜中に何かコソコソしているようだが、多分女性には色々あるだろうから、あんまり詮索せんさくしない方が良さそうだ。一歩間違えれば、セクハラというやつになりかねないからな。そんな夏海さんは今そこの砂浜でヤドカリと戯れて……


 違うヤドカリじゃない! イケてる男と戯れている!?


「あっ、ハイジャン! こっちに来て! わたしたちの他にも、生存者がいたのよ!」

 夏海さんが俺を呼ぶ。まさかあの墜落を生き延びた者が他にもいたとは、驚いたな。というか夏海さん、生存者が見つかったにしては、驚きが薄くないか?

「すぐに行く!」

 俺は、ダイエット・コークのボトルをそっと置いて、夏海さんと第三の生存者のいる砂浜へ駆けた。


「おおっ、これまた元気そうな生存者発見!」

 生存者三号は俺と対面すると、生意気にも、そんなふうに俺を呼んだ。ちょっとイケメンなのもしゃくに触る。あれだ、こいつに夏海さんが取られてしまうのでは、と危惧しているわけではない。

「生きのいい生存者だよ。俺は、ハイジャン・アクバーだ。よろしく」

 俺は生存者三号と握手をしようと、右手を差し出す。しかし、こいつは俺の全身をジロジロと観察している。睨まれているような気さえする。もしや、何か気づかれたか? いや、そんなはずはない。夏海さんは流石にまだ、俺の正体をこいつに明かしてはいないよな?

「握手をするのには、条件がある」

 生存者三号は、確かにそう言った。何を言っているんだ? 正気か? なんだ、偉そうに。

「あ、説明しなきゃね。この人、ハイジャンが今着ているシャツの、持ち主らしいの。結構大事なものなんだって。だから返してあげて?」

 夏海さんがそう付け足してくれた。なんだ、夏海さんがそう言うなら、仕方ない。待てよ、ってことは俺は……また黒のタートルネックに逆戻りってわけか。首元が暑いんだよな、あれ。

「そうだったのか。すまないな、すぐに返すよ、向こうに着替えがあることだし」

 俺はすぐに木陰に蜻蛉返りしようときびすを返す。

「いや、今すぐに返してくれと助かるなぁ。そのシャツが、他人の汗にまみれるのはちょっと……」

 チッ。生存者三号は、俺の迅速な対応に気に食わないようだ。しょうがないな。

「わかった、今すぐ脱ごう」

 俺はシャツを脱ぎ、上裸になると、そのシワを適度に伸ばして、手渡す。生存者三号は雑にひったくる。おい、大事なものにしては乱能だな。というか、誰に需要があるんだ、俺の上裸なんて。ついさっきけなした黒のタートルネックを早く取りに戻りたいが、条件とやらによると、生存者第三号はこれから挨拶をするはず。おいこら、早く名乗りやがれ。

「どうも。俺は、アダム・オーヴェルアトモスだ。マクスキ工科大学で弾道学を専攻している、大学院生だ。よろしく」

 マクスキ工科大学の院生だぁ? こいつ、きっと高学歴の肩書きを自慢したいんだな。それに院生なら二十四、五とかそこいらだ。青臭いガキが、調子に乗るな。こちとら天下のレエム捜査官だぞ? いや、冷静になろう、それでは俺も肩書きでマウントを取ろうとしているのに、変わりないじゃあないか。ややモヤっとするが、こっちの方が大人だ。握手くらいしてやろう。

MITのアダムか。こちらこそよろしく」

 俺とアダムは、短めの握手を交わした。

「ところでハイジャン、上裸のままでいいのか?」

 このガキ……そんなことはわかっている。

「今、服を取りに行くところだ」

 俺はやや苛立ちながら、愛しの黒のタートルネックを取りに、走って木陰へと戻った。

 

 ふぅ。

 タートルネックの襟元と袖から、カメの如く、首と腕を突き出す。なんやかんやで、この服はだ。なんとなく、落ち着く感じがする。

「おーいみんな! ここに、生存者が二人いるぞ!!」

 アダムが、砂浜の方でそう叫んでいるのが聞こえる。今確かに、『みんな』と言ったよな? ということは、アダムの他にも、生存者がいるということだな。アダムが声を投げる方向に、俺も視線を移す。すると……


 生存者が、五人、十人、二十人、いやそれ以上!

