第三話『発見』
わたしの脳は、エメラルドグリーンの海に突っ立っている海藻まみれの男性の存在を受け入れられないようだった。これは本当に現実なのか、と何度も何度も目を
亡くなったはずのわたしの夫。
わたしの愛した、いや今も愛している、
タートルネックにニット帽。
しかもどっちも黒でちょっと陰気臭いのが気になるけれど。
彼がこっちに近づいてくる!
わたしも、彼に駆け寄るべきなの?
愛しさは、わたしを、彼に近づかせようとするけれど。
恐ろしさが、わたしを後退りさせる。
わたしはどっちつかずで、立ち尽くすしかなかった。
「無事かい?」
うわあ! 喋った!
わたしを気にかける彼の声は、秋葉範治のそれとそっくり。姿形だけでなくて、声まで、そっくりだなんて! まだわたしは、今自分の脳が認識しているもの全てを、全く信用していない。頭を使うのよ、
その一、これが本当の走馬灯。秋葉範治との、南の島での結婚式の思い出を振り返っているだけ。もうじき走馬灯も駆け巡り終わって、わたしは死ぬ。死ぬ恐怖が
その二、実はわたしはもう死んでいて、ここは天国。天国にいる秋葉範治と、わたしは再会を果たした。それはそれで幸せかも。
その三、これは現実。飛行機は墜落したけど、わたしは奇跡的に南の島の浅瀬に漂着した。そこでさらに奇跡的なことに、わたしは秋葉範治にそっくりな男性と同じ飛行機に乗っていて、彼もまた助かった。この線だとしたら、嬉しさ半分、戸惑い半分。でもその一の『これから死ぬ』場合よりは遥かに素敵な展開。
えーっと……
冷静になりましょう。
『死』は、無条件に、嫌よね。
じゃあ決まり、わたし深津夏海は、『その三』を支持します。とにかく『生』の喜びを噛みしめましょう!! ということで、思い切って目の前の秋葉範治にそっくりな男性を、いったん受け入れることにします。
「きゃあ! 範治ぃ! 範治なのよね!? ずっと、会いたかったわ、わたし!!!!」
わたしは、死んだ夫にそっくりの赤の他人に向かって、水面を走る
彼は、
ああ、ジャストフィット……
そしてなぜか甘い香りがする……
懐かしい収まり具合……
これまたなぜかベトっとする……
でもすぐに突き放された。
「おおおーっと!? なんだ君、何を言っているんだ? 元気そうで安心はしたが、アキバハンジってのは誰だ? 俺はそんなやつ知らないぞ? 君、何か、勘違いしているみたいだな。体は元気そうだが、頭を強く打って、おかしくなってしまったのか!?」
彼は、激しく動揺する。
そりゃそうよね。
わたしの予想は的中。
飛行機事故を生き残った。
目の前にいるのは、範治じゃない。
でも待って、なんだか彼のこと早速……
好きになっちゃいそう!
いやいや、まさかわたしったら一目惚れ?
落ち着きましょう。
色んなことが起こったから、精神が不安定なのよ。
そんな時に、あまりに大きな判断を下すべきじゃない。
この状況、
奇跡の生還に、おまけとして、大好きな人のそっくりさんがついてきたの。
こんな絶海の孤島で生き延びるには、とんでもなく大きな心の支えになる……
あ、ここが見知らぬ土地ってことを忘れていたわ。
しかもきっと、こんな
え、これから、無人島サバイバル!?!?
