祝祭五日目の朝。忠剣。

 祝祭五日目の早朝。目を覚ますとすぐに視界に入ったのは、イエルに剣を返してもらってご機嫌なリーバだった。


 熱も下がって、体調もだいぶいい。何より、私の足元にちょこんと座っている、白くて丸い後ろ姿に朝から癒される。


 リーバは、「私が寝ている間、見張っててくれ」と昨日言った通り、ちゃんと番犬をしてくれていたらしい。昨日見張りについたときと寸分変わらぬ位置でお座りしている。


 リーバはまだ私が起きたことに気づいていない様子だ。毛玉の中に通じている異空間──主に背中から、返却された剣を時折ヒョコッと出したり入れたりしている。


 背中から剣を生やして暇を潰しながら「お父さん、早く起きないかなー」と、リーバは私が起きるのを待っているようだ。時々パタッと短い尻尾が動いている。


 もちろん剣は抜き身ではなく鞘に収められているし、剣には何かの拍子に鞘から抜けないよう、留め具をつけているので安全だ。


 剣と鞘とを固定して、硬めにつけられた留め具は大人の男なら難なく外せるものだが、リーバには難しいだろう。生後半年は、まだまだ立派な赤ちゃんだ。


 けれども毛玉の中に物を収納できる能力のことを知らぬ者から見たら、犬の背中に剣が刺さっているように見える、かなり危うく異質な絵柄にうつるだろう。


 しかし生まれたときからその能力を持っているリーバにとって、物を毛玉の中に収納するのは、息をするくらい普通のことだ。


 私はリーバに起きているのを気づかれないよう、ゆっくりと動いて姿勢を変える。ベッドに片肘をついて横向きに寝そべる楽な格好で、しげしげ足元のリーバを眺めながら、五ヶ月前の出来事を思い起こす。


 リーバが初めて物を収納できる能力を発現したのは、生後一ヶ月の頃だった。


 あの日は急遽きゅうきょ決まった遠征でイエルが城を留守にしていて、いつも通り見送りをした私は部屋に戻っていたのだが……


 イエルが城を出立してから幾ばくもたたぬうちに、来訪者が現れた。


 偉そうにふんぞり返って太刀を帯びた従者を連れてる。前々からしつこく私に求婚の手紙を送り付けていた、公爵家のドラ息子ナイヤ・エクセリアだった。


 こちらも同格の公爵ではあるが、エクセリア家もユグドラシエルで指折りの名家だ。邪険に追い返すわけにもいかない。


 ナイヤも私と同じ十七歳で、今年成人を迎える。


 幼馴染みと言えば聞こえはいいが、私はナイヤをあまり好きではないし、行ってみればただの腐れ縁だ。


 ナイヤの見た目は中肉中背のスラリとした肢体に、赤毛に緑眼と顔立ちも悪くはない。というよりむしろ貴族の息子らしく洗礼されていて、来ている服は常に上等な絹織物で作らせた特注品だ。


 イエルの瞳はエメラルドグリーンの海を思わせる緑がかった青だが、ナイヤはくすんだ緑で、苔色のように渋みのある黄緑色といえばわかりやすいかもしれない。


 一際人目を引く赤髪に緑眼の美男子で、その上公爵家の嫡子だ。


 モテないはずがないし、実際、かなり貴婦人方にモテている。


 歩いているときは従者以外にも常に両手に女を抱えていて、遊び人のような印象を受ける。私には、ナイヤは我が儘で感情の制御ができていない子供にしか見えない。


 そもそも女好きのあいつが何故、男の私に求婚などするんだ?


