祝祭四日目の昼過ぎ。兄弟。

 祝祭四日目の昼過ぎに、私はようやく起き上がれるようになった。


 午後三時のティータイムがくる前に、まずは薬湯を飲まなくてはならない。ベッドで上半身を起こした姿勢で、サイドテーブルに置かれていた薬湯を飲む。


 昨日の甘い薬湯と違い、これはかなり苦い。オウルが入れた薬湯だ。


 甘いといえば、団員の労を労うため届けさせた菓子がどうなったのか気になった。


 食べてくれただろうか?


 のろのろと、水晶球のあるテーブルの前まで歩く。


 若干汗が滲む手を伸ばし、水晶球に軽く触れる。白くキラキラと輝く精霊力が水晶球に流れ込み、騎士たちの姿が映し出された。


 今回の祝祭は半年後に開催される精霊祭の予行演習も兼ねている。最初の三日間を除き、四日目からその流れで演習が入り、実質的な日程では祝祭は一ヶ月続く。


 オウルの三つ子の兄弟オウラや他の隊長クラスの団員たちは仕事をしていたが、最初の三日間は帰還を慶ぶ本物の祝祭である。最初の三日間は戦いから帰ってきた騎士たちを労う期間なのだ。


 祝祭の主役がそのさなかにも仕事とは大変だなと、私は次々に団員が映り出されていく水晶球を眺める。巨体の老兵や二人の騎士見習いの少年、そして白銀の貴公子に、騎士団の紅一点。


 休む暇なく精霊祭の予行演習の打ち合わせなどに勤しみ、仕事をしている。隊長クラスは皆、先日にも増してさらに忙しそうだ。


 今日は祝祭四日目で、予行演習の本格的な催し物が行われるとはいえ、働き過ぎなのではないかと少々心配になる。──と、ピンッと袖に何かが引っかかる感覚に、ギクリとした。


「これは、不味いな」


 体調が悪くて思うように動けないのは自覚していた。それなのに気持ちを抑えきれず、無理を押して起きたのがいけなかった。


 ゆったりとした着心地の寝間着の袖は長い。気をつけなければいけないのはわかっていたのに、大雑把に動いて水晶球に引っ掛けてしまった。


 外そうとして水晶球を片手で持ち上げ、他方の手で袖を掴む。が──汗ばんだ手は滑りやすい。かつ、力加減が上手くできないのに焦りを感じて不要な力を入れたのが悪かった。


「あっ」


 手のひらからツルンと水晶球が滑った。そう思ったときには時すでに遅しで、水晶球は硬い大理石の床にヒューと落下していく。


 パリンッ!


 繊細な音がして、透明な水晶の砕ける音が室内に響いた。普段ならしないミスだ。


 粉々に砕けている水晶片と、半ばまでヒビが入った水晶の塊を見下ろし、深々と溜息を吐く。


 はあ、やってしまったな……


 これはそこそこ値の張る貴重なもので、捨てるわけではない。修復に回すにしても、どうしたものかと対処に迷ったが、とりあえず片付けることにした。


 自分でやるか。皆祝祭で忙しいし、風邪で迷惑もかけてるからな。使用人を呼ばずともこのくらいは私にもできるだろう。


 しかしこれはいったいどうやって集めればいいんだ?


 掃除も片付けも、オウルや使用人がいつもしてくれるから、勝手がわからない。


 悩んだ末に、おおよそ拾えるくらいの塊だけ、布の上にでも集めることにした。そこへコンコンと控えめなノックの音が聞こえてくる。


「ゼトス様、何か物音が聞こえましたが、大丈夫ですか?」


 様子を伺う声に安心する。


 やはり一人でやるのは難易度が高い。怪我もしそうだし、助けてもらう方が無難だろうと判断して「丁度よかった。少し手伝ってくれ」と返答する。


 程なくして扉を開けて入ってきたオウルは、私の足元を見て何があったのか理解したようだ。


「水晶球が割れてしまったのですね。急ぎ、精霊具の扱いに慣れた者を呼びましょう。お怪我はございませんか?」

「ああ、私は大丈夫だ問題ない」


 しゃがみ込み、足元の水晶球の砕けた欠片の一つ手を伸ばす。


「だが参ったな。これが一番使い慣れていたのに──と、あ」

「ゼトス様? 危ないですからそこから離れてください。それとあまり触れない方が、後は専門の者に任せましょう」

「怪我したみたいだ」


 切れてしまった指先からツゥーと一筋、赤い雫が落ちていく。


 他人事のように言いながら、「え、片付けとはこんな簡単に怪我をするものなのか?」と私は内心驚いた。

 