「えーっと、君? 大丈夫? 俺の声が聞こえるかい? もしもーし! ああ、これは心ここにあらずってやつだ」
彼はそう尋ねながら、わたしの目の前で、激しく手を振っている。
ああ、早く反応しなきゃ。
「あ! ごめんなさい! 本当に本当に、ごめんなさい! 信じてもらえないだろうけど、あなたが、死んだ夫にそっくりで。こんな事故の後だから、余計に混乱しちゃって、嫌な気持ちにさせてしまっていたら、ごめんなさい!!」
うん、とにかく謝罪謝罪。
「なるほど、そういう事情があったのか。これが君にかける言葉として正しいかどうかはわからないが……お悔やみを申し上げます」
「お気遣い、どうも。そうだ、まだ名乗ってなかったわね。わたしは
「夏海さんね、素敵な名前だ」
「ありがとう、今の状況にピッタリかも。えっと、あなたは?」
「ハイジャン・アクバーだ。コメット合衆国の生まれだ。よろしく」
「ハイジャン、こちらこそよろしくね」
わたしとハイジャンは、握手した。
「そうだ、さっき夏海さんが僕に抱きついてきた時、
なんだ、ジュースか。どうりで甘い香りがしたわけだわ。ひとまず、ハイジャンの血とか、誰かの返り血じゃなくてよかったわ。ただ、わたしがあなたに抱きついた事実を早速掘り返されるのは恥ずかしいわね。
「いいえ、全然。こんな絶海の孤島で極限状態なのに、そんなのいちいち気にしていられないわ」
「そうか、ありがとう。で、俺たちはこんな最果ての南の島に漂着したわけだが、まずは状況を整理する必要があるな」
「状況を整理……えーっと、飛行機がオモシュガフロ市を発って、マクスキまでの航路を半分くらい進んだところで墜落したはずよね。だからおそらくここは、ほとんど赤道直下の大洋のどこかよね。どうりでこんなに、綺麗なエメラルドグリーンの海に囲まれていて……暑いわけよ」
混乱のせいで、たった今気づいたのは……ここはかなり日射しが強いということ。白い服でよかったけど、ハイジャンには、わたしが
「そうだね。時刻は……あ、腕時計、無くしたみたいだ。ここに流れ着くまでに外れてしまったのかな。でも、墜落の前に時計を確認した時は、一時四十分ごろだったと思う」
「そっか、それならしばらく暑さは続きそうね」
「うん。で、今は二時ごろかな。太陽は……南中高度よりやや西寄り。太陽とこの島との位置関係からして、島は、俺たち二人の現在地から、南西方向に広がっていることになるな」
へぇ、ハイジャンは、小難しいことを言うわね。そういうところも範治にそっくりかも。でもとにかく、なんだか頼りになりそう!
「ハイジャン、あなたさては……賢いわね?」
「んー。考えるのと、調べ物をするのは、得意かもしれないな」
やっぱり。この人となら生き延びられそう!
「じゃあこんな質問は? 昔から気になりつつもそのままだったんだけど、南の島の海って、どうしてこんなふうに、綺麗なエメラルドグリーンをしているの?」
こんなの聞いたら、好奇心旺盛なお子様っぽく見えるかな?
「まず大前提として、海が一面エメラルドグリーンだということは、水深は浅い」
おおっ、ハイジャン教授の講義が始まった?
「はい先生、どうして水深が浅いとエメラルドグリーンになるの?」
「太陽光が透明な水面に当たると、底に向かって進んでいくよな。人の目に見える光はそもそも、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色とするのが一般的、まぁ、地域や宗教によって変わるが。だが、これらが、赤系の光から順に、水分子に吸収されていくんだ。海を見たら、その色は青か黒、ということが多いかもしれない。しかしそれは、海が深く、底までの距離が遠くて、赤から緑にかけての光が吸収されてしまっているからだ。一方で、ここみたいに浅い海もある。浅いと、赤い光はいずれにせよ数ミリメートル、数センチメートルのわずかな水深で吸収されてしまうが、黄色や緑の光は残っているってわけだ。まぁ他にも、海底の砂が混じり気のない白色なのも、理由の一つだったりするがな」
おおー! そういうことだったのか。よくわかりました。
