祝祭十九日目の大ダコ退治。

 キルクの弟が乗船している商業船と連絡が取れない。との情報が城にもたらされたのは、祝祭十九日目の昼だった。


「ゼトス様、お待ちください! それはイエル様の許可を取られてからにされた方がよろしいかと」


 いつも私の意見を尊重してくれるオウルが、珍しく物申す勢いで口を出す。それに、その弟で医師のオウリが賛同する。


「そうですゼトス様! オウルの言うとおりです。そもそも貴方様のお体は大ダコに精霊力を食われた影響で、まだ万能型水晶球ガイアナルースを扱える状態でないことはご自身が一番よくおわかりのはずです!」


 城の長い廊下を足早に歩く私の後に追いすがる、年齢四十代半ばの三つ子のイケオジ兄弟の内の二人、オウルとオウリに私は振り返り、言う。


「イエルの許可? 何故だ?」

「「心配なされます!」」


 さすが双子、ではなく三つ子。 声を揃えて言う二人は必死だ。心底私の身を案じているのも伝わってくる。けれどこちらも譲ることはできない。


 イエルの許可など取りに行ったら即刻却下されるのは目に見えているのに、するわけがなかった。


 ちなみに長男で執事長のオウルの体格は、すらりとしていてモデルのような体型。次男で医師のオウリはスマートで少し痩せ型である。そして、あと一人は騎士団の隊長のオウラは、力も体格も馬鹿デカい。だからこの場にいなくてよかったと心から思う。下手をすると力尽くで止められそうだ。


 通常、航海に出ている船に陸地の人間が連絡を取るには、伝書鳥ピースフリーと呼ばれる鳥を使っている。


 商業船は定期的に陸地との連絡を取り合っていて、旅の無事を伝書鳥ピースフリーを飛ばして所属する港へ報告しているのだ。


 そして今回、片道一週間はかかる距離に商業船はあった。


 飛ばした伝書鳥ピースフリーが、片道一週間の距離を、なんの知らせもなく戻ってきた。


 つまり、実質的に商業船は難破してから二週間はたっているということだ。


「いいか、商業船は魔の海域レッドルートの近くで船体を損じた難破船を発見したので救助を試みたと連絡があったのを最後に途絶えている。オウル、私が大ダコの遠見をしたときを覚えているか? あの大ダコは、縄張りへの侵入者は決して許さない攻撃性を持っていた」


 ハッとオウルが息を呑む。


「難破船はおそらく、大ダコの領域へ入り込んでしまったのだろう。そして、襲われたのだとしたら? なぜ今の今まで沈められず、幽霊船のごとく海上を彷徨っていたのだと思う?」

「まさか、難破船を餌におびき寄せられたというのですか?」

「おそらく今、商業船は襲われている。そして、難破船と同じく、他の船をおびき寄せる餌とされているのだとしたら?」

「あの海域には滅多に船は近づきません。ですが、商業船は急ぎの荷物があるのだとかで、なるべく最短ルートに近い航路を使っていた……」

「では聞くが、他の船が通りがからなければ商業船はどうなる?」

「商業船が他の船をおびき寄せる餌と思われているのでしたら、おそらく、弱り切る前に処分されます」


 ワナワナと戦慄わななくオウルに私は淡々と告げる。

 

「そういうことだ。もしくは一人ずつ徐々に食われていっているかもな」

「っ!」


 気遣いしたいところだが、今は一刻の猶予もない。


 商業船がおびき寄せる餌にされていると気づかず、あの大ダコから逃げ回っているとして、あの大ダコに遭遇してから、少なくとも一週間、長くて二週間はたつと考えると……。


「船員たちの生死も、どこにいるのかもわからない以上、イエルは絶対に遠見を許可しない。だが事態は一刻を争う。悪いが確かめるまでなど待ってはいられない」

「ゼトス様!」

「それに商業船にはキルクの弟が乗っているんだ。見捨てるなどできない」


 オウリが「しかし!」と、医師としての判断を語り、言い募るも。オウルの方は思い表情を浮かべ、口を閉ざす。


「もちろん何もしないのが私を守るためだとわかっている。でも、それだけでは納得できない感情があるものなんだよ」

「ゼトス様……わかりました。ですが、イエル様には私からお話をいたします」


 オウリが無念に拳を握るのを、私は「それでいい」と内心答えて前を向く。


「オウリ、お前は好きにしろ。リーバ、来い!」

「キャン!」


 オウルとオウリを相手にしている間も、私の近くをちょろちょろ心配そうに回っていたリーバが、勇ましくキャンキャン鳴いて私の後に付いてくる。


 やることは決まった。もう後ろを振り向かない。





 自室に戻ると、私は手早く遠見の準備をした。


 丸テーブルの上に万能型水晶球ガイアナルースを乗せる。今回は、細々したものはなしだ。


「用意している暇もないしな……」

「──それでは、わたくしもお手伝いいたします」


 振り切ったはずのオウルがやってきた。オウリはイエルに知らせに行っているから、止められる前に始めなくてはならない。


「どうされるおつもりですか?」

「夜でないのは幸いだ。少なくとも視界はいい。しかし条件は相手も同じだ。その上、海ではこちらにはとことん不利な状況ではあるが、それならば同じ海の民に助力を求める。そういうことだ」

「助力を? 海の民とは人魚のことでしょうか? ですが彼らも魔の海域レッドルートを怖れて近づいてはならない海域と定められているのに、戦いを求めるなど……」

「違う、人魚たちには商業船の救出を頼むんだ。その間、魔の海域レッドルートと戦うのは人魚ではない」

「ゼトス様?」

「とりあえず、お前はリーバを抱っこしていてくれ」


 万能型水晶球ガイアナルースに手をかざす。精霊力を注ぎ込むと、途端、透明なクリスタルの表面がキラキラと虹色に輝き出した。


 ビリッ!