「──っ! 誰か医者を! オウリを呼びなさい!」


 やはり力加減が問題だった。それとどうやら私は風邪で相当に思考回路が消耗しているらしい。


 素手で拾うのは危ないと思いながら、まあ少しくらいなら大丈夫だろうという油断が招いたことだった。


 体の怠さに負けてショートカットに済ませようとしたら、あれこれ壊れていく。


 それにしても……次から次に、あちこちボロボロになっていく気がする。


 今日は丁寧に生きることの大切さを学んだ日だなと、私がぼんやり考えている合間にも、続々と使用人たちが慌てた様子でやってきて。キビキビとした動きで、オウルが指示を出す。


「至急イエル様にご連絡しろ! ゼトス様が怪我をされたぞっ!」

「ん? イエル? いや、あの、少しだけ指先を切っただけで、こんなのたいした怪我じゃない。だからイエルは呼ばなくていいんだけど」

「わたくしが付いていながら、ゼトス様の御身に怪我を! うう、申し訳ございませぬ」

「そんな力一杯泣かなくても……」 


 オイオイ号泣している。私にはいつもニコニコしていて、可愛いおじいちゃんといった様子の馴染みの執事の涙に、私は弱い。孫の気分で、どうやってご機嫌をとろうかと思っていると──


「いえ、この責任は命で償わせていただきます。誰か! 誰かおらぬか! 剣を持て──!」

「は? 剣? お、おい!? ちょっと待てっ!! いいから待つんだ! って、リーバ!? お前も何持ってきてるんだっ!」


 剣を持ってきたのは、この城のマスコットであり愛犬のリーバだった。


 毛色は白で、見た目が異国でよく食されている白くて丸いモツァチーズというのに似ているらしい。小型犬でマルチーズという、ちょっとした特殊能力を持っている異国の珍しい犬種だ。


 白くてとにかく丸い毛玉の塊で、別名はブルータイガー。名前の通り宝石のような青い目をしているが、長毛種でそのままでは毛に隠れて見えないので、頭のすぐ上でちょんっといつも結んでやっている。ちなみにお気に入りのリボンはピンクだ。それと、見た目の可愛さに反して、形状変換可能な大型の肉食獣並みの牙を持っている。


 毛玉は異空間に繋がっており、色んなアイテムを収納できる能力を持っている。使用人たちの話では、短い手足で城中ちょこまか歩き回り、色んなものを拾っては放り込んでいると聞いた。


 収拾が趣味で、特に好物の骨を探しに、よく裏山へ散策に出ているようだ。


 この子は半年前に私が城の庭で拾った。


 城に行商にやってきた旅の商人が飼っていた犬が妊娠していたらしく、庭で子犬を五匹を生んでしまったのだが。商人は船出して今度は別の大陸に行く予定でいて、出航の数時間前に起こった出産騒動がおさまると、慌てて出ていった。この子はそのとき置いていかれてしまったらしい。


 城の中庭でポツンと一匹、転がっていた白い塊を、私は拾った。


 商人も後でいないのに気づいて手紙を寄越してくれたのだが、今は戻ることができそうにないので、そのまま引き取ってくれるとありがたいと書かれていた。


 何でも出航した後、海は大荒れで命からがら別の大陸についたのだとか。さらには乗せていた荷物が流されたりと大変だったらしい。


 浜辺に打上げられていた荷物を回収していたら、思わぬ拾い物をしたりと、遠い異国の地での出だしは好調とは言い難いようだ。


 私もそういう事情ならばと承諾して、リーバを引き取ることとなり、今ではすっかり立派な家族になっている。


 毎日一人で城の中を散歩しているし、定期的に山へ獲物を狩りに行っているのだが。水遊びが大好きで、山の湖畔にぷかぷか浮いているのを旅人に度々目撃されている。「湖畔の毛玉」として、ある種の名物になりつつあるらしい。