「ハイジャンは、どうしてそんなに物知りなの? もしかして、天才? あの人も、そうだったわ。いつもわたしの知らないことを教えてくれるの。あ、ちなみに亡くなった夫の名前は
「そっか。ハンジさんに面目が立つように、いい働きをしないとだな。実は、俺は仕事の関係もあって、サバイバル術にそこそこ長けている。だから、きっと夏海さんの力になれると思う」
仕事の関係でサバイバル術に長けているですって? どんな仕事かしら、気になるわね。というか、今の言葉、ハイジャンはわたしを守ってくれるということよね? 範治に負けず劣らず、かっこいいじゃない。ああ、ますます惚れちゃいそう……って、いけないわ、わたし。あくまで、この範治そっくりの姿をただ見て、目の保養にさせていただくだけよ。あ、そうだ、わたし喉が渇いてるんだった。
「それは頼もしいわね。で、早速一つお願いがあるわ」
「ほう、というと?」
ものを頼む時は、ストレートに。
「水が飲みたいです!」
よし、言えた。
返事は、どうかしら。
「水、ね……。確かに、俺も喉が渇いたよ。でも残念ながら、今すぐに飲み水を得るのは難しそうだ。もし飛行機の残骸が見つかれば、何か飲めるものが残っているかもしれないが、一旦その可能性に頼らない方向でいくしかなさそうかなぁ」
そうよね。いくらハイジャンが賢くても、今すぐに水を出すことは叶わないか。じゃあ……
「あ、ここは南の島よね? それならヤシの実があるんじゃないかしら? どう、いい着眼点だと思わない?」
「おお。確かに、夏海さんの言う通りかもしれない」
「でしょ? あー、ココナツなんて大して好きじゃないけど、今はとっても恋しいわ……あ、気になったんだけど、ココナツとヤシの実ってどう違うの?」
「ココナツはヤシ科の植物の一種で、ココヤシと呼んだりもする。つまりは、ヤシの方が意味が広い」
「へぇ、そうだったの。謎が一つ解けたわ」
ハイジャンの知識量には感心するけど、謎は解けても、肝心の喉の渇きは解消しない……なんてね。
「それと、できれば蒸留装置は作りたいな。だから、これから島を散策するのと並行して、装置の材料探しも忘れてはいけない」
「蒸留装置! 具体的には、どんなものが必要なの?」
「火で熱しても変形しない器。できれば大中小三種類の、金属か耐熱ガラスのもの。それらの中でも、中くらいのサイズの器は、底が丸くなっているとなお良い」
「了解しました! なら、とにかく容器のようなものを見つけたら、すぐに拾うようにするわ。あと、ココヤシの実もね。それと……蒸留ってことは、お湯を沸かすわよね? 火はどうするの?」
「心配無用。これを使うのさ」
ハイジャンはそう言って、棒状の何かをポケットから取り出した。それは……電子タバコよね? へぇ、喫煙者なんだ。文句を言うわけじゃないけど、範治は吸わなかったのよねー。
「電子タバコ? でもそれで火を起こせるわけ?」
「ああ。ちょっといじってやればね。コイルの巻数を少なくして、内径も小さくして
何それ、物騒じゃないの。
「えっ、爆発!? そんなことして大丈夫なの? 怪我しない?」
「まぁ、ちょっと離れていたら大丈夫さ」
「そ、そう。ま、火起こしする時がきたら、あなたに任せるわ。わたしはどこか遠くで見守るからね」
「もちろんそのつもりだよ。というかそろそろ……海から上がろう。ずっと海辺でずぶ濡れなのもなんだから、向こうの草木が茂っている方に行こう。木陰もあるし」
あ……ごもっともだわ。
「お互い、変に集中しちゃってたわね。体にまとわりついた海藻も剥がさないとだし」
わたしとハイジャンは急に無言になって、海藻をポイと捨て海へ戻し、澄み渡る海水をジャブジャブと蹴りながら、木陰に向かった。陰に入ると、ほんのりと気まずさも感じつつ、ぼーっとしながら、しばし涼んだ。
「さてと、ひと休みしたことだし、これからは物資調達、ってところかしら」
わたしはそう切り出しつつも、本音を言えば、もうここから動きたくない。でも、生き延びるためにはその必要がある。
