第二話『胸騒ぎ』
俺は今、チョコバーほどのサイズの金属塊を、強く、固く、握りしめている。その先端から伸びる、頼りないほどに細いケーブルは、途中で二股に枝分かれして俺の両耳へと繋がっているが、今すぐ引き剥がして投げ捨ててやりたいというのが正直なところだ。この
旅客機をハイジャック
最終指令とはこのことだ。
俺の乗る、メシア連邦はオモシュガフロ市発、マクスキ経由、ナナロク共和国行き、ディエット航空六四一〇便は、誰にも邪魔されない、この最果ての南の海に、沈められる運命にあるのだ。
この機の乗客、機長、副操縦士、客室乗務員たちの中には、これから起こることを知る者は誰一人としていないはずだし、敢えて前もって知らせる義理もない。死ぬのなら、ひと思いに、一瞬のうちに済ませる方が良いに違いない。
よし、俺は心を決めたぞ。
乗客を巻き込む以上、英雄、にはどう考えてもなれないだろうが、とにかく、メシアンマフィアの
まずは俺の外見の問題を解消しなければならない。ハイジャックするのなら、格好もそれっぽくしないと、相手にされないだろう。目の前の、席に備え付けのテレビの画面を鏡がわりにしてみる……というかこのテレビ、ブラウン管だよな? 今の時代に液晶でも有機ELでもないテレビが座席の背に埋め込まれているだなんて、俺は
通路の左手、トイレの扉を開ける。ちらと振り向き、演じていない本当の俺がいた世界を見納める。そして狭い個室に身を収める。ひどく白く磨かれた
目の前は、記憶通り、カーテンの向こうにキッチン。ちょうど、誰もいない。堂々と侵入する。とりあえず、冷蔵庫を開ける。これは人類の悪い癖だ。最下段の引き出しを開ける。左から順に、何かの作り置きだろうか、意味不明の紋様の入った
じゃあ、行くぞ。
いや、待て。
一応、設定を考えよう。
俺は、ディエット航空の副操縦士という設定。
無理に機長レベルを装うのは、ボロが出そうで怖い。
そうだな、そうしよう。
俺は、ハイジャン・アクバー、副操縦士兼ハイジャック犯。
準備物を最終確認。
右手の袖には、電子タバコの本体を改造して作った脱法チャッカマンを忍ばせる、これは
左手のひらには、愛しのシグマの時計が埋め込まれたお手製時限爆弾、こっちは
正直、ちょっと重い、気がする。
左手のこいつはかなり目立つ。
だから背中側に回して、前からは見えないように。
なぜか鍵のかかっていない扉をそっと開け、
大ぶりの座席に座る、二人の操縦士の後ろ姿。
左が機長。
右が副操縦士。
あとは計器の類がたくさん。
ここが、俺の墓場、か。
第一声は、気の赴くままに、いこう。
アクション!
「へぇ、同じ操縦席でも、こんなに違うんですねぇ」
俺自身も、どの操縦席と比べているのかさっぱりわからないが、いかにも、それっぽい台詞じゃないだろうか?
「ん、誰だ?」
機長が振り向く。
副操縦士もやや遅れて振り向く。
よし、設定通りいくぞ。
「やだなぁ、聞いてませんか? 私は正真正銘、ディエット航空のパイロットですよ? ハイジャン・アクバーといいます。明日、マクスキ空港から
ズボンの後ろポケットから、
「大人しくしてもらおうか」
と言って、お手製の時限爆弾を見せる。
多分タイマーの残り時間は三分半ほどだが、ぞれがゼロになる前にケリをつけなければならない。
どうだ、機長さんたち、驚いたか?
「そ、それは! どどどどう見ても、ベイハイ産のダイナマイトスイカじゃあないか! このあと俺のデザートになる予定だったんだ!」
と、機長が怒り気味に言う。
うわ、予想外。
俺の渾身の一作が、偽物だとバレるだなんて!
