祝祭二十一日目の王子様。やることができた。

 祝祭二十一日目の真夜中、監視役の二人ディオンとラナンシーは廊下に出ていて、私はベッドに入り丁度就寝するところだった。そこへ、思わぬ訪問者があった。


 一緒にベッドで就寝しようとしていたリーバの毛に隠れた小さなお耳が、ピクリと動いた。途端、──ガタン!


 テラスの方から何か、物音がした。


 ちなみにリーバは声を聞かなくても、誰がきたかは事前に匂いでわかる。鋭い嗅覚の持ち主だ。


 そのリーバがテラスを一心に見てはいるものの、唸り声を上げないということは、おそらく脅威はない。


「誰だ?」


 扉の外にいる監視の二人に聞こえないくらいの小さな声で、尋ねる。


 返事はなく。私はあえなく、ベッドから抜け出した。少し足はフラつくけれど、昨日よりは全然いい。


 テラスに近づくにつれて、人影が見えてきた。


 掃き出し窓の前までいって、私は音の主と対面する。


「王子様?」


 夜の星明かりに照らされた、淡く軽やかな色合いのエアリーブルーの青髪よりも深い紫紺しこんの瞳。美しく幻想的な少年の姿に、思わずみとれてしまう。


「いったいどうやって登って……まあそれはいいとして、どうされたのですか? 一体ここで何をなさっていらっしゃるのです?」


 急いで掃き出し窓を開ける。といっても扉の向こうにいるディオンとラナンシーに気づかれないよう、音を立てず、細心の注意を払う。


 そうしてようやく窓越しではなく、直に顔を突き合わせると、オルウェンが朗らかに答えた。


「ゼトス様に会いに来たのです」

「私に?」

「はい。今回の件で後ほど正式な使者が来る予定ですが。その前に、私個人としての感謝の気持ちを伝えに来ました。ですが、先に使者を派遣したところ、ゼトス様は体調がすぐれないため当面お会いすることはできないと伺っておりましたので、少し強行手段を取らせていただきました」

「会えないと、そう言ったのはオウリですね?」

「はい、ですが実際こうして会えなかったときは、すぐに引き返す予定でした」


 テラスを登ってくる王子など聞いたことがない。思わずクスッと笑ってしまう。


「昨日よりは体調もだいぶよくなりましたし、こうして話をするくらいなら本当に全然大丈夫なのですよ」

「それは安心しました。大ダコに精霊力を食われたとお聞きしていたので……」

「時間がたてば普通の傷と同じように回復します。ご安心ください」


 オウリは私の診療をしてくれている。相当に心配性で、昔からちょっとの傷でも重症患者扱いされたものだ。ようは過保護なのである。医者だけに。


 でもオウリはオウル同様私のことをとてもよく気にかけてくれているし、大切にしてくれるのを、私は知っている。


 それに今回は相当心配もさせていたから、暫く言うことを聞いて大人しくしていようかと思っていただけに、こうしてオルウェンから訪ねてきてくれたのは本当にラッキーだった。


 海岸で待ち合わせるにしても、相手は王子だ。気軽に呼び出せる相手じゃない。


 そんなオルウェンの後方から──ガサッと再び物音がした。


「ラナ?」


 夜の星明かりに照らされた黒猫の姿がテラスに現われて、リーバがキャン! と目を輝かせる。


 オルウェンと一緒にやってきたらしい。ラナがいなくなったときは、窓辺で一匹しょぼくれていたリーバも大喜びだ。


 キャンキャンしていると廊下の二人、ディオンとラナンシーに気づかれてしまうので、「シー!」と口に軽く指を立てる。


 リーバは賢い子だ。理解して尻尾を千切れんばかりに振るに留めた。匂いを確かめるように、ラナの回りとぐるぐると回っている。


「そういえば、王子様に以前いただいた人魚の涙ですが、あれは王族のものと聞きました」

「ええ、あれは大切な友人を失ったときに流した涙です」


 ラナの亡くなった子供は、オルウェンが小さい頃からずっと一緒にいた、家族も同然の人だったと、以前言っていた。


 オルウェンが何の隠し立てもなく明かしたので驚きはしたが、同時に納得もした。


 大切なものを誰かに託すことで納得し、そうすることでしか、心を癒やせないものもあるのだ。


「ゼトス様、魔の海域レッドルートの化け物には、海の民である我々も近づくことができず、困っていたのです。それを退治してくださったゼトス様とそしてリーバへの感謝の気持ちとして、これを贈り物したい」


 オルウェンが言うと、ラナがテラスの方へ戻っていき、それから再び戻って来たときには、少し大きめの袋を引きずって持ってきた。それをオルウェンは受け取り、中から小箱を取り出す。


 そしておもむろにオルウェンが開けた小箱の中には、ぎっしり人魚の涙が詰まっていた。数百はありそうだ。


 それも、全部持っていってくれと言われてギョッとするも。キルクに頼んだ予備の水晶球が頭に浮かんだ。


 これを使用すれば、おそらく相当な数の性能を秘めた水晶球をそろえることができるだろう。


「王子様、感謝の気持ちは嬉しいのですが、こんなにたくさんいただけません」


 そう言う間に、しかし横からジャラジャラカチャカチャと小箱の中を漁る音がした。


「──ん?」


 見ると、オルウェンが持つ小箱から、リーバが遠慮なく人魚の涙を一粒咥えては、毛玉のなかにポイッと投げ入れている。


 さらにはリーバの隣にやってきたラナまで、一緒になって咥えては毛玉の中に投げ入れてをしている。手伝ってくれているらしい。二人とも、私の代わりに収納してくれているのだ。なんて気の利く良い子たちなのだろう。