 百人はいるぞ。

 ゾロゾロと、歩いてくるではないか。


 あの墜落だぞ? これほど生き残るのは、奇跡中の奇跡だ。あの生存者集団の中から「死人を見た」という報告が無いといいが……いや、今更人間らしいことを言ったって遅いか。

 夏海さんとアダムが、生存者の大集団を引き連れて、こちらへ向かってくる。俺はどう振る舞うべきか。あくまでいち乗客ということにするのが無難か。夏海さんはどういう方向で考えているんだ? アダムの様子からして、少なくとも彼には、俺がハイジャック犯だとバラしてはいないはず。つまり夏海さんは俺をかくまっているわけだ。三日間、犯罪者と仲良く過ごしたわけだし、何よりも夏海さんは亡き夫秋葉範治あきばはんじの姿をしている俺に心酔しているわけで、急に舵を切って俺を突き放す、ということも考えにくい。そんな中、俺をハイジャック犯だとさらすものようなら、夏海さんは犯罪者の仲間として扱われ、とがめられかねない。だから流石にそうはしないだろうが……そうだ、機長や副操縦士はいないよな? 無事に越したことはないのだろうが、正直に言ってその二人は、俺が今一番会いたくない人間だ。


 大勢の生存者たちを、目の前に迎える。こう見ると、やっぱり多いな。この様子だと、乗客はほとんど生き残っているんじゃないのか?

「こっちは深津さん。で、そっちは深津さんを三日間支えてきたっていう男、ハイジャンだ」

 アダムが、後続の生存者たちにそう紹介した。食糧調達、という意味では、むしろ俺の方が夏海さんに支えられたけどな。

「ハイジャン・アクバーだ。みなさん、よろしく」

「あんちゃん、サバイバル術に長けてるらしいな。深津さんに聞いたよ。どんな仕事をしたら、そうなるんだ?」

 と、アダムとは別の小太りの男が、嫌な質問をしてくれる。というか、もう、俺の情報を知っている? 俺が服を取りにこっちへ戻って、ほんの二、三分しか経っていないのに。今やっとわかったが、夏海さんは、結構なんでもベラベラと言いふらすタイプなんだな。レエム捜査官というのは絶対に名乗るべきじゃないが、誤魔化し過ぎて怪しまれるのも困る。なら、ちょうどいい塩梅あんばいで。

「まぁ、ちょっと激しめの公務員って感じかな。詳しくは、仲良くなってからまた追々おいおいってことで。で、ひとまずは、お互いの状況を報告し合おう」

 と言っても、こっちの事情は夏海さんがほとんど話してしまったかもしれないがな。

「ハイジャン、こっちの持ってる情報ならもう、私がだいたいは伝えたわよ。ダイエット・コークの備蓄と、それが南西で見つけた貨物室の残骸の中にあるってこととか。あと貨物室の墜落地点近くに入江があって、その先のさらに南方面は、地形がけわしくて越えられそうにないってこととかもね」

 やっぱりか。さすが、夏海さんは口が軽い。かといって、軽々しい女、という意味ではない。

「わかった。じゃあ、そっちの皆さんから、何か情報は?」

「それは、今から聞くところよ」

 話してばっかりで、まだ全然向こうのことは聞いていないのか。随分と、お喋りなんだな。まぁ、俺としては、その方が助かる。ん? 助かるって、自分で思っておいてなんだが、どういうことだ? 俺は夏海さんのことを特別な目で見始めてはいないか?

「そうか。じゃあ、どなたでもいいので、何かこの島のことでわかったとか、情報提供をお願いしたい」

「おいあんちゃん、お前さんが仕切るのか? さては、警部とか、いや警視とか、警察機関のお偉方か?」

 小太りの男がそう指摘してくる。こいつも、夏海さんと同じお喋り仲間だろうか。だがその推理は、そこそこ惜しいから、ただのお喋りではないらしい。まぁ、厳密には、俺は警察なんかとは違うけどな。というかこの男、さっきからやたらと深掘りしてくる。要注意人物。だが反省のいい機会だ。つい癖で、自分がまとめ役であるかのような物言いをしてしまった。出しゃばり過ぎると色々とほころびが出てくるぞ。いつもの演技力を思い出すんだ、俺。

「おっ、親父さん、勘がいいね。まぁ、そんなところだ」

「ほぉ、やっぱりか! それなら……正解のご褒美に、ダイエット・コークを渡してもらおうか! 深津さんに聞いたぞ? 数百本のダイエット・コークがあるんだってな」

 よく見たらその親父は、あまり偏見はよくないが……食いしん坊にありがちな体型をしている。心配しないでも、みんなで分けるつもりでいるよ。体が大きいからって、優遇はしないぞ?

