祝祭十七日目の化け物。突然の大ダコ。

 昨日キルクと話をした後。


 ラナは万能型水晶球ガイアナルースの修復が終わったのを確認すると、オルウェンへ報告しに海へ帰っていった。手紙の代わりに、万能型水晶球ガイアナルースが割れたときの欠片を一つ、小袋に入れて持たせてある。


 リーバはとても寂しそうにしていたが、仕方ない。ラナは海に住む生き物だ。


 暫くリーバの近くで過ごしてから、私は自室でラナの子供を探すための準備を始めた。


 オウルも手伝い、まずは遠見をするとき用の丸テーブルを用意する。


 精霊力を高めるための薬草や、呪いよけの護符など、足りない物は手配し。考えつく限りのありとあらゆる防護用の道具をそろえた。


 丸テーブルの上は、多くの精霊具で占められ、複雑な魔法陣の上に決められた配置に従い置いていく。


 最後に丸テーブルの一番手前に万能型水晶球ガイアナルースを置くと準備は整った。


 しかし用意が万全になったときには、時刻はだいぶ遅くなっていたし、何より準備だけで体力をかなり消耗している。その上、イエルも騎士団の仕事から戻っていない。


 なんといってもこれから遠見をするのは魔の海域レッドルートと呼ばれる場所だ。


 もしものことを考え、念の為、遠見をするのは体調と気力が回復している翌日に行うこととなった。


 ──そして翌日の現在。


 祝祭十七日目の日中。


 イエルは騎士団の仕事から帰っていなかったが、これだけ準備をしているし、体力も気力も回復している。


 これなら大丈夫だろう。


 万能型水晶球ガイアナルースの修復が完了するまでの一週間、予備の水晶球の選別で幸い水属性のものが幾つか見つかり、私は海中を遠見することができていた。


 新大陸ガザルの途中にある魔の海域──レッドルート。


 おそらくそこが、ラナの子供が入り込んでしまった場所だ。


 といっても場所は深くて遠く、性能がそこそこの予備の水晶球では、海域を鮮明に映し出すことはできない。


 魔の海域レッドルートの周辺を探るだけで精一杯だった。


 それも映し出されたものは相当ぼやけていたけれど、性格な場所を把握することはできていた。


「文献を調べたところ、この海域は呪われてはいないようだ。だが、危険であるのに代わりはない。それでも一緒にお前は見たいのか? 部屋を出ていくなら今だぞ?」


 丸テーブルの前に立ち、万能型水晶球ガイアナルースに目を落とす。そばにいる私の精霊力の影響で万能型水晶球ガイアナルースの輝きが増していく。


「ええ、ですから今回はわたくしもお付き合いさせていただきます。精霊力のない私には一層危険なのは承知しておりますが、そのためにゼトス様はこれだけの道具を準備されていたのでしょう?」

「お見通しって訳か」


 ラナの子供については以前成り行きでチラッと話したことがある。けれどラナの子供を探すためとは、これまで一度も言わなかったのに。オウルにはここ一週間、私が何をしていたのかわかっていたようだ。