 今でこそリーバは自由奔放だが、つい最近までどこへ行くにも、私の後を付いてきた。


 人と接する煩わしさを避け、リーバを可愛がることで孤独を紛らわしていたのもあって、おそらくこの子は私を父親パパと思っている。


 リーバが城の外へ自由に出られるよう、私から門番にも伝えてあるが。自由奔放といっても、必ず暗くなる前には城に帰ってくるし、体が汚れたら自ら風呂の催促をしたりと、水浴びした後にはちゃんとテラスで日光浴もしている。


 ブラッシングも大好きで、してほしいときは自らブラシを咥えて目をキラキラ輝かせながら走ってくる。毎朝ブラッシングをしてから、頭のすぐ上をピンクのリボンでちょんっと結んでやっていると大喜びする。おかげでいつもふわふわの毛並みで、とても丸い。


 おしゃれが好きで、自ら清潔になりに行くのが趣味らしい。ちなみに男の子だ。


 親ばかも入っているが、普段からあまり手の掛からない、リーバは特大の良い子である。


 ただ一つ問題なのは……そう、気が利きすぎているということだ。


 はいどうぞ、とリーバは咥えた剣を親切にオウルへ渡した。


「オウル早まるな! こんな傷程度で命を粗末にするな! というかお前も渡すんじゃない──!」


 焦った私の大声が室内に響く。


 そんなこんなで暴走執事から剣を取り上げていると、騒ぎを聞きつけて、ついにあの人がやってきてしまった。


「体調が優れないのではなかったのか?」


 オウルとリーバから剣を死守していたら、後方からかかった声に、ギクリとする。近くにいるオウルもリーバも、声の主が放つ気迫に、ピタリと動きを止めている。


 寝間着で剣を抱えている私に、不審をあらわにするイエルは甲冑姿だった。町へこれから視察に出るか、もしくは戻ってきたのか。水晶球で見たときに町中で見かけた隊長たちを引き連れているところからして、おそらくは後者だ。


「この手はどうした? 何故怪我をしている?」


 イエルに掴まれた自分の指を見る。指から伝った血が手首と袖口を汚していた。


「あれ? 何かけっこう血が出てる」


 いつの間にかこんなことに? と、目を瞬かせていたら、イエルに呆れ顔で剣は取り上げられた。


「オウル、お前がゼトスに剣を渡したのか?」

「イエル違う。これはリーバの私物だよ。毛玉の中にいつも隠してるやつ。どっかから拾ってきたみたいなんだ」

「リーバがお前に剣を渡したのか?」

「それもちょっと違うかな。あと怪我のことを言っているなら剣で怪我したんじゃない。水晶球を割ってしまったんだ」


 ほら、と離れた床で砕けている水晶球を傷ついてない方の手で指差す。


「私が勝手に片付けをして、自分の不注意で少し切れただけだ。だからオウルもリーバも悪くない。あと付け加えておくといつも通りオウルは涙もろいしリーバは良い子だ」


 言うと、オウルは感涙に震え、リーバは満面の笑みでこちらを見上げて尻尾を振っている。何とも対照的な二人だ。


「それと私は──熱が上がったみたいだ」

「何だと?」


 熱はだいぶ下がったはずが、水晶球を割ってしまったショックと怪我の影響でぶり返したっぽい。あと、さっきの騒動で少し興奮したせいもある。


「だから倒れる前に寝る。おいで、リーバ。私が寝ている間、見張っててくれ」


 言うと、リーバはキャン! と一鳴きして、私の後についてくる。そそくさとベッドに入った私の足元に上がり、その場で足元を固めるようにくるくる少し回ってから、そこにちょこんとお座りした。寝ている間中、言われた通り番をしてくれるようだ。表情がとてもキリッとしている。頼もしい子だ。


 小型犬で、ふわふわのまん丸。頭にピンクのリボン付きの番犬を前に、イエルが立ち尽くしているのを、長い銀髪に紫の瞳を持つ美しい剣士。白銀の貴公子と称される隊長のディオンがくすくすと笑って話しているのが聞こえた。


「さすが団長の弟君、まったく隙がありませんね」


 朗らかに話すディオンに、イエルは溜息を吐く。


「悪いが医師を呼びに行ってくれないか」

「かしこまりました」


 どうやら私が寝ている間に指の手当をしてくれるらしい。


 イエルはきっと頭痛をこらえる兄の顔で、眉間に皺を寄せていることだろう。

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