「もちろん、夏海さんが発見した物資は、生存者全員で、平等に分けるさ」

「そうかい、なら安心したよ。じゃあ、引き換えと言っちゃあなんだが、こちらの持ってる情報も共有しないとだな」

 うーん、この男はよく喋るな。もしかして、向こうの集団のリーダー格なのかもしれない。そうだ、名前をまだ聞いていないぞ?

「ああ、頼むよ。だがその前に、名前を聞いておきたい」

「おっといけねぇこれは失礼。俺は、エイディ……じゃなくて、ルーク・マンだ。ルークでいいよ」

 ん? 聞き間違いだろうか、一瞬、名前を言い間違えた? 

「『ルーク』さん、か。それで間違いない?」

「ああ、ルークだ。いやぁ、ワケあってすこぉし前に改名したもんでな、あはは……」

 なるほど、訳ありか。そういう個人的な事情は、あまり深掘りしない方が良さそうだな、人間性を疑われる。いや、ハイジャックなんてした俺はもう既に人でなしか。

「そうとは知らず……プライバシーに立ち入ってすまない」

「いやぁ、いいんだ。で、肝心の情報共有だな。まず、生存者の数だ。こっちは百二十一人。だからあんちゃん、深津さんを合わせて百二十三人だ。みんなの証言によると、ディエット航空六四一〇便の全百十三席は満席。つまり民間人は、奇跡的に全員無事だったというわけだ。加えて客室乗務員十人も無事だ。ただ、操縦室の人間は見つかっていない。客室乗務員によると、機長と、副操縦士の二人が操縦室にいたはずだと。無事だと……いいな。それから、島の中心部までいくとわかるんだが、実はこの島は四つの島から構成されているみたいなんだ。特徴は大きく分けて二つだ。まず、島全体にクローバー、シロツメクサとも呼ぶのか? まぁどっちでもいいが、とにかくそれが至る所に生い茂っている。あんちゃんも深津さんから、妙ちくりんなクローバーの緑の道があると聞いたとは思うが、それがにあるってのが、新情報になるかな。でもってもう一つ。これまたクローバーに関わることだ。なんと、島はちょうど、四つ葉のクローバーのように四分割されている。わかりやすく、仮に地図上での『北』を『上』と呼べば、右上の島、左上の島、左下の島、右下の島、という具合。というのも、中央から十字の形に海が走っているんだ。片方の端からもう一方の端までを、一度に見渡したわけではないが、間違いなく川ではない。ちょいと舐めると、塩っ辛かったからな。十字の交差点に当たる部分の海では、非常に入り組んだ岩場があるんだが、そこには、魚がたくさんいた。これでもかってほどにね。ありがたいことに、ほとんどが食えるやつだ。そこで釣りをしたら、しばらくはタンパク源には困らないだろう。あ、そうだ、言い忘れていたが、ここは北東部、クローバーの右上部分にあたる。こんなもんかな。どうだ、耳寄りの話だったろう?」

 ふむ。民間人は全員無事、航空会社側の人間の生死は一部不明。現状、ハイジャック犯の俺にとってはこの上なく都合のいい展開だ。俺を知っている機長や副操縦士は……無事でいてほしい反面、そうは思わなかったりもする。俺のやったことが正義か悪かという話はさておき、俺は、冷酷なレエム捜査官と、道徳心を残した真人間まにんげんとの二つの人格の間で、揺れているのだろう。精神力には自信があるので、己の矛盾を甘んじて受け入れることは得意ではあるが……モヤっとした感覚が拭えないのは、確かだ。だがこの先の展開は、俺一人の力では……どうすることもできない。今は、ひたすらに、流れに任せよう。

 あとこれは予想外だったが、ルークさんたちは流石に大勢というだけあってか、俺と夏海さんに比べて、島の探索をかなり進めていたようだ。十字の海。魚が取れるのはかなり大きい。正直、さっき百以上もの人間の集団を目の当たりにした時は、全員の腹を満たす方法なんてあるのか、と不安に思ったからな。そして四つの島と来た。このは俺の思っていたよりも、遥かに広いらしい。彼らは既に島の大まかな全体像を掴んでいるようだが、まだ墜落から三日程度。謎はまだまだ多いはず。彼らの握る各種情報と、こちらの豊富な物資とを結集して、さらに探索を進めて、何かしら、脱出の方法を見出さなければならない。だとすると手始めに……そうだな、拠点の体制を盤石ばんじゃくにするべきかな。