「だね。特に水は一刻も早く手に入れないといけない。そこで、一人のリスクというのももちろんあるが……二手に別れようか。今は多少の危険を犯してでも、効率重視だ」
え、嘘。別行動になっちゃうわけ?? やだ。怖い。寂しい。
「サバイバルのプロがそう言うなら……そうするしかなさそうね」
「反対されるかと思ったけど、すんなり理解してもらえてよかった。探索地域の分担なんだけど、西方面は砂浜が続いている。草木は生えていなくはないが、いずれにせよ全体的に背丈が低くて、日射しを遮るものがないから、体力の消耗は激しそうだな。東方面は波打ち際スレスレまで森が続いている。高い木が多いから、いくらか涼しいだろう。ただ、ひょっとすると得体の知れない動物がいるかも知れないなぁ。危険度は未知数、としか言いようがないな。夏海さんは、どっちがいい?」
二択と来たか。わたしは早くヤシの実を拝みたいので……
「あ、東の森がいいです」
「わかった。なら僕が西の砂浜。念の為、目印としてここに木の棒を立てておこうか。この辺りは、似た景色が続いているからね」
ハイジャンったら、抜かりないわね。サバイバルに長けているって言うのは、どうやら本当に本当みたい。
「はい、了解です隊長! あと、蒸留装置に使う容器がないか、目を光らせながら探索いたします!!」
頼りになる彼を、隊長と呼んでみた。
「あはは。隊長かぁ。その呼び名も、悪くはないな。まぁ、装置の材料は無理ない範囲で頼むよ。ココヤシの実があるなら、そっちを優先してくれ」
「承知いたしました!! そうそう、時間はどうする? 時計はないけど……」
「時計? ここにあるじゃないか」
ここにある? あれ、さっき時計は無くしたって言っていたはず。
「え、どこ? どこ?」
「この砂浜と、木の棒とで、時計さ」
ハイジャンは、砂浜に突き刺された棒をコツン、と叩いて示した。
なるほど、そういうことね。
「日時計かぁ。木の棒の役割は、他にもあったわけね」
「そう。この木の棒の影がちょうどこの辺り、東北東方向に伸びた頃に、ここに戻ってくることにしよう」
「えーっとそれはつまり……」
「要は、太陽が西、あっちの方の水平線に沈む頃」
ハイジャンは、わたしと視線が等しくなるように、極限まで身を寄せて、太陽が沈むであろうところを指さしてくれた。近いってば。どきどき。
「もう! 最初からそう言ってよぉ。わたしはそんなに賢くないの」
「あはは、ごめんごめん。回りくどかったね」
ハイジャンは、なんだか楽しそう。
もしかして……わたしのこと、からかってる?
なに、気があるの?
いやいやいやいや!
わたしのあほ!
ばか!
今は生き延びることを優先するのよ!!
早くココヤシの実を探しに行かないと、頭の血が沸騰しちゃいそう!
「じゃ、行ってきます!!」
わたしは、逃げるように、東へ走り出した。
だって、恥ずかしいんだもの。
▲▲←ココナッ!
______△△______
逃げ出してから、三十分ほど経ったと思う。
今わたしは、島の内側へ向かってずんずん進んでいる。ちなみに『島の内側へ向かって』というのは、半分、わたしの意思によるものではない。細い、緑の一本道がずーっと、続いているのを見つけたのよね。この不思議な道ができた理由については深く考えず、何かに導かれるようにして、そこを辿っているというわけ。わたしが踏み締めている、ふかふかとした、少し青臭い草たち。それは、おそらくクローバー。ん、シロツメクサと呼んだ方が正しいのかしら? まぁいいや、それはあとで天才ハイジャンに確認しましょう。とにかく今、森の中を、クローバーの道に沿って歩いている。そしてクローバーたちはなんと……
全て四つ葉なのよ!!
こんなことが起こるのは、天文学的な確率よ。何かとんでもない幸運が舞い込んできそうな予感だわ。
いや、待って。
早速、前言撤回します。
さっきから何かの視線を感じていたの。
それにわたしの足音ではない何かの擦れる音もしている。
ぐるっと周囲を見渡してもわたしの膝よりも上の高さに生き物の姿は確認できない。
でも気配はとんでもなく大きいの。
それにとっても長いやつな気がする!!