しかも、スイカを楽しみにしていたなどという、なんとも食いしん坊な理由で、バレてしまったのは、かなり屈辱的だ。
だが、後には引けない。
こうなったら、強硬手段だ。
隠し持っていた液体洗剤の容器を逆さまにして、先端の注ぎ口に液体を溜める。
そして容器を振り上げ、機長、副操縦士の順で、顔のど真ん中目がけて、一気に液体を押し出す!
「ぐわっ、何をするっ! 何も見えない!!」
「めっ、目がぁああ!!」
うん、なかなか効いているぞ。
次に、目にも止まらぬ速さで、二人の口に、強力なダクトテープを貼る。これでもう、声をあげられまい。
そして、爆弾の導火線にもなっている、チャーシューのヒモ。かなり余ったので、これを使って、左側の座席の操縦
ちなみにここまで、左手のひらのお手製時限爆弾は、ボンドか何かで接着されているかのように、ピクリとも動いていない。
「フハハハ! これで貴様らは、ディエット航空六四一〇便と一心同体、パイロット冥利に尽きるだろう?」
とっても、悪役だ。
えっーと、ノリノリ過ぎる、だろうか?
まぁ、どうせあと二、三分の命だ、楽しませてもらおう。
目の前で二人の大人が、目も開けられないまま、芋虫のようにモゾモゾともがくが、拘束を抜け出すことはできない。
で、ここからは、スラスラと
彼らに、こう言い放つのだ。
「俺はコメット合衆国政府公認の諜報機関『レエム』の捜査官、ハイジャン・アクバーだ。メシア連邦を裏で牛耳る『メシアンマフィア』の監視を主な任務としているが……残念なことにこの飛行機は、メシアンマフィアがメシア連邦の同盟国であるナナロク共和国に向けて兵器級プルトニウム、つまりは核燃料を輸送するのに、利用されていると判明した。だから、飛行機が、誰も核燃料を回収しに来れない絶海の上を飛んでいるうちに、早いところ沈めてしまおうと言うわけだ。いやぁ、お前たちも、運が悪かったな。すまないが、俺の計画に付き合ってくれ」
うん、なかなかの出来だ。
それで、客室にも、伝えないとだな。
マイクを拝借。
「えー、マイクテス、マイクテス。新人機長より、ご搭乗の皆様にご案内申し上げます。ディエット航空六四一〇便は、ざっくばらんに申し上げますと……ハイジャックされました。ハイジャック犯の目的は……敢えてお伝えしません。そんなことを、皆様が知ろうと知るまいと、どうせ海の
今のも、結構良かったんじゃあないか。
ふと思ったのだが、世の中の凶悪犯たちは、こんなふうに
ああ、また残り少ない命を、しょうもない考えを巡らすのに費やしてしまった。
そろそろこの世とお別れだ。
俺は、操縦桿を、雑に蹴って、機体を傾ける。
体勢を崩し、壁にもたれかかる。
これで、世界は……
平和になるのだ。
……。
……。
いや。
待てよ。
今俺がもたれかかっている壁に埋め込まれている無色透明のランプ……
マイクのスイッチのランプ、だよな?
点灯して、いない。
さっきの声、客室側に、流れていなかったのか!?
くそ……死ぬ直前に、とんだ恥をかいた。
だが恥など気にしている場合ではない。
傾きを増し、急降下し始める機体。
警報音がウォンウォン鳴り出す。
爆弾スイカが俺の手を離れ、硬い壁に打ち付けられる。
爆散。
赤い果肉と果汁が、グロテスクに溢れ出る。当然、スイカの最寄りの人間である、俺の方にも飛んでくる。くそっ! 全身スイカまみれだ。これじゃあ返り血を浴びたみたいじゃないか。それに、そう見えないとしても、ベトベトで不快だ。いや待て、ベトベトなのがどうしたって言うんだ。俺は、十中八九死ぬんだ。何か捕まるものは……あった! ここに
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
〈第三話に続く〉
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