「そうだ、せっかくこれだけの人手があるんだ。ひとまず皆で、貨物室から、物資をこっちに運んでくるってのはどうかな?」

「ハイジャン、名案ね! ぜひそうしましょう!」

 夏海さんが俺の提案をすんなりと受け入れる。

「あんちゃん、俺も賛成だ。この辺りは、平坦な砂浜が広くて百二十三人いてもスペースは十分。木陰も多い。ここを拠点にするのは、理にかなっていると思う。みんなも、それでいいよなぁ?」

 皆、コクリと頷く。ルークさんはこのたった三日間で、相当な人望を築いたようだな。優秀なまとめ役がいると、話が早くて、助かる。

「そうと来ましたら、早速いきましょうか。こっちです」 

 俺と夏海さんは、百以上の生存者たちを連れて、貨物室の残骸のある場所へと向かった。



      ▲▲←ココナッ!

______△△______



 小一時間のち。

 エメラルドグリーンの海に、海藻が浮かんでいる。どこから流れてきたのかわからないが、底の白い砂が見えないほどに、大量だ。三日前、俺も夏海さんも、こんな海藻を身体中に巻きつけながら、目を覚ましたんだっけ。

 今や、貨物室から拠点への物資の移動を終え、賞賛の嵐が巻き起こっていた。夏海さんが見つけたダイエット・コークにありついた百二十一人の乗客たちは、それをやけに美味そうに飲み、夏海さんと俺とに、大袈裟なまでの感謝と尊敬の意を伝えてくれた。俺はこの無人島生活を生み出した元凶であるし、見つけたのは俺ではなく夏海さんなのだから、俺がそのような良い思いをするのは馬鹿げた話なのだが、ことを穏便に済ませるには、今は適当に愛想笑いをしておくべきだ。だが依然、俺の神経は気味が悪いほどに図太いらしく、良心の呵責かしゃくさいなまれるには至っていない。むしろ、この元来体に悪いはずの黒い炭酸水のおかげで神のごとく有り難がられている都合のいい状況を、楽しんでいるような気さえする。

 にしても、皆がボトルを握り締め、久しぶりのマシな水分を喉奥にドバドバと流し込む光景は、まるで勝利の宴のようだ。だがダイエット・コークは何百本もあるとはいえ、貴重な水分には変わりないし、これからの無人島生活がどうなるかわからない。大事に飲んでほしいところだ。なんでも彼らはこの三日間、運が良い時でも大して美味くないココナッツジュースを、ひどい時はほぼ泥水同然の水をすすってきたらしい。にも関わらず、腹を下している人が見当たらないので、この一般人たちは、かなりの強靭きょうじんな胃腸の持ち主の集団ということになる。なんという偶然だろうか。そういえばこのダイエット・コークは、元はと言えば誰の持ち物だったんだ? 世界のどこかの誰かが、空輸しようとしたのか? なぜこれほどの量の水分が我々遭難者に居合わせたのかはわからないが、まぁかく、ありがたい。