 そして、その光景を見て思った。もう返せないと。


「ありがとうございます。それでは遠慮無く頂戴いたします」

「はい」


 リーバとラナが作業をしている小箱を、蓋が開いたまま受け取る。


 終いには、毛玉の中にザーと収納している音が聞こえてきた。


 いつの間にか、手元の木箱がなくなっている。


 隣を見ると、段々中身が移されて軽くなってきた木箱ごとラナが口に咥えて、そのまま毛玉の上でひっくり返している。滝のように、人魚の涙が毛玉の中の異空間へと落ちていく。


 この人魚の涙全部で、国がいくつも立つほどの価値がある。


 そうはとても思えない光景に、どうやって受け取ったかは、イエルには黙っておこうと心に決めた。


「ではそれそろ私は海へ戻ります」

「もう行かれてしまうのですか?」


 名残惜しさを感じて、思わずそう言うと、オルウェンが穏やかに笑う。


「体調の優れないあなたをあまり夜風には当たらせたくありませんから。ですがまた近いうちに伺うことになるでしょう。もう既にご存知とは思いますが、恋愛をしない人魚が増えている影響で、人魚の数が減り続けているのです。その原因を知るために、私は陸地に伺うと思います。そのときはまた、お会いしてくださいますか?」

「それはもちろんです。そのときまはた、甘い時間エルナトを用意してお待ちしております」


 それから数日後に、オルウェンの父親である海底の帝王オラクル・スカビナ・スティルウォーターが城主のイエルの元を訪問し。海が荒れて漁ができないときには代わりに魚介を届けてもらえることになる。


 そして後に、定期的に交流も行われることになるのだが、それはまた別の話となる。


「すみません、ですがお帰りになられる前に一つ、私からも話しておきたいことがあります」

「なんでしょう?」

「そういえばラナの子供が亡くなったのは最近と言っていましたが、正確には半年ほど前なのではありませんか?」

「何故それを……?」


 実は大ダコとの一件の後すぐに、ある人から手紙が届いていたのだ。


「偶然なのですが、私の知り合いでリーバの母親のあるじである旅の商人がら海岸で思わぬ拾い物をしたそうなのです。それについて、最近手紙を受け取ったのですが……」


 チラリとラナを見ると、小首を傾げた。


「?」

「どうやら海の妖精らしく、陸地では黒い子猫の姿に変わると書かれていました」

「!」

「ラナ、その黒猫の子供は記憶は無くしているようなのだが、おそらく君の子供ではないだろうか?」


 途端、ラナの全身の毛が、ビビビビビと逆立った。


「王子様、この黒猫の子が、あなたの友人かどうか。私が回復する頃にまた尋ねてきていただけますか? そのときはまた、お渡しした万能型水晶球ガイアナルースの欠片を通じてご連絡いたします」

「はい、もちろんお伺いいたします」


 言うと、オルウェンは胸元に下げた水晶の欠片に目を落とす。


 オルウェンがここに来た時から、私はそれに気づいていた。万能型水晶球ガイアナルースの欠片を、綺麗に加工してペンダントとして身に付けてくれたらしい。


 そうしてラナの子供と思われる子猫が偶然見つかった吉報を伝え終えたところで、別れを悟ったリーバが、私の足元で「キューン」と悲しそうな顔をしている。


 慰めるようにラナがリーバをペロペロ舐めてやるのを見て、オルウェンは心を決めたようだ。


「ラナもその子が気に入ったようですね。承諾いただければラナはこのまま置いていくつもりです。子供の情報が入ったらラナはいち早く知りたいと思いますし」

「はい、もちろん構いません。何よりリーバが喜びます」


 リーバに、ラナはまだ暫くいることになったと告げると、目を輝かせてキャン! と鳴いた。


 ……良かった。これで私も、ようやく安心して一息つけるな。





 オルウェンが帰っていってすぐ、掃き出し窓を閉めたところで、室内から聞こえてはいけない声がした。


「水晶球を自ら壊したとはいえ、貴族の子息が片付けをするのも稀だと思っていたのですが、自ら進んで侵入者と仲良くするのはもっと聞かないですね」

「…………」


 被害妄想も多少入っているけれど、戦場にいるわけでもないのに怪我をするのかと思われていそうな口調に、私は振り向く。


「ディオン、何が言いたい?」

「何だと思いますか?」


 答えるディオンの隣にはラナンシーもいる。二人とも、ソファーの背もたれに腰掛け、くつろいでいる様子からして、オルウェンが来ていたのはとっくに気づかれていたようだ。


「お前たち、イエルに言うつもりなのか?」

「さあ、私は暗闇には弱いもので、何も見えませんでしたが」


 とぼけるディオンに続いて、ラナンシーもあさっての方を見て言う。


「私も鳥目なので何も見ていませんわ」


 困ったことに、騎士団の隊長は夜目が利かないらしい。


 それだと夜間警備の仕事は少し考え直さないといけないような気がするけれども、あまり深く考えないことにした。


「そっか、あの……二人ともありがとう」


 この二人と話をしていると、何だか面倒見の良い兄姉けいしといるような感覚になる。


 今まで騎士団の隊長という認識以外に、特にどうとも思っていなかったが、私は段々の二人が好きになってきた。

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