あっ!
背後でガサゴソと聞こえた。
わたしは振り返る。
誰もいない。
向き直る。
「ぎゃぁあああああああ!!!!」
でかい!
にょろにょろと長く太い、茶色っぽいやつ。
ぐりんぐりんとクローバーの上でうねっている。
先端から、ぴょろりと細い二股の赤いの。
こいつは……
大蛇だ!!
でもわたしは引き返しません! せっかく四つ葉のクローバーに導かれてここまで来たんだもの。突破して見せるわ!!
わたしはドリブルするサッカー選手のように、右、左、右、左、とジグザグステップで大蛇に向かって突き進む。さぁ、わたしはあなたの左側か右側、どちらを選ぶでしょうか? ほらほら考えてみなさいその小さな頭で! さっきはハイジャンにちょっと馬鹿にされたけれど、爬虫類のあなたよりは賢いわよ? ってあれ? この大蛇、動かないわね。どうしてもこの先に行かせてくれないのかしら。もしやそっちに、大事な巣穴でもあるわけ? だとしても関係ないわ。島はみんなのものよ、自由に探索させてもらうんだから!
現在の大蛇までの距離、わたしがハイジャンと一緒にいてなんとかドキドキしないでいられるギリギリの距離感とニアリーイコール。大蛇はわたしの動きに翻弄されているのか、いまだにピクリとも動かない。じゃあ……そろそろ結果発表よ。
右か?
左か?
……。
甘いわね!
上よ!
わたしは緑の上で両足をグッと踏み込み体を弾ませ、大蛇の頭上を大ジャンプした。
着地。
このまま突き放す!
依然わたしの進むルートは、
四つ葉のクローバーの上。
青臭い道がもっと青臭くなるように、
たくさん踏んづけちゃうんだから!!
全速前進よ!!
首から下がる十字架が揺れる。
木漏れ日がそれを照らす。
十字架に
わたしはエメラルドの
そろそろ、
大蛇を
背後が気になる。
爬虫類特有の、
ざらついた硬い鱗と、
草とが、
擦れる音は、
もう聞こえない!
でも万一に備えましょう。
後ろを振り向いて失速するといけない。
体力が尽きるまで走り抜けるわ!
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
って、あれ……!?!?
わたしは、
想像だにしなかった光景を前に、
息を切らすことも忘れて、
ぴたり立ち止まる。
何これッ!?
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!」
▲▲←ココナッ!
______△△______
ふぅ。
まだこれといった物資は調達できていないのに、疲れてしまった。わたしは、さっき見たものを、一旦、記憶から消すことにした。あーんなとんでもないものを見たのは、しばらくはハイジャンにも内緒。ちなみに大蛇のことはちゃんと覚えている。一つ、確実に言えるのは、わたしはこの無人島生活が何倍にも楽しくなるような発見をした、ということ。
さて、この四つ葉のクローバーの道。さっきは島の内部へ向かって続いていたのが、今度は再び海側へ
わたしは大蛇から逃げる時ほどではないものの、そこそこの速さの走りで海へ向かった。
わたしの踏む地面が、青い草から白い砂に切り替わったところで、立ち止まる。
「あぁぁぁぁあああああああああっ!!!!!!」
こんなところに発見!
飛行機の、残骸!!
でも、ごく一部。
食べ残された魚の尻尾みたく、尾翼のついた胴体後部。
飛行機の後ろの方って確か……
貨物室じゃなかったかしら!?