「ねぇ、ハイジャン」

 背後から、神の声だ。もとい、夏海さんの声。俺の癒しになりつつある。

「なんだい?」

 振り向くと、夏海さんの少し後ろで、花柄シャツの男が腕を組んで突っ立っている。

「アダムがちょっと、話があるって」

 アダム、あの色男め。もしや、夏海さんをかけた決闘を申し込もうとでも? いや待て、アホか、俺は。感情を押し殺せ。

「話、か。なんだろう?」

「ちょっと、まずいかも……」

 なんだなんだ。やっぱり何かに気づかれたのか? アダム、あいつが俺を見る目は最初から懐疑かいぎ的だった。アダムが、険しめの表情で、寄ってくる。

「おいハイジャン。俺は墜落までの機内の光景をよく思い出してみたんだ。するとよ、どうしても黒いタートルネックの男が頭の中をチラつくんだ」

 黒のタートルネック。俺の他に、それを着ている者は見当たらない。

「つまりは、何が言いたい?」

「つ、墜落の時、お前だけ、席から消えていたのを、俺は知ってるぞ!」

 アダムは、俺を、何かひどく恐ろしいものを前にしたかのような目で見てそう言った。こいつ、俺の動きを見てやがったのか。ここは落ち着いて、一旦言い分を聞いてみよう。

「だから、何だ?」

とぼけるんじゃあないぞ! お前何か、墜落について、知っているんじゃあないのか?」

 まぁ、何も知らないわけではないが……

「墜落に、ついてか。そうだなぁ。ここにいる皆以上に、俺が知っていることはない。持っている情報は皆、洗いざらい共有したことだしな」

 ああ、そうだ。

「そうかい。それならこの人たちを見ても、同じように振る舞えるだろうか? 機長! 副操縦士!」

 機長? 副操縦士? 何事だ? あの二人は、ルークさんが率いる生存者の中にはいなかった。俺は事態を飲み込めずにいると、背後の海から、ザブザブと音が聞こえるのに気づく。振り返ると……

「うきゃあ!! 何!? お化け!? ワカメの妖怪!?」

 夏海さんが驚き慌てふためいて、俺に飛びついてきた。いや、抱きついてきた、という表現が正しいか。

 浅瀬に目をやると、夏海さんの言う通り、確かに、海藻まみれの人型の何かが二つ、海水を滴らせながら、ゾンビのようにフラフラと、こちらへ向かって歩いてくるではないか。それに、ブツブツ、モゴモゴと、何かを呪文のようにつぶいている。

「モゴ……モゴモゴ……ハイジャン・アクバー、こ……こいつは……ハイジャック犯、だ!!」

「ブツ……ブツブツ……機長、ついにご対面ですね、にっくき犯罪者と!」

 その二つの何かは、全身にまとわりついた海藻を、どさっと豪快に払いのけ、正体を現す。間違いない、忘れるはずもない。この二つの顔は、俺が液体洗剤を顔面にぶっかけて、ダクトテープとチャーシューの紐でがんじがらめにして、操縦かんに括り付けた相手だ。そういえば、俺はあのハイジャック実行の時、操縦室コックピットの二人に対して、『俺はハイジャン・アクバーだ』と名乗った。あそこで偽名を名乗らなかったのは……初歩的な、あるまじきミスだ。それに俺が今着ている黒のタートルネック、声や背格好もそう、俺がハイジャン・アクバーだと同定できる要素は、五万とある。まずい、非常にまずいぞ。せっかく夏海さんは俺をかくまってくれていたのに、これでは全てが台無しだ! 夏海さんはというと、困惑しつつも、機長と副操縦士の体にまとわりつく海藻を、丁寧にせっせと剥がしてやっている。さすが、人の良さが出ているな。いや待てそんなことはどうだっていい、大ピンチだ!

「深津さん、こいつから離れたほうがいいぞ」

 アダムが、夏海さんの手を引く。どうか、その薄汚い手を離してほしい。いや、俺の手の方が遥かにけがれているか……。

「いいや、離れないわ」

 夏海さん。まだ、俺に味方してくれるんだな。

「なんでだよ! 機長と副操縦士が、こいつがハイジャック犯だって言ってるんだぞ? わかるよな? つまりは、こいつのせいでディエット航空六四一〇便は墜落したんだ!」

「知っていたわ」

「は……はぁ!?」

 アダムが驚くのも、当然だ。

「わたし、知っていたのよ。この人が、ハイジャン・アクバーが、ハイジャック犯だったってことは」

「え? え!? どういうことだ? お前、こいつがとんでもない奴だと知っておいて、みんなに黙って、隠していたのか?」

「そうよ。ついでに言うと、コメット合衆国のレエム捜査官、ハイジャン・アクバーが、メシアンマフィアがディエット航空六四一〇便に秘密裏に積んだ兵器級プルトニウムを、機体ごと海に沈めるミッションを遂行した、というのも、ぜーんぶ、知ってるわ!」

 おいおい、めちゃくちゃベラベラと話すね。

「深津さん……あんたもグルだったか。おいルークのおっさん! こっちに来てくれ! たった今、とんでもないことが判明したんだ!!」

 まぁ、そうなるよな。さて、どうなることやら。



      ▲▲←ココナッ!