 ホルストの血筋は男でも成人すれば妊娠できるから、女と一緒くたに思われているのだろうか。何にしても節操がないのは嫌いだ。


 それもこのときナイヤが城を訪れたタイミングは最悪だった。


 イエルの不在時は、いつもなら前当主で義父のラキスがカバーしているのだが、急遽決まった遠征だったため対応が遅れた。ラキスは妻アーダと外出していてゼノン領にはおらず、城には私一人だった。


 守りが手薄になったときを狙ってきたらしい。なんとズルい。 


 公爵の息子が相手では、使用人たちは助けることもできない。助けようものなら、公爵家に手を出したとして、極刑に処される。それがわかっていたから、私も手出しをしないよう、今にもナイヤをぶん殴りそうなオウルへ咄嗟に制止の声を出していた。


 そうして誰も手出しができない状況で、危うくナイヤに押し倒されかけたのを助けてくれたのはリーバだった。


 今でこそ見慣れた光景だが、毛玉の中の異空間の能力を外にも展開できるのを、私はこのとき初めて知った。


 外に溢れ出た異空間のひずみは、まるで黒い霧のような形状のもやもやで、紫がかった黒色をしている。それが時折うねったりしているのは気分らしい。


 紫がかった黒色を紫黒しこくともいうが、このもやもやの正式名称は、紫黒の闇霧ダークミスト。またの名を、黒いもやもや。後者を付けたのは城の使用人たちだ。


 リーバはこの能力を利用して、あらゆる空間に繋げることができる。そしてこのときリーバが繋げた場所は、何と川だった。


 黒いもやもやから、ジャーと滝のように流れていく大量の水。そして魚。


 私の部屋がある上階から下の階へ、城内を流されていく魚とナイヤとその従者たち。


 壁やら床やらにあちこちぶつけ、流されに流されて、最終的に彼らが見つかったのは中庭だった。


 城の床を大量の魚がビチビチと跳ねている。滅多にない光景だ。


 リーバが魚を前足でちょんちょんつついているのを尻目に、そういえば「人を川で流してはいけません」とはまだ教えていなかったなと、呆然とする。


 それから中庭で伸びているナイヤたちを手当てするよう、オウリに指示を出していたところで、ラキスがやってきて事なきを得た。


 幸い全員息もしていて、流されたにしては怪我も比較的軽症な部類に入るものの。骨もいくつか折れているだろうし、やはりオウリの見立てでは、そこそこ重症だった。


 戦いにおいて、子供の方が大人より残酷に敵を殺すと聞いたことがある。まさにそれだった。


 しかし生後半年の今ならともかく、生後一ヶ月では力加減も何も覚えていない。頭の上でちょんっと結いたピンクのリボンに映える、心が洗われるような純真さが宿る宝石のような青い瞳の子犬にとっては、見るもの体験するもの全てが新しい世界だ。


 そしてリーバはその純真なおめめで、ナイヤとその従者たちを、父親を攻撃している悪いヤツと認識したらしい。


 リーバは単純に、父親に害を及ぼすと認識した相手を排除しただけなのだ。悪意はない。


 最初にナイヤの腕に噛みついてぶんぶん振り回されていたときのリーバは、ちょっと楽しそうだったけれど。


 ナイヤも従者もリーバに容赦なく鉄槌を下され、その後やってきた父親にラキスは毅然と対応し。経緯を聞かされたナイヤの父親は激怒。ナイヤの首根っこを掴んで帰っていった。ズタボロの状態で引き取られた。


 領地に戻った後、ナイヤは父親に相応の処罰を受けたと聞いている。


 また、リーバが公爵の子息に不敬を働いたにも関わらず何もお咎めなしだったのは、ユグドラシエルの地を治める国王も同じ犬種を飼っているからだ。


 犬好きの国王に、同じ犬種を処分したと知られたらことだ。それも理由が、私を襲おうとしたのを撃退したからとあっては、言い訳のしようがない。


 以降、リーバは名目共に城の番犬となった。


 これは余談だが、暫くの間、朝夕晩と魚料理が続くこととなり。余りそうな魚は塩漬けにして保存食にするなどした。


 そして魚料理がようやく途切れた頃、遠征より戻ったイエルも、ラキスから何があったか聞いたようで。リーバには一目置いているようだ。剣を返してやったのもそういうことだろう。