わたしは、浅瀬に突き刺さる飛行機の残骸に駆け寄る。
「やっぱり、貨物室! ああ、なんて運がいいのかしら。きっと目ぼしい品々がどっさりよ!」
わたしは、機体の中へと、切断部に触れて怪我しないように、そっと忍び込む。
おーっ! 色々あるわね。これは……大きめのペットボトルね。青いラベルに……中身は、ほとんど真っ黒。何かしら。ふむふむ……ダイエット・コークね! ダイエット・コークといえば、人工甘味料のアセスルファムカリウムやスクラロースが入っているものが多いけれど、この商品の場合は……ああ、やっぱり入ってる。わたし、これ苦手なのよね、変な味がするし。でも……貴重な水分になるんだから、今は仕方ない。干からびて死ぬよりはマシ! 我慢よわたし、我慢! っというか待って!? このダイエット・コーク、箱ごとあるじゃない! それも、いち、にい、さん、よん、ごお、ろく……数え切れない! 大量にあるわ! ざっと百本はあるわね。いや、そんなもんじゃ済まないかも。とにかく大量! そうだ、一本開けちゃおうっと。久しぶりの水分、いただきます! ごく、ごく、ごく、ごくり。ああ、生き返るわ。ただ、後味悪っ! で、こっちのは……カップラーメン! これでエネルギー補給も心配ないわ! あとは、ハイジャンとの集合地点に持って帰るには、何か入れ物が欲しいところ。ん、これは? あ、ビニール袋! しかも束で! これに入れて帰りましょう。どうでもいいけど、ビニール袋を
もし他に生存者がいれば、その人たちの近くにはこの物資がないということ、よね。無駄遣いはせず、ありがたく使わせてもらいましょう。
わたしはしっかりと、そう自分に言い聞かせる。
そうだ、明日また来るでしょうから、場所もしっかり覚えておかなきゃ。えーっと、わたしが今いるのは、方角的には、最初に目を覚ました場所からかなり北東に離れているわよね。かなり走ったし、距離も、かなりあるわよね。わたしの今日のルートは、だいぶ
▲▲←ココナッ!
______△△______
赤紫色の空。
日はほとんど沈んだ。もはや機能しなくなった、日時計の中心の木の棒。その周囲に、細い木が丁寧に
「はい、じゃーん!! どう? わたしの調達した物資たちは! ダイエット・コークに、ラーメン! あ、ココヤシが無いのについては、文句無しでお願いします」
わたしは、パンパンに詰まったビニール袋をハイジャンに見せびらかして、自信満々に言った。
「夏海さん、やるなぁ。これだけ水分が確保できたなら、蒸留装置を作るのは、そこまで急がなくても良さそうだな。それに、ペットボトルがあるなら、中に水を入れて虫眼鏡代わりにできる。火起こしも楽になりそうだ」
「えっへん! わたし、大活躍したみたいね」
とはいえ、ハイジャンの知恵も借りないと、調達した品々を最大限に活かせていないだろうな、とは思う。
「というか、こんな人工物にありつけたということは、確実に、行方不明の機体の残骸でも見つけた、よね?」
ハイジャンは、至極当然の指摘をする。
「うん、もちろんそうよ。貨物室の残骸を発見したの。ダイエット・コークは百本以上あるのを確認したわ。でもカップラーメンはこの三つだけ」
「貨物室か、細部を探れば他にも色々出てきそうだな。いやぁ、本当に素晴らしい働きだ。一方で俺の方は……」
ハイジャンは、目立った荷物を持っていない。
「あー、ひょっとして、成果なしだった?」
煽り口調のわたし。
ハイジャンが、ポケットを探りだす。
「うん、ほとんどね。西の方では、自分が飲む水分くらいしか見つけられなかった。ほらこれ、ココヤシ」
おっ、あるにはあるじゃない! それも、ココヤシ! でもたった二つと、一つは空っぽの殻ね。それからサイズも……
「やけに小さいわね、このココヤシ。もっと大きいものかと思っていたわ」
「その点なんだが、もちろん本当はもっと大きい実がたくさんなるはず。でも、大きい実は全部もぎ取られていたよ。きっと、サルかチンパンジーか、知能の高い生き物がいるんだと思う」
「あるいは、私たちの
「あ、ああ、その可能性もある、な」
ん? 今のハイジャンの反応、何だか妙な引っ掛かりを感じたわ。気のせいかしら?