______△△______



 強い日射しの下、百二十三人に囲まれ立ち尽くす俺と夏海さん。夏海さんは、俺の脇腹のタートルネックのストレッチ素材を、ぐいと引っ張っている。どうせなら手を握れば……いや、なんでもない。とにかく、この包囲網を突破して逃げ出すのは、まず、不可能だ。

「あんちゃんお前……本当なのか?」

 ルークさんにそう聞かれ、俺はダンマリしてしまう。

「待ってエイディ……じゃなくて、ルークさん。彼は正義のために、世界の平和のために、飛行機を墜落させたの! 私も含めて、みなさんが殺されかけたのは確かだし、納得はしてもらえないと思うけど……」

 俺は情けなくも、そう夏海さんに弁解させてしまう…………ん?? 待て。ルークさんの名前を、夏海さんも言い間違えた? 単なる言い間違えか? いや、今はそんなことはどうだっていいか、俺の立場がかなり危ないんだ。

「ほぉ、殺人未遂の犯罪者の肩を持つのか? 深津さん、あんた、水分を見つけてくれたようだし多めに見てやるが、あんまりあんちゃん……いや、ハイジャック犯ハイジャン・アクバーに味方するようなら、あんたの立場も危うくなることを忘れるな? これだけの事故だ。誰かが死んでもおかしくなかった。いや、こんな絶海の孤島で先行きが不透明なんだ、これから何人も死ぬかもしれない。あと、これは半分どうでもいいことだが、俺の名前は間違えないでくれ。俺自身で言い間違えちまったのが影響してるんだろうが、いかんせん、結構深刻な問題でな。俺のアイデンティティに関わる、そんな問題だ。まぁ、ちょいと面倒なおっさんだなぁと、頭の片隅に置いておいてくれると嬉しい」

「ルークさん、申し訳ないけれど……ハイジャンの肩を持つのはやめておけ、というのは、受け入れられないわ。わたしにだって、深刻な問題があるの」

 夏海さんは、やけに強気だ。

「深刻な問題? そりゃどういうことだ? この際、全部教えてくれるとありがたいが……」

 ルークさんが夏海さんのさらなる秘密に興味を示す。

 するとアダムが呆れ顔でルークさんの肩をコンと叩く。

「嫌だなぁ、ルークのおっさん。あれに決まっているだろう? ほら、二人の距離感を見てくれ」

 アダムはそう言って、俺のタートルネックの脇腹のあたりを固く握りしめる夏海さんの手を指差す。

「なるほど、そういうことか。デキてるんだな、二人は。それもこんな絶海の孤島で。しかも片方は犯罪者、大量殺人未遂か。泣けるねぇ」

 くそ、ルークさんももはや、こちらの味方にはなってくれなさそうだ。

「デキてる? そんな……そんなヤワなもんじゃないですからねっ!!」

 怒りの夏海さん。なかなか威勢がいいな。

「おおっ。まさかのもっとワケありか? なら深掘りしないとだ。おっさんもそう思うよな?」

「ああ、そのように思う」

「だよなぁ。ほら、言えよ、深津さん」

 このアダムとかいうクソガキに無性に腹が立ってきた。俺はいいとして、夏海さんは、いじめてあげないでほしい。

「言ってあげるわよ。それも、わかりやすく、どストレートにね! ハイジャンは、わたしの亡くなった夫の生き写しなの! それが彼に好意を持つきっかけになったのは紛れもない事実よ。今は、好意どころじゃない。心から好き。亡くなった夫を愛していたのと、同じくらい愛しているわ。いや、ひょっとするとそれ以上かもしれない」

 夏海さんは、青二歳と小太りに向かってそう言い放つと、俺の肩に寄りかかった。嬉しいが……嬉しいのだが、周りの百二十三人から見れば、とんでもない光景だろう。彼らの目には、俺も夏海さんも、頭のいかれた人間として映っているに違いない。


「「「「…………」」」」


 案の定、皆、黙りこくっている。無理もない。自然な反応だ。

「そ、そうかい。それはなんというか、半分には、聞いて悪かった、とも思う。だが、同情するわけじゃないぞ? 二人で、よろしくやってるといいさ。な、おっさん?」

 と、あの性悪しょうわるアダムでさえ、ドン引きしている。アダムに目配せされたルークは、なんとも言い難い表情で、コクリと頷く。

「そうだった、か。まぁ、二人を非難しても何か現状が良くなるわけじゃあない。深津さん、そしてハイジャン・アクバー。最低限の扱いは保証する。こっちが逆恨みされて、揉め事にはしたくないからな。みんな、それでいいよな?」

 と、ルークさんは、人道的な提案をしてくれた。


 非常に気まずい空気が漂ったが。


 皆、その現実的な提案に、首を縦に振った。


〈第五話に続く〉

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