 以降、イエルとラキス、そして使用人たちもナイヤに対する警戒を常に持っているようだ。衛兵を増員し、さらにはラキスへの連絡員を常駐させるようになった。


 お陰で私の行動はラキスに筒抜けだ。


 ちなみに先日あった男たちとの騒動の件でも、イエルが来なかったらリーバが出てくる寸前だったらしい。


 あの騒動の後、私が部屋に戻ってから程なくして、リーバが口に布きれを咥えてやってきたのだ。


 布きれは使い古され、擦り切れていて、よくよく見てみると服の一部だった。


 もしやと思ってその場でオウルを呼び出し、確認をしたところ……男が数名、ボロボロの格好で慌てて城から出ていくのを使用人たちに目撃されていた。何でも、うち一人は服が破れて尻丸出しだったとか。


 イエル以下、隊長たちの迫力に圧され逃げ去った男たちを追撃したリーバが、尻にちょこっと噛み付くなどしたらしい。形状を大人の狼の牙ほどにも変えられるリーバが本気を出せば、尻丸出しの歯型程度では到底すまないからだ。


 最近は遊び心も出てきて手加減も覚えたリーバは、私がオウルから話を聞いている間も、褒めてもらえるのを待ち切れない様子でベッドの上でポンポン跳ねていた。


 そちらへ視線を移し、良い子だとちゃんと褒めてやると、満足したようだ。その後もご機嫌な足取りで部屋の中を短い足でぴょんぴょん跳ねていた。


 背中に時折剣を生やした珍しい異国の犬種というのもあり、初見のリーバはかなり危うく異質にうつることだろう。


 けれどもリーバは、たまに気が利きすぎるところはあるけれど、父親と思っている私の身に直接危険が及ぶような真似はしない。


 リーバをこれまで見てきた城の住人たちも皆、同様の見解を持っているらしく。私の知らぬ間に、皆にも可愛がられているようで、とても人懐こい良い子に育ってくれている。


 それにしても……異国の犬とは不思議な生き物だな。


 私が起きたことに気づいていないリーバの後ろ姿を観察するのも、なかなか有意義ではあったがそろそろ終いだ。


 さて、起きなくては。


 リーバが見張りを始めたのが昨日の昼過ぎだったから、ゆうに半日は経過していた。きっと遊びにも行きたいはずだ。健気に見張りを続けているリーバを、もう解放してやらないと。