「それよりあれだ、夏海さん、他に見つけたものは何かあった? 例えば、この島の地形のこととか」
話を
「そうねぇ、森には、クローバーがたくさん生えていたわ。それも驚いたことに、全部四つ葉なのよ!」
「クローバー? それならきっと、この島の土地はかなり
ほぅ、それはいいことなんだろうけど……少々話の飛躍が過ぎるわね。
「ハイジャンごめんなさい、それはどういう論理?」
「クローバーは豆科。豆科の植物は、窒素固定をすることができる。誤解を恐れずに雑に言えば、人間が肥料を与えなくても、自前で用意できてしまうんだ。
「へぇ、そうなの。クローバーってすごいのね。三つ葉の中に、稀に四つ葉があるってところにばかり注目しちゃっていたわ。ハイジャンの知識量には本当、感心しちゃうわ」
「こんなの、大したことはないよ。知識がいくらあっても、お腹は満たせないし、渇きも癒せないことだし。夏海さんが水分と食料を確保してくれて、本当に、助かった。言ってしまえば、
えーっと、今わたし、ハイジャンに、『夏海』って、呼び捨てにされた!? 言い間違い? 聞き間違い? いや、嬉しいけど。わざとだとしたら、急に距離、縮めすぎじゃないかしら? それに、借りが
「ハイジャン、それなら
うわ!! 言っちゃった!! やっば!!
「夏海…………………………さん?」
くそう! 惜しい! もう少しで呼び捨て成功だったのに!
「ねぇわたし、ハイジャン、あなたのことが好き。あなたが、亡くなったわたしの夫、
さぁどう来るハイジャン。わたしは、無人島の極限テンションで頭のイカれた女だと思われたって構わないわ。
「……夏海さん、そう言ってもらえて嬉しいんだけど、一応聞いておきたい。秋葉範治さんについてのことをね。俺のそっくりさん、いや、俺が秋葉範治さんのそっくりさん、と言うべきかもしれないが、とにかく、こんな言い方はすごく失礼かもしれないし、夏海さんを傷つけてしまうかもしれないんだが……。ああ、歯切れが悪いな。よし、思い切って聞くよ。夏海さんは、亡くなった範治さんとそっくりな俺に、どう考えても、秋葉範治という人間を重ねている。夏海さんは、まだ範治さんが生きているのだと、また会えるのだと、その可能性を捨てきれていないんじゃないかな? そんなふうに見えるくらいの、執着ぶりだ。だから、できる範囲でいいんだけど、範治さんの最期について、聞かせてくれないか? 実は俺は、精神分析も得意でね、何か助けになれるかもしれない」
あー、やっぱり、わたし、頭イカれたと思われちゃってる? でもいいのよ、こうなったらざっくばらんに、なんでも話しちゃうんだから!
「わかったわ。話してあげる。範治はね、あの日、列車に乗っていたの。そんぞそこらの都市部にあるような普通の電車じゃなくて、田舎を走る大陸横断鉄道よ。その日も例に漏れず、列車は、人っ子一人住んでいないような山中を進んでいたそうだわ。そして起こってしまったの。大事故が。脱線事故と聞いているわ。その後、大爆発。何もない山中を走るわけで、架線からパンタグラフで集電して走るんじゃないから、たぶん燃料をたんまり積んでいたんでしょうね。引火しちゃったんだわ、きっと。遠方ということもあって消火活動は遅れて、列車は丸焦げ。線路も、周囲一体も丸焦げ。事故現場の写真を見せてもらったけど、原因究明もままならないほどの酷い有様だったわ。死傷者多数。行方不明者も数人。夫は、秋葉範治は、行方不明者として処理されたわ。言ってしまえば、火が骨をも焼き尽くしたってことよね。遺体が見つからないなら、行方不明として扱うしかない。理屈はわかるわ。でも……でも……そんなの、あんまりだわ…………」
わたしの目は渇いている。流す涙はもう枯れたのよ。全部話したわ。ここまでしっかり話したのは、ハイジャンが初めて。話したからって、すっきりするわけでもないんだけどね。
「そうか、辛いな、それは。夏海さんが一つ、いや見方によっては二つ、告白してくれたから、今度は俺も、俺自身の大きな事実を話そう」
ハイジャンの大きな事実? 気になるけど、何? どうしたの? 急に。
「別に何か見返りが欲しくて、こんなこと言ったわけじゃないのよ? ハイジャンは、無理に話さなくてもいいからね?」
「それは承知しているよ。これは、俺が話したくて話すことだから、夏海さんは、気にしないで、とにかく聞いてくれ」
そう。そこまで言うのなら、おとなしく聞くわ。
「え、ええ。わかったわ」
とは言いつつ、なんだか緊張するわね。
さて、ハイジャン・アクバー。あなたは何を話してくれるの?