 そして私が危険な真似をするのを、オウルが放っておくわけがない。


 絶対に一緒に映像を見ると言うのは目に見えていたし、だからそのための準備も整えていたのだ。


「さあ、始めるぞ。覚悟はいいな?」

「はい、いつでも」


 すると、「キャン!」と下の方から声がした。


 もちろんリーバも遠見に参加する。リーバは昨日準備をしているときも、私たちの周りをちょろちょろしていて、一緒に物を運んでくれたりと精一杯手伝ってくれていた。


 リーバの方を見ながら、心強いなと、思わずニコリと笑う。


 オウルが見えやすいようにとリーバを抱っこして、私の後方に待機しているのを確認すると、眼前の万能型水晶球ガイアナルースに両手をかざす。


 意識を集中し始めると万能型水晶球ガイアナルースの輝きが強くなり、やがて目が眩むほどの発光が起こった。


 背後のオウルたちが驚く気配を感じながら、私は発光の納まった万能型水晶球ガイアナルースに映し出されたのは、黄金色の何かだった。


 とても美しい虹彩だが、海中との関連を全く想像できない。


 皆、最初は何だかわからなかった。


「何だこれは? ああ、少し待ってくれ拡大し過ぎたらしい」


 そういって徐々に距離を調整していて気づいた。


 拡大し過ぎたわけではなく、これは水晶球に映っているものが巨大過ぎて、そう思ってしまっただけだということに。


 黄金色の何かから離れていくように調整すると、やがて全貌が見えてきた。


 黄金色の虹彩と思われていたものは丸く、真ん中には黒い穴がある。それが──ギョロリと、動いて瞬いた。


「まさか、これは目玉なのか!?」


 黒い穴と思われたものは瞳孔だった。


 私が叫んだ瞬間、ボンッ! とリーバの毛が増毛したように逆立った。というより爆発したと言う方が表現は正しいのかもしれない。


 私とオウルの視線が、抱っこされているリーバに集中する。


 それから一気に距離を空けると、その全貌が明らかになった。巨大なんてものじゃない。おそらく船一隻分は軽くある。


 吸盤のついた八本の触手が蠢く、真っ赤な胴体に丸い頭生き物。それが──遠見されているのに気づいた!


 大ダコに、あっけにとられている間もない。


 ドンッ! と突然こちらに向かって猛突進してくる。


 ドガッ! と海中のどこかに衝突し、一旦攻撃がおさまったと思ったら、再びこちらに向かって突撃してきた。


 相当に怒っている。凄まじい攻撃力だ。辺り一帯、海中は巻き上げられた砂にまみれ、破壊された珊瑚礁や魚たちが逃げ惑う。


 突撃が止まない。それも、万能型水晶球ガイアナルースの映像が急激に乱れ始めた。そして──防護用に準備した魔除けの護符が裂け、守護の力を宿した裸石ルースが次々と音を立てて破壊されていく。


「ゼトス様!? いったいこれは!?」

「チッ! こいつ魔力持ちか! 私の遠見が干渉されているッ!」

「何ですって!?」


 まずい! 直接的な害がないとはいえ、大ダコは精霊力に属する法力か、もしくは魔力を持っているらしい。どちらにしても、こんな状態では判断ができない。


「くそっ! 中断するぞ!」


 相手はこれほどの距離がある場所から、こちらの精霊力に干渉できる化け物だ。


 万能型水晶球ガイアナルースを媒体にこちらの遠見を妨害し、干渉している圧倒的な何かに、指先から徐々に侵食されていく。


「くっ!」

「ゼトス様ッ!!」


 それが私の精神にまで到達する寸前、オウルに抱えられていたリーバが、私と万能型水晶球ガイアナルースの間に躍り出た。


「リーバ! 危ないぞ! 離れるんだ!」


 丸テーブルの上に立つリーバは、グルルルルルルル! と牙を剥き出しに、今まで聞いたことのない唸り声を上げた。リーバの周りに渦巻く黒い闇──異空間の力が展開されていく。


 それはこの室内のみならず、万能型水晶球ガイアナルースの向こう側にも、出現しているのが見えた。大ダコの周囲に幾つもの、円状に展開された黒い異空間の闇が渦巻いている。


 おそらく私と同じようにリーバも万能型水晶球ガイアナルースを媒介に、海中へ力を発動させてしているのだろう。


 私が驚く合間にも、リーバは大ダコの触手の一本を、異空間を閉じる力を利用して切り落とした!


 瞬間、生じた隙に、私は万能型水晶球ガイアナルースとの接続を切り離す。 


 バチチチチチチチッ!!