 ゆったり片肘をついて寛いでいた姿勢を正して、上体を起こそうとしたところで、ベッドがギシッと軋んだ。その音に、リーバのお耳がピクリとして、こちらを振り返る。


 振り返った姿勢で止まっているリーバと、しっかり目が合があう。


「おはようリーバ。見張りご苦労様」


 咄嗟にニコリと笑って言ったものの。ゆったりしている私の姿勢に何を思ったのか、リーバが真顔でこちらの様子を窺っている。


 不味い。不審感が生まれる前になんとかしなければ。


 もう一度ニコリと笑って「リーバ、おいで」と手前の毛布をポンポンして手招きする。そこでリーバは状況を完全に理解したらしい。


 ぱあっと表情を輝かせ、キャン! と鳴いた。


「お父さーん!」と満面の笑みを浮かべてこちらへ駆け寄ってくる。起きたばかりだと露ほども疑っていない様子だ。


 ああよかった。観察していたのがバレたのかと思った。


 内心ホッとする。


 ふぅ、待ちぼうけをしている子をこっそり観察するなどと、やはりすべきではないな。罪悪感で胃が痛くなってかなわん。


 ちなみにリーバは毛玉の中の異空間を普段は閉じているので、ちゃんと触れる。感触はもふもふのふわふわだ。


 私はリーバを片手で抱き上げると、今度こそベッドから「よっ」と起き上がる。


 そこへ、タイミングよくコンコンとノックの音が聞こえてきた。


「おはようございます、ゼトス様。検診に参りました」


 オウルの弟で三つ子の次男、医師のオウリの声に、私は入室の許可を出した。



* 



 リーバを片腕に私がベッドから出ると、入ってきたオウリが閉めきっていた窓を次々開けていく。


 それが終わると、オウリは持ってきた薬箱をテーブルに置き、中の診察具を出して検診の準備を始めた。


 朝の新鮮な空気が部屋に入り込み、涼やかな風が頬をくすぐる。


 私はサイドテーブルに綺麗に畳まれて置かれたショールを手に取り、肩に掛け、窓辺に向かう。


 始終嬉しそうにお口を開けて、お顔をキラキラさせているリーバを片腕に窓辺に立ち、一緒に新鮮な空気を吸い込む。とてもスッキリとした目覚めだ。


「そういえばオウリ、指の傷を手当をしてくれたのは君か? ありがとう」


 先ほど固まった体をほぐすように、「ん〜〜っ!」とリーバを持っていない他方の腕で伸びをしたときに気づいた。水晶球で傷ついた指には軽く包帯が巻かれており、丁寧に手当てされていた。


 私からの問いかけに、オウリが準備の手を止める。


「いいえ、ゼトス様。手当をされたのはイエル様です」

「イエルが?」


 私が寝ている間、見張りモードだったリーバは、牙を剥き出しにウーウー唸って他の者を寄せ付けなかったらしい。


 素晴らしい忠犬っぷりで、城の住人のなかでもよく慣れているはずのオウルもオウリも駄目だった。そこで困り果てた二人が自室に戻っていたイエルに相談し。書類仕事を中断して、仕方なしにイエルがやって来た。


 不機嫌を隠さないイエルを見たリーバは、唸るでもなく、その場にお座りしたそうだ。私に近づくのをイエルには許可した、ということらしい。


 リーバは賢い子だ。普段の私たちの様子を見て、誰がこの城の主であるか、わかっている。


 それにイエルは昔から動物に好かれやすい。面倒くさそうにしながらも、犬や猫に懐かれているのはよくある光景だ。


「ああそれと、診察が終わった後で職人を呼んでくれないか? 水晶球の修復について話がしたいんだ」

「ですがまだ体調がすぐれないのでは? だいぶお顔の色はよくなっているようですが、あまりご無理をなさっては……」


 引きこもりがちな私には、水晶球が外界を繋ぐ唯一の窓口だ。この能力があるから、好きなだけ引きこもっていられる。


 修理がどの位かかるか知るのは私にとっては最重要事項だ。


「少し話を聞くだけだ。聞いたらすぐに休むよ。ちゃんと苦い薬湯も飲むから。それならいいだろ?」

「いいえ、駄目です。昨日もぶり返していたのですから、本日はしっかりお休みください。職人は明日お呼びしますので」


 長男のオウル同様、次男のオウリも、私がホルスト家に生まれたときから医師として仕えている。長男のオウルは泣き虫で、次男のオウリはお茶目なところがあるけれど、二人とも芯がある強さを持っている。


 オウリもまた、私にとっては本物の祖父のような存在で、口で言い負かすのは難しい。


「わかったよ。じゃあ今日はのんびりリーバと過ごすとするか」


 そう言って片腕に抱えているリーバを見ると、全身の力が抜けてダランとしていた。意識もなく、口からはグーグーと異音が聞こえてくる。


 ……そういえば、見張りをしている間ずっと起きていたようだし、寝不足だったか。


 力尽きているリーバをソファーに寝かせるも、まったく起きる気配はない。熟睡しているリーバに、私は肩に掛けていたショールを外し、毛布代わりに掛けてやる。


「リーバは寝ているから、私は紅茶の代わりに苦い薬湯を飲んで今日はのんびり本でも読んで過ごすよ。これでいいだろう?」

「けっこうです。ですが本当に、話をするのは少しだけですからね?」


 その後も再三念押しをされて承諾すると、面会時間は三十分以内の制限付きで、ようやく明日会う許可が下りた。




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