「俺は、ディエット航空六四一〇便をハイジャックした。そして、操縦室を乗っ取り、俺が、意図的に、墜落させた。実は、とあるメシアンマフィアが、秘密裏に兵器級プルトニウム、つまり核爆弾の燃料を、他でもない六四一〇便で輸送中だったんだ。俺はその報告を受け、燃料を機体ごと海に沈めるという命令を受けた。俺の正体は……コメット合衆国のレエム捜査官、ハイジャン・アクバーだ。どうだ、驚いただろう? この事実を知ったからにはもう、俺を亡き夫、秋葉範治さんの生き写しとしては、見ることはできないはずだ」
そうだったのね。わたしの知らないところで。乗客全員が知らないところで、そんな大事件が起きていただなんて、知らなかったわ。でも……
「それでもわたしは、ハイジャン、あなたを受け入れるわ」
「えっと、だからそれは、俺が亡くなった夫に似ているからで——」
「確かにその影響はゼロではないわ。でも、わたしにはわかるの。あなたは、根っからの悪人ではないでしょう? 現に、わたしには一つも危害を加えていない。無人島サバイバルを共に生き延びるために、わたしを引っ張ってくれている」
「でも飛行機を墜落させた! 残骸もその目で確認したんだろう? 少なくとも犠牲者が……誰かが死んでい——」
「そうかもしれない、でも今はとにかく協力でしょう? そうだ、その兵器級
「違うってば! 俺はそんな嘘はつかないさ!」
「本当かしら? ハイジャンあなたはとっても賢いみたいだから、わたしを騙すくらいは
うんそう。きっとそう。何か隠しているに違いない。
「夏海さん! 違うんだ! ただ僕はこの無人島での生活を少しでも良くしたい。苦しさの中にも、安らぎを見出せたらと思っている!」
「もういいわ。わたし、今日は心も体も疲れたから、早く寝たい気分。おやすみ!!」
うん、そうしてやるわ。
「ちょっと、待って、夏海さん!」
「それと一つお願いがあるわ。寝込みを襲わないでよね? 仮にも会って一日の他人で、しかも異性よ?」
「……そうかい、わかったよ」
わたしはハイジャンを突き放して、距離を取る。そうだ、こっちには寝床にピッタリな段ボールがあるけど、分けてあげ…………るわよ。さっき貨物室で見つけたのを取っておいたのよね。わたしは、ちょうど
▲▲←ココナッ!
______△△______
朝。
わたしは、ハイジャンが寝ているであろう木陰に、そーっと忍び寄る。ハイジャンはわたしのあげた段ボールの敷布団の上で、仰向けになって目を閉じている。寝ているのだろうか。
「夏海さん。そこにいるの、わかってるぞ?」
うわ、バレてるし。
目、どこについてるのよ。
どこかに三つ目の目があったりして?
「ちぇーっ」
わたし、子供みたいだな。
「昨晩、どこに行ってた? あんな夜中に、コソコソと」
げっ、バレてる!
レエム捜査官ってのは、すごいのね。
「まぁ、ちょっとね」
「なんだ、教えてくれないのか」
「うん、だめです」
「そうかい、わかったよ」
この無人島生活、そんなに悪くないかも。
〈第四話に続く〉
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