「っ!」

「ゼトス様っ」


 途端、指先に痛みが走る。


 外傷はない。だが、大ダコに精霊力を食われたときに目には見えない傷を負った。表現としてどのような状態と言うのは難しい。あえてかみ砕いて言えば、私の体の中にある精霊との絆を繋ぐ器官を、乱暴に一部食い破られた状態である。


 傷が治り切らないうちに、酷使すれば、血が吹き出るのに似ている感覚だ。


 やれやれ、一般人には見えていないだけましだな……


 自然、痛みに反応した体が発熱し、汗が出てきた。


 リーバを抱っこしているオウルの焦った声を聞きながら、遠見を再開する。


 そしてこれが、万能型水晶球ガイアナルースに新しく付いた機能──言霊ミラキュラスだ。


「──王子様、王子様、私の声が聞こえていますか?」


 万能型水晶球ガイアナルースに映りだした姿に、私は語り掛ける。


 以前、万能型水晶球ガイアナルースの修復が完了したときに、ラナにオルウェンへ渡してほしいと、万能型水晶球ガイアナルースの割れた欠片を渡した。


 それを、オルウェンはちゃんと持っていてくれたらしい。だから遠い海の中でも繋がることができる。


「この声は……ゼトス様?」

「はい、突然のことで戸惑われるのも当然です。ですが、どうか聞いてほしいことがあります」





 オルウェンとの会話と終えた私は、次に魔の海域レッドルートの遠見を始める。


「次から次に、今度は何をされる気なのですか?」

「大ダコの正確な場所はわからない。だが私は魔の海域レッドルートがどこにあるかは知っているからな。縄張りで遠見をする侵入者を、あの大ダコが見逃すと思うか? あちらが商業船をおびき寄せる餌として使っているのならこちらも餌を用意するまでだ」

「餌とはまさか……ゼトス様、さすがにそれはイエル様が激怒いたしますよ?」

「だから言っただろ? イエルは絶対許可しない。オウリはある意味正解だったな」

「私も激怒したいところですが、今さらです。それに、私は付いていくと決めておりますゆえ」

「それは心強いな」


 ニコリと笑っている間も、額から落ちてきた汗が顎を伝って床に零れた。震える指先には力が入りにくい。


 それでも気力だけは満ちていて、私は全く引くつもりはなかった。


「イエル、あなたが戦いにしか興味がないというのなら、私がそれを奪う」


 ホルスト家は精霊の血筋の希有なる一族だが、別名、精霊の騎士とも呼ばれている。


 何故特別視されるのか、その由来が何なのか、今やっとわかった気がした。自由恋愛主義で、愛する相手のためならば、死すらもいとわない。


 とことん、恋愛や家族愛、そして友情に特化した一族でもあるのだ。だから多くの民に愛され、反映し、尊敬されてきた。


 私はそういった愛とはとことん無縁で、片鱗もないと思っていたのだが……どうやら少しくらいはあるらしい。


「さて、いよいよ正念場だ。リーバ、用意はいいか?」


 すでに、万能型水晶球ガイアナルース魔の海域レッドルートが映し出された直後から、リーバは己の役割を理解していたらしい。


 オウルの腕から丸テーブルの上にトンッと飛び降りると、やがて映りだした大ダコの姿に、リーバは牙を剥きだしグルルルルルルル! と唸り声を上げた。


 部屋の中に異空間の黒い闇が幾つも展開され、丸く渦巻いている。それは前回同様、こちらへ突進してきた大ダコの回りにも展開されている。


「大ダコを引きつけるのは私の役目だ。リーバ、お前はアレの足を全て切り落とせ!」


 今は祝祭のまっただ中だ。騎士団は基本、祝祭中は殺生を許されていない。


 頭部ではなく足を狙うのは、それに習ったわけではないのだが、リーバがこちらへ向かって攻撃を開始した大ダコを許すことはなかった。


 前回私が大ダコに攻撃され、精霊力を食われていたのを、リーバはおそらく本能でわかっていたのだろう。


 私の合図と同時に、幾つにも出現していた異空間の黒い大穴が広がり結合して一つになっていく。それはやがて、大ダコの頭よりさらに大きく展開した闇が、こちらに向かってきた大ダコの頭部を丸ごと呑み込み、──闇が、大ダコの頭部を食った。


 異空間に呑まれ、頭部を切断された大ダコの残り七つの足だけが、深海に落ちていくのが見えた。


 予定では足だけ切断のはずが、頭部丸ごとになるとは思っていなかった。でも確かに、指示通りで足は切断されたし、リーバは間違えていない。


 当面の間、大ダコを動けなくできればいいと思っていた私のやり方と少し違っただけで。


 動けなくなった大ダコをの始末は、海の民がつける。その予定だったのだが……


 怒りの鉄槌を下したリーバの前身の毛が爆発した姿を眺めながら、ふと思い出す。


 これは、以前にリーバがくれたプレゼントのトカゲの尻尾を思い出して閃いた。


 大ダコの足が深海の底へ沈んでいく。タコは足がなくなっても再生できると聞いたことがある。けれど、これではもう無理だ。


 まあ、残ったタコの足についてどうするか、あとは海の民である人魚たちが始末をつけるだろう。

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