「ぐはっ!」

「ゼトス様ッ! 大丈夫ですかっ!?」


 無理に力を解除した衝撃に後方へよろけた私を、オウルが慌てた様子で支える。


「なんだ……あの化け物ダコは」

「ここでお待ちください! 今すぐオウリを呼んで参ります!」

「平気だ。それよりも相手をかなり怒らせてしまったな」


 ギリギリだった。あと少しで、こちらの記憶諸共に大ダコに全て持っていかれて精神を破壊され、下手をすれば廃人になるところだった。


 未だ小刻みに震える指先からは、ビリビリとした痺れを感じる。これは──食われたな。 


「リーバのお陰で助かった。ありがとう」


 丸テーブルの上にいるリーバに礼を言うと、オウルに支えられている私を見つめ、「キューン」と心配そうに鳴いた。


「いったい何があったのですか?」

「そう心配するな。少し精霊力を食われただけだ。本当に私は大丈夫だから」

「食われたですって!?」


 あんな大暴れしている海流の近くに船など通っていたら……ゾッとする。


 それに怒り狂った勢いで別の海域に侵入などされたら、きっと難破船の一つや二つではすまないだろう。


 タコの攻撃と毛が爆発リーバの攻防、二重の驚きに、私たちは呆然としていた。





 時刻は夕刻過ぎ。イエルが騎士団の仕事から戻って来た。


 私は日中にあった出来事を報告するため、食堂ダイニングルームでイエルを待っていたのだが、晩ご飯の時間になっても現われない。


 おそらく部屋で仕事にかかりきりになっているのだろう。そこで、イエルの部屋を直接訪ねることにした。


「どうしましたか? お入りにならないので?」


 私はイエルの部屋の前にいて、ノックも済ませたし、入室の許可も聞こえた。後は扉を開けるだけだ。──が、


 私の傍に控えているオウルに促されたものの、気が進まないのはいつものことだが、今回は特に気が進まない。


 扉の前で立ち止まっていると、私の足元で頭をカイカイしていたリーバが、小首を傾げて見上げてきた。


「お父さんここで何してるんだろう?」と思っているような、リーバの純粋な青い瞳に後押しされ、嘆息する。


「兄弟で顔を合わすのに、そこまで遠慮する方というのも珍しいですね」

「…………入るぞ」

「その気になられたようで安心しました」


 複雑な心境で仕方なしに扉を開け、歩を進める。


 全部話すしかない。いつも通り机に向かって仕事をしているイエルを前に、私は重々しく口を開く。

 

「忙しいなか、お時間をいただき感謝いたします」


 仕事の手を止めて、イエルが顔を上げる。日中も騎士団の仕事で出かけていた割りに、イエルは疲れた様子を見せない。


「お前にしては随分と改まった挨拶だな」


 らしくないと言われて内心溜息を吐く。


「私だってこんな話し方したくないよ。せっかく礼儀正しくしたのに台無しにするんだな」


 イエルは昔から、貴族らしくを強要しない。素の自分でいろと暗に促されるのはこれで何度目か。


「お前はちゃんと場をわきまえて行動できているだろう? だからそれでいい。ところで、リーバのその毛はどうした?」

「うん、それを今から説明しに来たんだよ……」


 私の足元には、先刻の大ダコ騒動のときに全身の毛がボンッと逆立ったままのリーバがいる。


 なかなか治らないのは大ダコの衝撃が激しかったのと、異空間の能力をたくさん使った影響があるのかもしれない。どちらにしてもこんな状態では部屋に置いていくのもためらわれて、そのまま連れてきたのだ。


 廊下で遭遇した使用人たちは皆、何事かとリーバに大注目だったのは言うまでもない。


 治らなかったらとりあえずブラッシングをしてみようか模索中だ。幸いリーバはブラッシングが大好きなので助かる。


「あと、一応先に謝っておくよ。ごめん」


 謝るということは、また何かやったのかと、イエルが羽根ペンを持つ手を止める。書類から顔を上げた。


 私の深刻な表情に、イエルが真摯しんしに尋ねる。


「何があった?」

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